第12話 その言葉の意味
その後ミリガン氏はオスカーから手渡された魔道具一揃えを手に、やや興奮状態で爽やかな青空の下、役所へと戻って行った。共に調査に向かう相棒とこれから最終打ち合わせの後、明日ラガトに向けて出発するとの事で、進捗は逐次残った女性調査員が、こちらにも連絡してくれるという。
高性能の魔道具があるとはいえ、治安の悪化した土地へ行くという現実に変わりはない。彼等の家族の為にも無事に戻ってきて貰いたいし、出来れば前向きな知らせが欲しい。
「ミカド、シリウスをここへ呼んでくれないか」
調査会議が最良の方向に落ち着き、昼前にやっといつもの仕事に戻れたヴィヴィアンが、どっしりとした高級そうな机の引き出しを開けながら声をかけて来た。
「いいけど……?」
――何かまだあの子に用事があったっけ?
不思議そうな内心が、声や顔に現れていたのだろう。ヴィヴィアンは答える代わり、にまっと笑うと両手で取り出した物を胸の辺りまで持ち上げた。
あぁ、俺は馬鹿だ。こんな大切な物を忘れていたなんて。
「……すぐに呼んでくる!」
くすくす笑うルシアの声に押されるように、俺は急いで社長室を後にした。
気分良く早足で階段を降り、ホールを突っ切ろうとしていた時、明け放たれた南待機室の扉が開いているのが眼に入った。嫌な予感がして速度を緩め、そっと扉へと近付いて行くと、案の定いて欲しくない人物の声がする。
「〝身の程を弁える〟という言葉もご存じないようですね。配達先の住所も名前も読めず、担当者名も書けない方に、この仕事が務まるとでも? 大きな見当違いです。そもそもクラスAのミカド様が、見習いと組んでも何一つ良い事など無いものを。一体何を考えておられるのか……」
多分アリスは俺を探しに来てから、ルシアがシリウスの傍を離れるまで、ずっと見張っていたんだな。仕事しろよ。
「クラスA……?」
今度聞こえたのは、驚いたようなシリウスの声だった。……そういえば俺、あの子に自分のクラスをまだ言ってなかったような気がするな。聞かれもしなかったが。
「深紅の腕章は、最高位であるクラスAの誇りです。ミカドはその中でも、かなり若い部類に入るでしょうね。あの歳でクラスAになる方は、殆どいらっしゃらないですから」
柔らかな落ち着いた青年の声が、優しくシリウスの呟きに答えた。これはディーンだな。ルシアが部屋を出る時、代わりに教師役を頼んで行ってくれたのかもしれない。真面目な彼ならば適任だし、恐らく自分の姿が見えなくなれば、アリスがやってくる事を見越していたんだろう。
だがこの呟きが、アリスの苛立ちを更に加速させてしまったようだ。
「ご存じなかったの?! ……呆れた。でも相手のクラスを気にしていなかったのなら、ミカド様に拘らず、他の配達人と組んでも差し支えは無い、という事ですね。ならば早速バディの解消を――」
その時、何かを叩きつけるような音の直後、かなりの音量の怒声がホールにまで響き渡った。
「さっきからグダグダグダグダ、やかましぃわ!! この子は今勉強しとるんや、邪魔するんやったら出てけ!! そもそもこっちの待機室に出入りすんなって、アンタにはこの間言うた筈やで。誰が入ってえぇて言うたんや!!」
「そもそも入るなという方が理不尽なのですから、私は私のしたいようにします。あと、関係無い方は黙っていて下さいます? これは私とこの方とのお話ですから」
うわ、シェン=ウーがまだ残ってたのか。彼女は担当顧客の一件以来、アリスとは犬猿の仲だからな。いや、寧ろディーンだと返しが弱いと思って、残ってくれたパターンか?
更に近付き、扉の陰からこっそり中の様子を伺うと、室内にはアリスに噛み付いたシェン=ウーの他に、彼女のバディであるオルガを始め、数人の若手配達人が事の成り行きを静観していた。――というより、この二人が揉め始めると、皆黙って見守るのが常だった。うっかり口を出そうものなら、凄まじい飛び火が今度はこちらを標的にして来る事を、皆知っているからである。
そんな中こちら向きで座っていたディーンがいち早く俺の存在に気付き、小さめのジェスチャーで《時を待て》と伝えて来た。了解だ、俺もそう思う。
「ミカド様はクラスAという最高額の給金から、大幅減額されるのですよ? 世界を股にかける方が、国内の配達に限定した依頼しか、受けられなくなりますから。えぇ、全て貴方というお荷物がいるお陰です。おまけにそこへ一から全てを教えるという、途方も無い手間まで追加されて。本来、クラスAが見習いと組むなんて、前代未聞の話なのに。お人好しにも程があります」
あー……いらない事をバラしてくれたなぁ、シリウスが気にしなきゃいいんだけど。
「ミカドは前から〝新人を育てたい〟って言うてたやないか。そこへアンタが横から突然しゃしゃり出て、ガタガタ言うてるだけやろうが」
いや、ホントそうなんだよ。代弁有難うな、シェン=ウー。
「相応しい相手、というものが何事にもあるのです。ミカド様に相応しいのは、私のような才能溢れるバディであり、この方のように未熟で不相応な方ではありません。いいですか? 今の話を聞いてミカド様に申し訳ないと思うのなら、今すぐ別のバディを探して――」
「何か言うたらバディバディ、アンタに溢れとるんは才能やあらへん、一つ覚えなアホの度合いや。シリウスやったよな? 気にせんでえぇから、ディーンにちゃーんと教えて貰いや。勉強せんと、こんなアホになってしまうで?」
おかしいな。ここからは見えない筈なのに、さっきから眉間に皺を寄せた、シェン=ウーの顔が見えるような錯覚がある。
「我が家は専属の家庭教師がおりましたので、私は語学から淑女としてのマナー、剣技に至るまで、あらゆる事に精通しております。……こちらの方のように学び舎に通った事もなく、浮浪児だったような方と、同列に語られたくはありません」
失礼千万と反論したアリスに、ディーンが毅然たる態度で抗議を示した。
「……貧困と縁の無い人は、毎日の食事、柔らかなベッド、決まった仕事、暖かな我が家――それがどれ程有り難く、貴重な物かを理解しません。あって当たり前だからでしょうね。ですが彼とて、出たくて家を出た訳でも無く、学びたくても、その機会すら与えられなかったのが事実でしょう。未成年にそれを責めるのは、筋違いではありませんか」
正論を正面から浴びせられ、アリスが口籠る。幼い頃水害で家族と生き別れになり、育ての親の元で生活していた苦労人の彼だからこそ、言えた言葉だっただろう。
皆が口を閉ざし、一時の静けさを取り戻した南待機室の静寂を破ったのは、静かな低い男の声だった。
「……坊主、迎えが来たぞ」
その声にハッとしたシリウスが周囲を見回し、扉の側に立つ俺の姿を見つけた頃、若手達が目を丸くして声のした方を振り返っていた。陰になった目立たない隅の椅子に、男が一人座っている。俺と同じクラスAであり、古参の配達人の一人でもある、クライブだ。寡黙な事で知られる彼は、社交的とは真逆の性格をしている。声すら聞くことが稀な若手にとっては、青天の霹靂だった事だろう。恐らく俺の存在に気付いていた上でこの一瞬の機会を逃さず、アリスからシリウスを解放してやろうと、声をかけてくれたのだ。持つべきは良き友人である。
「シリウス、一緒に来てくれ。ヴィヴィアンが呼んでる」
そっと手招きすると、シリウスは立ち上がって石板とルシアの手本を背負い鞄にしまい込み、俺の方へ足を踏み出しかけて一旦止まると、横の青年へと何事か小声で呟いた。ディーンがふわりと笑ったところを見ると、礼を言ったのだろう。その後シェン=ウーの横を通る時も、わずかにぺこりと頭を下げた少年の態度に、室内が柔らかな空気で満たされる。
――だが先に俺の傍に来たのは、シリウスではなかった。
「おはようございます、ミカド様。社長室に行かれるのですね? ご一緒させて頂きます」
柔らかな微笑みを浮かべ、それが当然だと言わんばかりに宣言する、アリスの後方で何かが動いた。眼を向けると通路側の扉に隠れる形で、しきりに中の様子を伺うニコラスの姿がある。丁度いい。
「シリウスと二人でとの事だったからね、遠慮しておくよ。君はニコラスがあそこにいるから、次の配達先の相談でもするといい」
嘘も方便。俺の指差す方向を思わず振り返ったアリスの背後を、シリウスが猫のようにしなやかに、するりと通り抜ける。眼で《行こうか》と告げれば、軽い頷きが返ってきた。ふふ、バディらしくなって来たじゃないか。
揃って足早にホール奥へ歩み始めた俺達二人の背後で扉が閉まり、微かなアリスの声だけが追いかけて来る。
「誰が扉を閉めたんです?! ――嘘です、さっきまで開いていたじゃありませんか! 通して――お待ち下さい、ミカド様!!」
仲間の愛ある妨害のお陰で時間を稼ぎ、二階への階段を上がっていると、横でシリウスが溜息をつくのが聞こえた。
「……あのウィルって人が言ったの、そういう意味だったんだな」
「うん?」
「『君は幸運だ。こんなバディ、滅多にいるもんじゃないんだよ』――あれって、〝近くの仕事しか受けられねぇから給料がメチャクチャ下がるし、イチから仕事も教えなきゃならねぇのに、わざわざ見習いをバディにする。こんなお人好しの物好きはいねぇぞ〟って事だろ」
見事なまでに解りやすく纏められて、苦笑するしかない。
「んー……まぁ、ざっくり言うとね。そういえば、シリウスは一度も俺のクラスを聞かなかったね」
「〝一人で仕事が出来るのはクラスCから〟〝クラスDとEの奴は、Cから上の奴と組まなきゃいけない〟って、前にメシ屋で言ってただろ。おれと会った時、ミカドは一人でバディを探してたから、Cから上なんだろうとは思ってた。まっとうな仕事が出来るのなら、おれにはそれで充分だったからな」
成程な。〝最低限おっさんがクラスCだったら、自分は表の仕事にありつける〟。そういった理解の仕方をしていたからって事か。
一人で納得していたら憂色を濃くしたシリウスが、そっと身を寄せると声を潜めて聞いて来た。
「いいのかよ、その、……ひとり者だとは聞いてるけど、そんなに給料下がっちまって、あんたちゃんとヤチンとか払えるのか……?」
俺は思わず吹き出した。まぁ自分も住まわせて貰ってるんだから、家がなくなる心配をするのは当然と言えば当然か。
「何笑ってんだよ。ジジイになった時の事を考えて、きちんと金ためとかねぇと、あんたが困るんだぞ」
ご立腹の少年から、老後についてのダメ出しをくらう。俺、そんなに稼ぎが少なく見えるのかねぇ。まぁ、クラスAの給料は知らない筈だから、無理もないのだが。というか、自分の住処より俺の心配をしてくれてたのか。有難うな。
「大丈夫だよ。派手な使い方はしていないし、長年コツコツ貯めて来たからね。それに数年経てばシリウスだってクラスも上がるんだし、そこからは一緒に国外の配達も出来るようになるから。少しずつ、俺の給料も元の金額に戻っていくさ」
楽天的な俺の説明に、シリウスは複雑な表情をしたまま無言で階段を登っていたが、二階の廊下へ到達した時、こちらを見ぬまま質問を投げかけてきた。
「……この国以外の配達が出来るようになるのは、どのクラスからだ?」
「バディと一緒の時に限定されるけど、クラスDからティエンファルーラと隣接……隣同士の国なら、国外の配達が出来るようになるよ。それ以外へはクラスCからだ。前に少し説明したけど、Cに上がるには三年間仕事をした経歴に加えて、試験がある。審査は、任意で選ばれたクラスAかBの、先輩配達人が担う事になってるんだ」
「そのシケン、落ちる事ってあるのか」
「きちんと二年間身に付けた事を忠実に守って試験を受ければ、滅多に落ちないと思うよ」
……まぁ、うちにはその珍しい〝落ちた者〟がいるのだが。あれは特殊な例だからな……。
ぼんやりと考えていると左袖がそっと引かれ、見下ろした俺の眼を真摯な青い瞳が、床に反射した朝の陽の光を受けて、煌めきながら見つめてきた。
この眼、この表情を知っている。
ネストカの国境で、自分を〈鳥籠〉へ連れて行けと宣言した――決意を固めた、あの顔だ。
「あとちょっとだけ待っててくれ。すぐにあんたの給料を元に戻してやる。おれをバディにした事、絶対コウカイさせねぇからな」
その真っ直ぐな、夏空色の瞳の美しさ。
あぁ、駄目だ。この眼に俺は昔から弱い自覚がある。
「あの時ネストカで声をかけずに帰っていたら、寧ろ後悔しただろうけど。君を選んで後悔するような日は、来ないと思うよ――これからも、きっとね」
これは紛うことなき本音である。大切な事だからこそ、相手の眼を見てきちんと告げた。
そんな俺を見上げるシリウスが、僅かにためらった後、緊張した面持ちで問いかけてくる。
「一度、聞いてみたかったんだ。……なんでおれだったんだ? 他にもあんな生活してるガキはいっぱいいただろ?」
光を取り込む窓辺に眼を向けると、建物の間を吹き抜ける一陣の風が、重なり合う木々の無数の葉を、軽やかに撫でて行く。その清らかな音は、俺の心を従容とさせるのには充分だった。――いつか聞かれるかも、と思っていた事だ。良い機会かもしれない。
「確かに一人で仕事をするようになってからも、君のような境遇の若者を無数に見て来たよ。でも、組みたいとまでは思わなかった。――魔道具がなくても、俺くらいの歳になれば目つきや行動、話す内容でその人となりは大体わかるからね。……殆どの子が、もう裏の世界に頭から足の爪先まで染まってしまっていたんだ。救いようが無い程に」
どの国でも裏の世界に生きる若者を見かけたが、その大半は罪悪感など、とうに捨て去った目をしていた。彼等は抵抗されにくい年寄りや女性を狙い、集団で商人や配達人を襲い、時には良家の子供も標的にする。生きる為というよりは金欲しさに非道を厭わない、年若い悪党といった印象だった。
「どうして君を選んだのか? ――簡単な事さ」
俺は視線を隣に戻すと、少し緊張しなから答えを待つ少年に微笑んだ。
「裏の世界に身を置きながら、彼等の中で君が一番、綺麗な心のまま一生懸命生きていたからだよ」
「……っ」
息を飲んだ少年が、その瞳を大きく瞠る。
「出会ったのは偶然かもしれない。でも、君を選んだのは必然だ。これだけは断言出来る。もしあの五人の中にシリウスがいなかったら、俺は今日も一人で仕事をしているよ……アリスに追いかけられながらね」
シリウスが、驚きが覚めぬ表情で不意にその眼をそらした。どんな心情なのかは〈心音の指環〉がない今の状態で知る由もないが、この若者がどう返事を返せばよいものか、考えあぐねている事はわかる。
問いに対する答えは出た。
いつになるかは解らないが、今度はシリウスが、何故俺を信用してくれたのかも話してくれる日が来るといいな。
「さぁ、ヴィヴィアンがお待ちかねだよ。行こう」
俺に促され廊下を歩きはじめた途端、何かを思い出したらしく、急にシリウスの足がぴたりと止まった。
「ん? どうした?」
奇妙な緊張感を漂わせ、恐る恐る歯車式のおもちゃのように、横から俺を見上げたシリウスの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「なぁ、この廊下――きちんとした服を着ていれば、魔法でぶっ飛ばされずに済むのか?」
一瞬の間の後、廊下の柵に思わずしがみつき、肩を揺らして笑ってしまった俺は、シリウスの「……何で笑うんだよ」という微かに苛立ちの滲む呟きを、背中で受け止めた。




