《46-5その後のランジェロ=ミローティ》
病室にバシーンと、平手打ちの音が響く。
赤くなった頬をさするランジェロ=ミローティ。
「いてててて…………容赦、ないな」
「これでも加減したのよ」
彼が私にした仕打ちに比べたら、鼻っ面を思いっきり叩くなんて軽いものだ。
むしろグーで鼻っ面を殴らなかっただけ、ありがたく思って欲しい。
「俺も殴っていいか?」
拳をグッと握って構えるのはベリオット。
ミローティは慌てて制止する。
「待て待て! あんたに殴られたら、首が吹き飛ぶ!」
仕打ち、とは殺そうとしたことではない。
その時はすでに、ビオナードに乗っ取られていたのは、私も承知済みだ。
ではなぜ私が、美貌の宮廷画家の顔を叩くほど怒ったか。
ベリオットが急に、私に冷たくなった原因。
それはミローティが彼に対して行った、嫌がらせが原因だと判明したからだ。
こともあろうにミローティは、ファンの女の子をモデルにしたヌードスケッチの顔を私に描き換えて、その絵をベリオットに送りつけていた。
五枚ほどあるスケッチを私も見せてもらったのだが、どれもポルノのような、かなりきわどいポーズばかり。
私がランジェロと肉体関係を持ったと誤解されても、当然だ。
まだ握ったままの拳をゆっくり肩の上まで上げるベリオット。
「加減はする。折れたら医者を呼べばいい。ここは施療院だ」
「首が折れたら普通は死ぬんだよ! っていうか、もとはと言えば喧嘩売って来たのはそっちだろ!?」
ミローティがそんな暴挙に出た動機は、何だったのかというと。
彼曰くベリオットが、常々芸術家を馬鹿にしていたからだと言った。
ベリオット自身は馬鹿にしたつもりはなくても、興味がないのを隠そうともしなかったのは、想像に難くない。
彼にとっては絵は何が描いてあるのか伝わればいいし、彫像は人の形をした石くらいにしか思っていない。なくても死にはしないし、何がありがたいのか、どこに大金を払う価値があるのか解らない。
そしてミローティの怒りを爆発させたのは、武道大会に使われた王女のポスターについての、ベリオットの発言だった。
「王女の写真でいいんじゃないのか? なんでわざわざ絵なんだ?」
これを聴いた時はさすがに擁護できず、ベリオットに「これはあなたが悪いわ」と、言ってしまった。
そこでミローティは「絶対奴にギャフンと言わせてやる!」と決意し、「芸術に興味のない、若い男の心を動かすには……」と考えた結果、「シンプルに女の裸が一番だ」となったそうだ。
しかし全く関係ない私は、大変な迷惑を被った。
そういうわけで「お詫びに俺を殴っていい」と言われ、ビンタしてやったのである。
腕で顔面を庇うミローティに、ベリオットは言い放つ。
「……牢屋にぶち込んだ方が良かったか」
「まー、首折られるよりは牢屋の方がマシかもね」
都で起こっていた行方不明事件について、牢屋か施療院か、ミローティの処遇はかなり揉めた。
ミローティは表向き、バイヤーから死体を仕入れていたことになっていたが、調べられていく内に、「正規のルートでないもの」が混じっていると発覚したのだ。
正規のルートとは何かというと、牢獄から死刑囚の死体を買う。「自分の死んだ後は世の中の役に立てて欲しい」と、献体を希望した者、つまり本人の同意がある死体を使うなど。
ちなみに墓泥棒から買う、依頼するはグレー。
死体は所有者がいないからという理由だが、副葬品や、身につけているものを取ると窃盗罪が成立してしまうので、真っ裸にしなければならない。
これさえ守れば逮捕はされない。だが、世間のイメージは最悪なので、グレーとなる。
そして完全なブラックは言うまでもなく、意図的に死体を作り出していること。
手を下しているのはフェデリコ人形、つまりビオナードだが。
ミローティ自身も知っていて使っていたのではないかという疑いから、一時は逮捕の方向に話が向いていた。
しかし彼は、あくまで解剖用の死体を買っただけで、バイヤーに殺しを依頼したわけではないこと。
体を乗っ取られていたこと。
そして何より「うすうす気づいていたかもしれない」程度の場合、同じように死体を買っていた名のある医者や学校・教室が、国から一斉に消えてしまうという事情があった。
したたかにもベリオットは「医学の発展」「医者不足による混乱」「レオパルテの信用の失墜」という題目を掲げ、プラス「そのような医者だと、お前達も知っていながら重宝してただろう?」と言って、貴族や議会、裁判所のお偉方を脅したのである。
いや、「医者不足を防いで医療を安定させる」という契約を、レオパルテのお偉方と結んだ、と言った方が正しいのかもしれない。
代償は「哀れな芸術家を一人、見逃すこと」で。
そしてその哀れな芸術家は、魂を体から無理矢理引き離されたことが原因で、ちょっとしたことで魂が抜けてしまう「離魂症」になっているおそれがあると、施療院に収容されることになった次第である。
ため息混じりにミローティが言う。
「ったく。冷静に見れば全部、別人だって気付くと思ったんだがな。愛しい彼女を寝取られたと思って、頭に血が上ったか。それともまだ、そういう関係じゃなかったか」
嫌がらせスケッチに使われている顔は、全て私のものだったが、体は全て別人のもの。
それどころか一枚一枚、モデルが一人ずつ違う。
ちゃんと見れば、胸の大きさや形、脚の太さ。更にはホクロなどといった、体の大きな特徴と言っていい部分が、明らかに絵によって違うのに気付けるようになっていた。
「本物のフェデリコの方は、どうなった?」
ミローティに言われて、お見舞いと報復の他に、今日もう一つ、目的があったのを思い出した。
「ええ。無事無罪判決が出たわ」
フェデリコ人形は、ビオナードの指示で、ミローティが作ったものだ。
「……よかった。まさか、俺の作った人形が殺人までしてただなんて。本当にちょっと、困らせてやるつもりだったのに」
実在のフェデリコも記者だったようなのだが、この男も控えめに言って、結構クズ野郎である。
権力者や著名人のゴシップを扱う記者なのだけど、ひどいでっち上げや、辛口という名の悪口記事を書いていて、相当恨まれていた。
その中にはランジェロや、芸術家そのものを罵倒した記事があり、ランジェロと、ビオナードの怒りを買ったようだ。
特にビオナードの、生前の最後にして最高の傑作といわれる絵画を「巨匠の名前で持ち上げられているが、実は下手くそだ」と書いたのが、彼の冤罪事件の引き金となった。
ちなみにその絵画は、モナ人形のモデルとなった、実在の貴婦人を描いたものだそう。
そこでビオナードは「少しだけ、あのいけ好かない記者に、仕返しをしてみないか? あの記者の偽物を使って、くだらない記事を書いてやるから、人形を作ってくれ」と、ミローティに命じたそうだ。
偽記事を出すのは悪いことだが、そもそも本物が、デタラメな記事ばかりを書く不良記者だ。
それが一つ増えるくらいとと、たいして罪悪感もなかったという。
ただ、殺人犯の濡れ衣を着せられ、しかも死刑判決が出るかもしれないと知って、ミローティは出頭。
施療院に入ってからも、彼の無罪を訴える手紙を裁判所に送っていた。
本物のフェデリコの無罪を知って、安心したようにミローティは白いベッドに横になる。
「そうか。やったことの罪が消えるとは思わないが……よかった。大嫌いな記者で『死ね』とも思っていたが、実際に自分のせいで死なれたら、困る」
「私も法廷に立ったよー。攫われてきたフォリーとマルガリータの三人で、証言してきた」
今回これを機に彼女達とは「殺されそうになった薄幸レディースの会」を結成した。裁判の帰りに、一緒に食事しに行って「また定期的に集まろう」という話になって、連絡先を交換した。
「ミスティ」
病室を去ろうとした時、ミローティが呼び止めた。
「退院したら改めて、モデル頼んでもいいか? ギャラは弾むぞ。ぁあ、もちろんヌードじゃないから安心しろ」
「そうね。私の自慢のプロポーションを後世に残せないのは残念だけど。あ、でもどうしてもって言われれば……」
途中でベリオットに口を塞がれて、強制退場させられた。
「っはー……冗談よ。ちゃんと断るつもりだったのに」
病室から出て、やっと彼が私の口から手をどけてくれた。
「冗談でも、そういうのはやめろ」
「妬かないでよ。そんなに辛いなら『お泊り禁止』、やめる?」
ベリオットに抱き着き、彼が言い出した「お泊り禁止」を撤回するか、尋ねてみる。
「いいや」
彼は首を横に振った。
なんでこんなルールを設けると、彼が言い出したのか。「今までの態度を反省した」のだそう。
助け出されたあの日の夜、ベリオットは私を宿屋まで送ってくれたのだが、その時実は喧嘩した。
そそくさと帰ろうとする彼に、私が文句を言ったのがきっかけだった。
「あのさー、言いたいことあるなら言えば? 気分悪いんだけど」
この時、何故彼が私に対して「顔も見たくない」と言ったり、無視した理由が分かった。
私が忠告を破ってランジェロに会いに行ったこと。もちろん誤解だが、裸になったこと。
それからフェデリコ人形にキスしたのも、隣の部屋から見たと言っていた。
なんでそこに来たかと言うと、ベリオットは「対になっている物を辿る魔法」という、特殊な探知の魔法が使える。
それで行方不明だったフォリーの、勤め先の寮のマスターキーを使って、彼女の持ち歩いている方の鍵の場所を特定。彼女がマルガリータと共に閉じ込められていた場所に、瞬間移動してきたのだそう。
ベリオット曰く「殺されかけたのはお前の自業自得」で、「誰にでもキスをする女は願い下げだ」と、そう彼は言い放って、宿屋を出ようとした。
聞き捨てならなかったし、自分の言い分だけ言って去ろうとする彼に腹が立って、私も言い返した。
「怒るのは勝手だけどさ。私、あんたの女じゃないし、誰に会おうが誰にキスしようが勝手でしょ?」
って。
だって私は、ベリオットにフラれているという認識だった。
武道大会の日に、彼は私がアプローチしている傍で、寝てしまった。私に興味がない証拠じゃないか。
しかしそれは、私の誤解だと判明した。
「興味がなくて、変態に近付かないように忠告なんかしない。……俺以外の男の前で裸になるな、だなんて誰が言うか!」
「え……と、『変態に近付くな』は、一般的な親切でもありうると思うんだけど」
動揺するあまり、つい余計な言葉が口をついたが、それから黙って続きに傾けた。
「お前が『キスしていいか』って言った時、酔い潰れて答えそこなった。機会を改めて返事をって思ってたら、あのスケッチが送られてきた」
私の引っ越し後、実は関係を修復する為に、部屋を訪ねていたそうだが、私はもういなかった。
それからお兄ちゃんに私の行きそうな場所を訊き、トワイライトクラブに出向いたら他の男性(フェデリコ人形)と親し気にしていたのを見て、私への気持ちを断ち切ることにしていたのだそうだ。
ちなみに私とフェデリコ人形が手を繋いで、宮殿アパルトマンを出るところも目撃していたらしく、殺意が湧いたとのこと。
誤解が解け、気持ちを改めて伝え合ったが、その日は泊まらずにキスだけして帰っていった。
彼曰く、王城でまだやる事が残っていたのもあるが、偽のヌードスケッチでミローティとの関係を誤解して私に八つ当たりしたのと、フェデリコ人形やモナ人形を見抜けなかったの自分が、許せなかったのだとか。
「ふぅーん、決意は立派だけど、我慢できなくなって浮気とかしないでよ」
例えば自分の部屋付きの、可愛いメイドちゃんとか。
「……しない。しないさ」




