第2話 状況確認
ゴブリンの群れを探して森を歩く道中、ふと拭いきれない疑問が湧いてきた。
(――なんでジズだけが、人の姿をしているんだ?)
俺がゲーム内で所持していた召喚獣は、ジズだけではない。なら、他の召喚獣たちも人化して俺の周りにいてもおかしくないはずだ。
しかし、鬱蒼とした森の中を見渡しても、歩いているのは俺とこの鳥人紳士だけ。
「ところで、ジズ以外に俺の仲間はいるのか?」
「やはり、我々に関することだけ記憶が抜け落ちておられるようですね」
ジズは歩みを止めずに、シルクハットのつばを軽く指で弾いた。
「私の他には、ユニコーンとルティーヤーがおりますよ」
(ユニコーンは分かるが、ルティーヤー? そんな召喚獣はいなかったぞ)
踏み出そうとした足が、微かに止まる。脳内の知識をどれほど漁っても、俺の手持ちにそんな名の召喚獣は存在しない。
だが、一つの仮説が、記憶の深淵から浮かび上がった。
俺が所持していた強大な竜の召喚獣――バハムート。その伝承における別名が、たしかルティーヤーだったはずだ。
巨大な怪鳥だったジズが鳥人になっているように、あの竜が『竜人族』の姿になっていると考えれば、合点がいく。
「で、その二人はどこにいる?」
「ユニコーンとルティーヤーは、ポポル村で待機しております」
待機。その処遇自体はどうでもいい。
問題なのは、眼前の鳥人が今、己を含めて『三体』の名しか口にしなかったという事実だ。
「……他には?」
短く問い返すと、鋭い嘴を持つ顔が不思議そうに小首を傾げた。鳥人らしい、妙に板についた仕草だ。
「――他、ですか? ユリウス様の臣下……いえ、仲間は私を含めて『三人だけ』でございますが」
三人。
その事実を受け取った瞬間、脳内で思考の歯車が高速で回転を始めた。
俺が所持していた召喚獣の総数と、明らかに合わない。なぜ、この三体だけが選ばれたように仲間になっている?
静かに歩を進めながら、脳裏に召喚獣たちのリストを展開する。
顕現した個体と、排除された有象無象。その境界線を推測するなら、真っ先に浮かぶのは『使用頻度』だ。単なるコレクションとして保持していただけの存在が呼ばれていないことには、明確な納得がいく。
だが、その仮説には致命的な欠陥がある。
仮に使用頻度が絶対の条件であるならば、ジズたちと同様、あるいはそれ以上に使用していた『リヴァイアサン』や『ベヒモス』、そしてそれに次ぐ『フェニックス』の姿がないことに説明がつかない。
「三人ってことは……リヴァイアサンやベヒモス、フェニックスはいないのか?」
「リヴァイアサン? ベヒモス? フェニックス……?」
ジズは心当たりがないのか、静かに首を横に振った。
「いえ、そのような者たちは存じ上げません」
「……そうか」
使用頻度という仮説は、ここで完全に破綻した。
だが、思考の海原を巡るうち、俺は重大なことに気づく。
――フェニックスがいない。
俺の手駒の中で唯一、死亡した者を蘇生させる召喚獣。それがこの世界に存在していないという事実が指し示す、極めて単純で残酷な真理。
この世界には、蘇生という概念が存在しないのではないか。
背筋を、氷の刃でなぞられたような悪寒が駆け抜けた。
ゲームの常識は通用しない。ここでの『死』は、絶対的な終焉を意味する。
俺は静かに歩みを止め、隣を歩く鳥人紳士へと鋭い視線を向けた。
「……なぁ、ジズ。ひとつ確認しておきたいことがあるんだがいいか?」
「はい、何でしょうか?」
「もし、俺やジズが『死んだ』場合……どうなる? 当然、【蘇生魔法】で復活だよな?」
ジズは一瞬、きょとんと目を瞬かせた。
「死んだ場合、ですか? ユリウス様は比類なきお力をお持ちですので、死など想像もできませんが……万が一の話をするならば、生き返ることはできないと思います」
「……できない? なぜ?」
「それは、先ほどユリウス様がおっしゃられた『蘇生魔法』とやらの使い手が――少なくとも私の知る限りでは、この世界に存在しないからです。もちろん、蘇生アイテムなどの類も耳にしたことはありません」
蘇生という概念の、完全な消失。
その言葉が突きつけるのは、極めてシンプルで残酷な新ルールだ。
フェニックスが召喚されなかった理由は明白だった。この世界そのものが、死者の再生というシステムを許容していない。ならばリヴァイアサンやベヒモスの不在も、同様にこの世界の理から弾かれた結果なのだろう。
ゲームの常識は一切通用しない。『死』、即ち絶対的な終焉。
命が一つしかないという点において、ここは現実世界と何一つ変わらない。否、剣と魔法、そして異形の怪物が跋扈するこの環境は、平和な現代日本より遥かに生存確率の低い修羅の世界だ。
だが、湧き上がるのは絶望ではない。俺は微かな高揚すら覚える己の精神を冷たい思考で押さえ込み、即座に次の一手へと意識を切り替えた。
生き残るためには、自分と仲間の能力を正確に把握しておく必要がある。
「……なぁ、ジズ。ジズは【風魔法】、ユニコーンは【治癒魔法】、ルティーヤーは【炎魔法】を使うんだったよな?」
「――左様でございます。…… もしかして、記憶が戻られましたか?」
思った通りだ。
魔法の属性はゲームの法則をそのまま踏襲している。だとすれば――物理攻撃は?
元は異形のモンスターだったはずの三人が、今や完全な人の姿をしている。人の形をとった以上、武器を装備する仕様に切り替わっているんじゃないのか。
仮説の精度を上げるには、実際に聞くのが早い。
「いや、断片的に思い出しただけだ。……ところで、ジズたちの武器を教えてくれ」
「武器ですか? 私が使用する武器は槍で、ユニコーンは弓。ルティーヤーは剣でございます」
そう言うと、ジズは虚空へと右手を伸ばした。
すると、何もない空間がガラスでも割れたかのようにピキリと裂け、漆黒の虚無が顔を出す。ジズはその闇の奥から、身の丈ほどもある鋭い槍を、いともたやすく引き抜いてみせた。
「……おいジズ、今の力は何だ?」
「これですか? これはスキル『異空間収納』です。道具などを異空間に直接出し入れできるのですが、使い手は限られております。……幸い、ユリウス様も同様のスキルをお持ちのようですので、念じれば自在に――」
言い終わる前に、俺はすでに意識を内側へ向けていた。
念じる、というより――引き寄せる感覚に近い。空間に細い亀裂が走り、漆黒の虚無がぱっくりと口を開く。
その闇の奥を覗き込めば、愛剣『デュランダル』をはじめ、アイテム、金貨、そしてギルドカードまでが、重力を忘れたように静かに浮かんでいた。
かつてゲームの中で積み上げた全資産が、この世界にも丸ごと継承されている。最悪の盤面における、数少ない好材料だ。
俺は思考を切り替えるように空間を閉じると、眼前の紳士へと再び視線を向ける。
「そういえば、ジズ。ジズは鳥人なのに翼が無いが、飛べるのか?」
「翼ですか? もちろんありますよ。飛ぶとき以外は邪魔になりますので、普段は消しているだけです」
言い終えると同時に、ジズの背から漆黒の双翼が音もなく展開された。
鋭利な風切り羽が光を断ち切るように広がり、優雅な紳士の肉体が重力を忘れたように静かに宙へと浮かび上がる。
白いスーツが、闇色の翼に縁取られて揺れた。
……思ったより、でかい。
「そのスキルは?」
「形態変化と申します。翼の出し入れに使っております」
俺は小さく息を吐いて、話題を切り替えた。
「ところで、ユニコーンとルティーヤーはなんでポポル村で待機してるんだ?」
「それはですね、全員でゴブリン退治に向かった場合、我々のパーティーには『索敵魔法』を使える者がおりません。万が一、森の中でゴブリンの群れとすれ違ってしまった場合、無防備な村が襲われてしまいます」
「――留守中の村を守るためか」
「その通りでございます!」
理にかなっている。だが、同時に痛感した。召喚獣が人の姿を持ち、蘇生魔法が存在せず、未知のスキルが存在する。
ここは俺の知る『ミソロジーワールド』のようだが、似て非なる、血の通ったリアルな現実世界だ。
この世界の真のルールを把握するまでは、慎重に行動したほうが良さそうだ。
とりあえず、現在の状況と戦力は大体把握できた。
「……よし。目的のゴブリンを狩りに行くとしよう」
俺の号令に、ジズの漆黒の双翼がゆっくりと風を孕んだ。




