【第8話 アルフィード編:王からの礼と、次なる行先】
《8-1聖都マルアーク行きの列車の中で》
「何だか、ずいぶん大きな話になってしまったな」
発車ベルの音に合わせて、列車は動き始める。
流れていく景色を窓から眺めていると、独り言がこぼれた。
向かいに座ったゴーフルは満面の笑みで、肩掛け袋を抱え込む。
「でもラッキーだったじゃん。お礼がっぽりもらったし、村への支援と大火事の調査、約束してくれたんでしょ。これから行くように勧めてきた場所が、神に騙され崇拝する、無意識神聖サギグループだってのがいただけないけど」
「……間違っても、聖都でそんなこと言わないでくれよ」
ゴーフルの口を塞ぎ、さりげなく視線を泳がせて周囲を伺う。
敬虔な信徒にでも聞かれたら、袋叩きにされたって、文句は言えない。
さて今後の事で俺達は、カルリノ=ボタニー王から隣国レガリアにある「聖都マルアーク」の大司祭に相談することを勧められ、当面の路銀……いや、それ以上のお金(森にいた盗賊団についての謝礼も、含まれているそう)が渡された。
「ラッキー……かあ。そうなんだろうな。ついでに最悪の情報も、もらってしまったけど」
「そっかー、今回神が遣わした魔王『アンジェ』と、『レオパルテの宰相ギャラクス』が、同一人物だったんだもんね」
ゴーフルが王様達に例の水晶を見せたことで、判明した神々に解き放たれた魔王……アンジェの映像を見た王様は、絶句していた。
——遡ること半刻前、トリフィラート城謁見の間。
玉座の間で王様達から礼を言われると、ゴーフルはその場で正体を現した。
カルリノ王も隣に座るカタリナ王妃も、普通の子供だと思ったいたゴーフルの、白い翼や頭上の輪を見て、大層驚いていた。
「「……て、天使様!?」」
ゴーフルは、俺にも見せた記憶する水晶を、彼らの前に差し出す。
「王様、王妃様、この水晶を見て下さい」
この時もゴーフルはしおらしい口調で、彼らの前に跪いていた。
俺は心の中で「吐き気がしそうなほどの落差」と毒づいていたが、黙っていた。
神々の陰謀で魔王が地上に遣わされているなど、普通に話しても聞き入れてはもらえないだろうから。
……それに、あの「素の態度」を王様達に取ろうもんなら、この場でトリフィラートの死刑制度が復活してしまいかねない。
セレフィナ王女の件もあり、彼らは真剣に聴いてはくれた。
だが、人間を守ってくれていると信じていた、神の差し金だという事には、ショックを隠せないようだった。
王様は始終、怒っているように顔をしかめていたし、王妃様は今にも卒倒しそうなくらいに青ざめて、口に手を当てていた。
更に王は、アンジェの顔を見て、こう言ったのだ。
「この顔は……レオパルテ宰相の、ギャラクス殿じゃあないか!」
聞けばその宰相……ギャラクスはトリフィラートを訪れ、同盟を申し込んできたいうのだ。
ただ同盟というよりは「属国になれ」という要求だったのと、レオパルテの評判自体が良くないので、王様は断ったそうなのだが。
「彼は『トリフィラートに幸あらんことを』などと、意味深に言って帰っていった」
「その会合って、いつだったんですか?」
渋い顔で彼は言った。
「そなたの申していた、オルカントリード地方の大火事と……同日だ」
王様達からはできるだけの援助と、エルバ村あてに莫大な寄付金と、それから大火事の調査が約束された。
現金振出証書がその場でしたためられ、受け取った使者が村に向かわされていった。
そこへ、シスター風のベールとショート丈のドレスを着た、セレフィナ王女が入室した。
「セレフィナ、どうしたのだ、その恰好は!?」
と王様。
彼女の手には剣を持ち、飛んだり跳ねたりを想定してか、スパッツを履いている。
通常ティアラのある位置には、変装用なのか、野暮ったいほどに大きな眼鏡が鎮座していた。
「話は聞きました。お父様、お母様、お願いです。私を彼らとともに行かせてください! 悪魔どころか、神が敵となれば、巫女長である私が何もしないわけにはいきません。もしあの悪魔と、魔王が関係あるのならば、結界を破って侵入口を作るなんてことができてしまうような敵を、向こうは使役していることになります。結界は巫女達と協力して強化と修復をしましたが、このような事がまた、必ず起きるでしょう」
数秒の静寂が流れ、カルリノ王が言う。
「唐突ですまないが、もしよければセレフィナも連れて行ってはくれないだろうか」
「いいえ、それはできません」
王様直々の頼みを無下にするのは申し訳ないが、即、断らせてもらった。
「えっ、ダメなの。本人が行きたいって言ってるんだし」
ゴーフルは彼女の同行に乗り気なようだが、あえて彼の言葉を遮った。
「都を一歩出れば野盗が横行し、狂暴化した魔物がうろつている始末です。そんな危険な旅に、一国の王女を同行させるなど、俺にはできません」
「要するに、足手まといって言いたいのかしら?」
一歩こっちに寄って、王女が言った。
「私だって、これでも戦えるのよ」
迫るような口調で言いつつ、剣袋を見せてくる。
見かけによらず押しの強い彼女を、なんと言えば説得できるだろうか。
王様や王妃様の手前もあり、言葉を選ばないと俺達が罰せられるどころか、せっかく取り付けた村への支援まで、取り消しになってしまうかもしれない。
「それに戦闘だけじゃ……」
「いけません!」
今まで静かだったカタリナ王妃が、大きな声でセレフィナの主張を遮った。
王様も、目を丸くして、彼女を黙って凝視している。
「あなたは巫女長という身でありながら、むざむざと悪魔に捕まり、大勢の者に迷惑をかけたばかりではありませんか。同行すれば、必ず彼らの足手まといになります。……だから、もう」
再び静寂が流れる。
「ゴーフル、もう行こう」
気まずい雰囲気の中、急ぎ足でゴーフルを連れて城を出て、その足でレガリア王国の聖都マルアーク行きの列車に飛び乗った。
——そして今に至るわけだが。
「しかし大国の宰相かあ。下手に手が出せない分、タチが悪いな」
レオパルテ王国も、まさか魔王に自分の国の権力を握らせているなんて、夢にも思っていないだろう。
「ミスティちゃんの身が危ない……のかな?」
何を言っているんだ、この天使は。
世界規模の大量殺人犯の近くが、安全なわけはない。
「危ないよ!」
「だって、『ぶっ殺す対象はとりあえず全人類。でも、生き残った奴は生きてていいよ』ってことなんでしょ? 近くにいて、しかも側近に気に入られてるって、生き残れる確率高くない?」
「今は良くても、何の気まぐれで手の平を返すか。分かったもんじゃない!」
車両の境目の扉が勢いよく開ける音と、「アルフィード!」と呼ぶ声に、会話が中断される。
「「あ」」
俺とゴーフルの声が重なる。
振り向くと、牛乳瓶の底を思わせるような分厚いレンズをしている女性——セレフィナ王女がいた。
《8-2治癒の手の巫女姫》
「セレフィナ王女」
と叫びそうになったが、すんでのところで飲み込む。
ゴーフルの口も開きかけていたので、声を上げられないように、両手でふさいだ。
ご両親というか、王妃様を説得できてしまったのだろうか。
それも誘拐の後だというのに、護衛もつけず。
「よく王妃様が、納得したね」
「ダメ、でしょうね」
彼女はごまかすように、小さく舌を出す。
「ええっ!? まさか抜けだして来たんじゃ」
俺が問いただそうとすると、王女は弁解するように
「ううん、お父様がお母様を説得してくれるって。各地の神仕院に、結界の強化をするようにって通達も、お願いしてきたわ」
と、言い足した。
「三階の自分の部屋から、ロープをたらして」出てきたの」
可憐な顔に似合わない、アグレッシブな外出方法に驚いてぽかん、とした。
「あれからやっぱり考えたんだけど、私やっぱり……」
言いかけた所で王女はゴーフルに視線を止めた。
彼の隣に座るなり、セレフィナ王女は彼の顔を覗き込む。
「ゴーフルちゃん……っていったわね、ちょっとその傷を見せて」
「あ? 傷?」
彼の腕には、木の枝ででもひっかいたのか、傷がついていた。
彼女は小さなホルスター式のバッグから消毒液を出すと、ゴーフルの傷に塗る。
「いてて!」
「ちょっと我慢ね。ばい菌が入ってるといけないから」
消毒が終わると、手の平を傷口に当てた。
彼女が手をどかすと、傷は影も形もなくなっている。
無言で驚く俺に、彼女は向き直って言う。
「巫女やってるって言ったでしょ? 小さい頃から『治癒魔法』も勉強しているの。少しは役に立てると思うわ」
こういった回復役がいるのは、確かにありがたい。
それを察知しているようなタイミングで、セレフィナ王女は畳み掛けるように言った。
「お願い! こんなひどい事が神の思し召しなんて、私は信じられない……だから、この目で確かめたい」
本当に、そんな事が神の思し召しなのか。巫女なら、気になる所だろう。
俺の考えが賛成に少し傾きかけたところで、ゴーフルが後押しした。
「いいじゃん、いっしょに行こうよ。神の思し召しとやらを、この巫女さんにも見せてやれ」
「やっぱりダメ! これから先は何があるか分からない。次で降りて帰るんだ」
きっぱりと断ると、彼女はムッと頬を膨らませた。
「なあに? ひょっとして、そんな大役を務める立場でありながら、女一人守れないのかしら?」
つん、とそっぽを向いて、明らかな挑発してくる。
「そうだ」
できるだけ強い口調を心掛けて、はっきり断る。
「あれ、意外とひるまないんだね」
ゴーフルに広げた手の平を差し出して「黙ってろ」のジェスチャーをした。
「回復なら、君のお父さんにもらった資金で、いい魔法アイテムを買える。女が欲しくなったら、娼館でも寄るさ。今のご時世、たくさんあるからね」
女性を、特に彼女のような育ちのいいタイプを拒絶したければ、下品な物言いが一番であろう。
計算通り、彼女は言葉を詰まらせ、しかめた顔を赤らめている。
「っ……!」
相手ががひるんだ所で、もう一押し。
「それ以外で、君が何か役に立つとでも?」
わざとらしいまでに、言葉に棘を含ませた。
生まれた時からちやほやされてきたであろう王女様なら、拒絶には慣れていないだろうという算段だった。
人の気も知らないでゴーフルが「うわー、兄ちゃん最っ低! セクハラだぞ」とかなんとか、ゴチャゴチャ言っているけども、無視。
彼女は、もう言い返しては来なかった。
「……解った。もう、いいわよ」
落胆したように、下がった彼女の語勢。
諦めてくれて何よりという気持ちと、事情はどうあれ、女性に汚い言葉をぶつけた事に対する罪悪感が混ざる。
非常に複雑で後味の悪い安堵を味わいながら、こちらに向けられた小さな背中をチラ、と伺う。
次の瞬間、首に向かって剣先が飛んで来て、とっさに抜いた剣で受け止めた。
「さっきも言ったけど。これでも、少しは戦えるのよ。あの悪魔には、してやられたけどね」
よく見ると、彼女の持つ剣には、切っ先がなかった。
というか、丸くなっている。
「……これが噂に聞く、『不殺の剣』か。なるほど、世界で最初に死刑制度の廃止された国らしいね」
と、剣を離しながら眺めた。
「ええ。巫女達はこれで、敵を生け捕りにするの」
慈悲の象徴とされているこれ、ちなみに本来は載冠式の際に行われる儀式用の剣である。
だからといって、と続きを言おうとすると、ゴーフルが裾を軽く引っ張る。
「最近は女も強いんだねー。でも、とりあえず迷惑だから、座んない?」
乗客の太った紳士が、びっくりして通路で立ちすくんでいる。
俺達は彼らに謝り、そそくさと席に戻った。
《8-3聖都を見下ろす神像の群れ》
「あ”ーっ、ホントつかれた!」
都までの道のりの長さに、早くもゴーフルが文句を垂れ始めた。世界一の大神仕院の所在地に続くこの街道は、世界中から人が訪れるだけあって広く、整備されている。
「君、飛んでるだろ」
「兄ちゃんよお、わかってねェな。羽動かすのだって体力いるんだぜ。それにしてもさあ、市街地と駅がこんな離れてるとか……駅作った奴、バッカじゃねーの!」
彼の言い方は良くないが、中心街に鉄道が通っているイグドラシルやゼーンズフトと比べると、いささか非合理な感じもしないでもない。
セレフィナがどちらに対してなのか、なだめるような言い方で話す。
「仕方ないわよ。空気が汚れないように、街と駅を離してるんだもの。この『シルフのこしかけ』を街路樹にしてるのも、その為よ。空気を浄化する作用がとても強いの。この木の周りは空気がきれいだから、精霊が休憩しに来るって言い伝えもあるのよ」
「へー、大神仕院に相談に来る敬虔な連中は、こんな距離などものともせず、喜んで聖都への道を歩むんだね」
露骨に不満げな口調で文句を言いながら、ゴーフルは先の太い枝に座る。
ふと「天使の腰掛」という、逸話もできそうだと思いつく。
問題が一つあるとすれば、逸話の主役が罰当たりの権化のような天使では,神秘性も有難みも、一瞬で吹き飛んでしまうところか。
さておき、セレフィナは大丈夫だろうか。
「君は疲れてない?」
「ありがとう、アル。でも私は大丈夫よ」
そう言って彼女は、白い花の咲いた木を指した。
「聖都までもうすぐよ。ほら、ディーヴァ・カントゥスの木があるわ」
「あれは、マルアーク特有の木なのかい?」
「というよりは、例えば聖域みたいな、清浄な空気の中でしか咲かない花よ。風が吹くとなる音は『風の女神の歌』と呼ばれているわ。その木を揺らす風が汚れていると、花も葉も、音もなく落ちてしまうの」
「汚い空気が当たると、女神の歌は止まってしまうんだね」
「悪い空気が流れてくるのを察知する手段として用いられてることから『魔除けの木』とも呼ばれているわ」
セレフィナの言うとおり間もなく、イグドラシルに負けていない大きな、だけど落ち着いた雰囲気の街に出た。
駅が遠いせいで他の土地に行くには多少不便かもしれない。
だが、この中で生活していくには不自由ないくらいに、いろいろな施設や店が充実している。
中心には都のシンボルと自覚するかのように聳え立つ、立派な大聖堂。
「へぇー、あそこが神仕院? ずい分立派だねぇ」
神仕院を見ていつになく、ゴーフルが誉め言葉に加えて、感嘆の溜息まで漏らす。
「グノーム大陸で、最大の神仕院ですってよ」
セレフィナの話を聞きながら、神仕院の壁の窪みに立ち並ぶ、白い神像の群れを眺める。
「あんな神どもでも、さすがに少しはありがたく見えるな。やっぱり絵画とか彫刻とかって偉大だよね」
……やはりゴーフルはゴーフル。
俺は彼に、忠告めいたことを言ってやらねばならない。
「あまり罰当たりなこと言うなよ。統率の神が、女の子を物色している最中だったらどうするんだ!?」
そっくりだという統率の神の像は、細身で引き締まった筋肉の、なかなかの美青年の姿だった。
他の女神や老神も、エピソードさえ知らなければ、かなり神々しい。
「兄ちゃんにも当たると思うぜ、天罰。あっ、セレ姉ちゃん顔隠せよ。統率の神に目ェつけられるぞ!」
「まあ、お上手」
グリフォンを模ったノッカーに手を掛け、ドアを叩いた。
手つきが硬くなってしまったせいか、音が大きくなりすぎた。
開いたドアの隙間から、修道女の愛想のない、ともすれば不満げにも見えるような、無表情な顔が覗く。
彼女は俺達を一瞥すると、用件を尋ねてくる。
「はぁー……どうされましたか? 言っておきますが、下らない相談なら、今度にしてもらいますからね」
俺達が三人とも若いからか、修道女は面倒くさそうな溜息も、眉間の皺も隠そうとしない。
(失礼な人だな)
「どうしたのかね?」
奥から祭服姿の中年男性が現れて、態度の悪い修道女に声をかける。
「観光の、若い子達みたいなんですけど……」
「観光じゃありません!」
彼女の言葉を遮り、トリフィラート王からの紹介状を男性に見せた。
封筒の差出人の名前を見て、彼らは慌てたように頭を下げ、扉を大きく開ける。
「た……大変申し訳ありません。トリフィラート王様の使いとはつゆ知らず、とんだご無礼を。中へどうぞ」
入る時に、下を向いた修道女の、ややばつの悪い顔が見えた。
「重ね重ね申し訳ありませんが、大司祭の方は、病に伏せておりまして。私の方でできる事であれば、応対させていただきます」
「えーっ大司祭さん、ダメなの!?」
ゴーフルを静かにさせ「こちらこそ、そんなこととはつゆ知らず」と、頭を下げて詫びた。
「ご病気……とは何の?」
大司祭の病気について尋ねると、神官の男はもともと疲れて困ったような顔だったのが、更に困ったような渋い顔をする。
「それが、分かりません。医者達も、原因も治し方も分からないと、匙を投げました」
気を取り直して神官に用件を伝える。
「トリフィラート王は、ここに世界のあらゆる事件の記録が保管されていると言っていました。『魔王アンジェ』による『世界大虐殺』の資料があれば、見せていただきたくて」
祭服の中年男性は一瞬目を見開き、
「どうして……あなたがその名前を」
と何か言いかける。
《8-4消し去られた史実》
「どうか、しました?」
俺が尋ねるその場で紹介状を読み始めると、神官はある場所で目を止め、彼自身が病気であるかのように青ざめていった。
読み終わると彼は、大きく息を吐いて肩を落とした。
「残念ですが、こちらではお役に立てません。『大虐殺』や『魔王アンジェ』についての資料は、現代に残っていないのです」
神官のこの言葉には、絶望を禁じ得ない。
「なんでさ! でかい事件だったんだろ!?」
ゴーフルは文句を言うと、はっと思い出したように、セレフィナが彼を制止した。
「待って! そういえば。私は世界の歴史も勉強させられてたけど、でも『世界大虐殺』なんて、聞いた事ないわ」
俺もゴーフルに水晶玉を通して、神達の会議の内容を聞いていた。
だから、追うべき人物がかつて「世界的な大虐殺」を起こした「魔王」「アンジェ」であると分かっているのだ。
それまで俺は、歴史上にそんな事件があったのも知らなかったし、民間伝承やおとぎ話としても、伝え聞いた事は、まったく無いことに気が付いた。
「世界大虐殺はこの地球上で五本の指に入るほどの事件にも関わらず、語られていないのです」
そこまで話すと神官は、俺達を書庫まで通してくれる。
「これが、唯一の記述なのですが」
神官は「エレツ・コハブ及び、ガドル・サピール史」という書物を開いた。
この世界の歴史上には、星全体に衝撃をもたらす事件の記録があり、その出来事はまとめて「四大事件」と呼ばれている。
しかし正確には、最も大きな事件でありながら語られる事のない、五つ目が存在していた。
それがこの「魔王」アンジェを首謀者とする「世界大虐殺」事件であるという。
この例がきわめて特別なのは、通常の大惨事が国単位のものであるのに対し、歴史上初であり唯一の全世界規模の事件であること。
また、エレツ・コハブという星の名及び、ある一ヵ国語以外の通貨と言語が消え去ったきっかけであるということ。
それだけの影響がありながらも、史実として遺されていないことである。
「『語り手』となる生存者が少なかった、という原因はもちろんのこと、誰もが未来に対して口を閉ざし歴史書に残さず、口伝もしなかった。それほどまでに、この事件はエレツ・コハブ……今はガドル・サピールの人々の心に大きな傷を負わせたのです」
神官は本を閉じた。
「……そうですか。ありがとうございます」
お手上げか、と書庫を出ようとしたその時。
「あっ、待ってください」
神官が何か思い出したように小さく叫ぶ。
「他に有用な情報を持っていそうな者なら、心当たりが」
「えっ、誰ですか!?」
「スリザス=ライゾという魔導師の男で、郊外に住んでいます。彼は歴史の語り部……『白宝玉の民 』の子孫なのです」
「語呂悪っ。で、そのラヴァンなんちゃらってのは、何なんだよ?」
ゴーフルが言うと、その質問にはセレフィナが答えた。
「創生時代から存在すると言い伝えられている、最初の文明民族よ。『歴史の語り部』とも呼ばれているの。神託を受けて、人々を助けることもあったんですって。『白宝玉の民』っていう呼び方の方が、一般的かしら」
「いかにも、そのお嬢さんの言う通りです」
神官は「青星神典」という別の本を見せてくれた。
それには「白宝玉の民の受けた神託に拠り、この世で最大にして最悪の地獄には終止符が打たれた」と、記されていた。
「今日は本当に、申し訳ありませんでした。大司祭が病の床に伏せて、我々が応対しているのですが。最近不吉な事ばかりが続いて、民が連日ここに押し寄せています。彼女だけでなく皆も応対に追われて、疲れていまして」
疲れた顔で溜息混じりに、彼は言う。
書庫を出ると、廊下であの感じの悪い修道女とすれ違った。目が合うと、彼女は気まずそうにそそくさと足を速めて行ってしまった。
ひとまず神仕院を出て、宿屋探しを始める。
ゴーフルは頭を抱えるようにして、ぶつくさ言った。
「ふーん、何千年前の記録なんか、残ってるのかなぁ? その民族だって散り散りになって、もう民族の形をなしてないんだろ? だから、あんまり期待できないなって」
「そうは言ったって君、このまま天界に帰るわけにはいかないだろ?」
確かに、これですらダメだったら、どうしたらいいのだろうという不安が拭えない。
それでも、何も得られなかったよりはいいのだから、それに期待するしかないだろう。
大神仕院からそう離れていない地点に、空きのある宿屋を見つけた。
食事を済ませて体を洗うと、ベッドに倒れ込んで泥のように眠りに落ちる。
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地の底から、恨むような声がする。
(……まただ。またこの夢)
ベッドの上ではっと飛び起きる。
「夢、か」
ホッとしたのも束の間。夢の中の呻き声は、まだ続いていた。
「いや、夢じゃない!?」
窓から街を見下ろし、何事かと下へ降りて、宿屋の外に出た。




