第13話 純白の腕章
「……これで君は、今日から我々〈鳥籠〉の一員であり、一人の配達人となる。気を引き締めて仕事に励むように」
そう告げたヴィヴィアンがシリウスの左腕からそっと手を放すと、そこにはクラスEの証である純白の腕章が、きちんと留められていた。その様子をルシアが横で、拍手をしながら微笑む。
少し照れくさいような、誇らしいような笑みを浮かべてこちらを見上げたシリウスの姿に、温かいものがじんわりと胸の内に込み上げる。俺が初めて腕章を受け取った時、ジョシュもこんな気持ちだったのだろうか。
「見習いは、白なんだな」
まじまじと腕章を引っ張りながら観察していたシリウスが、となり合った俺の左腕を覗き込む。
「どこの国の配達人でも、一番上のクラスは赤なのか?」
「そうだよ。配達人の腕章は〝クラスを固定色で明確にする事〟と〝組織名に因んだ柄や模様の刺繍がある事〟、この二つが規定で決まっているんだ」
何かを思いついたらしいシリウスが、瞳をきらりと輝かせ、今度はくるりとヴィヴィアンの方を向いた。
「……クラスAに早くなるには、どうすれば……?」
それを聞いたヴィヴィアンが、からからと豪快に笑う。
「いいぞ、少年! 野心は時に、大いなる成長を促すからな。……と言いたい所だが、クラスAは勤続十二年の上、顧客評価が三年間三以上でなければならない。なかなかに厳しい道程だぞ」
「キンゾク?」
聞き慣れない言葉に、シリウスの頭が傾ぐ。
「この場合、十二年間〈鳥籠〉で働いてるって事さ。顧客評価は、その配達人に対してお客さんが〝この人はきちんと仕事をしてくれた〟と思ってくれたかどうか、依頼や受け取りの時につけて貰う数字の事だよ。
一は〝とても悪い〟
二は〝悪い〟
三は〝普通〟
四は〝良い〟
五は〝とても良い〟
という感じかな」
「雑に荷物を扱ったり、受け渡しの折に態度が悪かったりすると、一や二をつけられやすい。顧客の目は厳しいぞ。言葉使いも気をつけてな」
ヴィヴィアンの言葉に「うっ」と苦い顔をした少年が、ちらりと横目で俺の顔を盗み見た。
「大丈夫だよ、仕事の時によく使う言葉使いや言い回しとかは、これから教えるから。はじめは〝覚える事が仕事〟だと思うくらいで丁度いい。特にシリウスの場合は、読み書きも追加されるから――」
そこまで言った時、背後の扉を軽快にノックする音が室内に響いた。
「どうぞ」
ヴィヴィアンが応えると、まるで重さが無いかのように、するりと滑らかに扉が開いた。
「失礼します」
「無事終わったわよ。全く、人に呪いのプレゼントとか贈るヤツの気がしれないわ。腹いせにアタシの手間分、そいつにまるっと跳ね返してやった! ……あら?」
静と動、簡易正装と柔らかなローブ。対象的な長身の二人組が同時に入ってきて、室内は一気に賑やかになる。
「……後程改めましょうか?」
「待って、ハナイ。ねぇ、もしかしてその子が昨日来た……」
「あぁ、二人にも紹介しよう、ミカドの新しいバディのシリウスだ。シリウス、君から見て左が経理課のハナイ。右が魔法課のフォーミュラだ」
ヴィヴィアンの説明に、シリウスが二人を見上げる。
「初めまして。経理課を担当しております、ハナイと申します。どうぞよろしくお願いします」
ハナイさんは、ここが〈鳥籠〉になる前からずっと経理と事務をしてきた人だ。初めて会った時と比べると、随分と髪に白いものが増えた。でもたとえ相手が未成年であれ、丁寧な物腰は変わらない。いつもきちんと身なりを整え、誠実な仕事で定評のあるベテランだ。大きな手を差し出され、シリウスが緊張の面持ちで握手を交わしている。
「魔法課のフォーミュラよ、はじめまして。魔法に関して知りたい事があったら、アタシかオスカーに聞いて頂戴。二階奥が部屋だから、たまには遊びに来てね。いつでも歓迎するわよ」
腰まである灰緑の髪を揺らし、白く長いローブに全身を覆われた長身の魔法使いに微笑まれ、シリウスがどう反応して良いものか判らず「うぅ」とか「あー」とか言葉にならない声を出している。……これはアレか。混乱したんだな、きっと。
「あー、シリウス? フォーミュラは男性だよ、念の為」
まぁ〝女性言葉のデカい男の魔法使い〟なんて、早々出逢う機会もなかっただろうしな。
俺の説明に、長い髪を指先でくるくる巻き取りながら、フォーミュラが溜息をつく。
「アタシが生まれてから物心がつく頃まで、うちの国は戦争中でね。男が皆出払っちゃってて、長い間周りには女しかいなかったの。当然、男言葉で話す人なんかいないじゃない? そんな状況で育ったモノだから、成長して国を出るまで、これが普通だと思ってたのよ。直そうとした事もあるけど、もう身に付いちゃってるし? 今じゃ開き直ってこのままよ。ややこしくてごめんなさいねぇ」
男性らしい低音の美声が柔らかな女性言葉を操る事に、俺も最初は驚いたが、まぁ個性の一つと思えば良いのだ。要は慣れである。
「例の術の痕跡は、解決したという事で良いのかしら?」
ルシアの問いに、フォーミュラがげんなりした顔で応える。
「ひとまずはね。でも普通の荷に紛れるように、術を仕込んである物が前にも見つかったでしょ? 今回のは、前の物より更に判りにくく術が隠蔽されてあったのよね。おまけにその術自体も、悪意が強くなった印象を受けた。だから警戒を強化した方が良いわねって、今ハナイとも話してた所なの」
「本命に送る為の予行練習の可能性もあります。こちらが気付かれなければ、もっと強力な術や危険な品を、紛れ込ませてくる可能性も否定できません。……例えばの話ですが、もし届けた荷が爆発でもすれば、間違いなく配達を請け負った〈鳥籠〉も、疑いの目を向けられるでしょう。それに、もし術が配達途中で発動した場合、仲間が危険な目に合いかねません」
二人の言葉で、ヴィヴィアンの表情が一気に険しくなる。
「疑われるのも、仲間の怪我も一切御免だ。フォーミュラ、荷を預かる時の確認用魔道具を更に強化してくれないか。オスカーの手も空いたようだし、呪術は闇魔法が基本だから、彼にも強力を仰いで――」
「うん、いいよ」
突然背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、黒髪黒衣の青年が、長椅子の背もたれにちょこんと腰掛けていた。誰もいなかった筈の所から人が現れた事に度肝を抜かれたのか、シリウスが猫のようにぴょこんと跳ねた後、完全警戒の様子で俺の背中越しに声がした方を覗いている。
「大丈夫だよ、シリウス。紹介しておこう、魔道具課のオスカーだ。オスカー、彼が俺の新しいバディだよ」
オスカーはゆっくりと俺とルシアの間を通り抜け、シリウスの前でぴたりと足を止めると、その漆黒の瞳でじっと新人を見つめ始めた。
その様子を見たフォーミュラが、ふわりとローブを翻しながら自身もシリウスに近付くと、面白そうにオスカーの横に並ぶ。
「ふふ、アタシも良いかしら?」
魔法使いに二人がかりで正面から無言で見つめられ、どうにも居心地が悪いのか、シリウスがじりじりと後退りで俺の傍に近寄ってくる。
「……おもしろいね、この子」
「ホント、不思議な事もあるものねぇ。それになんてまぁ、綺麗な子だこと。……ねぇミカド、まさかバディを顔で選んだ訳じゃないわよね?」
「当たり前だよ。――さぁ、そろそろ解放してやってくれ」
魔法使い二人の言動が気にはなったが、先に逃げ場をなくして俺の腹にぴたりと背中を張り付かせた、少年の手助けを試みる。――と、そこへまた控えめに扉をノックする音が響いた。
「今日は来客が多い日だな。どうぞ!」
ヴィヴィアンが応えると、ゆったりとした動きで男が一人入ってきた。彼が動く度、コツン、コツンと独特の音がする。
「お邪魔しますぅ。……うん? 何事? もしやお取り込み中?」
「大丈夫よグレン、ちょっと可愛い子にご挨拶をね? ほら、新しいミカドのバディよ! 素敵な子じゃない?」
フォーミュラの言葉に微笑んだせいで、グレンの残った左眼も見えなくなった。彼は昔事件に巻き込まれて以来、右眼に眼帯をしているのだ。
「おっ、この子が例の〝アリスぷんぷん案件〟やね? やぁ、ホンマ綺麗な子やなぁ。こんにちは、ぼくはグレンて言います。通信課の担当してます、どうぞよろしゅうに」
紙を持っていた方と逆の手で、グレンはシリウスと握手を交わす。
「何かあったのかね?」
先程の呪術荷物の件が頭をよぎったのだろう、ヴィヴィアンの声が僅かに固くなる。
「そんな大ごとやないんです。実はぼく、ディーンからミカド宛ての伝言を預かったんよ」
そう言うと、グレンは手に持っていた紙を俺に向かって差し出した。
「俺の腕章に、直接送ってくれたら良かったのに」
不思議に思いながら受け取ると、グレンが苦笑しながら紙を指さす。
「あー……飛ばして大事な話の腰を折ったらアカン、っていう気遣いもあったんやろうけど。内容が内容なだけに『様子を見て持っていってやってくれ』の意味合いもあったんやないかなぁ」
ディーンからの手紙は、こう綴られていた。
〔送り先010
社長室にいるミカドに、伝えて貰えますか。アリスが僕に『まだここにいるなら引き続きシリウスに字を教えろ、その間自分がミカドと配達に行く』と言って、南待機室で戻るのを待ち構えています。今後の事もあるし、対策が必要かと。
送り主020〕
俺は溜息をつくしかなかった。
「ディーンは何と?」
ハナイさんの問いに俺は手紙をそのまま手渡しかけたが、シリウスが読めない事を思い出し、いっそ全員に伝わるなら丁度良いと音読する事にした。
案の定、室内がどんよりした空気になる。
「実はここへ戻るのが遅れたのも、シリウスが下でアリスに絡まれてたからなんだ。ルシアが先生兼防御策としてディーンと交代するのを、隠れて見張ってたらしくてさ。昨日から『バディを解消しろ』ってこの子にまで付き纏い始めてて、このままじゃ集中して勉強も出来やしない。シェン=ウーが代わりに怒ってくれたけど、まぁ聞く気はないだろうし。どうしたものかな……」
うーん、と考えこんだ俺の隣で、シリウスが当然といえば当然の質問をヴィヴィアンに投げかける。
「〈風呂上がり〉、見た感じ全然仕事してねぇけど、クビに出来ね……じゃなくて出来ない……んデスか?」
苦戦してるが、なんとか丁寧な言葉にしようと努力してるな。さっき『評価を下げられるから、言葉遣いにも気をつけろ』と言われたせいだろう。そうそう、日々のコツコツとした努力が一番だぞ。
「……〈風呂上がり〉?」
俺以外の者が謎の言葉に首を傾げる中、シリウスがあっさりとその答えを呈した。
「あの乳ケツバカ三つ丸出しの女の事だけど」
一瞬の静寂の後、室内は暫く〝俯いて堪える派〟と〝笑っちゃう派〟に綺麗に別れた。
「ふ、ふふふふ、何か気持ちえぇね、ここまでハッキリ言うてくれると」
「……あまり人様の容姿を揶揄しないよう、ミカドからも後程教えて差し上げて下さい。……まぁ、今回は言われる側にも一因はありますが」
漸く皆の笑いの衝動が収まってきた頃、コホンと咳払いをして、笑いを堪えたせいか少々赤い顔のヴィヴィアンが、先程の問いに答える。
「勿論、規定の年間依頼受理回数を熟さないとクラスも下がる事になるし、今後更に言動が目に余るようならば、当然解雇も有り得る。……だがあの娘は強かだからな。恐らく受理回数の残りも、把握した上で動いているだろう。おまけにあれの父親が、うちへ経営資金の提供をしているのだよ、寄付という形でな。『娘をよろしく』という訳だ。それがなければあんな問題しか起こさぬ女、とっくに潰している」
……正直、ヴィヴィアンが〝潰す〟と言うと〝社会的に〟なのか〝物理的に〟なのかわからないのが怖い。
「わたしの部屋や、ここでも構わないけれど。来客が結構ありますし、集中出来るかとなると難しいですね……」
ルシアが思案する中、のんびりとした声が穏やかに解決方法を提示した。
「それなら、ぼくの部屋はどないです? 通信課は手紙の遣り取りが基本ですから、環境としては静かでえぇと思いますよ。〈小鳥〉での依頼で呼び出す時ぐらいしか、人も滅多に来ませんし」
グレンの提案に、その場にいた大人全員の表情が明るくなった。
「それは良い案だ。もしミカドに〈小鳥〉の依頼が来ても、その間はグレンが代理で教える役にもなれる」
ハナイさんが満足そうに頷く中、フォーミュラが何かに気付いたらしくにんまりと笑った。
「じゃあ、反応魔法を『通信課の前』から『階段の最後の一段』に、雷魔法と瞬間移動を『曲がり角』に今から変更するわね。アタシやオスカーの部屋でお勉強して貰ってもいいんだけど、うっかり別次元に飛んじゃったりしかねないから、やめておきましょ」
おい、今サラッととんでもない事を言わなかったか?
「では、シリウスの勉強場所は暫く通信課で受け持って貰う事にしよう。机や椅子の追加は必要かね?」
「奥に大きめのテーブルがあるし、あれで足りるんやないですかね。ぼくはそろそろ戻るけど、ミカドとシリウスも一緒に行く?」
促してくれたグレンに少し待って欲しい旨を伝え、俺はハナイさんが傍にいるうちにシリウスへもう一つ、仕事上の約束事を伝えておく事にした。
「配達を終えた後、荷物としてお金を預かったりした場合や、配達の時何か問題が発生した場合は、ここへ来てヴィヴィアンに報告するんだよ。荷の受け渡しだけの場合や、特に問題が無ければ一階事務課でハナイさんかミッチに報告して、受取証を渡せば大丈夫だから」
それを聞いたハナイさんが、柔らかく微笑んでシリウスに声をかける。
「貴方が初仕事を終えて声をかけてくれる日を、ミッチと二人で楽しみにお待ちしておりますよ」
その言葉に、シリウスが笑顔で頷く。
「ほな、行こか。通信課は隣やからね。今日はこれから、連絡手段の勉強やで〜」




