【第2話 ミスティ編:ある村娘の最後の日 後編】
《2-1暴漢の集う、カフェ『フルール・ド・ネージュ』》
「お待たせしました。羊の骨付きソーセージと、ファングクラムのオリーブ焼のお客さ……」
愛想よく出した私の声は、強烈な激突音にかき消されてしまった。
私の働くカフェ「フルール・ド・ネージュ」において、喧嘩によるゴタゴタは日常茶飯である。
故に店内でどんな内容の戦いが起こっているか、音だけでだいたい分かる。なんなら、使用されている凶器も、言い当てられる自信がある。
場所は出入口。壁に人間が、思い切り叩きつけられたと思われる。凶器はこん棒のような鈍器に近いが、おそらく人間……少なくともヒト型の生き物の素手だ。
そして気のせいだと思いたいけど、岩でも砕けたような不吉な音も……。
いろいろ考える前にまず、今受けているオーダーを終わらせるのが先である。
「お待たせしました」
私の声に、音源の方に引きつけられていたお客の顔が、こちらに向く。
「……ぉ、おう」
上半身に毛皮のベスト一枚を着た男性のお客は、私にとりあえずの返事をし、料理を受け取った。
人垣を掻き分けて進んでいくと、顔に傷のある髭面の男性客が、穴の開いた壁のそばでのびている。
(あっちゃー……涼しいと思ったら、新しい窓ができてた)
後ろから、電信を入れる声が聞こえる。
「もしもし、施療院さん。こちらカフェ・フルール・ドネージュです。『いつもの』お願いしやす」
カウンターの向こうで、マスターの助手のお兄さんが、レシーバー片手に電信箱で救急を呼んでいる姿が見えた。
さてさてもめ事の中心と思しきお客は、長い金の巻き髪が印象的な、こんなむさくるしくなり果てた空間に相応しくない、美しい男性。
ただ、実際に手を出したのは、おそらく護衛だろう。金髪の男の前に立って拳を突き出している大男のようだ。
床にへたり込むおじさんを見下ろして冷笑を浮かべ、金髪の男は護衛に言う。
「ベリオット、殺すなよ」
そして床にへたり込むおじさんを見下ろして、冷笑を浮かべた。
「無礼者め、私はオカマではない。性別の括りを超越して、美しいだけだ」
床にのびているオッチャンは、常連だったのだが。
普段からその悪人顔に似合いすぎるほど粗暴だった彼は、明らかな新顔を発見して絡んだ。それはいいが、「ベリオット」と呼ばれていた護衛の男から、鉄拳制裁を喰らった模様。
それにしてもと、護衛の大男の方を盗み見る。
肩までの杏子色の髪に、そして最も印象的なのはその背丈である。この中の誰よりも、高いのではないだろうか。
この彼は主人を心配するわけでも、伸びているおじさんをそれ以上どうこうする素振りも見せない。ただその淡い青の瞳でおじさんを見下ろすだけで、言葉すら発しない。
一方、主人は相当「オカマ」と言われたのが、お気に召さなかったよう。容赦のない罵倒の言葉を連ね続けている。
「軽口を叩いて教養のなさを晒すとは、お前の頭に一〇の単語があるかも怪しいものだ。それだけでなく醜くて粗暴で臭くて……」
さっきも触れたがこの店でお客同士の喧嘩は、ゴキブリの出現よりも多い(もっとも、この店のゴキブリ出現率は、他の飲食店より低いとの噂だが)。
けど、店の従業員である立場上、止めるそぶりは見せねばならない。
「お客様。当店で派手なケンカ、および殺人は禁止です」
さりげなくお客の前方に立ち、護衛を制す形で私がタテマエの仲裁を入れる。
護衛の表情のない、青い目と視線が合う。
睨まれているわけではない。
そうだとしても悪意のある視線には慣れているので、睨まれたくらいではなんとも思わない。
けれど、ただ、目を合わせられる事ができなかった。
(キレイな目)
というのがこの時の正直な感想である。分かりやすく言うなら、アクアマリンというあの水色の宝石が、ふと頭をよぎる。
それでも、なめられてはウエイトレスはやっていけないと、虚勢を張って営業スマイルを続けた。
その内に顔なじみの救急隊員が現れ、喧嘩を売った方のおじさんは施療院に運ばれていった。
「失敬。あんな醜悪な生き物に口をきいてやるなど、この美しい私としたことが。ウエイトレス、案内を頼もうか」
主人の方が髪を指先で弄びつつ、私の方を向いて詫びの言葉を口にすると、案内を促した。顎を上げての、失礼だが傲岸不遜な話しぶりは、少しも詫びにふさわしくなかった。
(……アンタ、なんでこの店来た)
さて、たった今空いたばかりのテーブルをキレイに拭いて、彼らをそこに座らせたが。
この金髪の男を、失礼ながらまじまじ見てしまう。
全体的に彫りが深く、切れ長の目は、まつ毛で覆われる。丁寧にカールされているであろう金糸の髪に、薄い筋肉に覆われた、華奢でしなやかながらも、がっしりした体つき。
その自信にふさわしい容姿、だとは思う。
いつだか図書館で見た、美術の写真集に載っていた、男神の彫刻に似ていた。
店内は「ガハハハハ」なんて笑い声はこだましているし、あっちのテーブルでは薄汚いゴロツキが、また喧嘩を始めたようだが、こんな場所に好んで来るような人には見えない。
確かに料理自体の評判はいいので、その情報だけを知っていた、よその土地の人だろうか。
「私は『キングオブアントス』をいただこう」
金髪の主人は「アントスの王」という意味の、冷たいお茶を注文した。
ちなみに「アントス」とは、かなり昔に北の方にあったとされる国の名で、今は「ルルディ」という名前に変わっている。
「ベリオット、お前は?」
「俺は特にない」
護衛……ベリオットさんは、雇い主にとは思えない、そっけない返事。
「愛想がなくてすまんね。このベリオットはまだ若い……とはいっても、お前さんの年齢とあまり変わりないが。少し礼を知らぬ所がある。彼も私と同じものを頼むよ」
護衛の男の年齢がいくつなのか、私の年齢がいくつに見えているのかは気になる。
それはさておき注文の飲み物を持っていくと、この空間で思い切り浮いている私を変に思ったのか、主人の方に尋ねられた。
「ところで忙しそうだが、他にはいないのか?」
「他のウエイトレスすでか? 開店一日目には、たくさんいたそうです」
夕方から来る、古株ウエイターのお兄さんに聞いただけで、会った事はないけれど。
「厨房にはマスターと、助手がいます。あと一人、デリバリーに出てます」
なにせ作る料理の量が量なだけに、資材を運んだりなどの仕事はとってもハード。厨房はムキムキの男性二人で回している。
主人の方が、ぼそっと呟く。
「やはり似ているな、セドナに」
小さな声ではあったが、私の耳はその名前を聞き逃さなかった。
「それは私の……母の名ですが」
私が反応すると、聞こえることを見越していたかのように、彼は微笑んだ。
「なるほどな。新婚時代の彼女と、見間違えたよ」
「母をご存知なんですか!?」
母さんにこんな美しい男の知り合いがいるのは、初耳だった。
思ってみれば、気がついたら私は母さんとあの村にいた。
私が六歳になる年に亡くなったので、交友関係はおろか、私は彼女のことを何も知らなかった。
「知っているもなにも、彼女の夫……つまり君の父親は、かつて私の親友だった男だ」
私は父親が誰なのか、名前どころか種族すら知らなかった。
もっと詳しく聴きたいと口から出そうとした所で、マスターが怒鳴りながら呼んだ。
「おーい、ネナ! 忙しいんだ、オーダー取ったら喋ってないで早く戻ってこい!」
オーダーを取ると軽く会釈し、慌てて厨房に戻ろうと、踵を返す。
「ネナ?」
「便宜上の名前なんですよ。治安の関係で、本名は伏せるルールがあるんです。まあ、明かすか明かさないかは、自己責任で個人の自由ですけど」
ちなみに「ネナ」はマスターがつけたのだが「女の子」という意味があるらしい。
「毎日いるのか?」
ゆっくりとした低く重い声に、心臓が跳ね上がる。呼び止めるように口を開いたのは、ベリオットさんだった。
「え、ええ」
おそるおそる答えた。緊張した。あの主人と話すよりも、ずっと。
《2-2退勤後に予期せぬお迎え》
「最近よお、魔物どもが凶暴になった気がしねえか?」
森の異変について話しながら、びびるどころか嬉しそうに、ガラの悪いおじさんたちは自慢の銃を見せ合っている。
「あぁ、このオレ様の銃にも磨きがかかるってもんよ!」
先日の事を偶然、と高をくくっていたが、再び心配が頭をもたげて聞き耳を立てる。
人が襲われているのは、私が思ったより頻繁だと判った。
かつては、まれに間違って出くわしたようなのには、当てずに撃って追い返したりもした事もあった。
けど。
この間のように「襲われたから当てた」というのは、この間が初めてだった。
「よお、姉ちゃん」
ねっとりした声が背後でかかる。
次は手が尻あたりにでも伸びて来る、というのがお決まりのパターンを予測した。
思った通り手の感触を尻に……感じる前に、私は道を開けるふりをして横によけた。その際にすぐそこにいた大声で喋っている、スキンヘッドに眼帯のおじさんに、軽くぶつかって、押す形になってしまった。
「ぉおうっ!?」
後ろで悲鳴が聞こえた。
眼帯おじさんの尻を、痴漢のおじさんの手が揉みしだいた、という不幸な事故が起きてしまったような気がした。
目に浮かぶほどリアルに、そんな気がした。
「てめえっ、何しやがる!?」
怒鳴る声が聞こえたので「ぶつかってゴメンナサイ」と謝罪したが、周囲の喧騒にかき消されてしまったようで、残念ながら私の存在にすら気付いてもらえなかった。
途中のテーブルで下げた皿を持ったまま厨房に走る。
さっきの怒鳴り声に似た声の誰かとの喧嘩が起こっているようだが、店内での喧嘩なんて、いつもの事だ。
「会計を頼む」
カウンターでは、さっきの二人がもうお会計をしている。
(……やっぱり、雰囲気的に耐えられないんだろうな)
これからは、出前にすることをお勧めした方がいいのかしら。
そう思っていると主人が私の方に来て、名乗った。
「今日は世話をかけたな。私はレオパルテ王国のギャラクス。私と、このベリオットはこの街にある金剛館に、一週間ほど滞在する予定だ。縁があったらまた会おう」
もっと話を聴きたかったな……などとしんみりする間もなく、客がオーダーをするべく私を呼んだ。
次のシフトの人と交代し、店の勝手口ドアに手をかけながら、今日の夜遊びプランを立てる。
(今日はこの後、買い物行って。久々にダンスホールもいいな。夜はいつもの宿で)
「あっ」
ドアを開けると、そこでアルが待っていた。
「迎え、いいって言ったのに」
「森の道も危ないけど、街中も夜道は安心とは言い難いからな。帰るぞ」
村からここに来るのに片道一時刻だ。この暑いのに、往復で二時刻は大変だろうに。
……そして何より、今日は遊ぶ予定だったのに。
そんな私の心中など知らないアルは、お説教モードに入っている。
「いくら安宿って言ったって、何度も泊まったら馬鹿にならないだろ。今回浮いた一泊分で、好きなものを買えばいいじゃないか」
「……んー、まあねえ。仰る通り」
外国との玄関口であり、首都と田舎を繋ぐ交差点であるこの街には、いろんな文化や物品がそろっている。
硝子屋根に覆われた「ガレスティア」と呼ばれるバザールには、可愛い服やアクセサリーも扱っていて、欲しいものが絶えない。
「……また、夜の街で遊ぶつもりだっただろ?」
「バレたか」
笑ってごまかすも、アルの視線は厳しいまま。
「バレないとでも思った? 君の考えくらい、手に取るように分かるよ」
「そんなに私が心配なら、アルも来ればいいのに」
「はあ!?」
アルがこの街の喧噪や、工場などの排煙を嫌っているのも知っている。
だけど、外から入って来る新しい技術や品物、港や駅に興味を持っているのも知っている。
だったらこの街の楽しい部分に触れさせてしまえば、あんまりうるさく言われないのでは、と考えた。
「道場、明日休みでしょ? たまには一緒に遊ぼうよ。アルとだったら、泊りになってもいいよ」
「な、何言ってるんだよ!? そういうことは軽々しく言うな!」
「部屋、男女別れてるけど」
だから安心して泊まれるし、誘える。
もっとも、そうでない普通の宿屋でも、一緒にいるのがアルだったら、間違いなど起こりようがないのだけど。
「え?」
「同じ趣味とかの、仲良しグループをターゲットにしてるからね。恋人持ちの人でも、安心して旅行に参加できるっていうのがウケてるみたい。そんなに慌てて、なに想像したの?」
「……帰るぞ」
背中を向けてスタスタと、アルは速足で歩いていく。
本当に彼が不機嫌になってしまう前に、彼を追いかけて提案し直す。
「ウソウソ、怒らないで。じゃあ泊りはなしで、一緒にご飯食べない? ライバル店だけど、港の方にあるお店、お勧めだよ。チーズを使ったお料理が人気なの。外国から輸入された、珍しいのもあるんだよ。すっごく美味しかったから、一緒に行きたいと思ってたんだ」
アルは少し考える素振りを見せた後、首を縦に振る。
「……まあ、食事くらいなら」
そう言いながらも、結構乗り気なのが見て取れた。
もう一つ、アルの好きそうな場所を思いついたので、ダメ押しとして提案する。
「あと、岬の展望台とか行ってみない? 高い所から見る海、キレイだよ。お昼頃は混んでるけど、今くらいだったら空き始めてるんじゃない?」
彼はキレイなものが大好きだ。
私の持っていた美術の写真集だって、花とか風景の絵は素直に「俺も、こういうの好きだな」と言っていた。
加えて、村は海から離れているので、普段は海を見る機会がない。
夕方の海の絶景なんて見たら、彼も街を好きになってくれることだろう。
「展望台、かあ。そんなに遅い時間にはならないだろうし、いいか。案内してよ」
「そうこなくちゃ。じゃ、行こう」
「良かった。もし『ダンスホール行こう』なんて言われてたら、問答無用で首根っこ捕まえて、帰るとこだったよ」
私の心中を見抜いていたのかいないのか、彼は言いながらニコニコしている。
……危ない。提案しなくてよかった。
《2-3押し出される黒い膿》
めくった布団に片足を入れかけた時だった。部屋のドアをノックする音が私を呼ぶ。
「ミスティさん、村長様がお呼びですよ」
ドア越しに用件を伝えるのは、メイドのイブおばさんの事務的な声。
(こんな夜遅くに、何だろ?)
考えている数秒の間に、言付けを終えたおばさんの足音は、さっさと階段を降りて行ってしまった。
階段を降りて、広間の扉をやや緊張して開けると、いつもはもう寝ているはずの村長がテーブル席について、私を待っていた。
「そこに座りなさい」
神妙な面持ちで、村長は私を向かい側に座るよう促す。
(私、何かしたっけ?)
今日やったことを振り返り、怒られる原因を探った。
服装のことで、ついに村長のもとにクレームが入ったのか。
でもあのおばさんが、私の服装を見て何か言って来るのは挨拶がわりと言っていいくらい、いつもの事だし……。
「この間のワイルドドッグの件を、覚えているな?」
私の頷くのを確認すると、村長は続ける。
「あれは本来、この近辺には出ないはずの魔物だ。他にも大人しいはずの魔物が興奮して、人に襲い掛かった、という事故が頻繁に起こっておる。みな一〇年前を思い出し、怯えておるのだよ」
嫌な予感しかしなかった。
「ワイルドドッグの報告をお前から聞いた日から、事態を重く見た我々村役員は、連日会議を開いていた。幸い死人はまだ出ておらん。一番手っ取り早い解決策が『原因を断つ』という事なのだ。可哀想だが」
要するに「魔物や猛獣対策」というよりは「私をどうするか」という内容の会議だった、ということか。
「中には『殺してしまえ』という意見もあったが、それではあまりにも残酷じゃ。よってお前には、村を出て行ってもらうことになった。わしもこれ以上は、かばってはやれん。許してくれ」
例の「一〇年前の事」と合わせて、
(ちゃんと調べたの?)
言い返そうとした所で口を閉じる。
それを言うのは、野暮というものだ。
彼らが求めているのは、本当の原因ではない。異質な事態における異質な存在。
本当に真剣に原因究明をしたいのであれば、他の可能性も上げてひとつひとつ精査するのだろうが、私の予想が正しければ、彼らはそんな調査に手をつけていないだろうし。
(そもそも、他の可能性すら考えつく頭がある人が、そこにいたかどうか)
もし会議の場に居合わせて、言ったらそれでこそ殺されかねない悪態が、喉まで出かかっている。
「分かった。すぐ出てくから、荷物をまとめる時間だけ、ちょうだい」
そそくさと二階へ上がり、支度を開始する。
最低限の日用品……常備薬や衛生用品に、少しずつ買い集めた、剣と弾薬。
それから隠しておいた、母さんの形見のネックレスの「片方」を、ベッドの下から取り出した。
鞄の留め金をかけていると、常日頃から嫌でも村人達から聞こえて来ていた、ひそひそ声を思い出す。
普段どんなに優しそうにしていても、ふとした時に向けられていることに気付く、憐れむような、しかし遠巻きにするような目も。
その原因は、私たち母娘について回った、ある忌まわしい噂だった。
この村に何故か魔物の集団が、大挙して押し寄せて来た事があった。
村のみんなは、どこからともなくやってきてこの地に住みついた、魔物の母娘に引き付けられたものだと噂した。
その「魔物母娘」というのは母さんと私のこと。
動物と話しているのを見た、天気を当てた、薬に詳しすぎる、占いの本を持っている……といった話が
寄せ集められ、母さんを取り調べた。彼女が行方不明になったのは、その噂が経って間もなくだ。
その数日後、彼女は骨肉を喰い散らかされた姿で発見された。顔はおろか原形はなかったけど、散っていた布に見覚えがあった。最後に見た日に着ていた服と同じものだった。
噂を裏付けるように、行方不明の日から被害はぱったり止んだ。
娘の私が残されていたが魔物はもう来なかったので、子供にとりあえず罪は無いということで収まったという。
それ以来、私は村長の家で育てられていたのだが、今回また、野生動物や魔物たちがテリトリーを広げて暴れ、人にも危害を及ぼすようになったので、今度は私に処分が下される運びとなったという訳だ。
太ももにホルスターを巻いている途中、私は当たり前の事に今気づく。
(隠す必要は、もうないじゃない)
これからどこへ行くにしても、今から森の道を通らなければいけない。武器はすぐ使えるようにしなければいけないだろう。
村長は武装した私に驚いていたが、気にせずお辞儀した。
「それじゃあ、お世話になりました。イブおばさんにも伝えといて」
「暫くは、これでなんとかしなさい」
それだけ言って立ち去ろうとする私に、村長は、充分過ぎるほどのお金を持たせてくれた。
「ありがとう」
「気をつけてな」
言葉が耳をすり抜ける中、私は家を出た。
とりあえず、街へ行こう。
他の土地を知らない私は、そこしか思いつかなかった。隣の村という選択肢はない。田舎は通信手段がないくせに、噂の広まりが異常に早い。
村の門を抜けて、ふとあることがよぎった。
アルたちは、この話を知っているのだろうか。翌日私がいなくなっていたら、あの過保護な兄貴分は、また騒ぐだろう。
(最後にお別れくらいは……いや、それも面倒な事になりそうだし)
「うぅん、どうしよう?」
思い悩んでいる間に、微かに後ろから軋むような音がしたかと思うと、大きな音を立てて門が閉まる。
「び、びっくりしたあ」
近くで見張りをしている自警団員が、閉めたようだ。
普段は交代で、魔物や野生動物や、侵入者が入って来ないように見張っているのだが。
今回は、私が門を出た時点で閉めるよう、命じられていたのだろう。
「なんか、ほんとうに……厄介払いって感じ」
ほうほうと、梟の声が聞こえる。行く先には、ひたすら闇が広がっていた。
……街に向かった私ではあったが、私の来た道には魔物や肉食の獣の死骸が点々と落ちている。魔物や野生動物が不安定になっているのは本当らしい。
この道で魔物に襲われた事は、この間のワイルドドッグを除いて、ほとんどなかった。
なのに、歩くたびに肉食の魔物が襲って来て、隠し持っていた小型ナイフが飛び、時には銃が火を噴いた。
「弾、補充しなきゃなあ」
思い返してみれば村で暮らして、物理的な不自由はなかった。
神仕院で料理を教わる歳までは、私は包丁も握ったことはなかったし、家事もイブおばさん任せだった。
学用品も、祭事の時の衣装も買ってもらった。
だけど。
私を引き取った村長は、例の噂でおばさんたちにヒソヒソされていても、肯定もしなかったが、否定し
たり、庇ってくれたことはなかった。
孫のロバートに石をぶつけられた時だって「仲良くしてやってくれ」と、流血している私に言ったのが思い出される。
ロバート家族が(別の家に別居している)訪ねてくる時は、私は二階から出ないように(これも遠回しに)言いつけられていた。
それにしても、こんな夜に少女一人を追い出すなんて。
「中には殺してしまえ、という意見もあったが」
という、村長の台詞を反芻した。
いかにも助けてやったかのような言い回しだが、私に言わせれば、この時点で殺す気満々だろうに。
つい数時間前までの、ちょっと退屈で平和な日常が、嘘のようだ。




