【第5話 アルフィード編:ランテルナの森の奥】
《5-1カフェ『フルール・ド・ネージュ』で、これからのことを話す》
「よっしゃ。まず国王に恩売って、金をせしめるんだな!」
椅子に片足を乗せて、スープの椀を片手に触書を眺めるゴーフルの姿勢は、まるで山賊のよう。
「人聞きの悪い事を言うんじゃない!」
周囲をはばかりながら注意したが、彼は「ナニ言ってんの?」と、キョトン顔をするばかり。
「別にいいじゃん。ちょっとくらい金の話してたって、目立たないよ。ここじゃあ」
ゴーフルが視線を周囲に泳せると、その意味が瞬時に伝わった。
見渡す限りは地獄。
朝から酒をかっ喰らい、昨夜の首尾について語り合う、薄汚い輩どもの騒ぎ声。
窓の外には花咲く木の枝でさえずる、可愛らしい小鳥がいる。
しかしその鳴き声は客の笑い声に掻き消され、まるで小鳥が「ガハハハハ」と笑っているよう。
追い打ちをかけるようにゴーフルが、確認してくる。
「『雪の花』って意味なんだよね? このお店の名前」
「……自分の記憶が正しいか、自信がなくなってきたよ」
早速別のテーブルでは「王女を取り戻したら、恩賞金がっぽりだぜ」という話題が上っている。
「さっそくタイムリーな話に、花が咲いてるよ」
カルリノ=ボタニー王から出たふれについて改めて述べると、彼の娘であるセレフィナ王女が誘拐されたという話だ。
詳しくお触書を読むと「巫女長を務めていた王女が、忽然と姿を消した。すると国王のもとに悪魔が現れ、王女を拉致した旨と、監禁場所だけを伝えて消えた」という。
しかしどういうわけか「王女はすぐに殺さない」と知らされていて、身代金や、その他の要求すら伝えられていない。
国王は恩賞を掛け、娘の救出を呼び掛けた。
傭兵や騎士などが、その場所に意気揚々と赴いたが、誰ひとり戻っていない……これが大まかな話だ。
「ところでさあ、おふれとは関係ないんだけど」
ゴーフルは顔をしかめて、視線を辺りにぐるりと泳がせた。
「宿屋のメシ屋の方が、よかったんじゃない? お目当てのウエイトレスがいる、ってワケじゃねえんだろ?」
こんなにうるさくては普通の会話すら、相手の声を聞き漏らさないように、神経を使わなければならない。
そんな状況に彼も、うんざりしてきたのだろう。
「いたんだよ」
緑豆粥を食べながら、さりげなく店内に姿を捜した。
どこをどう見ても、年齢問わずガラの悪い男しかいない。
「あー、ゆうべ言ってた『ミスティ』だったっけ? チョコクリスプくれた人」
「少し前までここで働いていたから、ひょっとしたら……と思ったんだけど」
でなければ、こんな場所など選ばない。
連れて帰るのは無理でも、元気な姿だけは確認できれば。
そう思い、ダメもとで来てみたのだが、見事に宛は外れた。
「なんも言わずに、いなくなったの?」
「……うん。彼女、小さい頃に母親を亡くして、村長の家で世話になってたんだけど、その村長も、行方を知らないらしくて」
出ていく前日まで、何も変わった所はなかった。
だとするとあの娘はもう、前々から出ていく算段を立てていたのかもしれない。
「ヨォお兄さん、あいつならもう、ここにはいないですぜ」
いきなり話しかけてきた声の方を見ると、顔見知りの若いウエイターが、空のジョッキを両手にたくさん持って立っていた。
「いないって……お店の方も、やめちゃったんですか?」
「レオパルテに、奉公に呼ばれたんだと。宰相が、直々に話に来たよ」
「レオパルテ?」
ウエイターの腕のペイントを、物珍しそうに眺めていたゴーフルが反応する。
「遠くにある、裕福な国だよ」
ざっくりとした答えが返ってくると、ゴーフルがわざとらしく含み笑いをする。
「へー……その宰相に、ねえ。見そめられたんじゃない? 可愛いんでしょ?」
まったく悪意を隠す事無く、それどころか顔面一杯に湛えて見せつけてくれている所悪いが、むしろ安心している。
「そうだな、なら心配ない」
「まあまあ元気出せ。今回の食事代は、俺のおごりにしてやるから」
ウエイターは気を遣ってくれるが、その必要はない。
「むしろ安心してるよ。高貴な人の傍なら安全だし、生活していくにも困らないじゃないか」
なんだ。
今までの環境よりもずっと、良さそうじゃないか。心配して損した。
……だからその同情に満ちたまなざしで、俺を見るのはやめてくれ。
「それじゃあ行こうか。王女が監禁されてるっていう『ランテルナの森』へ」
王様のふれに頭を切り替え、席を立った。
街の門を出て橋を渡る。
村からなら首都を経由する必要があるが、ゼーンズフトからなら、林道を歩けば直行できる。
「なあ兄ちゃん。さっきのメシ屋、出してる食べ物と店主のオッサンの面が一致してないよな?」
林道を歩く道すがら、ゴーフルが俺も遠慮して言わなかった事実を口にした。
「そうでもないさ。今は朝食向けにあっさりしたものを出してるんだ。あそこのディナー向けメニューでのおすすめは、マスターが獲ってくる新鮮なドラゴン料理だって」
人里離れた山奥に生息する飛竜をナタでぶった切り、そのブロック肉を香草と一緒にローストして出すのだそうだ。
「すっげえよな。そのミスティとかいう兄ちゃんの彼女も、近いうちにドラゴン狩り教えられる予定だったなんてね」
「違うよ。妹みたいなもんさ」
実は内心レオパルテでの奉公も、手放しでは良く思えなかったけど。
どちらにしろあの店には見切りをつけるべきではあったと、ドラゴン狩りの話のくだりで思った(何が『まず、小型のワイバーンから……』だ!)。
「なあ……ゴーフル。本当に俺でいいのか? あのカフェの人達に頼んだ方が、確実なんじゃないのか?」
あえて王女とは関係ない会話をしながら、ゴーフルに目配せする。
「強そうならいいってもんじゃないんだよ。悪人にしか見えないもん。あれで凱旋式なんかやってみなよ、盛大な連行と間違えられちゃうよ!」
「見た目で人を判断するなんて、失礼だろ……と言いたいけど、否定できない」
「だろ?」
彼も気付いているのか、俺の話に相槌を打っているだけなのかは分からないが。
(やっぱり、聞こえる)
ざわめきに紛れた小さな、しかし明らかに人間の足音が、こちらのペースに合わせて、後ろからついてきている。
木々の隙間から感じる視線は、一方からだけではない。
(たぶんゼーンズフトから、つけられてるな)
「広い所に出よ……」
小声でゴーフルに言いかけた、その時だった。
彼が木々の隙間からの「視線」に向けて話しかける。
「まー、いいや。出てきなよ!」
《5-2ランテルナの青い瞳》
ゴーフルは事もあろうに、つけてきた連中を挑発し始めた。
「バカ!」
と、つい口走ってしまう。
せっかく、どう対処しようか考えていたのに。
味方から不意打ちを喰らった気分になって、頭痛がした。
街で見かけた顔が木々の影からぞろぞろ現れ、俺達の前に立ち塞がった。
「なあに、通行料を頂きにね。お前さん、この辺のモンじゃねえだろ?」
言葉のイントネーションが少しだけ、ユングを思い出させた。
彼の言葉遣いを「ゴロツキ喋り」とか、「チンピラ弁」とからかった事があったっけ。
こいつらは品がないばかりで、彼のような愛嬌は微塵もないけど。
ひと悶着は免れないかも、と思った時には、手はすでに剣を抜いていた。
「ワレ、結構いいとこの坊ちゃんだろ。街で見た時から、目ェつけてたんだ」
「親からがっぽり絞ったろーか? それとも娼館に、売り飛ばしてやろうか?」
彼らの脅しなど聞こえていないかのように、ぽかーんとした顔で、彼らを見つめるゴーフル。
「なー、兄ちゃん。頭の毛と他の毛の生存率って、両立しないんだな。同じ毛なのに」
「知らないよ!」
確かにそうだが、今はそんなことを考えてる場合ではない。
「ん、のガキ! 死にさらせえ!」
向かって来る一番痩せた奴を迎え撃ち、手に持った円月刀を剣で叩き折って、鳩尾を殴ってやる。
敵は六人だったが、今一人気絶したので、あと五人。
俺はゴーフルを守りながら戦うべく、彼の真正面に移動する。おそらく、こいつらは子供のゴーフルを確実に狙うだろうから。
しかし……
「売れるかどうか、よ~く見て品定めしてみなよ~だ。ほーれほれほれ、おしりペンペン」
そんな俺の心中などそしらぬ様子で、ゴーフルはお尻をたたき始める。
(殴りたい……おっと、いけないいけない!)
ふっと湧いた一抹の悪意を、頭から打ち消す。
「館に放り込んで、悪魔の餌にしてやるよ!」
子分と思しき男達が先陣切って、こちらに向かって駆けて来る。
ゴーフルが小さな声で「アウレオラ」と呟く。
それからスッと、頭の上の輪に手を伸ばして取った。
(あれ、取れるのか!?)
リングは二つに分裂し、それを持ったままゴーフルは連中の合間を縫って、ダガーの要領で斬りつけていく。
いや、「合間を縫って」というより、ゴーフルは一瞬半透明になって、彼らの体を通り抜けたように見えた。
「調子に乗りやがって、ブチ殺すぞ! クソガキ共!!」
最後に残った頭目が、彼に飛びかかる。ゴーフルがリングをチャクラムのように投げつけると、頭目の体は地面に落ちた。
彼が飛び出していった時「ゴーフル、危ない!」と言葉を出しそこねた俺の口が、開いたままだった。
開いたままだった口から、遅れて言葉がこぼれる。
「だ……大丈夫か?」
「安心しなよ、死なないからさ。命令なしに天使の輪で人間殺すと、やばいんだよ」
よく見ると、倒された連中の体には、傷一つついていない。腹や肩は上下に動いていて、呼吸をしているのが確認できた。
「そうじゃなくてさ……君が」
言った後で何だが、一撃たりとも喰らっていない彼に対して、何が「大丈夫か?」なのだろう。
ゴーフルは腰に手を当て、ふんぞり返る。
「まーね。いちおう下級天使も、訓練は受けてんだ」
「それにしてもすごいな。相手は強盗だぞ?」
子供にしては、いや普通の大人でも殺されたり、貴重品を奪われたりしているのだ。子供の見た目をしているくせに、彼はかなり強い。
「オイラが受けてる訓練は、粛清用なんだよ。人間どもがチョーシこいたとき用の」
「なるほど。最後の審判、てやつか」
天界の恐ろしさを垣間見て、唾を飲み込んだ。
「そうでもないよ。たとえて言うなら下級天使は、ただのお仕置き部隊だもん」
さて「盗賊に注意」と書かれた看板が立っている。結構新しい。
大方、生き残る為に、強盗に走る連中も増えたのだろう。この不安定な時世で、人々の心にも大分影響があるようだ。
「この看板建てたヤツも、大変だったろうね」
看板に肘を置くゴーフル。
こんな強盗の出るような危ない森に、わざわざ看板を建てるのは、さぞかし危険な仕事だろう。
「さあ? 用心棒でも雇ったか、襲われても『盗賊なんてボコシバにできるぜ』って奴が立てたんだろ……」
看板の隅に「カフェ、フルール・ド・ネージュ店主」と書かれていた。
「兄ちゃん、そういえばさっき『館に引きずりこんでやる』とか『悪魔のエサ』とか、こいつら言ってたね」
「それじゃあ、訊いてみるか」
俺は適当に、その辺で伸びたままの強盗を一人選んで頬を叩き、尋ねた。
「さっき言ってた、館と悪魔について、詳しく説明してくれ」
舌打ち混じりに、強盗は答えた。
「知らねえよ。俺達はもともと、この辺を縄張りにしてたんだ。そしたら悪魔が現れて『この辺を通る人間を殺して、館に持って来い。そいつの持ってる金品は、全てくれてやる』って約束でな。
俺達のアジト周辺も、悪魔の力のおかげで魔物や猛獣が避けるし、安全でうま味のある仕事だから……」
強盗の男はそう言って、草木の生い茂る方を指した。目を凝らすと、獣道と見まがうほどの、細くて目立たない道がそこに確認できた。
暗い森の奥をそこから覗くと、白い色の、顔の形をした不気味な木の実が、こちらを見て「笑っていた」。誘うような闇は外の光と混じって、逢魔が時を連想させる。
「なるほど、まさしくランテルナの森だ。ありがとう」
用の済んだ彼を、再び殴って気絶させる。
「兄ちゃん時々、怖いよな。なんでもない顔で殴るとかさ」
失礼なことに、まるで俺こそ悪魔や悪党だと言わんばかりに、ゴーフルは言った。
「俺からしたら、自分より弱い通行人を寄ってたかって殺して、悪魔に差し出してた奴らの方が、ずっと恐ろしいよ」
悪魔の力で魔物も野生動物も来ないのでは、放置しても大丈夫だろう。保証はしないし、する気もない。
そもそも、こいつらはどうなっても、自業自得である。
強盗を放置して、ゴーフルとともに森に入っていく。
森は名の通り、収穫祭の時に作るカブのお化けランタン(『ランテルナ』はランタンの別の言い方。おそらくランテルナという言葉を使っていた者が、この森に名前をつけたのだろう)にそっくりな実が、木からなっている。魔除けか、呪いの儀式にでも使いそうだ。
無数の「青い瞳」は爛々と、こちらを見つめていた。目や口をよく見ると、実の中には青い光の玉が入っている。
盗賊や、例の悪魔にでもやられて死んだ者達の霊だろうかと、勝手な想像が浮かぶ。
(昔セドナおばさんから聞いた怪談、思い出すなあ)
死後の世界から拒否された悪党が、成仏できずにランタンの中で永遠に孤独に暮らす物語。
その男が別の景色を見る事ができるのは、ランタンを所有する悪魔が、それを持って外出する時だけだ。
ランタンの実に宿る人魂——ウィル・オ・ウィスプ——は、ずっとずっと「目」の部分を通してこちらを追いかけていた。
笑うような目から覗く青い光は、悲しそうな、涙の膜の光にも、憎しみの炎を湛えているようにも感じられる。
そんな視線を浴びながらたどり着いたそこは、工房を思わせる無骨な古い建物。
敷地内は、草が好き勝手に伸びている。ゴーフルの背丈ほどある草の陰に隠れて、様子を伺った。
《5-3血塗られ廃墟のわらべ歌》
「見張りは、いないようだな」
それどころか出入り口の扉は開いていて、侵入者を招いているかのよう。
「『来い』って、誘ってるね」
ゴーフルは「では遠慮なく」と言わんばかりに、生い茂る雑草を踏みしめて足音を立てて歩く。
入口との距離が縮まってくる。建物内の空気が顔に当たると、眉が中央に寄った。
嗅いだ事のない、嫌な臭い。血とは違うこの臭いについて考えていると、鼻を押さえながらゴーフルが言った。
「当然っちゃ当然だけどさ、死体の匂いするね」
窓はあるものの、鬱蒼とした木々の葉や蔦に覆われて、外からの光はうっすらとしか入って来ない。
奥への通路はほぼ、真っ暗といっていい。
なのに悪臭は、さっきよりもずっと強くなっているようだった。
薄闇に浮かぶ白い骨の絨毯を見ても、驚いて叫ばないように舌の先まで気を張る。大きな声なんて上げたら、臭いが肺深くまで、入ってしまうから。
暗さに目が慣れると、奥に人影が立っているのを認識できるようになる。鼻を押さえても、呼吸のたびに器官に入って来る臭いに吐き気を催しつつ、その影に近付いた。
人影をチラチラ視線を盗み見するように、こそっとゴーフルが嫌なことを囁いた。
「なあ、あれ『生きてる』かな?」
彼の言葉に、毛穴から冷たい、しかしじっとりした嫌な汗が噴き出る。生きている人間だったとしても、こんな中に立っているなんて、まともではない。
「……さあ。でも確かめない限りは、ここを出られない」
近づくにつれ、影の形がはっきりしてくる。髪の長い華奢な体つきの、おそらく女性だろう。
至近距離まで来ても、その影は微動だにしない。
人影かと思ったそれは、石像だった。
聳え立つ狂人ではなかったことに、とりあえずはホッとした。
「どうして石像が?」
間違いなく、モデルはセレフィナ王女だった。
お触書に添えられた顔写真にそっくりだ。素人が作ったとは思えない「モデルが生きたまま塗り込められていそうな」とてもリアルな石像。
だけど人造石の壁と、白骨死体があるばかりのこの部屋は、美術品を飾るような場所ではない。
ゴーフルが、石像の胸のあたりに耳をそばだてた。
「ちがうよ兄ちゃん、これ生きてる。セレフィナ王女だよ!」
と言われても、俺には石像にしか見えない。
「呪いの類か、何かか?」
「ああ! ちゃんと聞こえるよ」
「何が?」
なんだか彼から返って来る言葉が、おかしい。
「もちろん、すぐ助けるよ」
どうやら彼が答えているのは俺ではなく、たぶんこの石像……セレフィナ王女にのようだ。
「え? 胸は勘弁だって? ウルセエな、こんな時に。んなモン気にするなよ。減るもんじゃあるまいし、これ以上減りようがないんだから!」
「口は慎めよ。あんまり無礼な事を言うと、助けた後、処されるぞ」
死刑は廃止されたから命はあるだろうけど、死刑じゃなきゃいいってものでもない。
「兄ちゃん、ここに転がってる骨の連中は、さっきの連中に殺された通行人だけじゃない。この娘を助けにきて、殺され奴もいっぱいいるって!」
ゴーフルに聞こえて俺には聞こえない所から察するに、普通の人間には、どんなに訴えても声が届かないのだろう。
「そうか、早く戻さないとな。待ってて」
ゴーフルがまた彼女に向き直って、俺には聞こえない言葉に返事をした。かと思うと、持っている鞄をまさぐっている。
(……ゴーフルがいて、よかった)
一人で来たら、俺はこの像が王女だとも気が付かず、彼女をここに放置したかもしれない。
助けが来たと胸を躍らせた直後に、外界との扉が閉ざされ、自分の訴えも聞こえない。
そんな状況を自分の身で想像して、首筋の神経がざわめく錯覚に襲われる。
奥に続く廊下から、音がする。
ほんの僅かな異音だが、ただならぬ気配を直感し、咄嗟に剣をゴーフルの前に翳す。
赤い線状の光が、刃に反射した。跳ね返った光はの壁を直撃し、穴を開けた。
「ゴーフル、良かった」
「おーアリガト」
ゴーフルも、そして手に持ったクリスタル状の小瓶も、無事なようだった。
音はさっきよりも大きくなっている。
引きずる音と、長いこと油を差していない機械の軋むような音が重なり合い、機械音の合間
合間には、人のような声が小さく小さく挟まっている。
………………キィ…………キぃ…………ギィィ――――――…………………
「頭の悪い山羊に金貨を投げたら、追いかけて食べた。
勲章を遠くへ投げたら追いかけて、そのまま崖に落ちた」
声はわらべ歌のような響きを含んでいた。
その内容の不愉快さに顔をしかめるのとほぼ同時に、ピエロのような服装の人型の何かが視認できた。
ピエロは両足を真横に大きく開いたり閉じたりをしながら、滑るように移動し、こちらに向かってくる。不規則な速さで回される首は、今にももぎ取れそう。
深淵のような黒だけの目は、笑っていた。
ジ――――………………ギィー…………
ノイズに似合わぬ素早い動きで、ピエロの異形は大きく鎌を振りかぶった。あえて迎え討ち、剣を大きく横に振って、まず大鎌を薙ぎ払う。
武器を奪われたピエロだが、笑みも崩れず不愉快な歌を歌い続けた。
「暗い洞穴には山羊の骨。おろかなおろかな山羊の骨」
歌う口の中に、小さな赤い光が見えた。
すると、後ろから光の輪が飛んできて、奴の顎から上を吹き飛ばす。
《5-4きわめて簡単な方法》
「るっせぇ野郎だな、キモイ歌うたいやがって」
奴の頭を飛ばした光の輪、それはゴーフルのチャクラムだった。
「兄ちゃん、こいつから闇の力を感じる! こいつが例の悪魔だ!」
頭の上半分がなくなっても武器を取り返そうと、ピエロは鎌に腕を伸ばしたが、その手は武器を再び握ることはできなかった。
奴の残ったの頭部(つまり下顎)が、自らの二の腕から滴る血と、床に転がる腕の先を交互に見比べているように動く。
奴に隙ができている、この好機を逃すまいと奴に走り寄り、俺は剣を振る。
だが、ピエロはもう片手で鎌を構えてガードした。
(頭が飛んでるのに、こっちの動きが見えてるのか、コイツ!?)
「山羊が谷に落ちた。金貨の袋を取りに行って、橋ごと落ちた」
首の上に残った下顎の上で、剥き出しの舌が、ビロビロと動いている。歌とともにまた、光球が舌の上に生まれる。
(やばい!)
あの赤いビームが繰り出されると思い身構えると、チャクラムが今度は前から飛んできて、奴の首を切断した……が、
「え!?」
俺の首も切断する気か、と思い後ろへ飛びのいたが間に合わない。
「兄ちゃん、何やってんだよ!?」
……俺の首はつながったまま。
「お前こそ何するんだよ!?」
「生きた人間は殺せないって、さっき言ったじゃん!」
ゴーフルの足元には、二つに割れた丸いものが転がっている。
そこがさっきピエロの顎から上が落ちた場所だと思い出し、その「丸いもの」の正体が分かった。
「それより兄ちゃん! 首を切っても生きてるってことは、心臓取らないとだめみたい!」
「……そ、そうか」
真っ二つに割れた眼球から目を背けつつ、吐き気をこらえながら返事をした。
本当の意味で視界を失ったピエロは、残った方の腕で鎌をもはや出鱈目に振り回す。
「おろかな山羊……」
弱い動きで、さっき落ちた首の部分が、舌を動かし歌っている。
ゴーフルの投げたチャクラムが、奴の手首から先を奪う。
俺が懐に飛び込むと、ゼンマイが切れたように、歌が止まる。
次の瞬間、ザクロの実が割れるような、水気のある炸裂音を立て、二つになった。
「で、その瓶の中身を、どうすればいいんだ?」
「コカトリスとかバジリスクじゃ、そういうわけにもいかないけど。この程度の石化なら、聖水で治るよ」
「聖水って……あの、その辺の店とかでよく売ってるやつ!?」
「そーだよ」
洗礼や祭事に使う、特別な方法で清めた水のことだ。
簡単なまじないや魔除け、占い道具として一般人向けにも売られている。
あまりにも簡単な方法に、拍子抜けした。
「じゃあ、どうして?」
しかし、そんな簡単な方法で治るなら、何故、誰も使わなかったんだろう。
「王女さんが石化してるって知らずに、行くからじゃないかな? それにしても、田舎の子供に倒される悪魔にやられてるこいつら、なんだろうな?」
(田舎の子供だと?)
田舎はともかく子供だとか、こいつには言われたくない。
俺が無言で睨みつけると、彼は慌てて言い訳を始めた。
「あ、ゴメンゴメン。だって、倒しにくるのは兵士とか、傭兵みたいな戦闘が仕事の奴だろ!?」
倒せたのは君の協力があったから……と言いたいが。
どうしてだろうか。素直に礼を言いたくない。
会話中に、急にゴーフルが像に向き直った。
「あ、悪ぃ。助けるからさ」
セレフィナ王女に「あの……早く助けて」とでも言われたのだろうか。
外にあった荷車を持ってきて像を運ぶと、ゴーフルが頭の上から聖水を注ぐ。
ほぼ無色だった彼女の肌が、色を取り戻していく。
「森の『彼ら』は、どうするんだ?」
ランテルナの実達は、これからも永遠に訪問者を待つのだろうか。
それとも、天使である彼は、何とか死者達を助ける術があるのだろうか。
「実が自然に腐って落ちる時が、こいつらが成仏できる時だと思えばいいかな。無理に壊しても、居場所を奪うだけだから、手は出さねえ方がいいよ」
「あの、ありがとう」
怯えたような消え入る声で、セレフィナ王女は頭を垂れる。
品のあるプラチナブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳に、白磁の肌に差しこむバラの血色。
可愛い娘だな、と素直に思った。
「目の前で、人が殺されていくのを見て……私」
滲んだ涙を、白いグローブが拭う。
今の話や、さっきゴーフルとは会話できた事からも、いくら石化していても意識はあるのだ、ということが伺われた。
可哀想に。
彼女がもし、恩賞も掛けられないような普通の家の子だったら、誰も助けに来ないのだ。
こんな暗くて汚い空間に、一人ぼっちで。
「じゃあ、帰ろう。君が今すべきことは一刻も早く、自分の無事を知らせることだよ」




