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第2話 剣選


 翌日。

 朝一番で馬小屋が騒がしかった。


「お、お待ちくださいっ! レオス坊ちゃんっ。すぐに連れて参りますのでっ!」


「はははっ。なにを焦っているんだい、ボドロ? 僕の可愛い愛馬たちに会いにいくことぐらい、労とは思わないよ」


 聞こえてきたのは品のある穏やかな声。この屋敷の主人、ラーディッヒ公爵の一人息子、レオスである。


 もう一人はボドロだ。必死にレオスを引き止めているようだった。


 少し早いが、気になったので起きることにする。ちょうどその時、馬小屋の戸が開き、レオスが入ってきた。


 金髪碧眼で端正な顔立ちをした男である。


「レオス坊ちゃん、ですからお待ちをっ! すぐに用意をいたしますのでっ……!」


 ピタリ、とレオスは足を止めた。


「あぁ、いいね。この馬の匂い。野性味があり、それでいて上品な――」


 すーっと彼は馬小屋の匂い嗅ぐ。気持ちよさそうにした次の瞬間、その表情をしかめた。


「臭い……」


 ぽつりとレオスは呟く。

 その声には嫌悪感がありありと滲んでいた。


「あ、あの、それは……」


「ボドロ、水浴びをサボったね?」


 冷たい視線がボドロに突き刺さる。

 蛇に睨まれた蛙のように、彼は動くことができなかった。


「も、も……申し訳ありやせん……レオス坊ちゃん……」


「誰の仕事だい? 怒らないから言ってごらんよ」


 ボドロに向けられた笑顔とは裏腹に、その声には底冷えするような冷たさがあった。


「それは、その……色々と予定外のことが重なりまして……」


「それで? 誰が水浴びの担当だったんだい?」


 優しい口調だが、貴族特有の有無も言わせない圧がある。それを気圧され、ボドロはこちらを見た。


 レオスが視線で追いかけるように振り向くと、ちょうど俺と目があった。


「ふぅん。君か。でくの坊で有名な、ニココ君だったかな?」


 獲物を見つけた狩人のように、レオスが鋭い視線を俺に突き刺す。


「……はい……」


「この馬はもう臭くて使い物にならないよ。責任を持って、君が処分しておいてくれるかい?」


 馬を処分する? 愛馬なのに?

 それはさすがにもったいない。


「あの……水浴びすれば、臭いはなくなると思いますけど……」


 すると、レオスは剣を抜き放ち、俺の首筋につきつけた。


「じゃ、君はさぁ。一日水浴びをしなかったくせえ馬にまたがれって言ってんの? 貴族であるこの僕に?」


 そうか。貴族は一回でも水浴びをしなかった馬には乗らないんだ。知らなかった。


「……すみません……」


「さっさと処分しろ。臭くて仕方ない」


 そう口にして、レオスは踵を返す。慌てて、ボドロが駆け寄った。


「れ、レオス坊ちゃん。どうかお考え直しをっ! 坊ちゃんの愛馬を処分するなど、我々にできるはずが――」


 そう下手に出ながら、ボドロはレオスをなだめようとする。


 俺は棒を拾い上げていた。


 馬に罪はないけれど、家畜だからどのみち肉になるんだろう。

 そんなことより、今度こそ命令通りに仕事しないとまた怒られる。


 ビュゥンッ!


 棒を一振りする。すると、馬の首がズレて、ボトリと落ちた。

 血がどっと溢れ出し、レオスの頬に僅かに付着する。


 二人はこっちを振り返った。

 そして、馬の首が落とされているのを見ると、


「ば、馬鹿っ、おめえっ! なにして――」


「ヘリオスッ!!」


 愛馬の名を呼び、血相を変えてレオスは駆け寄った。

 だが、首が落とされて生きている動物はいない。

 その凄惨な光景に眉をひそめ、彼は悼むように愛馬の額に手をやった。


「君は自分がなにをしでかしたのか、わかっているのか?」


 ドス黒い感情が言葉の端々に漏れている。

 その目は自らの所有物に手を出された怒りで暗くよどんでいた。


 俺には正直、意味がわからない。

 だって――


「さっき、臭いから処分しろって」


「馬鹿野郎っ!!」


 焦ったボドロが俺の頬を思いきり殴りつけてきた。


 痛い。


「おめえ、本気で言ってんのか? 処分しろって言われたからって、本気で貴族の財産を処分するやつがあるか? 頭わいてんのかよっ!?」


「…………」


 ……どういうことなんだ?


「……レオス坊ちゃんが嘘をついたってことか? それはなんのために?」


「ばっ、馬鹿っ!! 水浴びを忘れたのはそれぐらい重罪だってことだろうがっ!!!! わかれよっ!!!!」


「……すみません……貴族様の考えることは難しくて、処分しろって言ったのに、実は処分したくないなんて夢にも……」


 正直に言うと、ボドロは震え上がった。

 完全にレオスを怒らせてしまったと思ったからだ。


「ニココ君。君はなにか勘違いしていないかい? 貴族と君たち使用人が対等だとでも?」


 言葉の裏に怒気を込めながら、淡々とレオスは問い質す。


「……なにがあろうと、どんな理不尽なことを言われようと、君は主人である僕に責任を問うことはできないんだよ」


「……そ、そうなんですか……?」


「そうだよ」


 穏やかに笑った次の瞬間、レオスの瞳が怒りに染まる。

 バギィッと彼は俺を殴りつけた。


「いちいちかんに障る返事はやめろって言ってるんだよ」


 どういうことなんだ?

 レオスの言葉が、俺にはちんぷんかんぷんだった。


「あの、どうすれば……? 俺は命令通りにするので……」


 すると、レオスは俺をじっと睨んだ。顔が怖い。


「あ、あの……」


「君は剣術に自信があるみたいだねぇ。使用人の給金で剣まで買うぐらいなんだから」


「……ええと、その……」


 ニココが馬の首を斬った道具は棒だが、あまりに容易く切断したため、レオスは剣を使ったと思い込んでいた。


 貴族は剣術を嗜む。

 剣に精通しているからこそ、一目でそう判断したのだ。


「剣を買う金は……」


「返事ははい(ヽヽ)だ」


「はい……」


 そう答えるとレオスは満足そうにうなずく。


「では、こうしよう。まもなく、王都ガナムーンで『剣選(けんせん)』という剣術試験がある。合格すれば金貨200枚が支度金として支給される。このヘリオスの値段と同じだ」


 レオスは高圧的に言い放つ。


「合格して弁償しろ」


 俺は使用人で、レオスは主人の息子。だから、命令なら聞くしかない。


「わかりま――」


「おいっ、おいおいおいっ、ちょっと待てって」


 ボドロが俺の腕を引っ張り、馬小屋の隅へ連れていく。

 内緒話をするように彼は言う。


「おめえ、『剣選』がなんだか知ってるのか? 剣聖の登竜門だぞ!」


「……剣聖って?」


「おめえ、それも知らないのか……」


 呆れたようにボドロがため息をつく。


「剣聖ってのは、剣にまつわるあらゆる学問、技術を修めた達人のことだ。この大陸に七人しかいねえんだぞ。腕っ節は勿論、文字も読めねえおめえなんか逆立ちしたって受かりっこねえ――」


「ボドロ」


 咎めるようにレオスが言うと、彼はビクッと体を震わせた。


「彼の借金を君が半分肩代わりするかい?」


 脅すように言われ、ボドロは息を呑む。

 レオスに睨まれ、上手く呼吸ができない様子だ。


「……い、いえ……滅相もございやせん……」


 どうしようもなく、彼は引き下がった。


「参加費用は君の給金を前借りするよ。もし合格できなかったら、一生ここで借金の返済をするんだ。いいね?」


「わかりました」


 貴族の命令なので、俺はそう答えるしかなかった。


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