【第1話 ミスティ編:ある村娘の最後の日 前編】
《1-1:通り慣れた森の道》
木々の隙間から聞こえる荒い息遣いと、かなり強い獣の臭い。
急げと警告する自身の脈拍に、自然と足は従う。
木漏れ日の中を走り抜ける私を、確実に見定めているであろう視線が、痛いほど肌に突き刺さる。考えるよりも先に、両手はスカート下に仕込んだホルスターの銃を抜いて、木々の間がら覗く影に向けていた。
どんなに急いだところで、野生の獣の脚力にかなうはずもない。
茂みから躍り出る、普通の野犬より、ひと、ふたまわり回り大きな犬族の魔物。
その姿を目が捕らえるのと同時に、指は引き金を引いた。だが弾丸は頬のあたりをかすめた程度。獣の四肢が、私を地面に拘束した。
「きゃ!」
喰らいつこうとする大顎を、銃口で何とか押さえることができた。その向こうには、鋭い牙が並んでいる。震える指が崩れる前に、渾身の力を込めて引き金を引いた。
獣が飛び退き、悲壮な声で哭く。
そいつは血を流してよろめき私を睨みつけると、牙を剥いた。
怒り狂った声と、迎え撃つ数発の銃声が重なる。獣はその場に倒れ、舌をだらんと出し、ぐったりと横たわった。
脳天からの血を視認し、おそるおそる近づくと、もうワイルドドッグ……いわば魔物化した野犬は、息をしていなかった。
全身の力が抜けた。
「なんで私、生きてるんだろ?」
乱れる息と一緒に、口からひとり言がこぼれた。
日々磨いていた銃に感謝しながら、スカートの中に隠したホルスターにしまう。
全身が、今更震え出す。追いつかれてから捕まるまで、文字通り「あっ」と言う間。
そもそも、ワイルドドッグに襲われて、ほぼ無傷でいられる事自体がおかしい。
「早く……森を抜けなきゃ」
思い通りに動いてくれない足を叱咤して立ち上がると、ある事に気付く。
「あ」
獣の体の所々に、私のつけた覚えのない傷があった。
さっきは必死だったから気が付かなかったけども、特に前脚は、生々しいばかりに肉がえぐれて、爪も一つ剥がれている。
運悪く怪我をしたか、あるいは、
(まさか他の獲物を襲って、返り討ちに遭った?)
「どういうこと?」
(この事は、村長に報告した方がいいかも)
そもそもこの森の道に、ワイルドドッグはおろか、大型肉食獣の類は現れた事はなかった。
だから、小動物や草食の獣が多く、狩人や商人達の通り道にもなっていたのに。
かくいう私も、例に漏れず隣の街への通勤路として、この道を利用していたわけだが……。
さっさと走り去りたい気持ちを我慢し、周囲に耳を澄ませる。どうやら周囲に仲間がいたり、あるいは血の匂いで他のが来ているような気配はない。
鞄に入れた小物入れ から小型のナイフを取り出し、野犬の爪の先端を切り取ると、急いでその場を去る。
「今日帰るのは、危ないかも」
今夜は街の安宿に泊まろう。
うっすらと石炭の燃える煙の匂いがしてきた。ホッと緊張がほぐれるとともに、木々の列の終点が見える。
街に入ってすぐの場所にある、荒っぽい笑い声が漏れ出て来る飲食店に駆け込む。
「おはよーございまーす。マスター、ちょっと電信箱借ります」
「おうよ。使用料は従業員割引にしといてやる」
厨房からマスターの許可が返ってくると、壁にかかった箱についているレシーバーを手に取る。
仕事が終わるのは、街役人達がガス灯に火を点けて回り始めるような、日没近い時間の予定。
一時刻(※地球の一時間)森を歩いて帰るのは危ない。
「もしもし村長、ミスティです。実は今日、帰れそうになくて」
《1-2:テレグラフ塔からの知らせ》
村に帰って、改めて村長と役所に報告をした私だったが、「魔物や野生動物は、こちらで対策する。パニックになるかもしれないから、他言無用で」と言い含められた。
それから数日は、銃を持った猟師と役人達が村周辺の見回りをしていたおかげか、何もなく過ぎた。
狩りや近隣村への行商に出ている男の人達も、変わった様子はなさそうだった。
偶然、あのワイルドドッグがテリトリーから外れて、取り乱していたのだろう。
私の考えは、そんな呑気なものに変わっていた。
村の神仕院での授業中、窓からの風は、心地よいブランケットのように私を包んでいた。
「はい、今日の教えはここまでです」
老シスターが経典を閉じるのに少し遅れて、私は伸びをした。
窓の外では通信塔の上に聳え立つテレグラフが、久々に腕木を動かして働いている。
(そういえば今日、試合の日だっけなあ)
と、あくびをひとつ。
村での教育は男女に分かれていて、男子は道場で武術を、女子は神仕院で家庭の仕事を教えられる。
そして半年に一度、道場では実力の測定と、お祭りのようなイベントの意味合いで、試合が行われるのだ。
のんびり時間の過ぎるこの村の通信手段(電信用の機器は、村役所と集会所と駐在所、村長の家にしかない)は、まれにある地震と、そして今日のような「お祭り騒ぎ」の為だけにあるようなものだ。
そんな数少ないテレグラフの仕事姿を見るべく、礼拝堂の中では、女の子達が教卓に一つしかない双眼鏡を回し見して、瞳を輝かせている。
「ミスティは道場行く?」
前かがみに私を覗き込むのは、一つ上の幼なじみ、アリア。
「ううん。今日私、ウエイトレスの仕事あるから」
「やっぱりかあ。でもミスティが行ったら、アル喜ぶんじゃない。ちょっとくらい、顔出してあげたら?」
「だって。私が応援しなくたって、勝つでしょ、どうせ」
結果は見えているのだしと、机に頬杖をつく。
「わっかんないわよー、ユンが勝つかもしれないじゃない」
彼女の言う、アルことアルフィードは、その試合の毎回の優勝者候補の常連だ。「候補」……というのは、彼女にユンと呼ばれる、ユングの存在があるから。
彼は道場の先生の息子で、アルが優勝ではない時の優勝者は必ずと言っていいほど、彼である。
「ミスティ、ちゃん」
アリアがすっかり盛り上がっている最中、小さな目鼻の気弱そうな女の子が、おどおどと不器用にほほ笑みながら私を呼んだ。
私に声を掛ける時点でなんとなく察してはいたけれども、大切そうに握られた刺繍入りのパイル織の汗拭き布が決め手となり、確信した。
(あー、この娘もか)
試合について、もう少し詳しく触れると、要するに各特技を見せ合うイベントだが、同時に、女の子達が応援と称して手作りの菓子やらプレゼントやらを持って行き、受け取る側はデレデレ全開という、いわゆる恋愛イベントの意味もある。
ついでに言えば当然、中にはもてなくてひがむ男もいる。
「言っとくけど、道場には行かないわよ」
「そう」
気を遣わずに要点だけ返すと、しゅん、と枯れた花みたいに俯かれた。
なんだか私が、酷いことをしているみたいだ。
そう思うとこちらの様子を見守っている、彼女の友人達の静かな視線に、妙な圧力を感じる。
(あーもう、めんどくさい。どうせ厚かましい頼みなんだから、態度も用事に相応しく『おい、よそ者化け物女。この私が、高貴な人間様の用事を賜れる幸運を与えてやる。光栄に思うがいい』くらい言ってきたらどうなのよ!)
こんな無茶苦茶な暴言というか注文が喉まで出かかり(実際言われたら怒るが)、机を叩こうと無意識に握った両手を、咄嗟に隠した。
文句を引っ込めてしまった以上は、仕方ない。
そう心の中で呟き、握りかけた手を広げて、彼女に差し出した。
「行きがけに、渡しておくよ」
そう言ってあげると彼女の顔が晴れ、もう告白を終えたかのようにそそくさと仲間達のもとに行ってしまった。
「人がいいんだから、もう」
アリアは不満そうな口調で彼女と、そして私とを見る。
自分で伝えるべき気持ちを私に託したのが気に入らないのと、普段は私に話しかけることもないのに、都合よく用事を頼もうとすることへの不満だろう。
そしてそれをホイホイ受ける、私へのもどかしさ……といったところ。
「いいんじゃない? どうせ叶わぬ恋だし。『自分で行かんかい、この根性無し!』って言う方が酷でしょ」
「は……はっきり、言うのねえ」
いつもストレートな性格のはずの彼女の方が、私の発言に対して、大きく開いた目をぱちぱちさせた。
「だってあんなか弱げなコが、リエルにケンカ売れると思う?」
説明するより早いと、私はこの礼拝堂の中心にいる、ひときわ華やかな集団に視線を向けた。
集団の中心にいる、頭一つ抜けて美しい少女が、当のリエル。
彼女がアルのことを好き、という話は公然の秘密になっていて、彼がいつOKの返事をするのかと注目の的だ。
ここから離れた港街のお店でしか見られない、大粒の宝石を連想させる瞳に、つややかなロングヘア。
お祭りの日に手製のドレスを着ると、外から来た人なんかは、貴族令嬢と間違う事もある。
そのお相手と目されている彼、アルこと、アルフィード=エースペードは、分りやすく言えばドール系の顔といったところか。
もしくは、おとぎ話の絵本に出て来る王子様のような見た目をしている。
アルとリエルが隣同士で並んだら、それはそれは壮観だろう。
先ほどの「叶わぬ恋」「リエルに喧嘩を」という言い回しは、彼女が「好きな男を手に入れるには暴力もいとわない」という凶悪な意味ではないと、念の為に弁明しておく。
さておき、そんな彼女に張り合うのは、たいていの女子には無謀な挑戦だ。
単にリエルが美人だからというのもあるけれども、村の期待まで、敵に回すことにもなりうる。
しかし私に言わせると「本当の問題」はそこではない。
「リエルがダメなんだったら、誰がいっても望みはないでしょ」
肝心のアルが、周囲の期待や応援など尻目に、どの女の子にも興味を示す素振りが、まったくない。
それはどうしようもない。
安息日は女の子とデート……という事は、私の知っている限りでは一度たりともない。
アリアに見守られながらユングと取っ組みあっているか、川で釣りでもしているか、父親と畑仕事にいそしんでいるかのどれかであろう。
「彼が最近女に触ったっていうと、この間川で溺れてたお婆ちゃんを助けてたくらいじゃない? アリアも見たでしょ、私の見た事のある範囲では、あの時が最後よ」
「あぁ、あの時ね」
それか小さい頃からの癖が抜けず、いまだに私を子供扱いして頭をわしゃわしゃ撫でる時くらいだろう。
歳は一つしか違わないのに。
忘れていたが、もうひとつあったではないか。
アルが女性を、しかも若くてかわいい女の子を触っていた事が。
しかも一昨日。
「思い出した! 神仕院の裏に巣を作ってる鳥のヒナ、『可愛い』ってデレデレしながら撫でてたけど。あの中に雌もいたんだったわ」
さて話は戻るが、素直になればきっと気持ちは伝わる。けど、だからといって結果が実を結ぶわけではない。
アルが近付く女の子を片っ端から喰ってしまう種類の男なら、まだ希望はあっただろう。
「まずは肝心のアルが、人間の女に興味を持たないとね」
「誤解を招きかねない言い方しないであげてよ」
アリアに言い方をたしなめられるが、本当なんだから仕方ない。
「結局行くことになっちゃったけど、試合の休憩時間までには、まだ時間あるわよね」
アリアに言われたからではないが、やっぱり私も何か持って行こうかなと、今になって考えが変わる。
だが今日の裁縫の実習で、みんなが男の子の名前を、護符や汗拭き布に刺繍している中、私は自分の使う麻のハンカチを作成していた。
だけどもう、刺繍なんてしている時間はない。色糸も無地のハンカチも、使ってしまった。
そうだ、とすぐにできる簡単な差し入れを閃いた。
幸い、昨日がペイデイだったので、お金はある。
「ねーアリア、道場行く前に、ちょっとだけ寄り道していい?」
《1-3:道場での定期試合》
「勝者、アルフィード=エースペード!」
先生が審判する声が高らかに響いていた。ひと試合終わったなと、人垣をかき分ける。
ちょうど剣を納めていたアルと目が合い手を振った。
「ちょっと待っててね」
アリアが彼を連れに、私から離れた。
ちょうど入れ違いに、後ろから肩を叩かれ「ちょっとあなた」と、憚るような声がかけられる。呆れたような叱るような口調のおばさんが、私の肩に手を乗せていた。
(あ、やっぱり)
私があまり、ここに来たくなかった理由のひとつだ。
彼女の苦々しい視線は、私のスカートから出る脚に向いている。
「こんなこと言いたくないけど、その服は何?」
「すみませーん、(今日は)何がダメなんですか?」
「分からないの? あなたの服装が『ふしだらだ』って、みんなが言ってるのよ」
具体的に「どのように」ふしだらなのか。
「みんな」とは誰なのかは。
もう訊かない。
このおばさんには会うたびに、何をしていても怒られるのだから。
街で働くのと、森の通勤路を通る関係で、私の服装は動きやすさ重視になる。
だから必然的に、脚の線が出るような、膝上のワンピースにタイツ、ロングタイプの作業パンツになる。
最初はそれが気に入らないのだと思っていた。
だけど仕事のない日、みんなと同じ型の服を着ていた私に「そうやってお尻を振るような歩き方して!」と言ってきた時、私はもう諦めた。
「そうですか。気を付けます」
「本当に解ってるの? だいたいねェ……まあお母さんがいなくて、教えてくれる人がいないのは可哀想だとは思うけど」
「ほらほら、こっちこっち」
アリアがアルの腕を引いて戻ってくる。
「ミスティ、来てくれたんだね!」
アルとアリアが私の目の前に来ると「あらぁアリア、こんにちは。アル、かっこよかったわよ」と、おばさんは声を華やがせた。彼らも彼女に会釈した。
「アル! おめでとう!」
アリアがもう、優勝でもしているかのように祝福している。「まだ早いで!」と叫ぶ快活な声が駆けてくる。
「アリア、来てくれたんな。おっ、今日はミッちゃんもいるじゃんけ」
良かったな、とユングがアルの頬をつつく。
「もちろん! 楽しみにしてたんだから」
アリアのこしらえた刺繍入り布は、相変わらず「二人分」。
ユンとアル「仲良しの二人」のために用意した、というものだ。しかし彼を「ユン」と呼ぶのは彼女だけ。
私も差し入れを渡そうと、途中で寄った果物屋さんの箱を開ける。
「これは私から」
中に入っているのは、敷き詰めた氷の上に、イチゴやブドウなど置いて冷やしたもの。
私は水の精霊の血を引いている関係で、少しだけ水と冷気を手の上に召喚する魔法を使うことができる。その応用で作った氷で、果物を冷やして持ってきたのだ。
「実はこれ、買ったのついさっきなの。でも、汗を流した体には染みるんじゃないかしら」
「ありがとな。その魔法、『大した使い道はない』とか言ってるけど、俺も欲しいわー」
ブドウの粒と、そして氷を頬張りながら、ユングが言う。
「アリアも食べて。今日暑いから」
私が勧めると、アリアも「ありがと」と、受け取ってくれた。
そして二人が無言で視線を送るのは、木いちごを食べているアル。
「ありがとう。どの娘からのよりも、嬉しいよ。あ、いや……その。暑いし、のどが渇いてたからさ」
「そう言ってくれると思った」
「あらー、アルひどーい。私のは嬉しくないの?」
腕組みして怒る真似をするアリア。
「いや、そんなことないって」
彼らに贈られた刺繍入りの汗拭き布は、裏表の模様が違う。
「ふたつの生地の間に、布のまじない符を隠してるの」
アリアの言うまじない符とは、先日授業で教わった、護符のこと。
スペルの入った布を持ち歩いていると、精霊の加護が受けられるというものだ。
彼女の用意した布はその応用で造られたもので、単なる汗拭き布はなく、護符としての側面も持っているというわけだ。
「おしゃれとか、使い心地だけじゃないんだ。形にも残るし、アリアいいもの作ってたのね」
これはお世辞じゃなくて、彼女の二人への愛を感じる。
「いつも『怪我しないでね』って、二人に言ってるもんね」
アルの、ヘーゼルナッツブラウンの髪が、陽の光に透けている。
きりっとした大きな緑の瞳は、小さな頃から天使のようだと言われていた。彼に恋愛感情のない私ですら、思わず息をついて見惚れてしまう。
実際に文武両道かつ容赦端麗な彼は、村の道場の華と言っても言い過ぎではなかった。
ふと思い出したので、預かったものをバッグから出した。
「これ渡してくれってさ。名前はえーと……カリン、だった」
例の女の子から預かっていた、刺繍入りパイル布を渡す。
「ああ、そう。お礼言っておいて」
アルはそっけなくそれを受け取り、口を曲げて諦めたように訊いてきた。
「今日も、街へ働きに行くの?」
「まーね」
明日は安息日だから遊んで来る、という予定は伏せて簡潔に答えた。
「はーっはっは! 残念だったなあ!」
さっそくアリアの汗拭き布を肩にかけたユングが、アルの背中を遠慮なく叩いた。
「そんな私に見て欲しかった?」
ふざけた調子で言うと、少し睨むように彼は目を細めたので、焦る。
「本当に、危ない目には遭ってないだろうな。また、変な奴に声掛けられたりとか……」
「うん、ないない」
アルは、私が街へ出入りするのに対して、「ミスティが不良になる!」と、反対していた。
この小さな村が集まった、オルカントリード地方村唯一の都市であり、この国の玄関口でもある港町
「ゼーンズフト」は、当然多くの人が集まる。
よって、ごろつきや傭兵がごろごろいるし、酒場や煙草屋に賭博場、娼館なども多少ある。
それでもしぶしぶ承諾し、働きに行った私を強制的に連れ戻したりなどしないのは理由がある。家族のいない私を引き取ってくれた村長の家に、お金を入れる為だと知っているからだ。
本当は神仕院で習った家事は家で実践するのだけど、あいにく村長の家にはベテランのメイドさんがいて、私が介入することにいい顔をしない。
だけど、よそ者の私を受け入れてくれているのに、ただただ世話になっているというわけにはいかず、考えた結果だった。
「本当に?」
なおも詰め寄るアルに対して、見かねたアリアが割って入る。
「もう、ミスティも子供じゃないんだから。もうちょっと信用してあげなさいよ」
「そおそお、ちょっと心配しすぎなんじゃないけ。しつこいのは嫌われるで?」
ユングが腕組みをしながら、首を縦に振った。
信じて見守るということを覚えてよ。私も便乗して、首を縦に振った。
昔「アルはミスティのお兄ちゃんだから」と、互いの親から言われていたからって、いくらなんでも過保護すぎる。
この間なんて、街の書店で買った海外の美術の本を「こんなものは芸術の皮を被ったエロ本だ!」だと激昂し、焚書にしようとしたのだ。
絵画や彫刻といった美術は上流階級のものでしかなかったけど、大国で印刷や複製の技術が進歩し、書籍や複製画展といった形で、一般庶民にも開かれつつある。
ただ、村社会にはまだあんまり浸透していないのと、けっこうセクシーな表現がふんだんに使われている。
アルが大騒ぎした原因はそこで、ページをめくりながら時々眉をひそめたかと思うと、石膏でできた裸像の写真(何をとは言わないが、モロ出し)で、本を持つ手がプルプル。
そしてこれは見せるつもりはなかったが、ある「名画集」を見て爆発。
焚書は免れたが、私がもう少し大人になるまで没収……となった。
それまで私が街に行くのを良く思ってなかったのは知っていたけど、ますますうるさくなったのは、これ以降だ。
「とはいえ、あんまり遅くならないようにね」
さっきまで私を擁護していたアリアだったが、ちょっと心配そうな顔に変わる。
「森の道、通って来るんだから。なんだか『夜は村の外に出ないように』って、やたら注意喚起が出てるし。門番さんも、心なしか人数増えた気がするのよね。何かあったのかしら?」
するとユング思い出したように言った。
「そういや親父が近い内に、『村周辺の見回りとか、狩猟訓練とか、実践系の授業増やさなきゃなんない』って言ってたなあ。なんでも、村役所からの要請じゃて」
この間の件は、アルどころか、村長と役人以外は知らない。
というか、通りがけに魔物の死体を発見した事にしながら、要点をかいつまんで村長や役人に報告しただけだ。
あれから特に魔物や猛獣が出たという話は出て来ない。
証拠の爪を見せ、さらにもとの場所に案内して死体を確認してもらったおかげで、嘘や勘違い扱いはされなかった。
ただ、村人たちの混乱を避ける為、「魔物の件は他人にしゃべるな」と役人達から言い含められたが。
「野生動物が最近、道にぴょこぴょこ出てくるようになったからかしらね。この間は、森の奥にいるような鳥が飛んでたし」
あのワイルドドッグだけでなく、この近辺には現れない小動物や鳥なんかも現れてはいる。「野生動物」に関しては、役人達からは何も言われていない。
「行きは無理だけど、帰りは迎えに行くから」
アルの申し出はありがたいが、断る。
「いいよ。今日もいつ終わるかわかんないし。遅くなったら安宿にでも泊まる。夜遊びなんかしません、絶対に」
あの日の事をアルにしゃべったりすれば、今度はこの村に監禁されかねない。
しかしまた、アルは苦い顔をする。
「安宿……ってあの旅人向けの? やっぱりダメ!」
しまった。
街には若い観光客……つまりお金がそんなにない人も旅行を楽しむ為の宿がある。
「大丈夫だって。そんなに私が信用できない?」
「お前なあ、素直に甘えることも覚えろ。余裕こいてると浮気されるぞ?」
やりとりを聞いていた、先生がにやにやしながら会話に入って来る。
しかし他の大人達から感じられる、私への接し方にある「共通した含み」がないので、私はこの先生は好きだった。
他の大人達が嫌いなわけではないが、彼らからはなんというか、私がこの土地の生まれではないという「よそ者」扱いが、どうしてもにじみ出ていた。
みんながみんな、そうってわけではない。ちなみにこの「よそ者」視は、村役人やその周辺の人に特に多い。
「先生、ミスティはあくまで妹みたいなもので! 何度言わせるんですか!?」
言われたのは私なのに、アルが言い訳でもするようにまくし立てた。
アルの言う「妹」は、母親同士が仲の良く、ひとつ年上だったアルが、小さい頃から私の面倒を見ていた名残だ。
それは私の母さんが早くに亡くなってからも、彼は変わらず、優しい自慢の兄貴分だった。
「ちぇっ、まぐれのくせに調子にのりやがってよお」
先生が離れるのと入れ替わりに、悪意のこもった声が後ろからした。
《1-4:『一〇年前の事件』と、よそ者母娘の悪い噂》
振り向くと、ロバートが、ブロック肉の燻製そっくりな腕を組んで立っている。その傍らにちょこんと、腰巾着のヨハン。
「どうせ運だけでやってきたんだろうが。てめえらみたいに、女とデレデレやってる奴はよお」
ロバートの言葉に、アリアが喰って掛かる。
「やめなさいよ! あなたたちの言ってる事、全然筋が通ってないじゃない! アルもユンも、実力で勝ち上がってきたんだから!」
「てめえは黙ってろ!」
ロバートの無礼に抗議するも、体の大きな(縦にも横にも)ロバートの啖呵はさすがに怖いのか、彼女は体をびくつかせた後、黙ってしまった。
「てめえもな」
アリアを恫喝し、私にくるっと私に向き直る。
「なんたってここは、村の伝統の場所だぜ? お前みたいなよそ者、場違いなんだよ!」
よそ者、という言葉を強調して、にやあっと口角を上げる。
ロバートは、アルが大嫌いだ。
自分の祖父の家で育てられている私も嫌いで「よそ者」「バケモノ」と、罵声をあいさつがわりにしている。
「さっさと街へ行ったらどうだよ、このアバズレ」
私に、ロバート達を街へエスコートしてあげたいという、親切心が浮かぶ。
街へ行く私を非難しながら、前から行きたがっていたのを知っている。彼らは「こんな退屈な村」と言いつつも「遠いしめんどくせえ」と、なかなか街へは出ない。
ロバートは体が大きくて、体格と腕力だけなら近辺で一番だ。
だけど、街には彼くらい大柄で力も強い男は、いくらでもいる。おまけに喧噪にもまれているだけあって、喧嘩慣れしている。
若者が街へ出るのを基本的に反対している村の大人と喧嘩ができないのだから、ロバートがいくらヨハンを従えて、その脂肪の塊の腕をふるっても、筋肉の腕で止められて、そのままダストボックスへ叩き込まれるのが関の山だろう。
アルが一言。
「別にデレデレやってるつもりはないし、君に負ける気もしない」
するとユングが、とアルの肩に手を置いて前に出る。
「ぉんまえなあ! この俺を差し置いてアル倒そうってんなら、その脂肪落としてからにせえ! その口といい腹といい、ワレ、無駄なモンばっかじゃろうが! なんならオーブンにブチ込んでローストミートブロックにしたろか! 見事に脂肪ダウンじゃ!」
「んだとぉ!?」
ロバートの顔が真っ赤になって歪む。
後ろでヨハンは口を押えて震えているのを見逃さなかった。アルがロバートを無視して、ユングにウインクをひとつ。
「大丈夫だよ、ユング。俺に余分なものはないからね」
お腹を前に出し、細いウエストを強調するポーズを取る。
更にユングは割れた腹筋を太鼓のように叩いて、ロバートに見せびらかしている。褐色の肌のせいで、余計に引き締まって見える。
しかし残念ながら、剣の腕に快活な性格、加えてそんな素晴らしいスタイルを持っているにも関わらず、アリアに振り向いてもらえない要因は明らかだ。
見惚れるどころか、吹き出しそうに口を押さえながら、プルプルしているじゃないか。アリア。
「おい、お前なんとか言ったらどーなんだよ!」
今まで飾り物の役割をしていたヨハンが取り繕うように、私の方に矛先を向けた。
「ふーん、女とデレデレやってる奴……ねえ」
少し間を置いて、私はロバートの目をまっすぐ見た。
「分かった、リエルにも伝えとくわ。『ここは女とデレデレやる場所じゃないって』」
それから人垣の中で心配そうに見ている、リエルに視線を移した。
「うっ」
ロバートが分かりやすく、言葉を詰まらせた。引きつった顔がみるみるうちに真っ赤になり、怒鳴り声とともに、大口が爆ぜた。
「クソが! お前みたいな奴、お情けで住ませて貰ってんだろうが! だいたい、どこから来た何者かも、街で何やってるかもわからねえ奴、さっさと出て行きゃあいいんだよ! お前らバケモノ親子が来なかったら一〇年前だって……」
言い終わらぬ間に、ロバートの体が後ろに吹っ飛んだ。
アルが、ロバートのほほに拳を叩きつけた衝撃で。
「て、てめえっ…………!」
ロバートが頬を押さえて、むっくりと体を起こした。
アルは無言で歩み寄り、さらにその胸ぐらを掴む。浮かんだ血管から、かなり強く力を入れているの見て取れる。
殺すんじゃないか、と本気で思った。
一〇年前の話に触れると、アルは人が変わったように攻撃的になる。
はたから見れば、母親の死を愚弄された私よりも、怒っているように見えた。
「お、おい! やめないか!」
ここで、騒ぎを聞きつけた先生が待ったをかけて、アルをロバートから引きはがす。
「大丈夫か?」
ロバートの状態を確認しながら言う先生の視線は、私に向いた。
かといって、結束の強いこの小さな村の中で、この土地の生まれでない私に警戒する世間の目は、彼にも私自身にも、どうすることもできなかった。
だから私は稼いだお金から一定の額を村長の家に入れると、残りのお金で遊び、ゆくゆくはこの村を出て街で暮らすための貯金に励んでいた。
働くことが決まった時に先生は「森の道は何が起こるか分からんから」と、非公式に道場裏で、剣を教えてくれたことにも、感謝している(銃は街で買い、自分で覚えた)。
「こんなことしか、してやれんが」
と、すまなさそうに言っていた先生だが、時間外で村からの報酬も発生しない上に「女子に武道は不要!」という村の暗黙の了解を破ってくれたこの人に、私は一生足を向けて寝られない。
そそくさと村の門に向かうと、ユングとアリア、そしてアルが送り出してくれる。
「じゃあ、行って来ます」
つとめて明るく手を振ったが、その場の空気の重いこと重いこと。
「しょーもねーわ。人に石投げて喜んでるアイツの方が、よっぽど怪物じゃて」
いつぞやの話を引っ張り出して、ユングが舌打ちした。
「ごめんね、私が誘ったばっかりに……そうよね、ロバート達だっているんだから、こうなることは分かってたはずなのに」
「別に気にしてないわよ。あんな奴らの為に、私の行く先が決まってたまるもんですか。本当は応援、行きたかったし」
アリアへのこの言葉は、嘘ではない。
正確には、確かに嫌なことが予測できた反面、来たい気持ちもあったのだ。
「本当にゴメン! なにもしてあげられなくて」
手を合わせて必要もないのに詫びるアリアが、遠くから見ている女の子たちを見返すように眺めた。
「どうしたの?」
「ううん。気になるなら、声をかければいいのにって」
アリアはパッと笑顔に戻る。
「ごめんよ、ミスティ。嫌な思いをさせて」
髪を撫でるアルの手が、そっと乗せられる。
「別に、アルが悪いんじゃないし」
確実に味方がいる、という事実が嬉しい。
バイバイ、と手を振って私は村を出た。




