強襲
山の稜線には太陽が沈み、まばらに散る雲を夕焼け色に染めていた。
ニアとアザール、そして数名ほどの門弟達は、町の郊外にある丘に向けて馬を歩かせていた。
「お父様とお姉様、来れなくて残念だったね」
「こればかりは仕方ないさ、ヴィオレッドは急遽偉い人が訪問することになったから来れないんだろ?」
「うん、やっぱり行けないってお手紙が来た」
アザールと馬に二人乗りをするニアが、体を丸めてさみしそうに呟く。手綱を掴む兄の両手の間に、すっぽりと収まったニアは、一冊の本を大切そうに抱えている。
「親父も運がないよな。母さんの命日に腰を痛めるなんてさ」
「寝相が悪かったみたい……。兄様もせっかくお姉様と仲直りするチャンスだったのに……」
「また機会はあるさ。どうせ道場でまた顔を合わせるんだし、気にするな」
ニアはこの日を楽しみにしてきた。本来ならヴィオレッドも一緒に来るはずだったのだが、急用とのことで不参加になった。兄の仲直りもそうだが、ニアもヴィオレッドにどうしても謝罪したいことがあったのだ。だが、ずるずるとその機会を逃してしまい、今夜こそはと思っていた。
(……お姉様)
抱えていた本を広げる。
馬上の揺れる視界の中、文字をゆっくりと追っていく。
本のタイトルは『ハロルドと高貴な姫』。
ヴィオレッドがニアに貸してくれた本だ。
勇敢な流浪のバードが、身分違いの姫を助けて恋に落ちる話。
(わたしのために危険を冒して、薬草取ってきてくれたお姉様みたい)
ヴィオレッドが凛草を採ってきてくれたあの日、ニアは不思議な感情が胸の奥底で芽生えた。
それはお母様に抱きしめられるみたいに温かく、お父様に撫でられるみたいに心地よい。けれど、そのどれとも違っていた。幸せなのに、胸の真ん中に小さな穴が空いていて、そこから焦がすような疼きが、じわじわと広がっていく。
(この気持ちはなんだろう?)
己の問いへの答えを見出せないまま、不安定に揺れる馬の背で悶々とニアは悩み続ける。
◇
やがて日が完全に沈んだ頃、目的地の丘が見えてきた。
馬を操るアザールは空を仰ぐ。
雲はなく、絶好の天体観測日和だった。
「おい、アザール、あとちょっとで着くから、俺は先に様子を見てくるぞ」
「ああ、頼んだ」
先頭を進む門弟の男にアザールが返事をした……
——その瞬間
鋭い風切り音が走り、何かが突き刺さる鈍い衝撃が耳を打った。
「うぁぁ……かはっ」
馬を進めようとしていた男がうめき声をあげて、矢の刺さった首をおさえながら落馬した。
主人を失った馬が甲高い悲鳴をあげて、そのまま走り出していく。
なにが起きたのか、すぐには理解できなかった。
だが、同行していたエノーの声に我に返る。
「襲撃だぁぁぁ!」
「……ッ!」
それを合図に、全員が一斉に剣を抜いた。
「お兄様!?」
「大人しくしていろニア!!!」
どこに隠れていたのか。
茂みや岩の影から、薄汚れた男達が剣を構えて襲い掛かってくる。
「盗賊か!?」
「どうすればいいアザール!」
顔を向けてくるエノーに、アザールは全員に聞こえるように叫んだ。
「馬を走らせろっ! ここを抜けるぞ!」
馬の腹を蹴るが……盗賊が小声で口ずさんだ詠唱が聞こえて、悪寒がアザールの背筋を通り抜ける。
「ファイヤー!」
「っ!?」
慌てて手綱をひっぱり、急激な方向転換に馬の銜がカシャンと音を鳴らす。馬の鼻の先に、肌を焦がすような赤い火炎が躍り出て進路を絶った。ごうごうと燃え盛る炎に馬がいななき、ニアの悲鳴があがる。彼女を振り落としてしまわないようにアザールは咄嗟に左腕で抱きしめた。
「魔術師まで!?」
「駄目だ挟まれているっ戦うしかねえ!」
「ちくしょうが!」
周囲を見渡すと、十数名の盗賊達に囲まれていた。
最悪の状況だった。
予期せぬ奇襲攻撃。
仲間がやられたせいで、全員に動揺が走り、相手の勢いに飲まれている。
アザールは騎乗したまま剣を翻し、迫りくる盗賊達に応戦する。
「ハアッ!」
左腕で手綱とニアを抑えながら、抜剣する。
盗賊の剣戟を剣でいなし、その勢いのまま、盗賊の首を跳ね飛ばした。
しかし、その盗賊どもの練度は異常だった。卓越した剣技に加え、魔術師まで揃えている。
「くっ」
一人、また一人と仲間達が切り殺されていく。
焦燥がアザールの胸を貫く。
剣を握る手が震え、心臓が痛いほどに脈打った。
最後まで抵抗を続けていたエノーも、ついに地面に倒れ伏した。
「ぐへへ、残りはお前らだけだぜ?」
(なぜ、このタイミングで、よりにもよって母さんの命日に! このままではニアが……そんなことは絶対にさせない!)
「はあああ!!!」
気炎を吐き、最後の力を振り絞る。
剣を振り上げた盗賊の首に一撃を叩きこみ、続けざまにもう一人の頭をかち割った。
手首の骨が砕けるような重い反動が伝わってきた。
しかし、そこまでだった。
背後から一撃を受けて、アザールは馬から転げ落ちる。
「イヤぁぁぁぁぁ!」
あまりの痛みにニアの悲鳴が遠くに聞こえる。
落馬の際に頭を打ってしまったらしい。
朦朧とする意識に、ぼやける視界。
剣を支えに必死に立ち上がろうとするも、膝が震えてしまう。
そんなアザールを盗賊達はせせら笑った。
その時だ。
「お前達なにをやっている!」
フルプレートの甲冑を着た銀髪の男が、馬で駆けつけてきた。
その鎧には、ロシュフォール騎士団の魔術師であることを示す、燃え盛る杖の刻印が彫られていた。
「助けてくれ盗賊に襲われてるんだ、頼むっ!」
アザールの懇願に、その男は興味なさそうに盗賊共を睥睨し、鼻を鳴らした。
「ふんっ、誰かと思えばフォドン剣術道場の倅じゃないか。なぜわたしがお前を助けなければならんのだ」
「なっ!?」
「知ってるぞ、お前がロシュフォール家に仇なすために反乱を起こそうとしているのはな。そんな男を助太刀する意味がどこにある?」
「それは……だが、もうそんな考えは持っちゃいねぇ! 相手は盗賊だぞ!? 戦うのがお前達の役目だろ!」
「ふはははっ、たしかに盗賊がでたのなら戦わねばならんだろう」
男は盗賊達を見つめる。
しかし、そこに敵意はなく、盗賊達もニヘラと笑って、革袋を男に投げた。
盗賊の一人が媚びるような笑みで頭を下げる。
(ま、まさかっ!?)
「騎士の旦那、今回はこれでどうか」
「ふむ、いいだろう。わたしはなにも見てなかった。そういうことにしておこう」
「ありがとうございます」
男は満足そうに革袋を受け取って薄い笑みを浮かべた。
「貴様ぁぁぁぁ!」
「ははは、わたしを恨むのはお門違いだぞ。これはロシュフォールの当主様からくだされた方針だ。盗賊をわざわざ討伐するより、分け前を貰ったほうが効率がいいからな」
「殺してやるっ!」
ありったけの力で柄を握りしめて、アザールが剣を振り上げる。
だが、それを振り下ろす前に、背後から不意打ちをしてきた盗賊の一撃を後頭部にいれられて……
「お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
アザールは意識を失った。
◇
「……っ!」
呼吸に飢えた肺が息を飲み込む。
アザールはハッと意識を取り戻した。
ざらついた地面を顔面で味わい、うつ伏せに倒れていることに気がつく。
「ニ、ニア!?」
(どうして俺は生きているんだ。なぜ殺されなかった)
死んだと勘違いして放置されたのか。
後頭部の痛みをさすり、転がっていた剣を拾って立ち上がった。地面には仲間の亡骸。だが、ニアの姿はどこにもない。
「ニア!!!」
(連れ去られた? 一体どこにっ!)
「ニアァァァ!!!」
腹の奥底からむせかえるような熱い激情がアザールにこみ上げてくる。
「許さんぞロシュフォール!!!」
(一度でも信じてみようとした俺が馬鹿だった。アイツらは人の心を持たない獣だ!)
騎士は盗賊をわざと見逃すよう、領主からの命令があったと言った。
今頃詰所に戻っているかもしれない。
(もしニアが生きているなら領主を殺してでも居場所を聞き出してやるっ。あの子だけは、俺が命に代えても救うんだ)
幸いにも、馬は無事だ。
痛みを訴えてくる体の悲鳴を無視して、馬上に飛び乗る。
踵をかえし、アザールはロシュフォールの館へ向けて馬を走らせるのだった。
◇
アザールが立ち去るのを遠目からエノーが見届けた。
「行きやしたぜ」
「ふん、せいぜい踊ってくれることを願おうじゃないか」
盗んだ騎士の装備を身に着け、ロシュフォール側の人間になりすました帝国魔術師のフランシスが笑う。
彼とエノーは、この場でアザールを襲う計画を実行した。エノーがフォドン剣術一派を誘導し、仲間に襲わせたのだ。
領主の話は嘘。目的は、アザールの怨嗟に火をつけ、ロシュフォールに噛みつかせることだった。盗賊にやられたと装い、死んだふりをしていたエノーは、目論見が成功したと感じる。
「でだ、魔術師の旦那。こいつはどうするんで?」
エノーの足元には、縄で縛られ、口に布を噛まされたニアがいた。
「~~~~~~~っ!」
彼女の黒い瞳は涙で濡れ、真っ青な顔で震えている。フランシスは口をニヤリと歪ませ、彼女をじっくりと眺める。
「見てくれはなかなかに良いじゃないか。王国には、こういう少女趣味の貴族も多い。賄賂にでも使えば喜んでくれるだろうさ」
「……そうですかい」
「我はこれからロシュフォールの館を見に行く。お前たちはここで待機していろ」
「そうさせてもらいやすよ。部下も傷を負って疲れてるんでね」
盗賊に扮した彼の手勢たちを見て、エノーはそう言った。
「また後で落ち合おう」
フランシスの体が土くれのように崩れ落ち、鎧がゴトンと地面に落ちた。そこにはもう、彼の姿はない。
ピューと口笛を吹き、エノーは両手を上げる。
「帝国の魔術師様は気味が悪いぜ」




