【第7話 ミスティ編:魔族ベリオット=シュットガイストとの契約】
《7-1迷いはなかった。しかし》
——アルフィードが村を旅立つ、少し前の話。
まさか迎賓館に入れる日が来ようとは、夢にも思わなかった。
門番がベリオットの姿を見て頭を下げると、鉄の門が開かれて、私達は館に入る。
赤いビロードの絨毯が敷かれた廊下を歩いて、立派な木のドアの前に連れて行かれる。
この部屋にギャラクスさんがいるのだろうか、門番と同じ服装をした、恐らく警備員であろう人が扉の前に立っている。
さすが外国の偉い人が寝泊まりしている部屋だと思っていると、警備の人が扉を開けてくれた。
しかし狭い箱のような空間があるばかりで、誰もいない。
「入れ」
ベリオットに促されるまま入ると、警備員も入って来て、ドアを閉めた。
警備員がレバーを操作すると部屋は大きく揺れ、左右の壁から井戸の滑車が回るのに似た音がした。
「えっ、何コレ!?」
再び扉が開けられると、景色が変わっているではないか。
面喰らう私に、警備員が説明してくれる。
「昇降機ですよ。今は一階から最上階に昇りました。トリフィラート国内ではまだ限られた場所でしか使われていませんが、レオパルテ王国や、プリムスコロナ帝国では、普及が進んでいます」
説明する口調の慣れた感じから、私と同じ反応を示す人は少なくないのだろうと察する。
警備員は私とベリオットが下りるのを見届け、また箱みたいな「昇降機」に入っていった。やっぱりまた滑車の音がするので、下の階に戻ったのだろう。
ギャラクスさんが逗留しているという「アダマスの間」という部屋に通された。
「やはり来たか」
見透かすような笑みを浮かべて金の椅子に肘をかけ、彼は迎えた。
「お茶でも飲むかね?」
「いえ、結構です」
向かい側に私を座らせると、ベリオットはその間の位置に立つ。
「契約が決まった。契約書が書け次第、トリフィラートを発つ」
「そうか。では下がれ」
ベリオットを退室させると、ギャラクスさんは再び、私の目を見た。
「冥界のフィルムは見たか? どうだった?」
自然と手がスカートの裾を握りしめたが、平静を保ちながら質問を返した。
「どうして『セドナについて知りたがるなら、代償は取るな』なんて、彼に言ったんですか?」
なぜ「両親」と言わずに、母親の方「セドナ」だけなのか。
この時は頭が整理できていないのもあり、言いたいことを全て言い切ることはできなかった。
「なに、ちょっとした気まぐれだよ」
「やっぱり代償、払います」
「言っておくが、冥界のフィルムを見る代償は高いぞ。市井の娘には、一生かかって払い切
れるかどうか」
「なおさらどうしてですか? 『気まぐれ』で見ず知らずの娘に、ここまでする理由は何ですか?」
私が追及すると、ギャラクスさんは悲しそうに目を伏した。
「……あまり多くは語れないが、お前の父親は私の目の前で死んだ」
私が言及をやめて聴く姿勢に入ると、彼は続けた。
「お前が生まれて、まだ間もない頃だ。それからすぐ、妻のセドナはお前を連れて行方不明になってしまった。
お嬢様育ちの彼女が、一人で子供を背負うのはさぞかし苦労すると思い、私はお前達を捜した。
親友を救えなかった以上、せめて妻子だけはと思ったから。長い月日が経ち、何の縁か、レオパルテ王の命でこのトリフィラートを訪問し、ゼーンズフトの街であの二人の面影を持った、お前を見つけた。
だからまさかと思って声をかけたのだ」
うつむいたギャラクスさんの顔は見えない。しかし、握られた両手に血管が浮かんでいた。
「悪いが、お前の事を軽く調べさせてもらった。六歳で母と死に別れ、村長に養育されていたそうじゃないか。そんな幼い頃に死に別れているのなら、確実に両親について知りたがると思ったのさ。父親の方は、結婚前でよければ、私が教えてやれるしな」
昔の父親に話が及ぶとギャラクスさんは顔を上げ、優しそうな笑みを見せた。
「唐突だが……セドナの娘よ、名をなんという?」
「ミスティ……です」
「ミスティ、私のもとに来ないか?」
「え!?」
「何、別に変な意図じゃないさ。さっき『軽く調べた』と言ったろう? お前はあの村で苦労しているんじゃないのか。田舎の者はただでさえ、警戒心が強く、よそから来た者を嫌う。父親のいないよそ者の母子の扱いは、あの狭くてしょっぱくて美しくない村では、だいたい察しがつく」
「……はあ」
「突然言われても、困惑するだろう。返事は今出なくていい。さて、話は変わるが」
何だろうと次の言葉を待っていると、思いも寄らぬ言葉が彼の口から出る。
「ミスティよ、こんな言い方はなんだが、お前はまだ若い。人としての道を踏み外させるのは、あまりに忍びない」
今さら、どうしてここで話が覆るのか。肩透かしを喰らった私は、少し苛立った。
「私は人としてなんて、どうでもいいんです。あんな連中を人だというんなら、私は喜んで人の道を外しますし、人の敵にもなります」
私の口調は荒くなっていたと思う。
子供をなだめる口調で、ギャラクスさんは話を続けた。
「落ち着け。お前は頭に血が昇っているのだ。お前の母親が、望むか? セドナはお前が堕ちていくのを、喜ぶと思うか?」
「堕ちていくって、悪……魔族の、眷属になることですか? じゃあ、どうしてあなたは、魔族を召し抱えてるのかしら?」
するとギャラクスさんはまた悲しそうな顔になり、目を逸らす。
「かつて私も人間だった。しかしあるきっかけで絶望し『もう人である意味はない』と、向こう見ずで人間を捨ててしまった。
だが、時折後悔する。あの時投げやりになっていなければ、また別の人生もあったのではないかとも、考えてしまうのだ。
一度背を向けた人間の頃の不便が、ふとした時、たまらなく恋しくなる」
大変だったのであろうこの人の身の上には同情するが、詳しく聴く気はない。
下手に共感すると、私の無念は行き場を失ってしまう。
「……じゃあ、どうしろって言うんですか?」
「人として仇を討つのだ。戦闘能力と魔法を強化し、魔導戦士となるのはどうだろうか。これは魔族化とは違い、種族は変わらず、戦闘用の魔法を覚えるだけでいい。幸いお前は、自衛の為に鍛えたか、戦闘能力はなくはない。そして、魔力もある程度は持っている」
人として、というと私は厳密には違うだろうけど、言わんとしていることは解る。
「戦闘魔法か。私にもできるかな」
魔導書は興味本位で読んだことはある。
最初は少量の水を出せるだけだったのが、氷を少量召喚できるまでになったのはまあまあ進歩だなあ、とは思う。
だけど身を護る時は、物理的手段ばかりだったので、魔法を使いこなしているイメージがいまいち湧かない。
「急ぎならば、ベリオットに叶えてもらえばいい。潜在能力を引き出すだけなら、代償はさほど高くはない。
お前には精霊としての能力が先天的に備わっている、そうだろう? 持っているものは、使わない手はない。
才能というせっかくの財産を、無駄にするな。お前は銃を使うようだが、弾切れを起こしたらどうする?
費用がかからず、弾切れを起こさない弾丸だと思えばいい」
ここで「外れることのない、魔弾」と言わない所がうまいなと、ちょっと乗せられている自分を自覚した。
扉がノックされる。
外に控えていたのか、ベリオットが入室した。
「ギャラクス、首都からの使いが来てるぞ」
「そうか。ベリオット、ミスティの契約内容は変更だ。手続きをしろ。あとは任せた」
《7-2ミスティ=ヴィリアンズ》
ギャラクスさんが出ていくと、ベリオットが一枚の紙を目の前に置き、青いガラスのペンを渡した。
「内容と、サインを書け」
私 は と以下の契約を結ぶ。
依頼内容:
依頼の内容を成功した場合は、報酬として を差し出すこととする。
※もし、支払いを拒んだ場合は、交渉により支払いの内容を変えるか、強制執行とする。ただ、契約者
である魔族が依頼を失敗した場合、この限りでない。
※もし、契約者である魔族が約束を破った場合、その魔族は厳罰に処する。
「私、『ミスティ=ヴィリアンズ』は『ベリオット=シュットガイスト』と以下の契約を結ぶ」
契約書の欄を埋めていると、ベリオットが見下ろした。
視線に気付いて反射的に、紙の上で手を組んでしまう。
「あっ!」
慌てて手をどけたが、書いたばかりの文字に触ってしまったようで、インクが掠れてしまった。
「あー……やっちゃった」
読めないわけではないが、見栄えのいいものではない。
するとベリオットが契約書に手を伸ばし、私の名前の部分に覆いかぶせた。
「何?」
書面の上から彼の手が離れると、文字の掠れはきれいに直っていた。
「今、何したの!?」
「『全ての王』という、平たく言えば『ものを操る魔法』だ。今は紙の上のインクを操って、書き損じを修正した」
「へえ。あなたの眷属になったら、こういう魔法も使えるようになるの?」
効果は単純だけど、汎用性が高そうだ。正直、欲しい。少しばかり期待して尋ねてみる。
眷属になるならないの取引の場合、契約する悪魔の能力に影響されそうなものだけど。
「代償次第ではなれるが、少々高くなる」
「ちなみに、少々って?」
「お前だと……そうだな」
じーっと私を見て、ベリオットは顎に手を当て、考えるような姿勢になる。
「死ぬまで働いて、一生を終えるくらいで、払い切れるかどうか」
「失礼だと承知で訊きたいんだけど、『少々』って言葉の意味、解る?」
一生借金を背負ってまでの価値はあるかどうか。正直微妙だろう。
だけどもう少し使い方を工夫してみれば「便利」どころが、この上となく危険でもある。
たとえば証拠なしの犯罪なんて、いくらでも可能だ。
「ところでなんで、契約書を隠した?」
「だって、名前見てたから。……その、苗字のとこ」
問題は私に「与えられた苗字」。
「ヴィリアンズ。トリフィラートではよくある名前だな。それがどうした?」
「普通はそうなんだけど、別の意味もあるのよ。孤児とか、記憶喪失の人……要は身元不明の人に国が与える、便宜上の名前でもあるの」
この国の法律では身元の分からない(もしくは明かせない)者には、便宜上国内でポピュラーな苗字が与えられる。
「区別できなくないか? 同じ苗字の奴は、大量にいるだろう?」
ベリオットはきわめて不思議そうな顔をする。
悪魔は人間の悪意には詳しい思っていたが、みんながみんなそうではないのかも。
「そうだけど、察する人は察するわ。特にエルバ村や、その周辺の村みたいな田舎はバレたら最後。光の速さで拡散するんだから」
光の速さで拡散されてしまった、私の体験である。
続きを書こうと、再び契約書に目を落とす。
「依頼内容は『戦闘能力、主に体力と魔力の強化』」
依頼の内容を成功した場合は、報酬として……ここで私の手は止まった。
「どうした?」
「報酬のとこで悩んでるの。お金はそんなに持ってないし」
「そうだな」
ベリオットは品定めでもするかのように、頭から足の先まで私を眺め回す。
「『お前自身』というのはどうだ?」
「え……!?」
思わぬ要求に、心臓がドキリと跳ね上がったが「自分の全てを懸ける」と変換すれば納得できた。
軍事も魔法も訓練をしてこなかった上に、財産もない私が、村一つを滅ぼそうなんて分不相応な願いを叶えるのだ。
相手が何を要求してきたって、文句など言えたものではない。
「ふーん、肉体と魂、ってやつ?」
「そういうことになるな。財産とかコネクションとか、称号なんか持ってれば、一番手っ取り早い。しかしお前はどれも、持ってないだろう」
「ない」
目的が終われば、魔族の糧か。「因果応報だ」と村人のせせら笑う声が、耳の中に響くよう。
頭の中からの、嘲笑の声に答える。
(その通り。私は絶対に報いを受ける。だけどそれはあんたらに、報いを与えた後よ!)
報酬欄に「私の肉体、および魂」と書く。
「『私の全てをあげちゃう』ってね。残念ながら実際は、そんな色っぽい話じゃないけど」
《7-3契約に伴う不安》
契約書の記入が終わると、ベリオットがそれを取り上げて、確認した。
「本当に、これでいいのか?」
契約書の中身に目を通した彼はもう一度、口頭で私に確認する。
「ええ、やめる気はないわよ」
彼の目を見ながら、ハッキリ表明した。
私の決意は肺の奥で、熱風が吹いているように高ぶっている。
契約書が金のヒモで丁寧に巻かれると、それはどこかへ消えた。
「さて、お前にはやってもらう事がある」
「ここに来る前に言ってた『日数がいる』って言ってたのは、関係があるの?」
「ある。だが、内容を聞いて『嫌だ』と意見を変える奴も、いるだろうな」
「そんな後出しルール、サインしちゃった後に言っていいの?」
契約書のあの部分。
「※もし、契約者である魔族が約束を破った場合、その魔族は厳罰に処する」
あれが単なる、相手を油断させるために書かれたフェイクでなければ、ここでの証文とサインは「契約する人間側への約束も保証します」という意味合いも、含まれているんじゃないのか。
「契約書には書いてないし、いいんじゃないか? もし嫌なら、契約そのものを破棄にすればいい」
ベリオットのあまりに悪気のない物言いに、私は邪推するのがバカバカしくなった。
かといって、意地悪く笑いながら「契約書には書いてませんので」とでも言われて、強制的に取り立てをされれば、満足するかと言われれば違うけど。
まるで私の方が、心が汚れているかのような気分になる。
「今からさせることは邪法に近い、というか邪法だ。契約者以外に教えるのは、倫理に反すると思っている」
「魔族から、『倫理』なんて言葉が出るとはね」
奇妙な話だが、知らない方がいいことは、世の中には無数にある。
思い留まろうとする人に、引き返す選択肢を最後に与えてくれるのは、良心的と言えば良心的だろうか。
「人型の生物である以上は、嫌でも持ってるさ。基準はそれぞれだがね。もう一度訊く。どうする? 具体的な内容はまだ伏せるが、人の道には、二度と戻れないと思った方がいいし、途中で死ぬ場合も考えられる」
言葉は抽象的だが、最後の一言で、ハイリスクどころではないと伝わった。
「ええ、よろしくお願いするわ」
ベリオットの後に続いて部屋を出る。
昇降機の中に入って扉が閉まった後、彼はまた続けた。
「というよりも、今言った肝心な部分を思い出したところで、すでにサインをしてしまっていた」
「……今の黙ってれば、そのまま納得したわよ。でも、それならさっきの『メルフ・コル』で、インク操って、サイン消せばよかったんじゃないの!?」
この指摘をすると、エントランスをくぐろうとしていたベリオットは立ち止った。
数秒間を空け、「そうだな。これからはそうする」と、あっけらかんと言った。
(……彼、大丈夫か?)
罠がどうとかいう疑念とは別に、不安が湧き上がる。
「トリフィラートを出るって言ってたけど、どこに行く予定なの?」
背が高く足も長い彼が大股で歩くので、必死に追いかけながら予定を確認する。
「『クリシュナ』という、山が多い国だ」
「『天国に一番近い国』よね。山の頂上に『天空王の神殿』があって、山のそこかしこにアルパカがいるの」
神殿の話は、一般教養として村の神仕院でも教えられた事があった。
アルパカのくだりは、街の図書館で写真を見たのだが、長い首でフワフワしていて、とっても可愛かったのが印象に残っていた。
街道をしばらく歩いて、潮の香りがしてきたかと思うと、港だった。
定期船に並ぶ列を見ながら、ちょっとだけ、ワクワクしている自分がいた。
緊張感が足りないかもしれないが、私は船旅も外国も、初めてだった(あとは本物のアルパカが見られるのではないか、という期待も)。
海の向こうにどんな国がと水平線を見て浮かれていると、ベリオットはこれから出航予定の船着き場を通り過ぎた。
「あの船で出るんじゃないの?」
「いや、違う」
受付所と思われる建物に移動し、彼が受付員と何やら話をした後、大きな船に連れて行かれる。
「なんか、えらく豪華なんだけど」
客船、いわゆる海上ホテルのようだ。
「クリシュナには三日で着く」




