第14話 口伝鳥と小鳥
「ごめんなグレン、ややこしい事に巻き込んで」
教会の重厚な鐘の音がきっかり十一回響く中、部屋の奥のテーブルにシリウスと着くなり、俺は部屋の主に謝罪した。本来ならばゆったりと一人で仕事が出来る筈の場所に、これ幸いと入り込んだ感は否めない。
「何言うてんの、アリスがぎゃんきゃん横で吠えとる所でなんか、集中出来へんに決まってるやん。基本は大事やからね、後で困らへんようにきっちり教えてあげんと。元々ここは個人情報がぎょーさんあるから、内勤以外の者はほぼ出入り禁止やん? それでも許可が降りたのは、この子がまだ字が読めん事と、ミカドが信頼されとる証拠やろうね」
壁沿いに扉の横へつけられた、小さなカーテン。壁に向けて座るよう設置された長机の正面に、日付毎に分けて貼られた膨大な量の手紙やメモ。額縁に収められた大きな地図に、机の端にある親子の鳥の置物。久し振りに入った俺ですら、珍しい部屋の作りに視線が落ち着かない。シリウスは忙しなく視線を動かし、仕舞いには精巧な鳥の置物をじっと見つめていたが、俺達の会話に思うところがあったのだろう、少し悩んだ後、意を決したように声を上げた。
「あの、……もし、ジャマになったら言ってく……ください。おれ、ロウカでもどこでも字の勉強できるから」
迷惑をかけている、という自覚があるのだろう。初日から肩身が狭くなってしまった見習いの少年に、グレンは柔らかく微笑んだ。
「ぼくの仕事は、本部宛てに届く配達人仲間や顧客からの連絡事項を、その内容によって適切な人に届ける事なんよ。ぼくはぼくで自分の仕事するだけやし、元々連絡が無くて暇やなーって時には、事務課の手伝いするくらいにはのんびりした所やから、ぜんっぜん気にせんで大丈夫。そうそう、さっきも言うたけど、この部屋に来たからには、今日は〈青い鳥〉……連絡手段の説明からして貰ったらえぇと思うよ」
「〈青い鳥〉……?」
謎の単語にシリウスが小首を傾げた時、部屋の扉が軽快にノックされた。
「はーい、どうぞ〜」
「お邪魔するわよ〜、お勉強中にごめんなさいね。反応魔法と雷魔法の位置の変更が終わったのでお知らせ。それともう一つ――シリウス、こんな風に掌を上にして、こちらに出してくれる?」
シリウスは不思議そうに、だが素直に
言われた通り右手を差し出した。フォーミュラはそこへ一本のペンを乗せ、自らの両手でその手を上下から包み込む。
――あぁ、これは。
次の瞬間、二人の手が重ねられた所から眩い光が放たれ、フォーミュラが手を放すと同時に、光が霧散して消えていった。驚きで固まってしまったシリウスに、俺とグレンは思わず笑ってしまう。
「ぼくも全く同じ反応したわ〜、懐かしいなぁ」
「〈鳥籠〉最初の一歩だもんな。皆体験してるんだよ、これ」
まじまじと手の上のペンを見つめる新入りに、フォーミュラが優しく言葉を紡ぐ。
「本当なら、字が書けるようになってから渡しても良いんだけれど。さっきグレンが『今日は連絡手段の勉強』って言ってたじゃない? それなら何を書いても送る練習は出来るんじゃないか、と思って持って来たのよ。ふふふ、そんな心配そうな顔しなくて大丈夫☆ 今アタシがした事は、このペンにアナタという人を〝登録〟しただけだから。これの使い方は、今からミカド達に教えて貰って頂戴ね。じゃ、アタシも部屋に戻るわ。お勉強、頑張ってね」
見習いの少年に片眼を瞑ってみせると、ひらひらと手を振って、長身の魔法使いは扉の向こうへと消えて行った。
「これは〈青い鳥〉には欠かせないものだからね。説明を始める前に持ってきてくれて、丁度良かった」
「このペンで何かするのか?」
己が手の中のものが魔法の杖であるかのように眺め回す少年は、まだ少し落ち着かない様子だった。もしかしたら魔法自体、あまり見た事もなかったのかもしれない。
「〈青い鳥〉っていうのは、俺達が勝手につけたあだ名みたいなものなんだ。本当は〈口伝鳥〉っていうんだよ。正式な登録名は〝アストラル・ペンヴォーデン〟」
「くで……? ぺん……?」
眉間に皺をよせて考えこんだ少年に、俺は笑って手を横向きに振った。
「だからみんな〈青い鳥〉って呼ぶのさ。さっき腕章を貰って来ただろう? それは配達人である事を、証明する為だけの物じゃないんだよ。昨日ヴィヴィアンがそれを使って、フォーミュラと連絡を取ったのは覚えてる?」
シリウスは首を横に振った。あの時は彼にとって雇って貰えるかどうかの瀬戸際だったし、他に眼をやる余裕等なかったのだろう。そこで俺は出来るだけゆっくりと一つずつ、見習いのバディに腕章の説明を始めた。
「腕章での連絡は配達人にとって、基本中の基本なんだ。意外と使うから、すぐに覚えられるさ。さっきフォーミュラから受け取ったペンは、腕章から取り出した紙にインク無しで字を書ける、特殊なものなんだ。それ一本しかないから、無くさないように気をつけるんだよ」
そんなに大切な物だったのかと慌ててペンを握り直すと、シリウスは真剣な顔付きで頷いた。
「よし、一度実際に送ってみよう。シリウス、ペンを逆さまに持って。腕章に、刺繍の鳥籠があるだろう? そこにペンの軸を一回当ててみてくれ」
シリウスが恐る恐る軸を当てると、〈054〉と数字が浮かび上がり、刺繍の鳥籠から白いメモが、空中へふわりと現れた。
「今光ってたの、文字か……?」
「〈鳥籠〉の登録番号さ。シリウスは〈054〉、つまり五十四番目の登録配達人って事だね。ペンを使わず、刺繍に掌を当てて自分の登録番号と連絡内容を念じると、本部への緊急連絡扱いになる。今後怪我をして動けなくなったり、事件に巻き込まれて身動きが取れなくなるような時が来るかもしれない。万が一に備えて、これは絶対に覚えておいて欲しい」
メモが取れないシリウスは、俺の言葉を口の中で何度も復唱していた。字がそこそこ書けるようになったら再確認も兼ねて、幾つかの大切な事柄はもう一度伝えてあげないといけないな。
「よし、じゃあその紙をテーブルの上に置いて……一番上の欄に書かれているのは、送る方の配達人番号だ。さっきのペンでこの紙を取り出すと、勝手に入るからね。真ん中は手紙の内容を書く所だけど、今回は使い方の練習だから大きく◯を書いてごらん」
シリウスが注意深く大きな◯を書く。こういった所作の一つ一つに性格が現れるものだが、この子は基本、物も丁寧に扱う事が多いし、発言も大体慎重だ。口調は荒いが、本来の性格はこちらで間違いは無いだろう。
その時ふと思いつき、俺はシリウスに荷物の中からルシアに書いて貰った字のお手本の紙を出して貰うと、端に数字を書き足した。
「後は送る相手の番号を、一番下の欄に書く。さっき書いたのは俺の登録番号だ。覚えるまでそれを手本にして書くと良いよ」
見習いの少年は手本と手元の紙を何度も忙しなく眼で往復しながら、ぎこちない筆跡で懸命に〈009〉の数字を書き込んだ後、こちらに向けて紙を持ち上げた。
「……これでいい?」
「うん、これで送る準備は出来た。次は紙を手に持って、腕章の鳥籠に当ててみて」
細い指が紙を持ち上げ、そっと自身の腕章に当てた、その時。
白い紙は淡く光る青い鳥の姿に変化し、まるで刺繍の鳥籠に吸い込まれるように一瞬で消えた。
「消えちまったぞ? ……ッ?!」
一拍の遅れの後、ふわりと現れた青い鳥がテーブルの周囲をくるりと回って俺の腕章へと飛び込むと、刺繍の鳥籠が淡い光を放ち始める。
「ほら、鳥籠の部分が光っているだろう? これは手紙が届いた合図なんだ。こうなっていたら、必ず確認するんだよ。取り出す時は、こうして鳥籠の上を指で横一文字に滑らせる」
まるで腕章から滑り出たかのように現れた手紙を確認していると、その白い紙越しにテーブルにかじりつく、緊張した面持ちのシリウスが目に入った。
「ど、どうだ……?」
俺は無言で、紙をくるんと反転させる。思わず立ち上がって覗き込んだその紙の中央に、自ら書いた◯がある事に気付いたのだろう、夏空色の瞳が大きく見開かれる。
「……すげぇ」
紙から眼を離し、こちらを見上げたその表情は、〝見た事もない新しいもの〟に触れた喜びに満ちていた。
「これが〈青い鳥〉さ」
引き続き、連絡について他の事も学んで貰おうと思ったのだが、グレンがお茶の準備をしてくれたので、昼前の一時休憩となった。こぽこぽと琥珀色の液体がカップに注がれると、室内が馥郁とした優しく甘い林檎の香りに包まれ、ゆったりとした心持ちになる。
しかし緩んだ気持ちは同時に、空腹も思い出させてしまった。
「昼飯、どうするかなぁ……」
「でもあいつ、下で待ち構えてるんだろ? 絶対店までついてくるぞ。」
誰とは言わずとも解る。
あの待機室に挟まれた通路を通らずして、外に出て行ければいいんだが。いっその事、ここの窓から出て行くか。もう考えるのが面倒臭くなってきた。
そんな中、思案する俺の難しい顔を見ていたグレンがソーサーを卓上に置くと、神妙な顔付きで前屈みになった。
「……他の皆には、内緒にしといてくれる?」
部屋には俺達しかいないのに、随分と小声だな。
「どういう事?」
思わず身を乗り出し小声で返事を返すと、何事かとシリウスも同じような姿勢をとった。
「実はぼく、〈鳥の巣〉用の〈小鳥〉を持ってるんよ」
「えっ、本当に?!」
「なかなかぼくが顔を出されへんようになってしもたから、ジョシュがルシア達に相談して、特別に注文専用の〈小鳥〉でここと〈鳥の巣〉を繋いでくれてん」
「じゃあ、時々コリンがグレンに差し入れを持って来てたのは……」
「ぼくがエレンの料理がどうしても食べたくなった時とか、足の調子が悪い時に、こっそり注文してたからやね」
成程な、そうそうと大人二人が訳知り顔で話す横で、話が理解出来ない見習いが不満気に鼻を鳴らした。
「さっきから何なんだ、その〈小鳥〉って」
「説明するには〈青い鳥〉の事から話さなきゃいけないんだけど、そもそもこれを作ったのが、ルシアなんだ。勿論、フォーミュラの協力があったからこそ出来た訳だけど。噂を聞いた他の配達組織や会社から『うちでも是非使わせて欲しい』って、要望が殺到してね。利用条件を仕事限定にして、毎月の使用料を払えばそこの腕章を〈鳥籠〉で作って、貸し出しますって事になったんだ」
「ところが普通の人でも荷物を出したりするのに此処へ来る事が、病気や怪我で難しい人もおるやん? そこで考え出されたのが〝荷物の引き取りや手紙の発送に使う、〈鳥籠〉依頼専用の簡易連絡魔道具〟――それが〈小鳥〉なんよ。利用したい人には、まず初めての依頼の時に審査を受けて貰って――変な人に貸し出して、悪用されたら困るからね――無事通って顧客登録されたら、連絡用の魔道具が貸し出されるって寸法や」
そこまで話すとグレンはお茶に手を伸ばし、焼き菓子の乗った皿をシリウスの方にずいっと押してくれた。
「すこし前から始まった試みなんだけど、年配の人や体の不自由な顧客から、かなり評判が良いんだよ。最近では妊婦さんが貸し出し対象に追加されて、買い出し補助も実験的に始めたんだ。そうしたら、それが大当たり。買い物代理の依頼が一気に増えた。うちは総大将が女性だからね、そういった細やかな心配りが、信頼の一旦を担ってる所は大いにあると思う」
話に耳を傾けつつ、興味津々で紅茶よりも甘い香りを放つ焼き菓子を見つめていたシリウスの視線が、ちらりと俺に移る。『食べていいのか?』と問うてきた瞳に軽く頷いて返すと、手に取ったクッキーを小さな口でぱくりと喰んだ。途端にきらりと青い瞳を光らせて、残りを口へ放り込むその姿が微笑ましい。ふと横を見ると同じくその様子を見ていたグレンが、でれっと笑っている。――いかん、俺も今、絶対あんな顔してる。
「妊婦さんの家への配達は基本女性配達人が行う事になっとるから、安心して貰えるしねぇ。お陰で最近オルガとシェン=ウーは、そっちが専門かってぐらい忙しいみたいやし。情報誌で噂を聞きつけて、他所の配達組織もやってみようか検討中の所が増えたって話や。困った人の助けにもなるし、そういった輪が繋がっていくのはえぇ事やと思っ――」
その時、鈴が転がるような軽やかな鳥の鳴き声が、ごく間近で響き渡った。
「この部屋、鳥がどこかにいるのか?」
きょろきょろと辺りを見回すシリウスに、グレンは笑って壁沿いに置かれた自身の机を指差した。
「ちゃうちゃう。ほら、あれ」
バディ二人で同時にその方角へ頭を向けると、親子の鳥の置物が目に入り――一瞬、自分の眼を疑った。置物の筈の小鳥が胸を膨らませ、まるで生きているかのように囀っているのだ。
「ルシアの遊び心と、フォーミュラの確かな魔法技術の結晶やね。通信課の担当になって一人でこの部屋におった時、あれが始めて鳴いた時のぼくの気持ち、解ってくれる?」
そう言うと、グレンは立ち上がって机に向かい、囀る小鳥の背をそっと撫ぜた。ぴたりと鳴き止んだ小鳥の口に四角い紙がふわりと現れ、挟まれているのが見える。
「ディーンの顧客から〈小鳥〉の依頼やわ。丁度いい、今日はあの子に〈鳥の巣〉へのお使いもついでに頼むとしよか」




