倒れたニアちゃん
馬車が静止するまでの時間すらもどかしく、わたしは力任せに扉を開けた。
月明かりに照らされた地面に飛び降りると、ウィン先生の慌てた声が背後から聞こえる。
「ちょ、ヴィオレッド待ってください!」
「急がないと手遅れになりますわ!」
焦燥に染まったわたしの両足は静止を振り切って、見慣れた道を突き進む。
ガリル師範の家は、フォドン流剣術道場の敷地内にあった。
「わたしですわ、開けてくださいまし!」
「……ヴィオレッドか」
出てきたのはガリル師範だった。
肩を落とし、俯く彼の表情には、疲れが色濃く浮かんでいる。
「ニアちゃんは大丈夫ですの!?」
「……今夜が峠ってわけじゃねえが、医者の話じゃこのまま放置してたら万が一もあり得るらしい」
「そんなぁ!?」
昨日まであんなに元気だったのに!
どうして、こんなことに……最悪の事態が頭をよぎってしまう。苦しむニアちゃんの姿を想像して、胃の奥に鈍痛が響く。
言葉を失い立ち尽くしていると、遅れて走ってきたウィン先生が追いついた。ガリル師範にお願いして、ウィン先生と一緒にニアちゃんの下へ案内してもらう。
古めかしい木造建築の大きな家の渡り廊下を、早足で歩いていく。
足の裏で軋む、木床のギシギシという音が不安を駆り立てる。
前世の記憶に微かに残っているシナリオをわたしは探った。
ヴィオレッドの凌辱エンドはいくつかのルートがある。
その内の一つに、主人公達の活躍によってロシュフォールの悪事が露見し、領内でクーデターが発生するパターンがある。
それを率いるのが、わたしの兄弟子アザール・ロン。
彼はいわゆる、制裁を与えるためだけに存在するモブ。
凌辱シーンで彼の顔が傷だらけなのは、過去に反乱を起こして失敗し、その際に負った傷だからだ。
大勢の仲間と家族を失いながらも、命からがら逃げ延びて、復讐シーンの時まで虎視眈々と機会を伺っていたという設定だったはず。フォドン流剣術に聞き覚えがあったのは、きっとゲームのどこかで見かけていたからだ。メインシナリオに関わらないので完全に失念していた。
つまり、ゲーム通りにシナリオが進行したら、どこかでニアちゃんは死ぬ運命にある。大切なものを失うかもしれないという恐怖がわたしの足をすくませる。
薄暗いニアちゃんの部屋。
医者の老人とアザールさんが心配そうに、布団で横になるニアちゃんを眺めていた。部屋にはわたしがプレゼントしたはにわが大切そうに陳列され、枕元には以前貸してあげた本がぽつんと置かれていた。
「おいっ、どうにかならないのか!?」
「……これ以上できることはないです」
「くそっ!」
医者が首を振り、アザールさんが悔しそうに吐き捨てる。
ニアちゃんは意識がないのか、目を瞑り息苦しそうにしていた。
アザールさんがわたしに気がつく。
「貴様っ! よくもまぁ顔を出せたなっ!」
「ひっ!?」
怒気を滾らせた彼が迫ってきて、わたしは短い悲鳴をあげてしまう。
こ、怖い。
この人はわたしを凌辱するキャラだ。
背筋に冷ややかな汗が滝のように流れて戦慄する。
「お前のせいでっ、ニアが倒れたんだぞ!?」
「……わ、わたしのせい?」
「なにとぼけた顔をしてやがる!」
「……どういうことでしょうか?」
アザールさんが驚きに目を見開く。
「まさかっ、ニアが病弱なのを知らなかったのか!」
「……え?」
なにそれ。
病み上がりなのは知ってたけど、一時的なものじゃなかったの?
だって、彼女は毎日元気で楽しそうにしてて……
「アイツは生まれつき体が悪いんだ! だから家で大人しく安静にしてたのに、お前が連れまわしたせいで、苦しんでいる!」
「で、でもそんな素振りは一度も……」
「自分が楽しむのを優先してるから、近くにいる妹の体調に気が付かないんだろう。自分本位の貴族様が考えそうなことだっ!」
「……」
すると、ガリル師範がアザールさんの肩を叩いて冷静な声音で言った。
「よせ、ヴィオレッドは本当に知らなかったのだ。そして、黙っていた俺が悪い」
「なに言ってんだ親父!?」
「あんなに楽しそうにするニアを見たのは初めてだった。だから言い出せなかった」
「だ、だが!」
猛禽類みたいな鋭い目つきでアザールさんが睨んできて、わたしは心が折れそうになった。
「……こほ、こほ、お兄様。お父様の言う通りです」
いまにも萎れそうな細い声がした。
いつのまにかニアちゃんが目をあけてわたしたちを見ていた。
アザールさんが彼女の枕元に駆け寄る。
「大丈夫なのかニアっ、体は痛くないか? 無理しないでゆっくり休むんだ」
「あ、ありがとうございますお兄様。でも、お姉様を責めないであげてください」
「しかし、アイツはお前を!」
「全部ニアのワガママだったんです……お姉様と遊ぶのが楽しくて……体調が悪いのがバレたら、遊ぶのを止められると思って、隠していたんです」
その言葉に胸が張り裂けそうになった。
後悔と、無力な自分への悲壮感が荒波のように押し寄せて心をえぐる。
やっぱり彼女は無理をしていたんだ。
あんなに一緒にいたのにそれに気付かないなんて、わたしってば馬鹿すぎるよ。
「こほこほ……お父様に秘密にしてほしいと頼んだのもニアなんです。お姉さまには普通に接して欲しかったから」
わたしは我慢できなくなった。
「ニアちゃんどうしてそんなことを!?」
彼女は苦しさを隠す笑顔で微笑んだ。
「だって、初めての友達ですもの。心配なんてしないで、お姉様にはずっと笑顔でいて欲しかったから」
「……ニ、ニアちゃぁぁぁぁん!」
その言葉に、わたしは声を震わせ嗚咽した。
ぎょっとするアザールさんやガリル師範、お医者さんとウィン先生もドン引きしてるけど、知ったこっちゃないよ。
「ごめんねぇぇぇ気がついてあげられなくてぇぇ!!!」
溢れてくる涙が止まらない。
ぎゅっとニアちゃんに抱きついてしまう。
顔色の悪い彼女はそれでも微笑んで、わたしの鼻をつんつんと人差し指でつついてくる。
「いいんです、いいんです。お姉様のせいではないんです」
「わ、わたしのせいだよぉ! 絶対に治してあげるからね! 医者のおじさま! どうすればニアちゃんはよくなりますの!?」
老人のお医者様は難しい顔をした。
「彼女の症状は魔力不整脈というものです」
「なんですのそれは!」
「体内の魔力の循環が悪くなり体調に悪影響がでる珍しい病気だ。魔力制御が上達すれば自然と治る病気なんですが…」
「じゃあいますぐ魔力制御を習得すれば問題ないのでは!?」
後ろからコツンと頭を杖で叩かれた。
ウィン先生が呆れた表情をしている。
「皆がヴィオレッドみたいに魔術の才があるとは限らないのですよ。病弱な幼い子にそれは無理があります」
たしかにその通りだ。
いまのニアちゃんじゃ修行は不可能だ。
「ならどうすればいいんですわ!?」
お医者さんは鞄から冊子を取り出してパラパラとめくる。
「魔力の循環を助ける凛草という薬草で進行を遅らせるんです。だが、ロシュフォール領には在庫がない。用途の少ない薬ということで後回しにされていて……」
なにやってんだウチの能天気な両親は!
優雅にお茶を飲んでる場合じゃないよ!
「あった、これです」
お医者様は冊子に書かれた凛草の絵を見せてくれた。
紫色の特徴的な草だった。
「これを集めてくればいいんですわね!?」
「そうですが……近くの群生地にはドラゴンが住み着いているのです」
「ドラゴン」
それはゲームでエンカウントするモンスターでも、上位の存在だ。
ウィン先生はコクリとうなずく。
「ミランダ渓谷ですね、アースドラゴンの住処として有名です」
その言葉にガリル師範が続く。
「ああ、だが娘のためにいかなくちゃならん。夜が明けるのを待って、俺達は道場の奴らと一緒に日の出とともに出向く。町の冒険者にも声をかけている。ヴィオレッドも来てくれるか?」
すると、アザールさんがだんっと地団駄を踏んだ。
ひいっ、とわたしは縮こまる。
「なんでこんな雑魚を連れていくんだ! 俺達だけで十分だ」
「ヴィオレッドは魔術師。幼いからまだまともな戦力にはならないだろうが、きっと頼りになる。娘のためにお願いできないか?」
怒り狂う息子を無視して、ガリル師範が頭を下げてくる。
「当然ですわ! 可愛い妹分のためでしたらなんでもいたしますわ!」
ニアちゃんは妹という言葉に反応して目を細めた。
幸せでお腹いっぱいという満足そうな安らかな表情で、静かに瞼を瞑る。
体力の限界が来たのか、そのまま彼女の意識が遠のいていく。
「……ありがとうお姉さま……もしニアが元気になったら……一緒に見たい景色があるんです……それと……謝りたいことも……す……すうすう」
わたしは彼女が眠るのを見届ける。
最後まで睨みつけてくるアザールさんは、ずっとわたしの心臓を鳴らすくらい怖かったけれど、失うものの大きさと比べたら、耐えられた。
凌辱されるのは嫌だし、そんな未来は回避したい。
でも、ニアちゃんを救うことだって大切だ。
自分と友達を天秤にかければ、比重は後者に傾き、自然と恐怖よりも彼女を救いたいという使命感が胸を満たす。
夜明けに道場で集合するという約束をガリル師範と交わして、ウィン先生とわたしはその場を後にした。
◇
薄い月夜が照らす夜の静けさ。
文明の発達してない異世界の夜は、闇が降り注いだかのように、暗く恐ろしい。
電気の明かりはいかに偉大だったのかを思い知る。
ふと、前世の友人のことを思い出してしまう。
わたしが、自分の矮小さを打ちのめされるきっかけとなった友人だ。
彼女は……中学からの友達で、同じ高校に入学した親友だった。
身長がとっても高くてスポーツ万能。いつも笑顔が素敵な優しい子だった。
わたしは高校に入学したらバレーをやりたいと前々から決めていた。
でも、強豪校のバレー部に初心者が一人で入部するのは不安だったのだ。
だから、彼女に一緒に入ろうと誘った。
最初は乗り気じゃなかったけど、彼女はわたしと一緒ならと入部届を書いてくれた。
全国常連で良くも悪くも上下関係の厳しい体育会系。
特に三年生は酷くて、わたしも沢山陰口を叩かれた。
そして、才能があり監督に特別扱いされた親友への嫌がらせは、わたしの比じゃなかった。
裏で三年生による限度を超えた嫌がらせがあったと知ったのは、彼女が引きこもりになったあとだった。
罪悪感の湖に全身が浸り溺れるような気持ちだった。
わたしが誘ったせいで……と何度思ったことか。
わたしは毎日彼女の家に通った。
だけど、部屋には一度も入れてもらえなかった。
ドア越しに、ただ一方的に語りかけるだけで、それだってどんな言葉を言えばいいのかわからずに、何を喋ったのかも覚えていない。
最後に彼女はわたしをなぐさめるようにドアの向こう側から伝えてきた。
「○○ちゃんは悪くないから気にしないで……部活忙しいだろうから、もう来なくてもいいよ」
その優しい言葉は突き放されるよりもずっと、彼女との距離を遠くに感じさせた。
それ以降、わたしは一度も彼女の家に行かなくなった。
部活には処分が入り、三年は大会出場停止で退部。顧問は熱血先生に入れ替わった。
ここはゲームの世界。
わたしは自分の貞操を守るため、バッドエンドを回避することだけを考えていた。
前世で親友の一人も救えなかったわたしが、世界を救うとか、たいそれたことができるわけないって根底にあったかもしれない。
いまだってその考えに変わりはない。
シナリオの知識があれば自分くらいはどうにかなると、ゲーム攻略をするような気持ちで今まで生きてきた。
でも、生きるってそうじゃないよね。
人生は、定められたシナリオをなぞってYES・NOのどちらか、自分の望む選択肢を選ぶゲームみたいな単純なものじゃない。
もっと複雑で、周囲の空気を読んで不本意に意見を変えたり、今回みたいに理不尽な状況が唐突に訪れたりする。
どうせゲームの世界だし、自分さえよければいいやなんて思っていたら、きっと前世と同じようにこの先どこかで躓く。
生きていればそれだけ大切な人は増えていく。
その中にはゲームに登場しない、モブですらない人達も大勢いると思う。
友達が傷つくとわたしも悲しい。
守るものは自分だけじゃ足りないのだ。
バチン、バチンと頬を両手で叩いて気合いを入れなおす。
ニアちゃんは絶対に救う。友達は見捨てない。
それが前世の親友に対して、僅かでも贖罪になればいいなと思う。
そのためにわたしはとあることを、ウィン先生にお願いした。
「本気で言っていますかそれ?」
「……はいですわ」
「はあ。ほんとうにあなたって子はお人好しといいますか……まあ嫌いじゃないですよ」
彼女は驚いて一瞬戸惑っていたけれど、最後には快く了承してくれた。
◇side アザール
俺は居間にあるテーブルに拳を叩きつけた。
「ふざけやがってクソ貴族がっ!」
ヴィオレッドが去って、ため込んだ苛立ちを吐き出す。
「今頃になって手を貸すだと!? お前らがまともならニアはこうなってねぇんだよ!」
町に薬が常備されていれば、ヴィオレッドが無理に連れ回さなければ、ニアの体調不良に気がついていれば、妹が苦しむことにはならなかった。
テーブルの向こう側で、冷ややかな目つきの親父がこちらをみている。
「アザール、なにかを恨まなければ気が済まないか?」
「どういう意味だ?」
「……お前だって分かっているだろうに。たしかに、ロシュフォールは恨まれるだけのことをした。それは揺るぎない事実だ。しかし、彼女は……ヴィオレッドはそんな子ではない。普段の行いをみていれば分かるだろう?」
「……どうだかな。語る言葉と本音が違うってのが貴族ってもんだろーが」
「さっきの光景をみて同じことが言えるのか? ニアを想いあの子が流した涙が嘘だったと、お前は本気でそう思うのか?」
「……っ」
目に浮かぶのはニアに抱き着いて人目もはばからず号泣するピンク髪の少女。
親父は続ける。
「今回のことだけじゃねぇ。稽古でもアイツは貴族だからって一切甘えた真似はしなかった。妹弟子として身分関係なくお前や兄弟子達に尽くしていた。あれがお前が恨む貴族の姿か?」
「……う……せぇ」
「最近じゃ農家の畑仕事も手伝ってるとか。本人は正体を隠してるつもりらしいがな。貴族の娘が平民と一緒に泥まみれになってると噂だぜ。俺にはアイツが悪い奴にはみえねえ」
「うるせぇっつってんだろがクソ親父ぃ!」
聞きたくない。
俺はそんな言葉は聞きたくないんだ。
「母さんを殺された恨みを忘れたのか! アンタまで貴族の気まぐれに惑わされんじゃねえ!」
「体は衰えど、この目はまだ耄碌しちゃいねえ。いまのお前はただ、やり場のない怒りをだれかにぶつけたいだけだ」
「だったらどうだってんだよ! それの何が悪い!? 今更まともになったから許してやれとでも言うのか、アイツらがやってきたことを棚に上げて!」
「少なくとも、ヴィオレッドに非はない」
「子供だろうが関係ねぇ、ロシュフォールの血が穢れてるんだ!」
俺はあの女を許すわけにはいかないんだ。
一度認めてしまったらきっと……
多くの同門達と袂を分かったあの日の、仲間の言葉が蘇る。
『俺は……彼女の両親を殺せない』
もし、ヴィオレッドを認めてしまったら。
母さんの死を恨む気持ちはどこかにいってしまいそうだった。
殺された彼女の無念を晴らせずに、復讐の誓いは脆く崩れ落ちてしまう。
そんなの認めない。
無言で拳を握りしめる俺に、親父は頭を冷やせとどこかへ行ってしまった。
どのくらいそうしていただろう。
眠ろうとしても目が冴えて寝付けない。
頭の中は、苦しむ妹を心配する気持ちと、ヴィオレッドに対する、ぐちゃぐちゃに糸が絡まったような複雑な感情が交錯していた。
いつのまにか窓から差し込む月明かりは、ほのかに暖かみを含んだ朝日にうつりかわっていた。
「もう、こんな時間か」
出発の時間だ。
俺は装備を整えて道場の方に向かう。
門弟達も準備を終えており、いつでも出立できるようであった。
だが、なにやら騒がしい。
「何事だ!?」
慌てて俺が駆け付けると、全員の視線は道場の外、門から入ってくる二人の人物へと向けられていた。
それが誰か分かった時、俺は言葉を失った。
「お、おまえ」
服は破れ、全身血だらけだった。
その姿は、壮絶な戦いを物語っていた。
彼女——ヴィオレッド・ロシュフォールは、紫色の薬草を握る右手を掲げた。
「……は、はやくこれをニアちゃんに届けてくださいま……しぃ」
「ど、どうしてそれを……まさか、お前達だけで危険な夜の森に入ったのか!?」
「はぁい……ですわ」
そう言って、彼女は何故か顔を恥ずかしそうに赤らめながら、震える手で俺に凛草を渡してきたのだった。




