第8話 鳥籠 1
雲一つない青空の下、ゆったりとした歩調で、大通りを行く。間近で教会の鐘が十回厳かに鳴り響く中、通りの向こうでは商人らしき男が汗を拭き拭き、重そうな鞄を二頭立ての馬車に積み込んでいる。
中央区は、全てが集約された感のある所だ。東西にのびる大通りが北と南を、南北に流れる川が東と西を分断している。大通りの北側、ノースイーストは最北に王宮がそびえ立ち、その裾野に貴族達が住まう邸宅や、御用達の高級店舗が並ぶ。王宮騎士団のお膝元であるが故に、市内で一番治安が良い事もあって、銀行や裁判所等の建物もここに纏められている。役所や教会、劇場等以外はあまり一般の民と縁の無い所だ。
大通りを挟んでその南側、サウスイーストは対して会社や専門の小売商店が多い。道を挟んで南へ行く程、卸売市場や工房、製造等の工場が増えて行く。そして〈鳥籠〉もここ、サウスイーストの一角に社屋を構えている。
こういった大きな通りは歩いた事があまりないらしく、シリウスの視線は先程から忙しなく動きっぱなしだが、無理もない。何せ沿道にはずらりと各種店舗が並び、ガラスの窓越しに工夫をこらして飾られた、魅力的な商品が置いてあるのだから。
そんな中、彼が一番強い反応を示したのは本屋の前を通りがかった時だった。ガラス窓の向こうには、最近出版されたと思しき子供向けの美しい表紙の本が、愛らしい小さな椅子に、ちょこんと乗せて飾られている。
だがその光景を眼にして足を止めた、どちらかと言えば浮かれ気味だった筈の、シリウスの表情は固かった。
「……シリウス?」
「あぁ、悪い。行こう」
そう言って再び歩き出したが、先程まで上がっていた目線が、今は下を向いている。何が彼の心を急に塞いでしまったのかが気になった。
「本がどうかしたのかい?」
二人で横並びに歩を進めながら、問うてみる。口が重くはなっていたが、それでも足元の石畳を見つめながら、ぽつりとシリウスは返事をよこした。
「……おれも昔、大事なものを眼の前で燃やされた事があるんだ。だから、グレースも悔しかっただろうなって……」
そうか――この子は本を見て、さっきのグレースの話を思い出したのか。
「……誰がそんな酷い事を」
「女が連れて来たクズガキ共だ。おれが一人に後ろから押さえつけられて動けねぇ間に、もう一人がダンロにげらげら笑いながら投げ込みやがった」
当時の事を思い出したのだろう、表情は歪み、声に悔しさが滲んでいた。〈女〉と呼ぶからには、母親ではないのかもしれない。後妻か何かだろうか。
とはいえ、過去に起こった事柄を変える事は出来ない。そして人に害を成す連中と、永久に関わり合わないでい続けるのも不可能だ。なのでいつも自分がしている考え方を、若いバディに伝授する事にした。
「よし、そんな奴等は、とっとと過去にしてしまおう」
「……過去?」
きょとんとした顔で、シリウスがこちらを見た。
「そうだよ。そんな事をする奴ほど、新しい道に一歩踏み出す勇気なんか、どうせ持っていやしないんだ。だから彼等を横目に新しい道をどんどん進んで、自分に酷い事をしてきた奴等を、遠い過去に置きざりにしてやればいいんだよ。俺達は未来という見た事のない道を行く忙しい身だ。そんな奴等に今更構ってる暇は無い。そうだろう?」
黙って聞いていた少年は、不意にくすくす笑い始めた。
「おっさん、おもしれぇ事言うな。〝過去に置いて行く〟か……。そうだな。どうせなら、追いつけねぇぐらい引き離してやるとするか」
「そうさ。凄い速さで、笑いながら先に行ってやろう」
悪戯っ子の表情になった少年とおっさんが二人、顔を合わせて笑い合う。風と戯れるシリウスの白黄色の髪が、夏の終わりの陽光を弾いて煌めく。綺麗な顔立ちのせいか、服を改め、僅かに笑っただけで印象が全く違う。これで健康そうな顔色なら〝お忍びの皇子殿下である〟と言われても、うっかり信じてしまいそうだ。
――と、その皇子様が何か思い出したのか、少々不安げな瞳で見上げてきた。
「なぁ、今日はこれから〈鳥籠〉のエラい人に会うんだよな?」
「うん、社長と代表にこれから会って貰うよ」
「シャチョウってどんな人だ?……〈ダイヒョウ〉ってのは?」
「簡単に言うと、代表が〈鳥籠〉で一番上の人さ。社長はその次だね。これからは仕事を終えて本部に戻ったら、その報告を必ず社長のヴィヴィアンにする事になる。あと、代表のルシアは医学部を出てるから、体の調子が悪い時や怪我をした時は、彼女に相談すると良いよ」
「もしかして、エラいさんは二人とも女なのか?」
「そうだよ。〈鳥籠〉は、彼女達が作った会社だからね。まぁ代表だの社長だのって呼び方は、他所でしかしないんだけど。皆、基本名前で呼ぶから」
「ふーん……。どんな人なんだ?」
「ルシアは、君と同じくらいの背丈だよ。髪は肩ぐらいで揃えてある。うちでスカートを身につけているのは、彼女だけだからすぐ解るさ。一目見て、ルシアがうちの代表と気付く人はいないんじゃないかな……偉ぶった様子なんて微塵も無いから。おっとりした、優しい人だよ」
「シャチョウは?」
「ヴィヴィアンは、ドルバっていう国の人なんだ。あそこは昔から、国民が戦闘に長けた血筋でね。褐色の肌に赤い髪と眼が特徴なんだ。男も女も、体格が良くて背が高い。ヴィヴィアンも俺よりもう少し高いね。きちんとした、真面目な人さ」
「あんたよりデカいのか?!」
「あぁ。だからドルバの人は、各国の騎士団や傭兵に雇われる事が多いんだ。
恵まれた体格の上、あそこは国が体を鍛える事を推奨してるから、幼い頃から剣や格闘技を習うのが人気らしい。そのせいか、大人になったら腕試しも兼ねて、他の国に行く人も多いって聞いたね」
「すげぇ国だな……そんな人がシャチョウなのか。おっかねぇ」
「いやいや、そんな事は無いよ。真剣に怒らせると、デカい戦闘斧で全部薙ぎ倒し始めるから滅茶苦茶怖いけど」
「やっぱりおっかねぇじゃん」
いつもなら一人で黙々と歩む道程も、二人で話しながら歩いたせいか、今日は一段と短く感じられた。
「そろそろ着くよ。この角を南に曲がってすぐだ」
「……そういえば」
「うん?」
少年の口から、ついでにといった感で思わぬ質問が出た。
「アリスってのは、どんな奴だ?」
俺は曖昧な顔でこう答えるしかなかった。
「淑女だよ。……首から上は」
「……それって、どういう」
「会えば解るさ」
看板がわりに本物の鳥籠が下がっている〈鳥籠〉の正面玄関の扉を開き、シリウスに中に入るよう促す。奥にあるホールへの短い廊下を歩むと、両脇にある待機室から複数の視線を感じた――と同時に、扉の開く音がする。
「ミカド様!」
角を曲がって現れたアリスに、思わず〝うわっ出た〟と口に出さなかった自分を褒めたい。
最近は姿を見かけ次第速攻で逃げていたから、こうして正面から顔を合わせるのは久し振りだ。
――良くも悪くも変わってないねぇ……。
アリスは確か二十三歳。
腰まである白銀の髪、長い睫毛に縁取られた大きなすみれ色の目、白い肌。貴族の血を引く彼女は、細く華奢な淑女といった感があり、多くの人が美人と認める容貌だ。
だがシリウスに言った通り、難は首から下にある。
白を基調とし、レースを贅沢に使った服は特注なのだと後に本人から聞いた。首から目線を下ろしていくと、張りのある若い胸を八割方露出した胸元から始まり、胸下から内股に至るまで、恥骨を僅かに覆う下着らしきもの以外、布が全く見当たらない。尻に至っては、ほぼ紐である。胸部横の付属品から繋がる布が、鼠径部から膝頭まで大腿骨に沿って覆い、その流れが足元まで続いている。ブーツも揃いの白だ。ケープを一応羽織ってはいるのだが、覆うという意味ではあまり役に立っていないように見える。
俺が最初に彼女と交わした会話は『その服……お腹、冷えないの?』という、実におっさんらしい質問からであったと記憶している。本人の返事曰く〝服に拘束される感じが苦手〟だそうで、出入りの仕立て屋と相談した結果、こういった物になったとの事。
シリウスには話す間がなかったが、彼女と組まなかった三つ目の理由が、この〈服装〉だった。
美しい若い娘が、その肌をほぼ剥き出しなのだ。彼女が外を歩くと、男達の目を一瞬で釘付けにしてしまう。その上、上流社会で培われた話し方やマナーで、相手を魅了することに長けている。負けん気も性欲も強いおっさんや、若者ならば堪らないだろう。
だが俺のような例外もいる。
趣味だと言うのなら、好きな服を着ればいい。人様の趣味嗜好に、他人が口を出す権利は無いからだ。ただ〝隣を歩きたいか〟と言われれば話は少し変わってくる。
実際俺がアリスに執拗に付き纏われていた頃、本部に配達人の変更依頼が来たらしい。相手は俺の担当顧客の女性だったそうだが、曰く『昼日中から娼婦を傍らに侍らせている人に、もう仕事を頼みたくない』との事で、かなりの剣幕だったそうだ。ヴィヴィアンの冷静な対処と説明で幸い溜飲を下げてくれたが、それを後で本部に帰還し聞いた時から、俺は脱兎の勢いでアリスから逃げるようになった。
その一件だけが、理由ではなかったからだ。
実は当時俺はほぼ同じ苦情で、数軒の食堂から出禁にされかけていたのである。『そんな男とは思わなかった』『商売女をうちに連れ込まないで貰いたいんだけど』等、こちらは直接入店拒否の姿勢を取られ、ただ美味い食事にありつきたい独り者にとって、状況は最悪だった。他の女性配達人に頼み込み、店長や女将さん達に事情を説明して貰って、なんとか和解出来た時には心底ホッとしたものだ。――あの頃の店員の女性や、女将さんの目がどれだけ冷たかったか、思い出しても冷や汗が出る。
あの時俺のような歳のおっさんにとって、アリスのような女性が望まずとも傍にいるだけで、仕事や社会での信頼性を著しく失う事が嫌という程証明された。
以来、アリスは俺と俺に関わる人達から、要警戒人物として認識されている。
そういえば、えらく静かだけどシリウスは――うわぁ、完全に全力で引いてるな、これ。凄い顔してる。
「……あの、そちらの方は――」
訝しげな視線を俺の隣に向けながら、アリスが聞いてきた。ここで足を止めると怒涛の質問攻めが来るので、速攻で躱す事にする。
「あぁ、ちょっと急ぎの報告があるから、また後で。じゃ、行こうか」
移動を促すと、引いた顔のまま無言で頷いた少年が、大人しく後を付いて来た。
背後にアリスのじっとりした視線を感じつつ、ホールを抜けて二階の社長室へと階段を上がっていると、不意に袖を引かれた。
「……アレに追いかけ回されてたのか?」
「うん」
「おれに声かける訳だ」
思わず笑った俺は、本音を告げた。
「百万の味方を得た気分だったよ」
社長室に入って数分。
今度は別の意味で引き気味のシリウスの首が、最大限後ろに反られていた。
室内で待ち構えていた社長が帰還の慰労もそこそこに、覆い被さるような姿勢で、赤く鋭い眼光の標準を彼に向けていたからだ。
「……連絡のあった候補はこちらだな?」
「ただいま、ヴィヴィアン。こちらはシリウス。うちで働きたいと言ってくれた、有難い若手の候補。シリウス、こちらがヴィヴィアン。〈鳥籠〉の社長、つまり俺の上司だよ」
俺の紹介にシリウスは上を向いたまま、首を竦めるようにして、ぺこりと頭を下げた。器用だな。
「〈鳥籠〉へようこそ、シリウス。私の事はヴィヴィアンと呼んでくれ。社長と呼ばれるのは、どうもむず痒くていかん」
大きな手を差し出され、そろりと握り返す少年の様子を見て、思わずといった笑い声が社長の背後から響く。
「ミカドが漸く連れてきたバディですもの、興味があるのは解るけど、そんなに見つめては彼も緊張してしまうわよ?」
ひょっこりとヴィヴィアンの後ろから顔を覗かせたのは、小柄な女性だった。
「シリウス、あちらは代表のルシア。この二人がこの〈鳥籠〉を作った人だよ」
やっと下ろせた頭をぴょこんと下げ、シリウスが挨拶する。先程から無言だが、多分緊張と驚きで話すことを忘れているのだろう。
「こんにちは、シリウス。遠い道程をようこそおいで下さいました。私の事も、ルシアと名前で呼んで下さいね」
柔らかな優しい声音と、今度は手を同じくらいの高さから差し出されたせいか、どことなくホッとした様子で少年は握手を交わした。
「ミカド、ネストカの件の受取証と預かり金を渡してくれ。報告は後日改めて聞こう。……今日は別件が最優先だ」
ヴィヴィアンの言葉に、配達仲間のライオネルと見知らぬ男が一人、部屋の奥、右手の長椅子から静かに立ち上がった。俺が受取証と金を荷物から取り出し、ヴィヴィアンに渡したのを機に、ふわりとスカートの裾が目の端で翻る。
「二人とも、どうぞこちらへ」
ルシアが優しくライオネルの向かい側、テーブルを挟んだ左手の長椅子に俺達を誘う。
「おかえりなさい、ミカド。ネストカはどうでした?」
「お茶の祭りがある事を知らなくてね、危うく野宿する所だったよ」
ライオネルがさり気なく、穏やかな空気を持続させる。彼は役所勤めから配達人になった、異色の人だ。俺よりずっと年上なのに『自分は貴方の後輩ですから』と、敬語を崩して貰えない。元担当は〈若年支援課〉――別名、〈グレース課〉。隣の男は、恐らく後輩の役所の人間だろう。シリウスの件をヴィヴィアンから聞いて、一肌脱いでくれたに違いない。真面目で誠実な彼らしい動きだ。後でお礼を言わないと。
「――さて、シリウス。確認だが、ここ〈鳥籠〉で配達人の仕事をしたい、という事で間違いはないか?」
「う、……は、はい」
残り二人の紹介と挨拶をさらりと済ませ、仕事が早い敏腕社長は、一番奥の椅子に自らが、そしてシリウスの隣にルシアと全員が椅子に座ると、早速本題に入った。
「始めに伝えておくが、残念ながら〈鳥籠〉は、君を今すぐ正式に雇う事は出来ない」
驚いたのであろう少年は、青い瞳を見開いて硬直している。
「何故か解るかね?」
「……」
すぐに雇用の話になると思っていたのだろうが、実際問題そう甘くはないのが社会というものだ。怪訝な顔で首を横に振ったシリウスは、不安気な様子だった。
「ならばこう聞こう。……君が何かとても大切にしている物があるとして、今それを私が『預かりたい』と言ったら、君はすぐに渡してくれるだろうか?」
少年は困惑したようだったが、暫くして首を横に振った。
「それは何故かな?」
「……さっき会ったばかりだし」
「正確に言葉にするならば、私を〝まだ信用出来ないから〟。そうだろう?」
雇い主になるかもしれない人に失礼かも、と思ったのだろう。今度は躊躇いがちに首が縦に振られた。
「こちらも同じなのだよ。私は君の事を今現在、名前以外ほぼ知らない。即ち〝よく知らないから信用出来ない〟状態だ。これを打開しなければ、話は先に進まない。社会の一員として雇われて働くという事は、自分がどんな人間であるか、まず雇う側に知って貰わなければならない。何故か? それは信用してもらう為の、はじめの一歩だからだ」
ヴィヴィアンは、じっとシリウスを見つめた。その鮮烈にも見える赤の中に、必死で羽ばたこうとする若者に対する、慈愛が垣間見える。
「ミカドと会った時、何らかの事情があって、君が一人で生活していた事は知っている。何故そうなったのか、きっかけは何だったのか。シリウス、勇気を持って、自らと向き合う時が来たのだ。我々を信じ、具にその事情を語ってくれるのならば、〈鳥籠〉は喜んで力を貸そう――だから話してくれ。君の口から、君自身の事を」




