第15話 西の大遺跡・第七部
「んんっ!」
アエルフレドが戸棚の中を漁っていた手を止め、小さく声を上げた。
引き出しの奥へ手を伸ばそうとして、身体のほとんどが中へ入り込んでいる。
片足だけが床へ立っているような格好だが、実際には羽ばたきで身体を支えていた。
一方その頃、リアムは即席の背嚢を作っていた。
裂けたカーテンの布と、新しい大剣の柄へ巻かれていた古びた革紐を縫い合わせた簡素なものだ。
『どうせもう破れてたんだ。
誰かの役に立つこともないだろう。
……もっとも、ここで眠るのはあの人くらいだけど。』
彼はちらりと寝台へ目を向ける。
白く色褪せた寝具の中には、一体の骸骨が静かに横たわっていた。
骨まで布と同じように淡い白を帯びている。
「見つけた!」
「何かあったのか、アエルフレド?」
「じゃーん!」
妖精は嬉しそうに首飾りを掲げた。
ひと目で特別な品だと分かる逸品だった。
細部に至るまで精緻な装飾が施され、肉眼では見落としそうな細かな彫刻までも、指先ではっきりと感じ取れる。
卵を二つへ割ったような形状をしており、蓋を開いて光へかざすと、黄金細工に刻まれた紋様が青緑色の光を放ち、遠い昔の一組の男女の姿を浮かび上がらせた。
「持っていってもいいかな?」
期待に満ちた目で尋ねる。
「重さ次第だな。」
「重くないよ、ほら。」
彼女は首飾りを差し出す。
だがリアムは受け取ろうとしない。
「私じゃ持ち歩けないくらい重いけど。」
「俺が言ってるのは重さじゃない。」
リアムは静かに答えた。
「死人から物を盗むっていう、その『重み』の話だ。」
妖精はじっと彼を見つめる。
驚いたような顔だった。
いや――。
半分は呆れ、半分は「何を言ってるの?」という表情だった。
「よくそんなこと言えるね。」
アエルフレドは腕を組む。
「その本を盗むためだけに何日も旅してきたの、誰だったっけ?」
骸骨を指差す。
何の罪もない遺骨は、またしても勝手に話題へ巻き込まれていた。
……もっとも、生前は本当に無実だったかは分からない。
「それにカーテンも剥がしたし、新しい剣だって持っていくつもりでしょ?」
リアムは思わず大剣を抱き締める。
まるで新しい玩具を取られまいとする子どものようだった。
「……一本取られた。」
完全敗北だった。
観念した彼は首飾りを本と一緒に包みへ入れ、革紐で固く縛る。
「さて。」
荷物を背負い直す。
「そろそろ出るか――」
その時だった。
ドン、と何かが地面へ当たる音。
続いて何人かの話し声が聞こえてくる。
幸い、バルコニーの扉は開いたままだった。
二人は物陰へ身を隠し、外を窺う。
一隊の蛮族が、長い木の板を岸へ渡していた。
三人は塔の入口へ向かい、残る一人は即席の舵を太い根へ縛り付けている。
全員が松明と武器を携え、革鎧の上には青銅の輪飾りを幾重にも施した見事な鎧を身につけていた。
背には白い羊毛の外套。
間違いない。
先ほど本館で見かけた衛兵たちだった。
「どうする?」
リアムは小声で尋ねる。
しかし返事がない。
「……アエルフレド?」
「リアム、こっち。」
振り向くと、妖精は古びた樽の上へ立っていた。
中身の染みで黒ずんだ樽だ。
「その樽がどうした?
早く隠れろ。」
「三人まとめて相手にできる?」
「できるかどうかは戦えば分かる。」
リアムは剣へ手を添える。
「隠れる場所なんて他にない。
天井は低いし、戸棚は小さい。
バルコニーにいたらすぐ見つかる。」
「だから聞いて。」
アエルフレドは真剣な顔になる。
「この樽、あの塔にあったものと同じ。
すごく燃えやすい油が入ってる。」
「だから?」
「階段へ落とすだけ。」
「……生きたまま焼き殺せって?」
「でも相手は人間だ。」
「人間だから?」
妖精は真っ直ぐ彼を見る。
「三人同時に戦って勝てる?
しかも全員鎧を着てる。」
「それとも、自分が同じ目に遭う?」
「どっちを選ぶの?」
松明の炎と、青白い光が交わる。
青銅の輪飾りは黄金色に輝き、美しい鎧だった。
敵であることが惜しく思えるほどに。
だが次の瞬間、その美しさは黒い油に飲み込まれた。
樽は先頭の兵士へ直撃し、砕け散る。
粘り気のある油が三人まとめて覆い尽くした。
そして――。
炎が走る。
一瞬で。
轟音とともに火の海が階段全体を呑み込んだ。
三人は絶叫しながら鎧を脱ぎ捨てようとする。
だが遅い。
油は服にも肌にも染み込んでいた。
焼けつく苦痛に耐え切れず出口へ駆けようとするものの、その油はひどく滑りやすい。
誰も立ち上がれない。
塔の外では最後の一人が慌てて扉を開け、兜へ水を汲んでは仲間へ浴びせていた。
しかし、それは最悪の選択だった。
熱せられた油が沸騰し、燃え上がる飛沫となって彼自身へ降り注ぐ。
たちまち全身へ火が移った。
本能だけが身体を動かす。
彼は悲鳴を上げながら湖へ飛び込んだ。
完全ではない。
水中でも熱はなお身体を焼き続けた。
それでも、やがて炎は消えた。
巨木の梢近く。
塔の上から見下ろすリアムとアエルフレドは、計画以上の成果に言葉を失っていた。
「ほら。」
妖精が肘で彼をつつく。
「うまくいくって言ったでしょ?」
「……確かにな。」
リアムは苦笑した。
「でも問題がある。」
「何?」
気楽な調子で聞き返す。
「俺、どうやって降りるんだ?」
「階段、全部燃えてる。」
「え?」
「火が消えるまで待てばいいじゃない。」
リアムは目を見開いた。
「まさか、この塔の石まで燃えるとでも?」
「……アエルフレド。」
少年の目は本気で泳いでいた。
「な、なに?」
「ここへ登ってきた時、外壁だけが煉瓦だったの、覚えてるよな?」
「うん。」
「じゃあ内側の壁は何でできてた?」
妖精は笑顔で答えようとした。
そして。
ようやく気づく。
「…………」
「…………」
「えっ。」
「そう。」
「ええええぇぇぇぇっ!?」
「ど、どうするの!?
私たち焼け死ぬよ!」
「『私たち』って誰のことだ!?」
リアムが叫ぶ。
「死ぬのは俺だけだろ!」
「じゃあ私はどうやって逃げるの!?」
「羽があるだろ、この大馬鹿!」
彼はバルコニーを指差した。
破れたカーテンを揺らしながら、風が静かに吹き込んでいる。
もう一度アエルフレドの方を見る。
――いない。
「……あ。」
すでに彼女は外へ飛び出していた。
「そういえば、私って飛べたんだった。」
塔の外から呑気な声が聞こえる。
「じゃあ先に下で待ってるね!」
リアムは何も言わなかった。
燃え上がる階段を見つめながら、そのあまりにも間の抜けた光景に、笑うしかなかった。
焦りや思考へ沈むたび、彼の世界は色を失っていく。
熱も寒さも存在しない、静かな闇だけが広がる。
「……待てよ。」
その時だった。
何かに気づく。
リアムは勢いよく振り返った。
背後の扉へ目を向ける。
燃え盛る炎は、彼が立つ絨毯まであとわずかの距離へ迫っていた。
『……アエルフレド。
君の考えが当たっていることを祈るよ。』




