【第10話 アルフィード編:スイッチ病の記録】
《10-1偏屈魔導師スリザス》
森の奥に、小さな家がやっと見えた。
「……あれが、魔導師スリザスの家か」
このじめっとした暑さの中を歩き続けるという状況が、やっと終わる。
開放感のせいか、足が軽くなったように歩みが速くなる。
「待って、アル」
セレフィナが呼び止めた。
「どうしたのさ? 早く行こうよ」
するとセレフィナと一緒に王城へ言ったゴーフルが、スリザスについて言った。
「王様が言うには、スリザスってかなり偏屈なヤロウなんだって」
「門前払いもありうるんですって。だから王からこれを、預かってきたの」
セレフィナが持っているのは、手紙だろうか。封筒だった。
「ゴーフルちゃんの水晶のおかげで、レガリア王様からも援助を頂けることになったの。これはその一つ。紹介状よ」
「ありがとう。国王の紹介とあっては、いくら偏屈でも無下にはできないな」
合流まで時間がかかったのは、そのせいだったのか。
花壇を通り過ぎ、ノッカーに手を掛けた。中から「はい」と落ち着いた女性の声で返事が返ってきて、ドアが開く。
出てきた声の主は、予想に反して若かった。
頭に大きなリボンをかけ前髪をまっすぐ切り揃えた、多分一〇~一二歳くらいの、ゴーフルと外見年齢と同じ年頃ぐらいの少女だ。
「スリザス先生に、ご用ですか?」
この家の持ち主が「スリザス=ライゾ」で間違いない。
「アミー、お客さんかね?」
奥から出てきたその人の、若さにも驚いてしまった。
昔語りに相応しい、よぼよぼのじいさんを想像していた。
けれど、目の前にいる眼鏡をかけたオールバックの男性は、三〇中盤か。
いっていても四〇代くらいだろう。
「ええ。はい、お客様です」
「私に何の用で?」
面倒臭そうな声色を、隠そうともしない。おまけに品定めでもするように、頭のてっぺんから爪先までジロジロ見てくる。
(……感じ悪いなあ)
スリザスの視線がぴたっと、俺のくるぶし辺りで止まる。
靴の色と同化して見えにくいけど、血がついていた。
「おい小僧。その血は『お前達のじゃない』な?」
「はい。マルアークで」
ここまで言いかけると、スリザスの顔は汚物でも見るかのように歪む。
「さっさと消えろ」
ドアが閉められそうになり、手を掛けて食い下がった。
「ま、待って下さい! あなたの知恵が、必要なんです! このまま放っておけば大勢の人が死ぬかもしれないんですっ!!」
「だから何だ? マルアークの人間が何人死のうが、俺の知ったことじゃあない」
「お願いです! 国王様の紹介状もあるんです! 感染もしてません! 王都でドクターにも診てもらいました!」
ドアを引っ張っていてのけ反った拍子に、冷めた顔のゴーフルと目が合う。
「なー、もうやめよーぜ兄ちゃん。王様の紹介もダメなら、お手上げだよ。城に戻ってこの事、王様に相談した方がいいんじゃない?」
不意にドアが開き、俺は後ろへひっくり返る。
スリザスが、ドアから手を離したのだ。
「大丈夫?」
セレフィナの手が、ぶつけた後頭部に当てられ痛みが引いていく。
痛みがなくなって、冷静にスリザスの顔を見上げると、困ったように口を結んでいる。
(さすがにいくら偏屈でも、王様の紹介無視がバレるのはマズいんだろうな)
セレフィナが前へ出て、深々とお辞儀した。
「突然の訪問とご無礼、申し訳ありません」
そして懐から何か取り出し、その手でスリザスの手を握る。
「これはほんのお詫びと、お近づきの印です」
木漏れ日がそこに差し、何かがきらり、と光った。
スリザスがその手の中の物をしっかり握りしめ、セレフィナはというと、彼の手と顔を点検するように見て、また丁寧にお辞儀した。
「アミー、久々のお客だ。お茶の準備をしてくれ」
「はい、先生」
先生、とやらの指示で少女は家に入っていった。
セレフィナが俺の靴についていた「血」について言及する。
「先ほど、この者の靴についた血について、おっしゃってましたが」
たぶんその血が、ここまで拒絶される原因だ大部分だろう。
紹介状を受け取ると、スリザスは両手を体の前へ翳す。
「少し手荒になるが、念の為に全員やるぞ」
次の瞬間、頭上からまさしくバケツをひっくり返したような「雨」が降った。
「……なんで急に、雨が!?」
足下の水たまりを見ると、白や虹色の泡が。これって、石鹸?
「かーっ、ナニすんだよ!?」
ゴーフルがぶち切れるも、スリザスは意に介していない。
「言っただろう。『手荒になる』と」
今度は正面と後ろから、強い風が吹きつけた。
風がやむと、びしょ濡れだった服は乾いていて、心なしかキレイになっている。
もちろん、血の付いていた靴も。
スリザスはドアを大きく開き、中へ招き入れた。
リビングらしき場所に通されると、アミーの淹れたお茶が、目の前に出される。
ゴーフルが俺越しにセレフィナを見ながら、小声で言った。
「セレ姉ちゃん、案外いい性格してるよな」
「俺もまさか、あんな交渉の仕方するなんて」
さっきチラっと見えたのだが、セレフィナがスリザスに渡していたのは、色とりどりの宝石だった。
しかし見るからに品行方正な優等生タイプの彼女が、まさか買収のような手段を取るとは、俺も思わなかった。
金色のティースプーンでお茶を混ぜながら、セレフィナは言った。
「誠意がただで伝わるとは、思わない方がいいわ。厄介ごとに巻き込んでしまうかもしれない要求を、こっちはするんだから」
聞こえていたようだ。
「いや、意外としたたかだなって。ともあれ、君のおかげで話を聴いてもらえるよ。ありがとう」
花の形の角砂糖をお茶に入れる。これはスリザスの趣味だろうか。
村に帰る際にお土産として買っていったら、さぞかし喜ばれるに違いない。だけどたぶん、その店はもうないと思うと残念だった。
紹介状を読んだスリザスは席を外した。
そして一抱えもある、ボロボロの色褪せた本を持って戻って来る。
《10-2アンジェ王とスイッチ病》
「これが先祖達の証言を集めたという記録だ」
スリザスが本を開く。
「『アンジェ=ブルジェオン』
もとはかつて存在した『アントス』という国にある、ヒュドランゲア市に住む貴族の子である。その美しさから『地上に降りた天使』という意味を込めて、天使を意味する『アンジェ』と名付けられた。
しかしアンジェの父、ゴッドが国の僭主となって、ブルジェオン家が国を治めるようになってから、行方不明者が続出した。
それを受けてブルジェオン王家が民を浚って殺している、という噂がまことしやかに囁かれ『王隠し』と呼ばれた。
王隠しとは人が消える『神隠し』にあやかった、ブルジェオン王政時代を風刺した言葉である。
ゴッドが死去し、アンジェが即位して『王隠し』の発生率は加速度的に増え、ついに首都からは全ての人が消え去り、ゴーストタウンと化した。
恐怖と憤りに耐えかねたヒュドランゲア市の貴族・軍人は結託し兵を挙げるも、アンジェの軍に敗れ去った。
アンジェの軍には、黒い影のような明らかに人ではないものが、確実に混ざっていたという。
ヒュドランゲア市の有力者達を次々破り、豊富な軍事力を得たアンジェはさらに、アントス国全土に挙兵し、制圧した。
この事態を重く見た世界元首連盟に加盟する諸国が、アントスに宣戦布告をするものの、その直後に各国の元首達は仲たがいをし、互いに潰しあった。
結果、アンジェ王は有力国の大半を手中に収める。
世界各地をアントス軍及び、傘下に入った軍が練り歩く。
その行く先々には、足跡のように死者が出る。
アントス軍と戦って戦死した兵はもちろんのこと、なぜか民間人までもが次々に病に倒れていく。
領地の主は乱心し、民間人の処刑に精を出すなどの奇行に走り、自害する。
多数の死者を出し、死体は天に届くほど堆く積み上げられた。世界中を腐臭が包み、エレツ・コハブは、疫病と蛆虫の惑星と化した。
全世界をものにしたアンジェ王は、この星の名を自らの好きなサファイアにちなんで『ガドル・サピール』と名付けた。
言語はアントス語で統一され、シェルという新たな通貨が創られた。
その時代の人々は彼を『魔王』と呼んだ」
その次の項目は「スイッチ病」。
「ブルジェオン王政時代のヒュドランゲア市で起こった反乱と、同時期に流行した伝染病。
革命後、ある貴族の男が病の床に臥した。
その妻と思われる女性の筆記帳を入手できた。
それには、以下のようなことが書かれている。
夫は原因不明の病にかかり、胸をかきむしって苦しむようになってしまった。
時には体が熱い熱いとのたうち回る。医者に相談しても、病の原因は依然として分からない。彼は要領を得ない呻き声を上げては苦しむばかりだ。
どの医者も匙を投げた。
次から次へとたらい回しにされ、藁をも掴む気持ちで、司祭に相談した。
一度夫の様子を見てもらうと、司祭は彼を見るや否や、そそくさと帰ってしまった。
私は司祭が、何か知っていると確信した。
毎日通ったが、司祭はあれ以来、会ってはくれなくなった。
噂では、何かに怯えるように、閉じこもってしまったと聞いた。いつものように神仕院の門を叩いていると、老齢のシスターが、教えてくれた。
なんと司祭は『死神が、夫の枕元に立っている』と言うのである。
そしてこう告げたそうだ。
『このひと月以内に、この男は死ぬ。この男が死んだら、都中に同じ病がはやり、都の人間は皆死ぬ』
と。
死神の言葉は実現した。
言葉どおり、司祭を呼んだ日から二〇日余りのこの日に、夫は死んだ。
恐ろしくてたまらない。
そして死神の預言は、終わっていない。
『都中に同じ病がはやり、都の人間は皆死ぬ』
夫の葬式以来、体調がすぐれない。
ただ、看病に疲れただけだと、そう言い聞かせても、恐怖はつのるばかり。
医者にかかりたい。なのに怖くて外に出られない。肺が、焼けるように熱い。
医者へ行こうと決心して外に出ると、長い列が、施療院の方向に向かって果てしなく続いていた。
昨日まで元気だった、近所のおかみさんや、粉屋の主人も並んでいた。
みな、胸をかきむしるか『熱い、熱い!』と悶えている。今日のうちに、お向かいの小さなぼうやが死んだ。角のおじさんも、花屋の看板娘も。
にぎわっていた近所も、徐々に静かになっていって、声どころか、物音すらしなくなってしまった。
簡易的な葬式すら、できなくなったのだろう。
かわりに、窓の外では、蠅の羽音がする。
生きた人は櫛の歯が折れるように、一人一人消えて、路上に死骸が増えて腐っていく光景が、目に浮かぶようだ。
苦しい。次は私の番だ(ここで彼女の手記は途絶えていた)」
《10-3焼ける死体の影》
「のちに『スイッチ病』と名付けられたこの病は、医者や研究家がいくらさぐっても、原因が見つかっていなかった。死体を解剖し、肉や骨、体液を確認しても、原因と思しきものは見つからなかったのだ。そこから推測するにこのスイッチ病だが……俺の考えでは、病ではない。攻撃魔法だと思っている」
スリザスは本を閉じる。
「ところで、どうして『スイッチ病』なんて名前がついたんだろう?」
俺が言うと、スリザスが解説する。
「具体的な内容についてだが。ある一人に先に症状を出させる。そいつが死ぬなど、一定のスイッチとなるタイミングで、そいつの属する集団も、同じ症状が出る。最初はスイッチの奴一人だけが病気になるから、誰もおかしいと思わない」
そんなのありか?
俺が首を傾けると、スリザスは理解できていないと思ったのか、俺の顔を指差す。
「分かりやすく言えば、お前たち三人を、呼吸系の病気に見せかけ殺すとする。スイッチの役割にお前を設定すると、まずお前の呼吸に異常が現れる。お前が死ぬと残り二人にも同じ異常が出る。最初はお前だけが病気になるから、三人にかけられた呪いだと、誰も気付かない」
急に辺りが明るくなったかと思うと、窓の外が光に覆われていた。光が止んで景色が元に戻る。
「何だったんだ、今の?」
アミーが箒で庭を掃いているだけで、庭そのものに変わったところは特になさそうだった。
しかし外に出てすぐに、異変に気付く。
「……なんだ、この匂い」
一言でいえば焦げ臭い。
……なのだが、それがちょっと普通ではない臭さだった。
「庭はなんともなさそうだけどよ。それだけにブキミだな」
首をしきりに動かして、ゴーフルも異変の原因について探るそぶりを見せる。
木々の下にある影にどことなく違和感を覚え、近付いてみた。距離が縮んで正しく認識できるようになると、影だと思っていたのが、そうでなかったことに気が付く。
「違う。地面が、焦げてるんだ」
焦げている場所やその形が、絶妙に木陰っぽくなっている。その中で、楓の葉みたいな形の跡が目に付く。
「あっ……」
思わず小さく声が上がる。
「兄ちゃんどうしたの……ぅげっ!」
ゴーフルも、俺のリアクションの意味が解ったらしい。セレフィナは両手で口を覆い、その場にへたり込んだ。
楓の葉だと思ったいた焦げ跡の形は、人間の手の平だった。
見えてしまえば明らかで、他にも靴の前の部分や、頭、上半身の形のものまである。この家を取り囲むように、無数の人の影が地面に焼き付いていた。
同時に、匂いについても思い出した。
人間の遺体を焼いた時の匂いだ。
村で人が亡くなると、遺体を焼いて天に送るのだけど。
その時は男が交代で火葬炉の番をする。その時に否が応でも嗅ぐことになってしまう、あの匂いだ。
焦げ跡と、さっきの窓の外を覆う光が頭の中で結びつく。この焦げ跡の彼らは、さっきの光で焼かれたのだろう。
頭の中で、いろいろな疑問がマーブル模様になって混ざり合う。
こんな人数を一瞬で焼き尽くすような、あの光は何なのか。
焦げ跡の主は誰なのか。
この人数を一瞬で始末できるあの光は何で、誰の手によるものなのか。
そしてこの両者の目的は…………?
得体の知れない不気味さが、寒気となって背筋を走る。
疑問に答えるように、スリザスは平然と言った。
「聖都で見てきただろう? これは全員、スイッチ病患者だよ」
「だって、スイッチ病患者は全員死んだはずじゃあ」
喋っている途中で、死屍累々のはずの聖都に、亡骸が一つもなかったことを思い出す。
「おそらく、その死体を利用してゾンビの兵隊でも作ったんだろうな。お前たちが俺の所に来ると見越して、この家ともども始末しようとしたんだろう。アミーが始末してくれていたようだが」
つまり「俺達の行動は、アンジェに読まれていた」と。
そしてスリザスの口ぶりから、あの光は庭で淡々と掃除をする幼い少女がやったものだと察する。
「でも、どうやって俺達の居場所が……」
「探知されたんじゃないか? お前達に魔力媒体を取り付けるなどして」
「そんなもん……あっ! もしかして」
ゴーフルは何か思い当たるようだ。
「兄ちゃんの靴についてた、血?」
「おそらくな。さっき『スイッチ病は病気ではなく、攻撃魔法だ』と言ったが、更にその時に使われた術者の魔力は、患者の血液内に溶け込むと、俺は考えている。お前らがここに来た時、かなり邪悪な力を感じた。そのもとがお前ら靴……血液のついている部分からだった。現に洗い落としてからは、何も感じない。……だから関わりたくなかったんだ」
ここに来た時のあの感じの悪い態度や、いきなり水をぶっかけてきたのは、そういう意味だったのか。
「……すみません」
謝罪の言葉が口をつく。
「まったくだ。だが、さっき受け取ったトリフィラート特産の宝石、なかなかいいのもだった。それに免じて、不問にしてやる」
「今更だけど、俺はとんでもない事に首を突っ込んだんだな……」
呼吸を通して体に入ってくる嫌な臭いで、胸が侵される気がした。すると、セレフィナがふらついた。
「姉ちゃん!」
「セレフィナ」
慌ててゴーフルと支える。
「当たり前だ。奴はもともと人間だが、世界を掌握した『魔王』の名は、飾りじゃあない。おそらく古くから悪魔との契約をして、人間を超えた力を手に入れている可能性すらある。お前達のようなちんちくりんのガキどもが、どうにかできるわけはない」
浮かび上がりかけた「無理」の単語に、太鼓判を押された気分だった。
ここまでのこのこやってきた恥ずかしさと、絶望が後押しされ、血の気が引いた。
しかしこのまま、殺されるのを待っていろというのか。家畜のように。
いや、何も知らない家畜の方が、まだ有意義に過ごすだろう。そうと思うと、手が自然に空を握る。
ここで、あの生き残りの青年の泣き顔が、フラッシュバックした。
「それでも」
その後に、聖都の人々のうめき声と、起き上がっている俺達に訴える目。
神仕院やホスピスに手当を求める行列。無残に血を吐いて、倒れ絶命した。
そして救いの道を示され、救いを信じて殺し合い。最後は……と木の下を見る。
陽が差し込んでも、そこは暗いまま。
身の程を弁えない言葉が、口を突いて出かけた。スリザスにも、言いかけたのは聞こえてしまっただろう。
鼻で笑われるかと思ったが、彼は予想外の反応をした。
「だったら、今から指定するものを持って来い。お前がこの件に関わるのに相応しいかどうか。見てやる。やる気があっても、実力がなければどうしようもない」
入れと、彼は再び家の中に招き入れた。
《10-4たかがおとぎ話、されどおとぎ話》
「三大神王の神話くらいは、知っているな?」
どんな条件かと思えば、スリザスはテーブルに頬杖をついて、あるおとぎ話について切り出した。
これは子供に聞かせる物語として、有名な話だ。
大まかな内容は、天界には数多の神がいて、このガドル・サピールを支配している。
その頂点に立つのは空を支配する、天空王。
全ての海を支配下に置く、海神王。
そして生命のよりどころとなる大地を管理する、大地神王である……というもの。
「はるか昔、天の使いが最初の人類の前に降り、三大神王の神器を与えた。その神器のどれか一つを持って、再びここへ戻ってこい。それができれば、望む情報の提供をしてやる」
反応に困った。
素直に頷けばいいのか、「バカにするな」と怒ればいいのか。
「で、それはどこにあるんですか?」
「この期に及んで、また他人頼りか?」
軽蔑を含んだ、冷たいまなざしが突き刺さる。
ゴーフルが反論した。
「だって、エレツ・コハブがどんだけの広さだって思ってんのさ!? この家一〇個分とかじゃねーんだぜ? 一コ見つけるだけで、アンタじいさんになってるどころか、生きてられんの?」
「実在、してるんですよね? 俺はずっと、単なるおとぎ話だと聞かされていたんですが」
「お前、神は存在してるかだなんて、まだ解らないのか? 天使や魔王が現実に現れてるのに、大したバカだな」
そんなにすごい神様の力を、人なんて矮小なものに与えるだろうか。
もし与えたりしたら、人間はそれに振り回されて、もっと早くに滅びているのではないか。
第一正直、神は存在しているかなんて(それどころか天使も)、今でも受け入れかねている。
そんなことを本気で人前で口にしようものなら、気がふれているか、物語と現実の区別もつかないバカ呼ばわりされるのが、今までの常識だったのだから。
しかし頭の中で言い訳を並べ立てるものの、スリザスの言う事はもっともだ。
旅に出てから、常識なんて通用しないと思い知らされ続けているというのに。
バカな質問を、激しく後悔した。
セレフィナが、優しく肩を叩いた。
「アル、落ち込まないで。私だって今の状況がまだ、信じられないわ。昨日まで私達の常識の中では、神様なんて物語や、お説教の中だけの話だったもの」
「お前らがどれだけ呑気で不勉強な人生を歩んでいたなんて、関係ない。つべこべ言わず現実を受け入れろ。それができたら、少しは真面目に話を聞いてやる。嫌なら、他をあたれ」
スリザスは全く容赦ない。
(用が済んだら覚えてろ)
ところで人間の心には、複数の本音が存在することがある。
自分の世間知らずぶりを恥じる心は、偽りのない本音だ。
しかしこれだけバカにされて、殺意に近い感情が黒く燃えているのも、紛れもない本音だった。
あとは、急に訪ねて、相談に乗ってもらう申し訳なさも。
だから現に「下手に出てればいい気になりやがって、このモヤシオヤジ。お前友達いないだろ」という口汚い罵声を、呑み込んでいるのである。
スリザスの家を出ると、三人とも「はあーっ」と大きく息をついた。
ふいにゴーフルが、さっきの話を蒸し返す。
「兄ちゃん、姉ちゃん。神なんてタチ悪いもんが存在してるんて、オイラも信じたくないよ。まして三大神王なんて、会ったことも見たこともねーし。ヤツらの親玉だったら、きっとロクな連中じゃねーよ。神器の話だって、初めて聞いた」
どうやらさっきの件について、慰めてくれているようだ。
「スリザス……さんの罵声は仕方ないよ。なにも一生関わるわけじゃあないんだ」
「ふむふむ、情報さえいただけば、あんなオヤジは用済みだと」
ゴーフルが悪意たっぷりの解釈をしてくれたが、誰も否定はしなかった。
「それに、根っから意地が悪いわけでもなさそうだし。出ていく前に彼が言ってた『ああ、そうそう。一つはそんなに苦労しないかもな』ていう台詞。これは『この近くにある』というヒントだ」
「この近く。あ、もしかして!」
セレフィナが地図を開いて、俺達に「サラバール」という赤で書かれた地点を指してみせた。
「ここに『ティフェレット・エメト殿堂』という名前の神殿があるわ。そこは大地神王を祀っていると言われているの。世界学の本で、見たことがあるわ」
世界学なんて言葉すら初めて聞いたので、感心してしまった。
「勉強家なんだね」
「ううん、勉強させられてたの。長いこと一人っ子だったから、弟が生まれるまで、一応世継ぎ候補だったってことで。それでも無事に即位するまでは、まだ候補扱いというか、補欠として、同じ教育をさせられるんだけど。実は言うと、いやいややってただけだから、あんまり身についてないの」
そう謙遜するものの、世継ぎになるとは限らなくても、王家に相応しくある努力をする彼女は、教養のない俺よりはよっぽど立派に見えた。
「いいや、それでもすごいよ。俺達は武術と畑仕事の教育はされるけど、読み書きと、ちょっとした伝承以外の教養なんて、遠い世界の話さ。男は家業を継ぐか狩りをするか、畑を耕すか、自警団に入るかのどれかだからね」
ゴーフルも大きく頷いて言う。
「そうそう! ホントたいしたもんだよ。オイラもいちおう、天使の学校で勉強はさせられてたんだけど、ぜんっぜん身につかねーもん!
エレツ・コハブの『世界四大聖人』のこと習ったばっかの時なんてさ。倉庫整理の時にソイツの肖像画見つけたんだけど、オイラわかってなくてよ。
ゴミだと思って鼻毛とかラクガキしたあげく、それに火つけて焼きイモしちまったんだよなあ。……後で大天使のヤロウに大目玉くらって、ぶん殴られたよ」
……教養無しより、タチ悪いのがここにいた。




