第5話 彼女と組まない、その理由
窓際に椅子を運び、瞼を閉じて何処かの通りから漏れきこえる、弦楽器の音色に耳を傾ける。こんなに穏やかな気持ちで夜を過ごすのは久し振りだった。
カタン、と背後から音がしたので振り返ると、頭から白い布を被ったシリウスが、風呂場の湿度と共に扉の向こうから現れた。
「上がったぞ」
「あぁ、湯当たりしなかった?」
「うん」
「じゃあ、交代で入らせてもら……」
俺の言葉は、どこかから聞こえるポタポタという音で中途半端に止まった。水音のようだったので不思議に思って辺りを見回したが、天井にも壁にも異常はない。――が、ふとシリウスの足元を見ると、床板が点々と変色したようになっている。
「……シリウス、ちょっとおいで」
「? なんだ?」
ひょいと被った布をめくると、殆ど拭けていない、びしょびしょの髪が下から現れた。一旦そのままシリウスには椅子に座るよう促し、俺は背後に回って布越しに両手で彼の頭を包み込む。
「髪の水分は風呂場でしっかりとっておいた方がいいぞ。今はまだ暖かいからいいけど、寒くなると髪から一気に冷えて、風邪を引いたりする事が多いから」
「い、いいよ、自分でするから」
「もちろん今後は自分でして貰うよ。これはお手本だ。次から参考にしてくれればいい」
出来るだけ丁寧に髪を拭きながら、そういえば昔、弟にもしてやったなと懐かしく思い出す。あいつはもっと小さかったし、こんなに大人しく拭かせてはくれなかったが。
「おっさん、歳は?」
「突然だな。三十だけど」
「子供……いるのか」
「いや、まだ独り身だよ。どうした?」
「すげぇ手つきが、なれてるから」
「あぁ、弟がいるんだよ。あいつも小さい頃、髪も体もろくに拭かずに風呂から上がってきて、床を濡らして回ってね。よく追いかけて拭いたもんだ」
「ひとり者か。何か……もったいねぇな。あんた、いい親父になりそうなのに」
想定外の言葉を受けて、僅かに手が止まった。きっと〝良い大人に見えた〟という意味で言ってくれたのだという事は解っている。だが今の俺にとって、それはあまりにもほろ苦く響いた。
「それは……ありがとう」
ひとまず感謝を伝えると、暫く眼の前の髪を乾かす事に専念した。静けさの戻った室内に、微かに未だ聞こえる楽器の音が、窓から風と共に通り過ぎる。
「シリウスは、兄弟とかいないの?」
手は動かしながら、まずは身近な所から質問してみる。
「いねぇ」
「近所の歳の近い子は?」
「……知らねぇよ」
「知らない?」
「外の事は、知らねぇ。出られねぇし」
この子、まさか監禁されていたんじゃないだろうな。首の日焼け跡といい、どうにも引っ掛かる。〝出られない〟とはどういう意味なんだろう。
だが、もう少し家庭内の事を聞こうとしていたのを、見透かされていたのだろう。逆に質問が飛んできた。
「……聞いていいか」
「何かな」
「〝バディに誘った二つ目の理由〟。もしかして、さっきの男が言ってた〝アリス〟って奴に関係があるのか?」
――やはり聞いていたんだな。
「どうしてそう思ったんだい?」
「〝バディの件でつきまとわれてる〟って言われてただろ? どういう事だ? 他にあんたとバディになりたいって奴が、本当はいたんじゃないのか? どうしてそいつと組まずに、おれと組むんだ?」
成る程、最もな疑問だ。ここはきちんと説明しておいた方がいいだろう。
「アリスと組まなかった理由は三つ。一つはさっき話した、俺がそもそも新人育成がしたいと思っている事。彼女はもうクラスCだし元貴族の家柄で、そもそもバディを組みたい相手の条件に当て嵌まらない。……何度もこれを説明したんだが、一向に受け入れてくれなくてね」
柔らかく両手を動かしながら、徐々に布に水分を奪われ、軽くなってきた髪の感触を確かめる。
「二つ目。――アリスには今現在、バディがいるんだよ」
「……え? じゃあ、なんであんたと組みたいなんて――」
「そこだよ。それで困ってるんだ」
俺は、少し前に起こった出来事を話し始めた。
ほんの二ヶ月程前、本部への帰り道だった。近道をしようと山道を歩いていた時、突然大型の獣の唸り声が辺りに響き渡った。声の聞こえた場所がかなり近かったし、もし年寄りや子供連れがそばにいた場合、被害を受けかねない。なので一応、状況を確認しておく事にした。
草を掻き分け、早足で唸り声がした方へ向かうと、左手側に広い窪地が現れた。人の声がしたので、もしや誰か既に襲われているのか? と、急いで窪地を見渡したら、すぐ傍で巨大な猪型の魔獣と対峙している〈鳥籠〉所属の配達人ニコラスと、少し離れた奥の方にいるバディのアリスの二人を見つけたのだ。
「……で、どうなったんだ」
「あー……魔獣の正面には、剣を構えたニコラスがいたんだけどね。元々あいつは、戦闘向きの人間じゃないんだ。ただアリスの手前、逃げる訳にもいかなかったんだろう。手を貸すのは簡単だけど、彼にも誇りがある。だからこっそり見守る事にしたんだ。あいつは精一杯、頑張ったんだけど――何度目かの突進で、見事にふっ飛ばされてね。で、気を失ってしまった訳だ。現場に残されたのは、アリス一人。彼女は〈鳥籠〉に来た時から帯剣していたから、使い手だとは知っていた。でも俺はその時、彼女がどれ程の腕前かまでは知らなかったんだ――さて、これでどうかな」
話を中断し、シリウスの頭を覆っていた布を外すと、下から蓮の花弁のような、淡い白黄色の髪が現れた。直に触ってみると、かなり水分がとれた事と――この歳の子にしては、随分と傷んだ状態な事が同時に解った。栄養不足が原因なのは明らかだった。
「髪はこれで大丈夫。自分で確認してごらん」
俯いていたシリウスはそっと自分の頭に手をやると、ぺたぺた触って乾き具合を確かめた。
「ホントだ、かなり乾いてる。……ありがとな」
体を捻るように振り返って礼を言われ、俺は返事をしようとして固まった。
汚れを落とし、顔を上げて真っ直ぐこちらを見たシリウスは、驚くほど整った顔をしていたのだ。成長が芳しくなかったのも一因だろうが、未成年期の、繊細な美しさがそこにあった。無法者達にでも見つかっていたら、どんな悲惨な運命を辿っていたかと思うと、持ち合わせた幸運に感謝するしかない。
「……どうかしたか?」
不思議そうに見上げてくる瞳からは、己の容姿など気にもしていない様子が窺えた。
「シリウス、気をつけた方がいいぞ」
「何を?」
「自覚がないかもしれないが、君はとても綺麗な子だ。付き合って欲しい、って女の子が寄ってくる分にはそこまで問題ないが、近付いてくる大人には警戒した方がいい。自分の身は、まず自分で守らないと――」
眼の前の少年が、思わずといったように苦笑する。
「それでいくと、おっさんにもケイカイしなきゃならねぇけど?」
「――あ、そうか」
二人で思わず吹き出した。
「心配するなよ、家を出てからロクデナシかどうか、見分けるのはうまくなったからな。おれの事はもういいよ、話の続きはどうなったんだ? 魔獣は倒したのか?」
俺の話も彼ぐらいの年頃には、ちょっとした冒険譚なのだろう。椅子の向きをわざわざこちらへ向けて、座り直したぐらいには先が気になるらしい。こちらも隣の椅子を引き出し、向かい合わせに座ると、当時の事を思い出しながら話を続ける。
「結果として、魔獣は俺が倒したんだ。本当はアリスの腕前を見てから、必要なら手を貸そうと思っていたんだけどね。でも魔獣が少し離れていたアリスではなく、倒れたニコラスにもう一撃お見舞いしようと、頭の向きを変えたのが見えたんだ。アリスの位置からみて、攻撃を止められる可能性は低い。それで介入せざるを得なくなった」
――今から思えば、あのアリスの立ち位置はおかしかった。普通、魔獣に襲われたら二人で強力して挑むはずだ。例えニコラスが「自分がやる」「下がっていてくれ」と言ったとしても、すぐ手を貸せる所にいるのが当然の努めだろう。あの位置はまるで〝ニコラスがどこまでやれるか試していた〟風にも取れる。あの娘なら、やりかねない。
「幸い、若い個体だったから動きが読めてね。すぐに魔獣は倒せたんだ。だから後の事はバディリーダーであるアリスに任せて、俺はそのまま本部に帰った」
――まさかこれから自分の身に、災難が降りかかるなど思いもせずに。
「次の日、職場に着いたら何やら騒々しくてね。不思議に思いながらホールへ向かったら、俺の姿を見たアリスが、待機室から飛び出してきたんだ」
白銀の長い髪をなびかせ、小走りで駆け寄って来た彼女は、蕩けるような笑みを浮かべていた。
『ミカド様、お待ちしておりました』
『おはよう、アリス』
アリスとは当時ほとんど話した事はなかったが、恐らくは昨日の事だろうと足を止める。
『昨日は私の危機を救って頂き、有難うございました。荷も幸い無事でしたので、つつが無く今回の仕事を完遂出来ました。全てミカド様のお陰です』
『ニコラスの具合はどう?』
一向に出て来ないバディの名を出すと、アリスは待機室の方へ、優雅に白く細い指を向けた。
『無事帰還しました。彼はあちらに』
そう言われて視線を向けると、頭に包帯を巻いたニコラスが、扉の所から憎悪の籠もった目で俺を睨みつけている。……どういう事だ?
『実はお待ちしておりましたのも、改めて私から、ミカド様にお話がありまして』
『何かな』
アリスは俺に一歩近付くと(こちらは反射的に一歩引いてしまったが)、すみれ色の大きな目で真っ直ぐにこちらを見つめ、声高々に宣言した。
『私、今日からミカド様とバディを組みます!』
一時、広いホールから音が消えた。
俺は呆気にとられて一瞬言葉がなかったが、なんとかすぐに正気を取り戻す事に成功した。
『いやいや、何故そうなるんだ。そもそも君はニコラスのバディだろう?』
『私は〈鳥籠〉に入った当初から、私よりクラスが上で、剣の腕が立つ人と組む事を理想としていたのです。彼と組んでいたのは、当時私以外に組める者がいなかったからに過ぎません。ミカド様のバディになれるのなら、彼とのバディは即、解消致します』
てきぱきと説明しているが、今、これを聞いているニコラスは息をしているだろうか。そんな俺の心配をよそに、アリスは熱に浮かされたように話し続ける。
『私を上回る配達人クラス、魔獣を倒したあの剣の腕前、そのお人柄。私のバディは、ミカド様しか考えられません。ご了承頂けますね?』
――いや、それだとニコラスの立場がないだろう。というか、さっきのあいつの恨みがましい目の理由はこれか。俺にアリスを横取りされた、そう思ってるんだな。
『それに……ミカド様に、まずはバディという形から、私という人間を知って頂きたく――』
アリスが頬を染めながら何やら呟いているが、俺は全く聞いていなかった。ゴタゴタに巻き込まれるのも、勝手にバディを決められるのも、両方御免被る。
『悪いけど、バディの話はお断りするよ』
きっぱり拒否して、次の仕事を決めようと事務課の方へ足をむける。ところが、足早にアリスがその間に割り込んで来た。
『何故です? 私はクラスCですし、バディとしての力量に不足はない筈です。理由をお聞かせ下さい』
「その時に、件の新人育成の話をしたんだよ。ところがさ、引かないんだ。『私はミカド様のバディになります、もう決めたのです』の一点張り。付き合いきれなくて、早々に次の仕事先へ向かったんだけど――あの時からだよ、悪夢みたいな日々が始まったのは」
一仕事を終えて本部に戻ると、待ち構えていたアリスに『私とバディを』と延々付き纏われる。待機室では他の仲間との会話を毎回盗み聞かれて、行く先々でアリスが現れるので、本部に長居する事もなくなった。
仕事終わりに飯でも食べようと外出すると、必ずアリスがくっついて来て強制相席。そこでも『私とバディを』が始まり、適当な返事を繰り返すと、衆人監視の中『私の何がお気に召さないのですか』と、しくしく嘘泣きを始める。お陰で何度、周りのテーブルの男達から『女を泣かすような奴は男じゃねぇ』と喧嘩を売られた事か。
それでも断り続けていたら、事あるごとに今度は自宅に誘われるようになった。断る口実を考えるのも面倒になり、最近ではアリスの姿を確認すると、腕輪の力で速攻その場から逃走するようになったのだ。
おまけにあれ以降ニコラスからは逆恨みされ、裏で泥棒呼ばわりされる上、顔を合わせれば嫌味を言われるようになった。
「――なんでだ」
話を黙って聞いていたシリウスが、思わずといった感でツッこむ。
「そいつが文句言う相手は、あんたじゃなくてアリスの方だろ」
「ところが、あいつはアリスにだけは何も言えない立場なんだ。――彼女に心底惚れてるから」
「うわぁ、めんどくせぇ……」
シリウスが、半眼でうんざりした顔をしている。わかるよ。俺も最近、ずっとそんな顔してるだろうから。
「そういう訳で本当にバディの件、考えてくれないかな。俺を助けると思ってさ、頼むよ」
半ば懇願するように伝えると、少年は〝仕方ねぇなぁ〟といった様子でこちらを見た。
「おっさん、妙なところで苦労してるんだな……だからおれに声かけたのか。まぁ、取り敢えずバディの事は考えてやるから」
いい子だなぁ、シリウス。おじさん泣きそう。
ここで話が一区切りついたので、その後俺の風呂の番となった。その間荷物をどうするか少し悩んだが、相手を信じないのに、信じて貰いたいと思うのは少し傲慢な気がする。結局〝むしろ荷物番がいてくれる〟と考え直し、ゆっくり温泉風呂を楽しんだ。
部屋に戻ると、荷物の所に置いてあった腕章が光っていた。恐らくヴィヴィアンからの返事だろう。急ぎの内容だといけないので、肩に濡れた布をかけたまま、返信を開く。
〔まずはバディ候補が見つかった事に祝意を。グレース法の件に関しては、既に手配した。明日10時を回ってから本部に帰還されたし。君と新たな若い仲間にとって、明日が素晴らしき門出の日となるよう祈っている〕
言い回しは固いが、実にヴィヴィアンらしい文面だった。きっと俺からの手紙を見て、今から落ち着かなくなっているに違いない。古参の仲間達にぐらいは話しただろうか。
ふと静か過ぎる室内に気付き、もう一人の存在を探すと、窓際のベッドの上にこんもりとした固まりを見つけた。そっと近付くと、猫のように体を丸めたシリウスが、幼子のように無垢な顔で眠っている。起こさぬよう細心の注意を払いながら、上掛けをそっと肩まで引き上げた。
……そういえば、アリスをバディにしなかった理由、三つ目を話していなかったな。まぁ明日は本部に行くんだし、そこで判明するだろう。
俺達二人にとって、明日は恐らく大変な一日になる。だがきっと、ヴィヴィアンの言う〔素晴らしき門出の日〕にもなるに違いない。そんな予感があった。




