第九話 同じ感情
セントラル某所。
アストランの中央に位置し、『司令部』と呼ばれている場所。
室内には壁一面に巨大なモニターが設置され、アストランの全てがリアルタイムで映し出されている。
12人の監視者が席につき、無機質に端末を操作していた。
この室内に存在する人間に、立場の上下は一切ない。
全員が等しく『監視者』であり、『管理者』であった。
突如、室内に甲高い警告音が響き渡る。
『異常事態発生。個体名イヴ周辺にて、クラス5を観測』
巨大モニターにおぞましい姿の異形が映し出され、鮮血のような赤字で『警告』の二文字が点滅する。
「個体名イヴとの精神接続、極めて不安定。多大な侵食を確認」
一人の監視者が、感情の籠もらない淡々とした声で報告する。
「クラス5の反応、消失。個体名イヴ、およびカインの生命維持に問題なし」
警報が止み、モニターには『反応ロスト』の文字が表示された後、何事もなかったかのように通常の監視画面へと切り替わった。
前代未聞であるはずの『クラス5』の出現にもかかわらず、まるで全てが想定内の筋書きであるかのように、司令部は冷ややかな静寂を保っていた。
「「これでまた一つ、計画が進む。我々が……人類が勝利する日も近い」」
「「個体名イヴの侵食が収まり次第、次なる段階へと進めるとしよう」」
「「我々が――『楽園のイミテリス』を終わらせるために」」
12人の監視者たちの声は、一寸の狂いもなく重なり合い、不気味な残響となって暗い室内に静かに溶けて消えた。
◇◇◇
「……ここは? そっか、私、眠っちゃってたんだね」
横になっていたイヴがゆっくりと目を覚ました。
顔色はかなり良くなり、体調も落ち着いているようだ。
イヴは体を起こすと、先に起きていた俺と視線を合わせた。
「大丈夫か? まだあまり無理はするなよ」
「もう大丈夫だよ、ありがとうカイン。まずは司令部に報告して指示を仰がないとね」
イヴが手元の端末を操作する。
俺たちの端末には録画機能や通信機能、そして規定容量内であれば物体を収容できるストレージ機能が備わっている。
きっと司令部へ、さっきの戦いの映像データを送信しているのだろう。
「一体……あいつは何だったんだろうな。イヴは……何か知っているんじゃないのか?」
俺の問いかけに、イヴは一瞬瞳を伏せ、静かに頷いた。
「うん……。でも、今はまだ言えない。いつか必ず話すから……。今は……信じてほしい」
「……分かったよ。イヴを信じる」
分からないことばかりで正直、恐怖はある。
それでも、俺はイヴのことだけは信じたかった。
イヴと俺の間には、きっと大切な『何か』があるはずだ。
初めて会った時の感覚。何年も共に過ごしてきたかのような深い安らぎ。
これからどんな恐ろしい真実が明かされようと、俺はイヴを守りたい。心がそう強く叫んでいた。
「ありがとう、カイン。……あ、司令部から新しい命令が来たみたい。『あの工場跡を改めて調査せよ』だって」
確かに、突然の襲撃で本来の目的だった『発生源の調査』はできていなかった。
だが、あそこはイヴの霊装で跡形もなく消し去られたはずだが……。
「あいつが戻ってくる危険はないのか? 調査するにしても、一度旧市街に戻って態勢を整えた方がいいんじゃないか?」
俺の懸念に、イヴは首を横に振った。
「あれは戻ってこないよ……おそらくね。もし本当に発生源が存在するなら、私が周囲を消し飛ばした『今』が一番調べるチャンスだと思う。時間を置けば、また大量発生してしまうかもしれないから」
「体は、もう本当にいいのか?」
「うん、もう平気。ただ、霊装はしばらく使えないと思うから、戦闘はなるべく避けたいな」
心配は拭えないが、本人が大丈夫と言うのだから、これ以上止めるわけにもいかない。
それなら俺が前に立ち、少しでもイヴの負担を減らせるように動こう。
「よし、じゃあもう一度あそこに戻ろっか。一番気になるのは……あれが出てきた『地下』だね」
俺たちは再び、無残に壊滅した工場跡へと足を進めた。
確かにあいつは、地下から床を突き破って出現した。
ならば、地下に何かが隠されているはずだ。
「あそこだな。それにしても……すごい威力だったな。あんなに大きかった廃工場が、跡形もないぞ」
最初に目にした巨大な建造物は焼き尽くされ、黒く焦げた大穴だけがぽっかりと口を開けていた。
「ここが、あれが出てきた場所だね。思ったよりも深そう……気をつけて降りようか」
崩落した瓦礫に足元を奪われないよう注意しながら、二人で穴の底へと降りていく。
イデアの気配はない。ただ、冷たい風が地下の暗闇から吹き抜け、皮膚を撫でていく。
薄気味悪い空気だ。
「ここが底みたいだね。今、明かりを点けるね」
イヴが明かりを灯すと、地下空間は想像以上に広大であることが判明した。
所々にイデアの残骸が散らばり、その周囲には……土が不自然に盛り上げられていた。
「気味の悪い場所だな……。それに、この大量のイデアの残骸と盛り土。まるで……」
「……お墓、かな?」
俺が胸の中で感じていた違和感を、イヴが言葉にした。
そう……まるで仲間を丁寧に『埋葬』しているようにしか見えなかったのだ。
イデアが?
見境なく人間を惨殺するだけの機械の化物が、そんな行動をとるはずが……。
「先へ進もう。この奥に、きっと何かがあるよ」
拭えない疑問を抱えたまま、俺たちは地下の最深部へと足を踏み入れた。
奥へ進むほどに空気は冷たさを増し、まるで侵入者である俺たちを拒絶しているかのようだった。
やがて辿り着いた最奥の空間。
そこには――山のように積まれた無数の人間の骨と、一台の見たこともない異彩を放つ装置が鎮座していた。
「これは一体……。イヴ? どうかしたのか?」
「ううん……大丈夫、何でもないよ」
イヴは骨の山と装置を見つめ、痛々しいほど思いつめた表情を浮かべていた。
だがそれも一瞬のことで、俺が声をかけるとすぐにいつもの柔らかい表情へと戻った。
積まれた人骨も異常だが、この装置は一体何なのだろう。
イデアに、このような高度な機械を運用する知能が存在するというのか?
謎の装置は今なお稼働しているらしく、静かな機械駆動音を重く響かせていた。
「調べてみるね。カイン、少し離れていて」
『換装:モードD アサナシア』
聞き覚えのある機械音声が響き、漆黒と純白の二対の浮遊剣が現れる。
「おい! それだって霊装じゃないのか? 使って大丈夫なのか?」
不安がる俺を安心させるように、イヴは優しく微笑んだ。
「この霊装はまだおとなしい子だから大丈夫だよ。これくらいなら平気」
イヴが装置へ手をかざすと、漆黒の剣が一閃し、装置を切り裂いた……ように見えた。
しかし、装置には傷一つ無かった。
「どんな仕組みなんだ……? 確かに今、斬ったように見えたのに……」
「んー……説明が少し難しいんだけどね。この黒い剣は『物質』を斬ることはできないの。その代わり、目に見えない『概念』や『権限』を斬って、私の管理下に置くことができるの」
「今は、この装置のプロテクトやセキュリティ設定を切り取って、私の管理下に置いた……って感じかな。で、この白い剣はその影響を広範囲に拡散させる力があるんだけど……難しいよね?」
俺が全く理解できていないことが伝わったようで、イヴはくすりと笑った。俺は少し恥ずかしくなる。
「じゃあ……あの時、工場跡全体で使った時は何を切ったんだ?」
確かあの時は、スキャンすると言って二対の剣を地面に突き刺していたはずだ。
「あれはね、あの工場内に漂っていたイデアの『周波数』を切り取ったの。それを私の管理下に置いた上で、白の剣で索敵波として広範囲に拡散させて……簡単に言うと、ソナーみたいな使い方をしたって感じだよ、ふふっ」
首を捻る俺を見て、イヴが楽しそうに笑う。
とにかく、『何か』を切り取ってソナー代わりに索敵した、ということらしい。
「もちろん直接の戦闘にも使えるけれど、索敵程度なら代償はほぼ無いから安心していいよ」
それを聞いて胸を撫で下ろした。霊装を使った時のイヴの錯乱ぶりは、正直異常だった。
霊装と一口に言っても、性能や負担は千差万別らしい。
「……なるほどね。この装置、イデアの発生源とは直接関係ないみたい」
解析を終え、イヴが霊装を解除した。
「じゃあ、色々あったけれど、一応作戦は完了ってことか。……ちなみに、その装置は何のためのものだったんだ?」
「んー……一言で言うなら『教科書』みたいなものだよ。歴史の教科書、かな」
「歴史の教科書……? ますます意味が分からないな……」
なぜこんな地下の廃墟に、歴史を記録した装置が存在するのか。
山積みの人骨、イデアの残骸、そして墓標……。
地上に出てからというもの、常識を揺るがす出来事が多すぎて思考が追いつかない。
「……カイン。君も『あれ』に遭ってしまったし、もう隠しきれないから……一つだけ教えておくね」
イヴが、かつてないほど真面目な眼差しで俺を見つめた。
「イデアには……『感情』があるよ」
「な……んだって……?」
感情がある?
ただ無作為に人間を殺戮する、機械の化物じゃなかったのか?
だが……思い返せば、あのクラス5は確かに言葉を解し、狂気に満ちた感情を剥き出しにしていた。
「それも、私たち人間と何ら変わらないレベルの喜怒哀楽をね」
「は……はは、それじゃあ……俺たちと何も変わらないじゃないか……」
それほどの感情があるのなら、仲間を破壊されれば悲しみ、激怒し、憎悪を募らせるはずだ。
俺たちが幸福を感じるように、喜びを感じるように。
あの怪物が「お前たちを許さない」と言放った理由。
それは……仲間を殺され続けた復讐ということか?
「そうだね。……それでも、戦わなきゃ死ぬんだよ。私たちがしているのは、そういう『戦争』だから」
「そうだな……。大丈夫、覚悟はできている。俺はもう、大切な人を失いたくない。そのために戦うって決めたんだから」
俺の答えに、イヴは安心したように静かな微笑みを浮かべた。
そうだ。二度と誰も失わないために強くなると、俺は心に誓ったのだから。
「よしっ、じゃあ作戦も無事に終わったし、一度キャンプへ戻ろっか」
俺たちは来た道を辿り、地上へと復帰した。
わずかな時間地下にいただけのはずなのに、降り注ぐ太陽の光が酷くありがたく思えた。
キャンプへの帰路の途中、イヴの端末に通信が入る。
司令部からの定期通信のようだ。
『こちらセントラル。イヴ、カイン両名へ緊急の作戦指示を伝える。旧大聖堂地区にて、大規模なイデアのコロニーが確認された。現地付近にて、ネウロン部隊が待機中。座標を送信する。速やかに合流し、コロニーを壊滅させよ。以上だ』
端末のマップに新しい目的地が示される。
現在地から徒歩で半日ほどの距離。旧市街キャンプへ戻るルートからは大きく外れることになる。
「むぅ……仕方がないね。ネウロン部隊が待っているなら、向かおっか」
イヴが少し不満そうに頬を膨らませた。
こうして見ていると、俺と変わらない等身大の少女にしか見えないのだが……。
それにしても、『ネウロン部隊』か。
訓練生時代に名前こそ耳にしていたが、正規隊員の顔を数人知っている程度で、部隊長に至っては見たこともなかった。
「なぁ、ネウロンの部隊長ってどんな人なんだ?」
俺が尋ねると、イヴはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
「えー……いや、まあ……変な人だよ。すっごく強いけれど、とにかく変な人。私は正直、苦手かなぁ」
「ふーん……それって、ラババよりも変ってことか?」
俺の問いに、イヴは一瞬呆気にとられた後、耐えかねたように吹き出した。
「ぷっ……あはははは! ラババに聞かれたら怒られちゃうよー!?」
しまった、つい本音が口から滑り出てしまった。
だが、ラババは理不尽にスパルタで基本ピカピカ光っている意味不明な人物だったのは事実だ。根は良い人だし、俺の師匠のような存在ではあるのだが……。
「ネウロンの部隊長はね……『人類のために戦えること』を誇りに思っているの。それも、狂信的なまでにね。だから、ちょっと苦手なんだよね」
「そういえば……イヴって『人類のために』って話、基本しないよな」
言われてみれば、イヴの口から「人類のために」といった大層な理念を聞いたことがない。
むしろ、どこか義務感や諦めを含んで戦っているようであり、何か別の目的を秘めているようにも思えた。
「ふふっ、ただ必死なだけだよ」
……上手くはぐらかされた気がする。
「ほらほら、行くよー。 あんまり待たせると、うるさいからね」
イヴはそう言って、先を歩き出した。
目的地へ向かう道中、数体のイデアと遭遇したが、幸いにもクラス1ばかりだった。
先行しているネウロン部隊が破砕したと思われる残骸が転がっており、先回りして掃除してくれたらしい。
あの誰に対しても天使のように優しいイヴが「明確に苦手」と言い切る部隊長。
一体どのような人物なのだろうか。
しばらく歩くと、巨大な旧大聖堂のシルエットが僅かに見えてくる。そこから少し歩いた広場に、ネウロン部隊と思われる兵士たちがキャンプを設営していた。
「私はイヴ。セントラルからの指令で来たけれど……ジャンバはいる?」
イヴが近くにいた若い兵士に声をかける。
ジャンバ、というのがその部隊長の名前だろうか。
兵士が口を開くより早く、キャンプの奥から一人の大男がドカドカと歩み寄ってきた。
強烈な威圧感と、存在感。
イヴほどではないにせよ、一目で「人外の領域に近い強者」だと分からせる空気を纏っていた。
「よぉ……イヴ。お前の手なんざ借りねぇって、司令部には言ったんだがなぁ?」
「やあ、ジャンバ。相変わらず元気そうだね。君の手には余るから、私たちが呼ばれたんだと思うよ?」
大男の威圧的な視線を真っ向から受け止めながら、イヴは冷ややかな瞳で淡々と突き放した。
「へっ……相変わらず可愛げのねぇ口を叩く。せっかくの良い顔が台無しだぜ?……なぁ、イヴ?」
ジャンバと呼ばれた大男は、下品な歪んだ笑みを口元に浮かべた。
イヴが言っていた意味が、痛いほど理解できた。
俺もこいつのことが生理的に無理だ。酷い虫唾が走る。
イヴの瞳にも、見たこともないほどの冷徹な蔑みが宿っていた。
これが――俺とネウロン部隊隊長、ジャンバとの最悪の出会いだった。




