↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒュール  作者: グラム
25/37

第25話: 抱擁を恋しく思う

リアムはこれまでにないほどの速さで駆けていた。奴隷から「譲り受けた」馬は、周囲に舞い上がる葉と埃の中で荒々しく息を吐いている。

 少しずつ森は疎らになり、やがて木々の海を抜けると、乾いた苔に覆われた石垣や、風雨に晒されて古びた柵に囲まれた小さな畑が現れた。

 小麦はすでに刈り取られており、残っているのは、まだ放牧できる家畜――主に羊――のための短い草だけだった。

 寒さに弱い家畜、例えば毛の薄い牛や豚などは、すでに納屋の中へ入れられている。

 激しい蹄の音は、周辺に暮らす農民たちの注意を引き始めた。

 皆が作業の手を止め、何が起きているのかとこちらを見つめている。

 穏やかな村では、これほど急いで走る者を見ること自体が珍しい。

 ましてや、馬に乗っている人間ともなればなおさらだった。

 年老いた住民の多くは、誰が通り過ぎたのかまではよく分からなかった。ただ、近くにいた親族や手伝いの者へ尋ねるだけだった。

「リ、リアムだ」

 黒髪の男が、父親の問いに答えた。

「リアム? でも、あいつは出て行ったんじゃなかったのか?」

「違うよ、父さん。あれはただの噂だったって言っただろ。あの少年は、もっと凄いことをしたんだ。呪われた土地まで行って、生きて帰ってきたんだよ」

「もう視力が衰えてるのは俺だけじゃないらしいな。あそこから生きて帰ってきた人間なんて、今まで一人もいないだろう」

「爺ちゃんが何か起こることを疑うたびに、いつも何て言ってたか覚えてる?」

「俺は年を取っただけで、ボケたわけじゃないぞ」

「物事は決して起こらない。……起こるまではな」

「ふん。あの爺さん、人生の最後には少しおかしくなってたからな。俺はああならないといいが。ほら、誰が道を通ってるか眺めてる場合じゃない。雪が降る前にライ麦を刈り終えないとな」

「分かったよ、父さん」

 このような会話は何度も繰り返された。

 村のより都市化された区域へ入り始めても、その反応は変わらない。

 人々は作業を止め、目の前を駆け抜けていく少年を信じられないものを見るように眺め、口々に何かを語り合っていた。

 少年の家へ向かう道には、いくつかの質素な家や小さな店が並んでいた。

 どれも決して豪華ではない。

 それでも、居心地のよさそうな家々だった。

 その多くは何世代も前から建っており、最初の入植者たちがこの地域へやって来た時代に建てられたものだった。

 大平原、ガラ、そして低地地方。

 様々な地域からやって来た者たちが、この土地へ根を下ろしたのである。

 その路地の間には、一つの奇妙な人影が潜んでいた。

 細くしなやかな身体。

 装飾の施された衣服。

 そして、首筋へ向かってまっすぐ流れるように整えられた髪。

 ヘルマンの鍛冶場には、誰もいなかった。

 炉に残されていたのは、すでに白い灰となり、冷え切った炭だけ。

 少なくとも三、四日は誰も触れていないようだった。

 だが、リアムはそんな些細なことに気づく余裕などなかった。

 彼の意識はただ一つ。

 馬を正しい方向へ向け、できる限り速く屋敷へ戻ること。

 そして、ついに辿り着いた。

 髪は乱れ、鐙すら使わず全力で馬を走らせ続けたせいで、脚は震えている。

 それでも少年は屋敷の中へ駆け込んだ。

 そこで目にしたのは、誰が見ても恐ろしく、そして不幸な光景だった。

 小さなベアトリスの姿はなかった。

 ヘルマンだけが、扉の軋む音がしても目すら動かさず、椅子に座って手術台を重い眼差しで見つめていた。

 ヴィオレットは薬に関する本へ埋もれ、何か助けになるものがないか探し続けていた。

 眠れない夜が続いたせいで、その目の周囲には濃い隈が浮かんでいる。

 アルベルトだけが、器具を拭く手を止めて少年の姿を見た。

 仮面と外套のせいで、その感情を表情から読み取ることはできない。

 だが、長い指から手にしていた物がすべて落ち、床へ触れて高く鋭い金属音を響かせたことで、その感情は十分に伝わった。

「リアム……お前が?」

「うん。本を見つけた」

 その瞬間、少年は光を纏っているように見えた。

 床へ落ちた器具の音が、残っていた者たちを眠りから呼び戻した。

 老人はどうやら、目を開けたまま眠っていたらしい。

 紫髪の少女も、ある意味では同じ状態だった。

 まるで自分自身が身体に催眠をかけているかのように、限界まで疲れ切っていた。

 二人の反応は医師と同じだった。

 驚きと希望が、ほとんど空っぽになっていた彼らの心を満たしていく。

 本は中央の机の上へ、他の医学書と一緒に置かれた。

 だが、そこに置かれていた時間はほんの数秒だった。

 すぐに司書が手に取り、ページを開いて読み始める。

「彼女はどうなってる?」

 少年は心配と悲しみを込めて尋ねた。

 しかし、他の者たちは短く意味の通らない言葉を漏らすことしかできなかった。

 そのため、すぐにアルベルトが答えた。

「容体は安定している。ここ二日間は、まだ麻酔の影響下にある」

 リアムは目を見開いた。

 だが、何も言わなかった。

 ただ階段へ向かって歩き始める。

「自分の目で、彼女がどうなっているのか見たほうがいいだろう」

 部屋にいたのは、深い眠りについているビアと、白い羊毛でヴェールを刺繍しているエリザベスだけだった。

 そこには、大きな一羽と小さな一羽の白鳥が、自然の中で穏やかに暮らしている姿が刺繍されていた。

 扉がノックもなく開いたため、エリザベスは危うく針で指を刺すところだった。

 少年の姿を見ても、リザは何も言わなかった。

 ただ立ち上がると、涙を浮かべながら優しく彼を抱きしめた。

 彼女はリアムと同い年の少女で、赤みがかった髪をしていた。

 夕焼けのような鮮やかな赤毛ではない。

 平原に咲くカーネーションと同じ色だった。

 その顔立ちは優しく、穏やかだった。

 妹とはほとんど正反対と言っていい。

 もっとも、ベアトリスが病に倒れてから、そんな表情を見せることはなくなっていた。

 背は高く、普段は家の中で過ごすのに適した服を着ていることが多い。

 男の子のような格好を好むマリアとは、そこでも対照的だった。

「分かってた。あなたが本を持って帰ってくるって、分かってたよ」

「どうして?」

「あなたが本を持たずに帰ってくるわけがないもの。だから、持ってきたって分かってた」

 彼女は少年の腕を強く抱きしめた。

 リアムも同じように抱き返す。

「彼女はどうなってる?」

「彼女は……安定してる」

 リアムは病床の少女の前に跪いた。

 顔を覆っていた髪の束をそっと払い、包帯の位置を確認する。

 彼女はあまりにも穏やかだった。

 まるで何日も眠っていなかったことなど嘘のように、静かに眠っている。

「ごめんなさい……」

 少女の涙が木の床へ落ちた。

 顔は腫れ、目は真っ赤だった。

 ずっと前から泣き続けていたかのようだった。

「私がもっとちゃんと見てあげていれば……感染がこんなところまで広がることなんてなかった……ひっく。もっとお風呂に入れてあげればよかった。もしかしたら、一日に四回くらい……。私がもっと……」

 リアムは彼女の手を握り、涙を拭った。

「違う。君は彼女のためにできることを全部やった。僕がここにいなくて、できなかったことまで全部だ。君がいなかったら、彼女はもうここにいなかったかもしれない。本当にありがとう、リザ。本当に……ありがとう」

 心の中には重いものが残っていた。

 それでも、今はそれを表に出す時ではない。

 すべてが終わるまで、あとほんの少しなのだから。

 こんなところで感情に飲み込まれるわけにはいかなかった。

 もし許されるなら、今すぐ自分を殴り続けたいくらいだった。

 治療法を探すために、もっと急ぐべきだった。

 自分の目を抉り出して運命を宥めることさえ考えてしまいそうだった。

 まるで、それを代償として差し出すかのように。

 そして、誰が見ても分かる。

 その奇妙で歪んだ包帯が何を意味しているのか。

 特に、紅斑病に苦しんでいる者ならば。

「もう大丈夫だ。ヴィオレットが本の中から治療法を探してる。もう大丈夫だからな」

 少年は妹の髪を撫でながら、そう語りかけた。

 リアムとヴィオレットは、二人で少女の額へ口づけをしてから部屋を出た。

 彼女を病から救える。

 二人とも、そう信じていた。

 しかし、階段を下りた先で見たものは、二人の心に不安を抱かせた。

 ヴィオレットも、他の者たちも、以前よりさらに悲しげな表情をしていた。

 まるで、世界からあらゆる希望が消え去ってしまったかのようだった。

「まさか……」

「あなたが考えているようなことじゃないわ」

 紫髪の少女が、少年の言葉を遮った。

「私も、探していたものを見つけたと思ったの……問題は、必要な材料が存在しないか、あるいは、その手順そのものが意味を成していないこと」

 その言葉を、アルベルトが引き継いだ。

「大きな問題は二つある。どうやら、純金で作った針と……エルフが必要らしい」

「待って。最後のところ、もう一度言って」

「エルフだ。子供向けの物語に出てくる、小さくて空を飛ぶ生き物だ。人間に似ているが、ずっと小さい」

 リアムは、聞かされた言葉が信じられなかった。

 皆は、少年が驚きのあまり取り乱すか、あるいはその場に崩れ落ちるのだと思っていた。

 もしエルフを知らなかったのなら、きっとそうなっていただろう。

「ヘルマン、僕が金を渡したら、針を鍛えられる?」

 そう言いながら、少年は背負い袋の中を探した。

 アエルフェルドが塔のような木の中で見つけた、あの金色の首飾りを探している。

「作れないことはない。だが、針だけで十分なのかは疑わしい。それに、もう一つの条件なしで上手くいくとも思えん」

 アルベルトとヴィオレットは、信じられないという思いで同じことを考えていた。

「まさか、本当にエルフが存在して、何の前触れもなく目の前に現れるとでも思っているのか?」

「ほら!」

 少年は、その「卵」のような黄金の塊を鍛冶屋の手へ放り投げた。

 その重量から考えれば、もしかすると十分な量かもしれない。

「僕は出る。すぐ戻る! アルベルト、ここにある材料だけでも薬の準備を始められる?」

「できる。だが、どこへ行く?」

 真剣な、しかし短い問いだった。

 それに対して、少年は希望に満ちた声で答えた。

「エルフを探しに行く!」

 それが、彼が残した最後の言葉だった。

 少年は馬の手綱を取り、再び木々の間を駆け抜けていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。