《46-4額縁の中の肖像》
絶望していると、フェデリコが態度を一変させ、私の頭を抱きしめた。
「やっぱり、無理だ……。君が他の男に抱かれるくらいなら、ここで」
ビオナードが戻ってきたことによって、心の影の部分につけ込まれてしまっているらしい。
そうなると体はビオナードに操られるがまま。
絶望に叩き落され、考えが浮かんだ。
フェデリコ本人が「影」と表現した部分。
ビオナードは「悪さ」とか「弱さ」といった、心のマイナス部分に付け込む形で、彼を操っている。
「分かった! ごめん、もう抵抗しない!」
「それを信じると……でも?」
ビオナードが嫌な鼻笑いをした。
「だってもうだめって、嫌というほど理解したもの。武器も取り上げられちゃったし、魔法も使えない。だけど、締め付けられた手足が、もう……痛くて」
わざとらしく声を詰まらせ、顔を歪めて痛みをアピールする。
「お願い。自由にしてくれたら、フェデリコのしてほしいこと、なんでもしてあげる」
フェデリコの頬に手を添え、首から胸元へと下ろしていく。
(いくらなんでも、あからさま過ぎかな?)
顔が熱くなるのを自分で感じていると、頭上で、再び鍵を回す音がして、フェデリコの自嘲が聞こえた。
「……我ながら、情けないよ」
私の手は、彼の胸に触れたまま。
人間と変わらなかった感触が、体温は感じなくなり、硬い無機物の感触に変わっていくのを感じた。
「そんなこと、ないわよ。アリガト」
フェデリコに礼を言って、頬にキスした。
本当に、情けないとは思わない。
だって、昨日今日生まれたばかりの心が、二七〇〇年以上も前から転移を繰り返している悪い奴に、ハッキリ言って勝てるわけがない。
頭を使ったって工夫を凝らしたって、赤子の手を捻るより簡単に、潰されてしまうだろう。
「それで、彼女を逃がせると思ったか?」
ビオナードの声と共にドアが開き、モナとミローティが、ナイフを片手に戻って来た。
しかしもう、私の両手は魔法封じの枷から解放されている。
足首の枷はついたままだが、半分がなくなったのは大きい。
「ブライン・エッジ!」
ようやく貯めた魔力で詠唱し、氷の刃を飛ばす。
通常よりも一回り小さな刃は、モナとミローティのナイフの刃を錆びさせて落とし、そして落ちたままだった写真立てに当たって跳ね飛ばした。
うまいこと縁の所に当たり、壊れて役割を果たせなくなった写真立てからは、紙が出て来た。
その紙にまた刃を飛ばすと、白い靄のような何かが飛び出すのが見えた。
ナイフの柄を握ったままのミローティが頭を抱え込み、呻きながら天を仰いだのはその直後だった。
「……はっ、出られたのか!?」
ミローティの目に、さっきまでなかった生気が宿る。
思った通り、ミローティの魂は、写真立ての中の絵に閉じ込められていたようだ。
さっき落ちたのは偶然ではなくミローティの抵抗なんじゃないかと、なんとなく感じていたから、写真立てを壊してみたわけだが。
床から重い金属音がしたかと思うと、枷が落ちていた。どさくさに紛れてフェデリコが、両足の枷も外してくれていたようだ。
ビオナードはというと、目を見開き、口をブルブル震わせていた。
「よくも……よくも、わしの次の体を。ぉのれええええ、親子でわしの邪魔をするかぁ!!」
「やばい……ミスティ、早く俺とモナ夫人を壊せ!!」
フェデリコはそう言うが、たった今助けられたばかりなのだ。
「え……だけど」
「頼む……ランジェロと、あと隣の部屋に捕まってるフォリーとマル……」
彼の言葉が終わらぬ間に、二体の人形の上半身が、鈍い音を立てて落ちる。
フェデリコが私に、自分達を壊すよう説得している間に、それは為された。
音もなく入って来た、ベリオットによって。
私の「ベリオット、なんで!?」と、ミローティの「シュットガイスト!?」の声が被る。
ベリオットはというと、聞こえていないかのように、何も答えない。
「……容赦、ないわね」
人間でいえば凄惨な光景のはずだが、痛みや恐怖という感覚がないせいか、フェデリコもモナも無表情で、さっきまで動いて喋っていたとは、とても思えない(モナは喋っていなかったが)。
「ビオナード……は?」
ここまで言うとミローティの視線が、ベリオットの手元へ動く。
その視線を辿った先には、あまりにもおぞましいものが見えた。
「きゃっ!?」
寝台の影で見えづらくなっていたベリオットの右手には、ビオナードの顔が、今にも潰れそうにひしゃげて、掴まれていた。
ビオナードは霊体だというのに冷や汗を流し、床についた膝をガクガク震わせている。
ベリオットは静かな声で怨霊に告げた。
「ビオナードとかいったな。悪く思うな、あんたを消せとギャラクスから命令が下った」
「……しょ、しょんな…………」
「あいつがテリトリーと見なしたこの都で、あんたは好き勝手やりすぎた」
おかしな発音の絶望の言葉を最後に、ビオナードの怨霊はロウソクの灯のように消し飛ばされた。
ベリオットに目を泳がすと、一瞬だけ視線が交わったが、すぐにフイと顔を逸らされる。
(そういえば、私の顔も見たくないんだったっけ)
次の瞬間、大きな鏡からの光で、部屋が明るく照らされた。
鏡だと思っていたのに、隣の部屋とを繋ぐ、大きな窓に変わっているではないか。
ガラスの向こうにはお兄ちゃんと、その傍には二〇代くらいの褐色の肌の女の人。
それから私と同年代くらいの、二人の女の子。
ひとりは、フェデリコの見せて来た写真のパン屋の娘さんだ。
彼女達のどちらかが、壊される前のフェデリコが言っていた「フォリーとマル(マルガリータなのかマルセルなんかはわからないけど)」なのだろうけど。
「何、コレ!? 今まで、鏡だったのに」
私が不思議がっていると、ミローティがこの不思議な鏡について解説してくれる。
「ビオナードの指示で特注した、特殊な加工を施した硝子だそうだ。向こうの部屋が暗くなると、こちらからは鏡にしか見えない。
俺が弟子入りする前から、この窓はあった。大昔に、ここで絵画教室を開いていた時の名残だって説明された。
試験の際に、向こうの部屋から生徒達の様子を観察していたんだと。ところで、ルベオルスとペルラも、来てたのか。王廷騎士三人そろって、出向いて来るとは」
褐色の女性も、王廷騎士らしい。
「王廷騎士って女の人もいるのね……あ!」
思い出した。
見た事があると思ったら、昼間洗濯ワゴンをぶつけられた時に駆けつけて来た、先輩メイドじゃないか。
ドアが開いて、窓の向こうにいたルベオルスがこちらに来ていた。
「あの変態……ビオナードは消したか」
ベリオットが答える。
「ああ、人形も壊した。これで終わりだな、さっさと城へ戻るぞ。地下牢にいる本物のフェデリコにも、知らせてやらなければならん」
「モデルがいたのは聞いたけど、近場にいる人だったの!? その顔と名前使って犯罪とか、馬鹿じゃないの!?」
本人がアリバイ付きで訴えてきたら、計画はすぐ瓦解するに決まっているのに。
私の非難に対して、ルベオルスが「いや、実は」と説明する。
「フェデリコ本人の主張を信じるなら、三時刻前にレオパルテに入国したばかりだそうだ。世界中を旅しているフリーの記者らしいが、その男は今、連続誘拐及び殺人の疑いで、王城の牢屋に入れられている」
「うわぁ……気の毒。その辺の人に証言募っても、不利な証言しか出てこないでしょ」
ずっと都のあちこちで、自分に、そして人間にそっくりな人形が記者として活動していたのだ。真剣な捜査が行われるほど、墓穴を掘る結果になってしまう。
当たって欲しくない想像は、残念ながら当たってしまっていたらしく、お兄ちゃんは苦い顔で頷いた。
「証言が集まれば集まるほど、それ以前の時間や日にちに彼の姿を見ているとか、いなくなった女性は彼と一緒にいたとか、不利になっていってな。
名前も同じ『フェデリコ』で、間違いないとも。証人みんながみんな、同じことを言った。この事件はあまりにも残酷で悪質ということもあり、犯人が捕まれば、死刑は確実だとされていたんだが」
「……最悪じゃない。かわいそ」
本物のフェデリコがどんな人かは知らないが、この時の彼の絶望を想像すると、同情せずにはいられない。
彼は続けた。
「当然誰も、彼を信用しなかった。現に俺も、彼が嘘をついていると思ったよ。なにせ昼間、宮殿アパルトマンで、お前と一緒にいる所を見ているんだ」
「いつ!? 全然、気付かなかった」
「いたよ。お前が人形の方のフェデリコに手を引かれて、出て行く所だった。だけど俺と一緒にお前らを見ているはずのこいつが、彼を見て『髪型と服は似てるけど、顔が違う』って、言い出したんだ。あと、『昼間見た奴より、脚が短い』とも」
「なるほど。それで、唯一自分を信じてくれるかもしれないベリオットに、助けを求めた……と」
ベリオットに目を泳がすと、また目を逸らされてしまった。
「だけどビオナードの怨霊を消しちゃって、事件の顛末はどうやって説明するの?」
私はお兄ちゃんに、気になっていたことを尋ねる。
「世間には、ランジェロ、モナ、そして偽フェデリコ人形を犯人として処刑し、その写真を公開するしかないだろうな。体の処分は第三者には触れさせず、軍か、できれば俺達王廷騎士がやった方が無難だろう」
「あと、このフォリーとマルガリータが、法廷で証言すると言ってるよ。あんたも、協力してもらえるかい?」
部屋の外から、ペルラと呼ばれていた王廷騎士が、女の子二人を視線で指しながら言う。




