エンカウント/ミスティ《34-3チケットの差出人について》
「……はぁー、緊張した」
部屋を出るのと同時に、背中に疲れがどっとのしかかる。
「してたのか?」
少なくとも、ベリオットにはそう見えなかったようだ。
「虚勢張ってたの。本当はすぐにでも、走って逃げたかったんだから」
「そもそもなんで、緊張する必要がある?」
ベリオットが不思議そうに言ってくる。
「だって、いきなり王様の前に出ることになるなんて。魔界にだって、魔王いるでしょ?」
「いるにはいるが。そいつらの前に出ても特に緊張した事がないから、お前らの気持ちは理解できない」
すごいメンタル。
「『鉄の心臓』って言葉、あなたみたいな人の為にあるのね」
「? 心臓が鉄でできてたら、錆びるだろ」
そういう意味じゃないと思いつつ「そうか、鉄って錆びるのよね」と、考えてしまっている自分もいる。
そうなると、彼の心臓はダイヤモンドか金、オリハルコンの方が例えとして適格だろう。
正面の曲がり角から現れた、すごい美男がベリオットに声を掛けて来た。
「これはこれは、王廷騎士のベリオット=シュットガイスト殿」
帽子の両サイドに見える花飾りが印象的な彼は、宮廷で働いている人だろうか。
小声でベリオットに尋ねる。
「誰?」
「ああ。えーと、マリエラ王女のポスター描いた奴だ」
「もしかして『ランジェロ=ミローティ』!?」
名前を確認すると、ベリオットは思い出したように「そうそう、ランジェロだ」と頷いた。
ランジェロ=ミローティは今を時めく美貌の天才芸術家である。ちなみに絵だけでなく、彫刻も手掛けている。
「私のことをご存じとは、光栄ですな」
「ええ、図書館や美術展で作品見ました。画集も買ったことあります」
かつてこの星が「ガドル・サピール」と呼ばれる前の時代(通称『G・S』以前)に、芸術界にいくつもの神話を遺した伝説の芸術家「ビオナード=ダフィーレンゼ」がいた。
ミローティはその「ビオナード以来の天才」や「ビオナードの生まれ変わり」とも呼ばれている。
ゼーンズフトの図書館にも彼の画集や、彫刻の写真集はあったし、頻繁ではないが展示会も行われた事もあった。
とはいえ、その呼び名が付く前の、有名になる前の作品も好きだったのもあり、作風が変わってしまったのはちょっと淋しくもある。
「なかなか隅に置けませんな。こんなに可愛い女性のご友人がいたとは」
近付いてきたミローティから、フッと花の香りがした。
帽子の飾りだと思っていた花は、よく見ると巻かれた髪と繋がっている。彼は多分、植物と人間の性質を持った花人だろう。
「こいつは宰相の、友人の娘だ」
ベリオットは簡易的に私を紹介すると、ミローティはからかうような笑みを私に向けた。
「お嬢さん、お気をつけて。彼は悪気なく無数の女性を泣かせている。それでは」
二〇一の番号が振られた部屋に入るやいなや、私はそこにあった異様に大きなソファに、へたり込んだ。
船に上げられた、軟体生物になったような気分だ。
その隣に腰を下ろしベリオットは額に手を当てて、重いため息をつく。
「しかしまさか、来てしまうとはな」
私は頭を上げてベリオットの顔を見てしまったが、それでも彼は、落胆したような表情を隠さない。
「来ちゃダメなら、どうしてチケットなんかくれたの?」
「ギャラクスが俺の名前で、送るように指示したんだ」
そういえばギャラクスさんはさっき「『普段着で』の文面をベリオットに指示したのは私だ」と言っていた。
「あいつはだいぶ、お前を気にかけてる。『今まで辛い思いをしてきた分、今日くらいは楽しんで欲しい』と言っていた。たぶん婚約している王女の手前、自分の名前で送れなかったんだろう」
それでベリオットはわざわざ、ギャラクスさんのいる部屋に私を連れて行ったのか。
「ギャラクスさんって、王女と婚約してたの!? ……あの娘、一五歳でしょ? ギャラスさんて歳いくつ?」
母さんが死んだのは、確か二九歳で。
私が生まれる前から友人だったという、ギャラクスさんはいったい。
「人間やめたのは、四〇になる前くらいだと言っていたが、詳しくは知らん」
政略結婚、の文字が頭に浮かんだが、あの王女の様子を思い出すと、嫌がっている様子はない。
「……ちなみにどっちから、申し込んだの?」
「王と契約したギャラクスに、マリエラ王女が一目惚れしてああなった。なんだ、気になるのか?」
他人の結婚に歳の差でケチをつける気はないが、どうしても手放しで祝福できない。
「だってあの王様が、よく許したと思わない!?」
両者を見る、王様のあの目を思い出す。
彼らの視界の外で一瞬だけ見せる、若い恋人を奪われたかのような視線が、他人事ながら私は怖かった。
(ギャラクスさんからの養子縁組、断ってよかった)
危うく私はマリエラ王女の義理の娘兼、あの王様の義理の孫になるかもしれなかったのだ。
「いいや。王女が『彼と結婚できないなら死ぬ』って駄々こねて、国王からギャラクスに頼み込んだ。あの王は一人娘の王女を溺愛してるから、どんな我儘でも叶えてるぞ」
ベリオットは何も感じていないみたいだが、単に私に父親がいないから、分からないだけなのか。
(国王と王女は、本当に血がつながっているのかしら?)
こんな疑いが頭をもたげる。
「話戻るけど、要するにベリオットは名前を貸しただけ、ってことでいいのね?」
「そうだ」
(なぁんだ……)
ギャラクスさんが私の半生を慮ってくれたことには、感謝すべきなのだろう。
でも会いたいと思っていたのは私だけだで、ベリオットはそうではなかった。
この事実がありありと思い知らされる。
庶民向けとはいえ、この一日の為だけにドレスを買ったのも、単にVIP席は格式高いお客が多いと、事前に知らされていたからだけじゃない。
着飾った貴婦人や令嬢を見慣れている彼には、どうでもいいのだろう。
「もう始まってるね」
すでに始まっている試合のせいにして素早く窓に顔を向け、彼から目を逸らした。
「私、帰ろうかな」
「俺は別に構わんが、こういうの嫌いか? それとも、国王親子に怒ってるのか?」
「別に。かわりに例のメイドさんでも呼んであげたら?」
「なんでここでメルが出てくる?」
「『働きすぎ』とかなんとか、うるさいんでしょ。私の相手してる時間があったら、帰ってあげた方がいいんだろうけど、そういうわけにもいかなさそうじゃない。ギャラクスさんには『ミスティは体調を崩して帰った』とか言って」
「なんで帰りたがるのかと思ってたら、具合が悪かったのか。持って回った言い方しないで、最初からそう言え。なら送ってやる」
数秒思考が止まる。
彼には私の意図は全く伝わっていなかったらしい。
「具合は悪くないわよ。ただ、理由もなく帰ったら、せっかく高いチケットをくれたギャラクスさんに悪いからって意味で」
今の今まで、このままここにいたら泣いてしまいそうだった。
しかし涙は見事に引っ込んだ。
ついでに、さっきミローティに言われた「彼は悪気なく無数の女性を泣かせている」という台詞が脳裏に蘇る。
私の気持ちなど、つゆほども知る由もないベリオットは、今度は私の帰宅を引き留める。
「それこそやめておけ。お前が呼べと言ってるメルは庶民の出身だ。ギャラクスとは縁もゆかりもない庶民をカトレア席に呼んだら、いつも身分身分うるさいマリエラ王女が憤死するかもしれん。……まさかさっきの仕返しに、誕生祝いの祭りを葬式に変えようとしてるのか?」
「そんな下らないことで、牢屋行きになりたくないわね」
「別にお前が手を下したわけじゃ……あっ」
「どうしたの?」
「……メルにカトレア席を買って、渡したんだった。他の二人と観てくるようにって」
「……自分のお金なら、いいんじゃない? 他の二人って、他にもメイドさん使ってるの?」
「メイドというか、メルの他に男を二人使ってる」
いわゆるメイドボーイとか、フットマンというのか。
「ていうか、わざわざカトレア席三人分も買ってあげるなんて、優しいわね。すごく高いんでしょ?」
「他の奴も、『闘技場で観戦してみたい』とか言ってたからな。あいつら三人とも仲いいから、問題ない」
そのメルちゃんの扱いも、彼らとあまり変わらなさそうだ。
気持ちが落ち着いたのでもう一度、ソファに腰を掛けた。
「腹減ってないか? なんなら何か注文するが」
ベリオットは備え付けのワインを取り出して栓を開け……ようとして失敗している。
「今はいい……、って。瓶とオープナー、貸して」
コルクは無残にちぎれてしまっていた。ラベルに書かれた年数からして、結構熟成している。
古い、つまり長いことコルクが酒に漬かっているワイン瓶では、よくある事だと、フルール・ド・ネージュのマスターが言っていた。
「コルク半分残ってるから、たぶん抜ける。古いやつだから、柔らかくなっちゃってるのかも」
オープナーを斜めに差し込んで、コルクを瓶口を添わせるようにしてやると、抜けた。
「器用だな」
「お店でよく抜いてるからね。私注ぐよ、王様直属の騎士様に注いでもらうなんて、恐れ多いし。なんかいろいろ、ローズ席とは違うのね」
ローズ席はすでに完成された料理が並んでいて、その中からお客が選ぶ形式だった。
このカトレア席はというと、個室の隅に電信箱が置かれていて、そこから注文するらしい。
「客のニーズでそうなってるんだろうな。カトレア席は、女を連れ込んでる奴ばっかりだから、あまり部屋から出たり入ったりしない」
「えっ……!?」
今座っている、壁にくっついた背もたれのないソファ。
大人二人が寝転んでも余るくらいに、異様に大きいわけが理解できた。




