《45-3家主の日記 筆に込められた妄執》
第五の月、六日目。
今日私はこの都に辿りついた。
木陰で休んでいると蹄の音がし、白馬にまたがった男が私の前を通った。
天空から舞い降りた神と見紛った私は目を閉じ、しばらくあの美しい姿を、闇の中に鮮明に浮かべ描きとめた。
心に差した光は夜になっても止まず、私は何度も、描きとめたスケッチを眺めた。どこの誰なのか。それとも本当に彼は、神なのか。それとも天使か。
あるいは私を惑わす悪魔かと思い耽るうちに、紙の中の彼の横顔が私に向かってほほ笑んだ気がした。
(何よこれ?)
それ以降は、その美しい男にどうしたら会えるか、という内容が書いてあった。
ところで読み進めて判明したのは、この「ビオナード」という日記の持ち主は、売れない芸術家だということ。そして家の中にあった絵や彫刻は、彼の作品だということ。
「あれで売れないの!?」
見る人によって好みはあっても、ランジェロ=ミローティと並ぶ人気アーティストと並び評されていても、不思議はないだろうに。
運が悪かったのか、売り込みが下手だったのか。
思えば歴史に残る天才芸術家と同じ名前なのも、皮肉である。
芸術の世界の厳しさを感じながら続きを読むと、彼にモデルを頼みたい、というようなことが書かれている。
しかしこっちが恥ずかしくなるようなその情熱的な文面は、モデルというよりも、再会のままならない恋人へ宛てた恋文のよう。
例えば「会えない狂おしさで、夜も眠れない」とかいったような。
気味が悪いと思いつつも、どうしても気になって読み進めてしまう。ペラペラめくると、「再会した」という書き出しと出遭う。
第五の月一八日目。
再会した。依頼主の家へ赴いた帰りだ。大鷹を片手に、森から馬で出て来たところを見かけた。森は王族の狩場だ。ここに来たばかりの私は、王の顔を知らなかった。
彼はアンジェ王。
僭主であった前王の息子であった。
(ギャラクスさんの、人間だった頃の名前と同じ)
だけどギャラクスさんはずっと昔に「アンジェ」の名前を捨てているし、レオパルテの宰相である。
それからこの芸術家はアンジェ王に逢うべく、森に小屋を建てた。不審な男が木々の隙間に潜んで、彼の狩りの場を覗いているような光景が浮かび上がる。
(信じらんない。王族がハンティングをする森に、番人の一人も雇ってないの?)
それにしても……うーん、アンジェ王。
名前が同じなのもそうだが、すごい美男という点や「金の巻き髪が後光のよう」とも書いてあった点、先に彼をモチーフにした作品群とその扱いを見ていたのもあって、どうしてもアンジェ王の顔をギャラクスさんで想像してしまう。
(アンジェなんて名前の王様、今いたかしら?)
少なくとも現代では、自分がわかる範囲では、アンジェという名前の国王はおろか、大統領といった国家元首すら思い出すことはできなかった。
ギャラクスさんが人間をやめて二千年以上生きているのだから、ビオナードも……。
芸術史や歴史ファンに喧嘩を売るような想像が頭をもたげてしまった。「後世の芸術家はだいたいビオナードの影響を受けている」と言われればそれまでだが、画風も似ている気がする。
第七の月二三日目
暑さで倒れそうな日だった。
私はなかなか今日は現れない彼を待ちつつ、涼を求めて河の方へと向かった。滝の涼し気な音を思い浮かべながら急ぐと、人影の存在に気がつき立ち止まる。
私は目を疑った。一糸纏わぬ姿で彼が、水浴を愉しんでいたのである。
それからこのアンジェ王の肉体が、いかに素晴らしくといった表現が、もはや狂気とばかりに書き殴られていく。
たとえば「その夜私は嬉しさに打ち震え、酒を飲みながら手淫した。自ら信仰する聖母ですら、性的妄想に使われると言った人物がいるそうだ。私のモデルとなる、頭の中のアンジェは、肉の彫刻の裸体で私を誘惑する」とか。
集めた死体の肉で私だけのアンジェを作った……というところで、日記を閉じた。
閉じ切る寸前に、情熱的な言葉と「恋人のように睦ごとを交わしている」という表記が、視界の隅に入ってしまった。
「最悪……こいつが家主なのよね?」
私は自分の好奇心をこれほど呪った事はなかった。
死体人形と、ひとり言の世界。考えただけでゾッとした。おそらく、自分への愛の言葉も自分で言っているのだろう。
他人事なら、好奇心でもっと進んで探ったり、笑ったりするかもしれない。だが自分に関わってこられてしまった以上、話は別だ。
こういう話は紙の上の物語とか記事とか、自分事ではないから面白がれるのだと、はっきり思い知らされる。
捕まったりしたら、ただ殺されるだけでは済まない気すらする。
ガチャっと背後からドアの音がした。日記に夢中になり過ぎて、背後に気を配っていなかった。
「しまった!」
銃を構えると同時にドアが完全に開き、姿が確認できた。
「フェデリコ!?」
「ミスティ!?」
おそらく彼も襲われたのだろう、こちらに銃を構えている。私だと判ると、彼は銃を上着の内側にしまう。
「物音がしたから、誰かいるんじゃないかと思って入ったんだけど。……よかった、連中の仲間じゃなくて。ところで、どうしてここに?」
私も、知っている顔に出会えて、一瞬だけホッとしていたのだが。
「こっちの台詞!」
当分顔も見たくなかったのに、一日と経たない内に、また会ってしまった。
「まさか君の所にも、写真が?」
「ええ、気味の悪い写真がポストに突っ込まれてたわ」
投げ込まれた写真、もちろん脱衣所と風呂のを除いて、腕を伸ばして彼に見せた。
「すぐそばで監視してるみたいに、次々撮ったばかりの写真を投げ込んできたの。まるでこっちを怖がらせて、楽しんででもいるみたいに。そしたらあの黒い貴婦人が、わざとらしく姿を見せてきて」
「ここに誘い込まれたか。俺と同じだな……ところでこの距離、なんとかならない? 見にくいのと、結構ショックなんだけど」
私はフェデリコがこっちに進んでくるのに合わせて、同じくらい後退し、一定の距離を保っている。
「自分が何したか、覚えてないの?」
「やっぱり怒ってた? ゴメン」
相手が怒っていると思っていながらこんな態度が取れるとか、よほど馬鹿にしているか、神経が図太いのか。
「いくら顔が良くたって、やっていいことと悪いことがあるんじゃないの? あんなこと、好きでもない男にされたらただの痴漢よ、痴漢!」
「好きでもない……ねえ。悪かったって、もう変なことしないからさ。今は同じ困った状況なんだし、ここから出る為に協力しない?」
「ヤダ」
「即答!? どんだけ俺、嫌われてんの」
「私はちょっと、ここの家主に用があるの。あなたの言ってた通り、どうやらカフェにいるもう一人の女の子も、目を付けられちゃったみたいで」
そう言って私は、投げ込まれたローラの写真と、さっき拾った傷つけられた写真を見せた。
「ただ逃げても今度は彼女、下手したら隣に写ってる彼も、危ないかもしれないのか」
「今のままじゃ、どこの治安維持組織に相談しても、相手にされないだろうし。せめて納得してもらえる証拠を……と思ってね」
私が言うとフェデリコは「それがこれ?」と、机に置いた例の日記を手に取った。
読み進めるにつれて彼の表情は、眉間に皺を寄せたり口元を歪めたりと、気持ち悪そうに変化していき、しまいには目を背けていた。
「……少なくとも、俺はこいつと気が合いそうにないな」
パタン、と日記が閉じられる。
「でしょ? 正直言って私も、今すぐここから逃げ出したいわ」
萎えた気持ちをつい吐露してしまう。しかしフェデリコは違うみたいで、急に宣言した。
「決めた。さっきはここから出るって言ったけど、俺もここに残って一緒に調べる!」




