第4話 新しい服と、悲しい習性
あの限られた時間で、俺達二人はよくやった方だと思う。
大急ぎで寸法の合いそうな肌着を一揃え腕に抱え、たまたま隣にあった、細身だが動きやすそうな下の衣服をそこに追加し、いくつか試して丁度良い大きさの靴を、なんとか見つけ出した。
だが、快進撃もそこまで。
迷惑そうな顔のおかみさんから「明日の準備があるんですよ!」と支払いを急かされ、上着を見つける前に店を叩き出されてしまったのだ。
シリウスの上着はかなり傷んでいて、おまけにブカブカだった。本音を言えば全部揃えてやりたかったが、通りを見渡しても、もう殆どの店舗が門扉を固く閉ざしてしまっている。
仕方がない、上着だけは俺の予備の服で、少しの間我慢して貰おう。どうせ今晩は通りも遅くまで混み合うだろうし、今からウィルの教えてくれた宿に向かって、早めの就寝とするか。
混み合った夜の通りなど、掏摸の稼ぎ場所でしかない。無闇に歩き回る危険を冒すより、腰を落ち着けた方が安全だ。ましてや、顧客の売り上げを荷にしている身である。そう考えてシリウスに宿へ行こうと促したら、突然引き止められた。
「その、……頼みがあるんだ。取りに行きたい物があって」
「荷物か何か?」
「あぁ。あいつらに見つからねぇように、いつもは隠してあるんだ。すぐ戻ってくるから、ここで少し待っててくれねぇか」
明日は国境を越える予定だ。今こう言い出すという事は、本人にとっては大切な物なのだろう。後でこっそり行かず、こうして相談してくれた事が、信頼が一歩前進したようで嬉しかった。
「さっきの仲間に見つかったりしないのか? 大丈夫かい?」
「大丈夫だ。あいつらのナワバリじゃねぇし、そこまで行くにはおれくらいの大きさじゃねぇと、通れない穴があるから」
心配ではあったが僅かながら、この時のシリウスには〝付いて来て貰いたくない〟雰囲気があった。取りに行く物を、俺に見られたくないのかもしれない。相談してくれただけでも上々なのだ、ここは彼を信用すべきだろう。
「わかった。ここで待ってるから、気を付けて行くんだぞ」
俺の返事を聞くや否や、シリウスは脱兎の如く駆け出し、人々の間に紛れてすぐに姿が見えなくなった。
手持ち無沙汰になった俺は待っている間、裏の通りにあるという、今夜の宿を確認しておく事にした。ウィルが話しておいてくれたお陰で、宿のオヤジさんが快く鍵を渡してくれる。話によると、どうやら今夜はどこの宿も一杯で、配達人の裏技を以てしても、宿泊はかなり難しかったらしい。ウィルと会っていなければシリウスと二人、路頭に迷う可能性もあったのだ。偶然が生んだ幸運に感謝した。
それから暫くして、空が美しい夕暮れを描き始めた頃、待ち合わせ場所にシリウスは戻って来た。鍵を既に預かっていたので、そのまま宿の部屋へ向かう。入ってみるとそこは二人用の広い個室で、なんと風呂はかけ流しの温泉式。疲れる仕事から始まった一日だったが、最後にこんな素晴らしい褒美が待っているとは。
「シリウス、先に風呂に入っておいで。あと、これは着替えだよ」
先程買い揃えた服と靴に、自分の荷物から取り出した、予備用の上着を重ねて手渡す。
「本当は上着も新調してあげたかったんだけど、時間がなかったからなぁ。こんなおじさんので悪いけど、明日まではそれで我慢してくれるかな」
ところが、シリウスの返事は予想外のものだった。
「……おれ、このままでいい。これは取っておく」
「えっ、でもこれ、着替える為に買ったんだよ? それに明日〈鳥籠〉に行った後、向こうでも少し生活用品の買い足しに行くんだし」
「でもこんなキレイな新しい服、着た事がねぇ。おれにはもったいねぇし、おっさんの服も汚しちゃ悪いだろ」
大切そうに服を抱え込むその姿に、思わず内心で唸った。そんな言い方をされたら、おっさんの庇護欲が嫌というほど刺激されてしまう。
だがこのままでは、本当にこの姿のままでいそうな雰囲気である。ここは一つ、先輩面して上手いこと話をもっていこう。
「いいかい、シリウス。配達人の基本その一。〝顧客に失礼のないよう、誠意ある服装且つ身綺麗であれ〟」
「うっ……え、えっと、……どういう意味だ?」
「簡単に言うと〝お客さんに信頼して貰えるように、服をきちんとして、綺麗にしておく事〟という所かな。俺が最初に元バディから教わった事でもある。配達人としての、最初の一歩だ」
「着るものって、そんなに大事なのか?」
「そうだよ。何故ならこれは〝仕事〟だからだ。配達人は、最初にお客様と会った時の印象が一番大切なんだよ。〝この人になら、信頼して物を預けてもいい〟と思って貰えなければ、そもそも仕事にならないからね。〝きちんとした人に見える〟のは絶対条件なんだ」
「……〝見える〟だけでいいのかよ」
「勿論、これから色々学んで覚えて、中身も成長しないといけないよ。でもまずは見た目からだ。考えてみてごらん。今の自分が荷物の受け取りに来たとして、君はさっき取りに行った荷物を、預けようと思うかい?」
神妙な顔つきで自分の服装を確認し、暫く手元の着替え一式を見つめていた少年は、どうやら認識を改めてくれたようだった。
「……さっきのメシ代と、この服のぶん。両方きちんと、ツケといてくれ」
俺が了承の返事をすると、シリウスが風呂場に足を向けたので、忘れないうちに石鹸を手渡す。ところが〝体には使った事がない〟と言われたので、一旦二人で風呂場に入り、温泉浴槽と共に簡単に使い方を教えた。
「ここの風呂は温泉を引いてあるらしいから、ゆっくり入ってきていいよ。多分、髪は石鹸を使って数回洗わないといけないだろうけど――」
そう言いながら、好き勝手な方向に髪が跳ねている、向かい合った頭に何気なく手を伸ばした、その時。
シリウスが反射的に肩にぐっと力を入れ、奥歯を噛み締めたのが分かった。
(……この子は……)
子供がこんな行動を取る理由など、一つしかない。反射で自衛の行動をする程、この子にそんな仕打ちをした者に強い憤りを覚えた。だがそれが分かったからこそ、ここは敢えて明るい声で話を続ける。
「ここでしっかり汚れを落としてくるといい。明日は本部の仲間や偉いさん達とも会う事になるんだ、どうせなら男前になっておかないとな!」
俺は笑いながら、シリウスの頭を柔らかく、わざとかき回した。大人の手はこんな事も出来るんだと、知って貰う手始めとして。
「……っ、ガキじゃねぇんだぞ」
微妙に照れたような顔をした少年に「仕上がりを楽しみにしてるぞ」とハッパをかけ、俺は風呂場を出た。
少し経った頃、水音が聞こえ始めて、漸く俺も人心地がついた。今日は本当に目まぐるしい一日だった気がする。
しかし、のんびりともしていられない。〈鳥籠〉本部へ、今日の事を連絡しなければならないからだ。
テーブルにつくと、隣の椅子に置いた荷物の中から、一本のペンを取り出す。何という事はない普通の物に見えるが、これも実は魔道具の一つ。腕章に描かれた鳥籠にそのペンの軸を当てると、絵の鳥籠が淡い光を放ち、そこからリボンで巻かれた一枚の紙が、空中へふわりと現れた。
本部宛てに今日の仕事が無事完了した旨と、依頼人が報告義務を敢えて怠った点がある事を書き記す。
そして〔明日本部に戻る際、未成年のバディ候補が同行するので〈グレース・サリヴァン法〉が該当するかの確認をしたい〕と続けて記した。これだけ書けば、うちの敏腕社長は全て理解してくれるだろう。
書き終えた手紙に、再度丁寧にリボンを巻く。それを腕章の鳥籠の絵に押し当てると、手紙は青い鳥となって羽ばたき、一瞬で姿を消した。
〈口伝鳥〉――配達人が使う、即時連絡手段である。正式名称は〝アストラル・ペンヴォーデン〟だが、長いので俺達はその見た目から〈青い鳥〉と呼んでいる。考案したのはうちの代表と魔法課で、特許を取得しているらしい。
窓を開けると、昼よりは爽やかな風が室内を満たした。どこからか楽しそうな笑い声が聞こえてくる。食事処は夜まで開いていると言っていたから、恐らくはその客だろう。通りに沿って灯された蝋燭と少し欠けた月が、二重奏で石畳の道を静かに照らす。
これから始まる年若いバディとの仕事に、不安が無い訳じゃない。だが、きっとそれ以上に良い事が沢山あるだろう。
年甲斐も無くそんな期待に胸を膨らませる男を、満点の星々が笑いさざめくように煌めいていた。




