《42-2挿入文:(セレフィナ編)恋の矢と理性の盾》
(早く渡さないと、大好きなアルが死んじまうよ)
女のせせら笑う声が、セレフィナの頭に流れ込む。
鉄の扉の格子窓。
その向こうではミスティ=ヴィリアンズが剣を振りかざし、水浴びでもしているがごとく気持ちよさそうに、血しぶきを浴びている。
アルは防戦一方どころか、人形のように、彼女の好きにされて抵抗すらしていないように見えた。
(ああ、かわいそう。抵抗できないほど、傷ついているんだね)
煽るような女のわざとらしい言い草は、罠だと判断するには充分だった。
(疑うのは勝手だけど、時間がたてば、助かる可能性は低くなる。あんたは自分の目に、そんなに自信があるのかい?)
こんなに急かすのは、セレフィナの判断を鈍らせ、ここに飛び込ませるためだ。
「セレフィナ、早く!」
アルの切迫した声に、つい窓を覗いてしまうという失敗を犯したのだが、気付いた時には遅かった。
格子を掴む血まみれのアルの手が目に入った時、セレフィナは、自分の心臓が掴まれているかのような苦しみで、胸を押さえた。
その時だった。
「無事に帰りたければ、大地神王のメビウスをよこしな」
今度は頭の中ではない、耳を通しての、はっきりとした声での要求があった。
「狙いは、それね……!」
セレフィナは再び、判断力を取り戻す。
「お断りよ!」
はっきりと断り「思い通りにはさせない」という意思を表明する。
不殺剣を構え、戦う意思を示しながら。
レオパルテの国王が、魔王アンジェに利用されているのであれば、何があっても渡してはいけない。
片手で懐にしまったメビウスの存在を確かめ、守る意思を固めた。
「わかった。条件を変えようか」
女の声がこう言った後、部屋の中から再び、ものすごい悲鳴が上がる。
「ああ、なんてこと!!」
アルの胸を、ミスティの剣が貫いていた。
彼はその場に崩れ落ちながら、ヒュー、ヒューと苦しそうな呼吸をして胸を押さえていた。
再びセレフィナが動揺すると、女の声は、残酷な条件を突きつけて来た。
「肺を貫かせた。絶命するまで目を逸らさず見届けられたら、諦めてあげるよ」
(こんな罠に、絶対に乗らないわ!)
そう強気に決意するも、「ヒュー、ヒュー」という苦しそうな呼吸音が、部屋同士をつなげる窓を通して、どうしても耳に入ってくる。
(……ぅう)
目を閉じて耳をふさぐが、心の中のもう一人の自分が、その手を少しだけ緩めてしまった。
苦しむアルの呼吸音は、途切れそうになりながらも、弱々しく続いている。
だが、自分を見捨てようとする冷酷な仲間を恨む気持ちを含んだ恐ろしい響きが、実際よりもその音を大きく感じさせた。
「セ……セレフィナあぁっ!!」
必死に叫ばれる自分の名前に、セレフィナの心が揺さぶられた。
直後、生暖かい液体の感触がして、またしても、自らの愚かさを悔いた。
無意識のうちに自分は扉を開けて、アルに駆け寄ってしまったのだ。
(これが本当に……偽物なの!?)
思わず抱き寄せた瀕死のアルからは、赤い血が流れて、セレフィナの腕をべっどり濡らしている。
「セレフィナ……もういい。ここままじゃ…………死んでしまう、助けて」
とぎれとぎれの命乞いの言葉。失われていく体温。
確かめようとすればするほど、目の前の彼が生きている証ばかりが感じられてしまう。
彼の声は次第に、恨みのを帯びているのが聴き取れる。「仲間である自分の命より、値打ちのある財宝の方が、大切なんだな」とでも言いたげな。
無傷であるはずの、セレフィナの呼吸が乱れたのを見計らったかのように、また頭の中に、女の声が流れ込む。
(そうだねえ。この光景が偽物とは限らない。薬や魔術で意のままに操る、本物を囮に使うことだってなくはない。ところでその神器は、愛しいアルより大事なものなのかい?)
(アルの命には、代えられない。神器はここで[[rb:奪 > と]]られても、後で取り返せば……)
懐から神器を取り出すと、その後ろからの気配に気が付いて、セレフィナは咄嗟に振り向き、ミスティのふるう剣を、不殺剣で受け止めた。
「見届けられなかったわね」
ミスティが低い声で言う。
するとあの女の声が、直接的な音声で、ミスティに命令した。
「ミスティ、とどめを刺しな」
ミスティはセレフィナを通り過ぎて、倒れているアルの背中を踏みつけた。ほとんど動かなくなった彼から、「ぅう」と小さなうめき声が、微かに聞こえる。
「やめて!」
不殺剣を構えながらミスティを威嚇すると女の声が、語り掛けてくる。
「あらあら、ひどいじゃないか。さあ、仇を討ちなよ」
(安心しなよ。そのお察しの通り、ミスティはあたしが作った傀儡さ。アルは、引っかかったけどね)
女によって耳と頭、同時に入れられるノイズを聞き流しながら、セレフィナはミスティの振り下ろす剣を、再び受け止めた。
(メビウスよ)
大地神王のメビウスに念を送ると、ミスティの剣の、不殺剣に触れている部分が砂状に崩れる。
セレフィナはメビウスを何度も使うにあたって、直接触れていなくても、持っている者を媒体にすることに気付いた。
そして治癒魔法の反転、つまり細胞破壊にいたっては、無機物に干渉する術も身に着けた。
(……本当に、そっくり)
心に少しだけ余裕ができ、断片的なミスティの記憶を引っ張り出して比べるが、そのあまりの出来栄えに息を呑む。
挑発的な女の声は、今度は「耳元で」囁くように聞えて来た。
「遠慮なくやりな。どうせ偽者なんだから」
「言われなくとも、もう遠慮なんてしないわ。教えてくれてありがとう」
皮肉を言ったつもりだったが、声は、信じがたい返事を返してきた。
「せいぜい、日ごろのストレスを発散するがいいさ」
「どうして、そんなことを言うの!?」
この言い方のわざとらしい含みに、セレフィナは激昂する。
再び声は、頭の中に流れ込んでくるものに戻る。
(知らないよ、あんたの人間関係なんてさ。把握できてることといえば、アンタの大好きなアルが、他の女なんて目に入らないほど、ミスティのことを、愛してるってことだけさ)
一番触れられたくない事実に、セレフィナの心臓は悲鳴を上げるように鳴った。
しかし耳を塞いだり、かき消そうと心の中の大声で否定しようとも、「声」は直に頭の中に流れ込んでくる。
しかも今度は、頭からも耳からも、同時に声が入ってくる。
「(ミスティにもアルにも、悪意なんてないさ。だけどミスティは何もしなくても、いつもアルの愛情独り占め。アルはアルで、いつもそばにいるアンタよりも、どこにいるかも分からないミスティのことばっかり。アンタの気持ちなんて、アルはちっとも興味ないのさ)」
セレフィナは不殺剣を構え直した。
(知ってる)
どんなに「兄妹みたい」とかいっても彼らが他人同士だって。アルの口から出る「妹分」という言葉が、彼女との繋がりを絶たない為の、便宜上の言葉だって。
セレフィナの腕に力が籠る。
女の声は言う。
(仮に、このミスティが本物だったとしても、アルはお前を恨まない。卑劣な罠を張ったアタシを憎むだろうね)
セレフィナは答える。
「……確かに、嫉妬もしてる。あなたに言われた事は大当たり。でも、だから何なの。所詮ニセモノはニセモノよ! そんなもので私を惑わせられると思っているの!?」
思い切り大きな声で言い返すと、セレフィナはクルタナを、ミスティの剣に強く叩きつけた。
ミスティと武器を通してつながった瞬間、懐のメビウスに命じる。
「大地神王のメビウスよ。この者の細胞及び、彼女の持つ剣の元素を破壊せよ!」
剣が崩れ、偽ミスティは慌てたように手を離す。
「……この使い方は、まだ慣れないわね」
セレフィナの体を、急激な疲労感が襲った。今まで走ってでもいたように息切れしてしまう。
すると、今まで無言だった偽ミスティが、口を開いた。
「あんた、アルが欲しいの?」
ミスティは銃口をセレフィナに向ける。
「素直に『抱いて』って言えばいいじゃない。お高く留まって、バッカじゃないの?」
そう言って偽者のミスティは、自らの服の胸元を引っ張り、胸の谷間をこれ見よがしにした。
あまりにも彼を侮辱されたことにより、セレフィナの怒りは爆発した。
「失礼ね、アルはそんなのに引っ掛かるほど、下品じゃないわ!」
そしてこれでもかというほど、偽ミスティを叩きのめした。
「よかった……本当に偽物で」
偽物のアルと、ミスティの体が並ぶ。
先にアルの偽物が完全に青いジェル状の物体になり、どこかへ行ってしまう。
ミスティはというとまだ原形が残っていて、赤い液を流している。
しかし剣の先で突いて確かめると、もったりした感触と重みが返って来て、明らかに血ではないと教えている。
動いていた時の、ジェル人形の出来栄えをもう一度思い返し、セレフィナの背筋はゾッと波打った。
何回もやられたら感覚が麻痺して、もう誰もどころか、自分すら信じられなくなってしまうだろう。
疲れと安堵でへたり込むと、「セレフィナ」と、背後から名前を呼ばれた。
「アル!」
立っていたのは、無傷のアルだった。
「ああ、無事だったのね」
嬉しさのあまり、思わず彼の胸に飛び込んだ。
緊張がほぐれたせいか、それとも恋は盲目か。それとも、あの女の声がもうしないせいか。
とにかく、混乱が抜けきっていないせいだろう。
今までのニセモノの事も忘れたかのように、このアルがニセモノではないかという疑いを持つほど、セレフィナの心に余裕はなかった。
アルからの返事はない。
短い沈黙に、セレフィナは嫌なものを感じ取り、彼を見上げた。
「なぜ、こんな酷い事を」
アルの声からは、鋭い憎しみが滲んでいる。
「アル! これは」
「黙れ!」
わななく唇は急いで誤解を解こうとするが、焦れば焦るほど、彼の憎しみを増強させてしまっているようだ。
剣を抜くアルの顔は、うつむいていた為、ハッキリ見えなかった。だが「絶対に許さない」という気持ちが、声に滲み出ている。
セレフィナの頬は悲しみに歪む。
「違うの」
彼女の腰が、再び砕けた。
「信じて」
辺りに悲鳴が響いた。アルの剣から滴る自らの血を、セレフィナは視界の隅で見た。
「悪いんだけど、はっきりいって俺は君なんかより、ミスティの方が大事だ。彼女を殺した君を、許さない」
耳元でアルが囁く。「死ね」と。
「……アル」
涙がにじんだセレフィナの瞳が閉じる寸前に、刃を握る彼の手が、ジェル状に溶けていったのが見えた。




