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楽園のイミテリス  作者: 十 名鈴
第一部
8/27

第八話 約束の場所

雷を伴った雨は、夜が明ける寸前まで降り続けた。


日が昇り始めて少し経った頃、俺はゆっくりと目を覚ます。

いつの間にかあのまま眠ってしまっていたらしい。

イヴはもう起きたのだろうか、姿が見えない。

……少し情けない姿を見せてしまったな。準備をしてイヴを探しに行こう。


外に出るとすっかり雨は上がり、澄み渡った空に大きな虹がかかっていた。


「おはよう、カイン」


イヴは俺と目が合うと、優しく微笑んだ。


「おはよう。昨日は……ありがとう。もう、大丈夫だ」


「そっか……。それなら良かったよ」


俺の言葉に、イヴはただ静かに深く頷いてくれた。

きっと気を利かせてくれているのだろう。

彼女の方がきっと、俺なんかより遥かに多くのものを失ってきたはずだ。俺もいつまでも立ち止まってはいられない。前に進まないと。


「準備が済んだら出発しよっか。少し寄っていきたい場所があるんだ」


「ああ、分かった。すぐに済ませるよ」


屋内に戻り、装備と荷物を整える。

目的地は、この荒野を抜けた目と鼻の先だ。


俺にはまだまだ力が足りない。

もっと、もっと強くならなければ。

この作戦を乗り越えれば、少しは強くなれる気がする。

二度と、誰も失わないために。



「お待たせ、イヴ。寄り道したい場所って、一体何があるんだ?」


「それは着いてからのお楽しみだよ。ほら、行こう、カイン」


イヴはいたずらっぽく笑うと、くるりと向きを変えて歩き出した。

そんな彼女の姿を見て、俺の口元にも小さな笑みがこぼれる。

昨日の凄惨な雨が嘘のように、空は快晴で、少し汗ばむほどに天気が良い。

イヴの綺麗な金髪が、眩しい太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。


「ここを降りたところだよ。足元に気をつけてね」


荒野を抜けると、崩落した地下鉄の入り口が現れた。

どうやらこの下がイヴの寄りたい場所らしいが、一体何があるというのだろうか。


「結構暗いな。……ん? この光は……」


薄暗いトンネルを進んでいくと、奥から淡い光が漏れ出していた。

その先へと踏み出した瞬間、俺はその光景に息を飲んだ。



「ふふっ、ここ、私のお気に入りなんだ。どうしてもカインに見せたくてさ」


開けた地下空間に、見渡す限りの美しく咲き誇る花畑が広がっていた。

壊れた天井の亀裂から一筋の太陽光が差し込み、何とも言えない幻想的な空間を作り出している。

頭上からの光が花弁に反射し、まるで地面に星屑を撒き散らしたかのように眩しく輝いていた。


「これは……すごいな……」


「この花はね、特定の場所でしか咲かないんだ。私は心が折れそうになった時、ここに来るの。『いつかみんなにこの場所を見せられるように頑張ろう』って、前を向けるから」


「ほら、こっち来て」


イヴに手を引かれ、花畑の中央へと歩を進める。

真上からの光に包まれていると、まるでこの世界に二人きりしか存在しないような錯覚に陥る。


「ありがとう……イヴ。ここに連れてきてくれて」


向かい合い、素直な感謝を伝える。

イヴは愛おしそうに優しく微笑み、俺の頬へとそっと手を伸ばした。


「これからも、何かを失うことがあるかもしれない。君が歩く道は、きっと辛いことばかりかもしれない。……でもね」


「世界が敵になっても、何もかもを失ったとしても……私だけは、ずっと君のそばにいるから。約束だよ」


その言葉に、涙が頬を伝う。


「カインってさ……意外と泣き虫だよね?」


イヴはくすくすと、からかうように笑う。


「ははっ……そうかもな。俺、強くなるよ。大切な人を守れるように」


「そうだね……。うん、君なら大丈夫だよ。なんせ、私が選んだ人なんだからね!」


二人で顔を見合わせ、声を合わせて笑い合った。

滅びかけた世界にいることすら忘れてしまうほど、満ち足りた穏やかな時間が流れる。

大切な人を守るために。何があっても、この手でイヴを守り抜くために、俺は強くなる。

もう二度と、失わないために――。


俺も、この場所を忘れない。

すべての戦いが終わったら、またイヴと二人でここへ来よう。

この、約束の場所に。


「よしっ、じゃあそろそろ行こっか。きっと激しい戦いになる。絶対に生き残ろうね、カイン」


「ああ。行こう、イヴ」



二人で花畑を後にした。

地上へ出ると太陽は真上に昇っており、眩しさに思わず目をかざす。

目的地の場所は、もうすぐそこだ。

ホログラムで確認した、限りなくクラス4に近いクラス3イデア。

不安がないと言えば嘘になるが、今の俺の心はそれ以上に満たされていた。



「見えた。あそこが目的地の工場跡だね。一旦、ここから様子を確認しよっか」


視界の先に、映像で見た通りの廃工場がそびえ立っていた。

思っていたよりも広大な敷地だ。

確か映像では、大量のクラス1の中心にクラス3が陣取っていたはずだ。

……おかしい。見渡す限り、何の異変もないただの静まり返った廃墟にしか見えない。


「報告と違うね……。イデアの姿が一体も見当たらない」


イヴも異変に気づいたようで、眉をひそめて考え込んでいる。

不測の事態ではあるが、敵がいないのは好都合とも言えるはずだ。


「確か……作戦概要ではイデアの発生源があるかもしれないんだったよな? イヴ、どうするんだ?」


イヴはしばらく沈黙した後、意を決したように答えた。


「そうだね……。イデアがいないのは逆に不気味だけど、中に入って探るしかないね」


「……中に入る前に、私の『霊装』について伝えておくね」


霊装……そういえば、詳しくはラババから聞いたのだったか。


「霊装には代償があってね。大きな力を引き出すほど、自身が侵食されてしまうんだ。前までは平気だったんだけど……ここ数日で、急激に侵食が進み始めていて」


声が聞こえるとか言っていた、あの代償か……?


「だから、私の霊装はあくまでクラス3以上が現れるまで温存しておきたい」


なるほど……つまり、クラス1と2は俺の仕事というわけか。

クラス2までなら、今の俺の腕でも十分に対処できる。


「出力をかなり抑えた状態なら使えるけど、基本はサポートに回らせてもらうね。その代わり、いざという時は私に任せて」


「分かった。俺に任せてくれ」


作戦をまとめ、俺たちは静かに工場跡へと接近した。

イデアの気配は未だに一切感じられない。

映像であれほど群がっていたというのに、一匹足りとも見当たらない。

あまりにも静まり返りすぎていて、薄気味悪い。


「気をつけてね、カイン。嫌な予感がする……」


俺が前衛に立ち、後ろからイヴが周囲に警戒の目を配るフォーメーションで侵入する。

工場跡に一歩足を踏み入れた瞬間、まるで一気に夜になったかのような冷酷な空気が肌を刺した。



「それにしても、静かすぎるな……」


「ちょっと待ってね、スキャンしてみる。……ただ、こちらの位置も敵に感知される可能性があるから備えてて」



『換装:モードD アサナシア』


イヴの端末から無機質な機械音声が響き、眩い光が溢れ出す。

彼女の全身が純白を基調とした洗練されたアーマーに包まれ、二対の漆黒と純白の刃が宙に浮遊した。


「ふぅ……。大丈夫、これくらいなら問題ないから」


俺の心配を察したのか、イヴは優しく微笑んで見せた。

浮遊していた剣が地面へと力強く突き立てられ、不可視の波形が一瞬で工場跡全体を駆け抜ける。


「近くにイデアはいないみたい。……え? なに……これ……?」


突如、イヴの額に痛々しいほどの汗が滲み出た。


「どうしたんだ!? 何かあったのか!?」


「まさか……そんな……っ! 地下に……何かいる……!」


地下……?

これほどまでに激しく動揺しているイヴを見るのは初めてだった。

一体、地下に何が存在するというのだ。


「……ッ! まずい! こっちの位置がバレた!!」



イヴが叫んだ瞬間、俺たちの直下の床が爆発的に盛り上がり、激しく裂けた。

舞い上がった膨大な土煙によって視界が遮られる。

ゆっくりと煙が晴れていく中……そこには、見上げるほど巨大な『何か』がこちらを見下ろしていた。



それはあまりにも禍々しく、おぞましい姿をしていた。

核であるコアの部分には、苦悶に歪む大量の人間らしき顔面がびっしりと埋め込まれており、引きずるほど巨大な金属の腕からは、数え切れないほどの人間の手足パーツが生え出ていた。



「な……なんだ、これは……」


今まで経験したことのない圧倒的な圧迫感と存在感。

全身の毛穴から血が吹き出しそうなほどの、純粋な『憎悪』が叩きつけられてくる。


『ア……ギギギ……』


目の前の不気味な巨大躯体から、言葉のようなものが漏れ出した。

最初は不快な金属摩擦音に過ぎなかったそれは、次第に明確な言葉として脳に響き始める。


「オ、オマエタチ……ハ……。フフ……はははは。ああ……気持チがイイ。ハじめまして……『楽園のイミテリス』たち」


何なんだ、こいつは……。

言葉を話すイデア……? そもそもこいつは、本当にイデアなのか?

狂気的な威圧感に、呼吸することすらままならない。


「クラス5……! カイン、こいつの言うことに耳を傾けちゃダメ!!」


「ぐフっ、グははは! オ前たちは許サレない。我々ハ……お前タちを許スことはナイ! お前たちノ罪……ソレは……」



「黙れ黙れぇぇッ!……カイン! 動ける!?」


一体何が起きているのか理解が追いつかない。

あいつの吐き捨てる言葉も、これほど過剰に感情を爆発させるイヴの姿も。

イヴは……何かを知っているというのか?

いや……今は考えるな!

ただこの絶望的な場を切り抜け、二人で生き残ることだけを考えろ!!


「ソの女は……原罪。ふフ、ふははハハ! 我の体ハまだ完成してイない。まタ会おう……『楽園のイミテリス』たちヨ」


巨大な異形はそう言い放つと、工場の巨大な天井を容易く突き破り、一瞬のうちに空へと姿を消した。

あいつがイヴに向けて放った言葉……『原罪』。

そして……『楽園のイミテリス』。

ダメだ、頭が乱れて思考がまとまらない。


「カインッ! しっかりして! イデアたちが来るよ!」


怪物が穿った巨大な穴から、おびただしい数のイデアが湧き出してくる。

くそっ……考えている場合じゃない!

今はイヴと共に生き残ることだけを優先しろ!


「イヴ! 俺が退路を切り開く! 霊装はまだ使わないでくれ!」


押し寄せてくるのはクラス1と2ばかりだ。

この数なら、今の俺の力で十分に押し通れる。

霊装の代償がどれほどのものか分からない以上、あいつが戻ってくる可能性も考慮してイヴの力は温存させるべきだ。


俺は刀を固く構え、真っ直ぐに駆け出した。

迫り来るイデアの群れを、次々と一刀両断にしていく。

あの悪夢のような異形に比べれば、この程度の敵など恐怖すら感じない。


「カイン! 数が多すぎるよ! 包囲を抜けたら、私が一気に霊装で片付ける!」


底が抜けたかのように、次々と穴から湧き出るイデア。

くそっ……それしかないのか。

あと少しで包囲を突破できる!


「あああああッ! イヴ、抜けたぞ!!」


俺が最後の数体を叩き斬って道を開いた瞬間、イヴが振り返り、霊装を取り出す。


「カイン、伏せてて! あとは私に任せて!」



『換装:モードC メテオロ・アクロモス』


かつて目撃した、巨大な概念兵器のような狙撃銃型霊装を構えるイヴ。

大砲のような銃口に、世界を塗り替えるほどの眩い高エネルギーが収束されていく。

直後――目の前の視界全てを焼き尽くすほどの、極大の光線が解き放たれた。


その圧倒的な破壊の光は、群がる大量のイデアを一瞬で蒸発させ、背後にそびえ立っていた巨大な工場跡すらも跡形もなく吹き飛ばした。



「はぁ、はぁ……ッ! ごめんね……ごめんね……っ!」


イヴがその場に膝をつき、激しく頭を抱えてうずくまる。

その様子はあまりにも異常で、目に見えない何かに怯えるように、必死に謝罪を繰り返していた。


「大丈夫か……!? 例の『代償』なのか!?」


慌てて駆け寄り、イヴの華奢な体を支える。

その身体は恐ろしいほどに小さく、人類の希望という重圧を背負わせるにはあまりにも幼すぎた。


「はぁ、はぁ……ふぅ。ありがとう、カイン。もう……大丈夫だよ」


イヴは少しずつ呼吸を整えると、霊装を解除した。

大丈夫だと口では言ったものの、その顔色は土気色で、今にも倒れてしまいそうだった。


「霊装の力が……想定よりも出すぎちゃったみたい。でも、大丈夫だから。カイン、怪我はない……?」


こんな惨状の中でも、真っ先に俺の身を案じるイヴ。


「俺は大丈夫だ。イヴのおかげだよ。……どこかで休もう。今襲われたら危険だ」


俺はイヴの体を優しく支えながら、ゆっくりと歩き出した。

イヴの放った壊滅的な一撃のおかげか、幸いなことに道中でイデアに遭遇することは一度もなかった。



しばらく歩き、かつて人類が暮らしていたと思われる、廃墟と化した住宅街へと辿り着いた。

日は完全に落ち、あたりは深い闇に包まれている。


崩れかけた一軒家に入り、横になれそうな場所にイヴを優しく寝かせた。

イヴは極度の疲労と精神的負担からか、横になるとすぐに深い眠りへと落ちていった。



あいつが吐き捨てた謎の言葉。

『楽園のイミテリス』、『許さない』、そして……

イヴを指して放った『原罪』。


それが一体何を意味しているのか、今の俺には何一つ分からない。



イヴは……間違いなく何かを知っている様子だった。

けれど、俺はイヴを信じたい。

これからどんな恐ろしい真実が俺たちを襲おうとも、俺はイヴを信じる。



ザ……ザザー……ザ……


『君が……無事で……良かったよ』


突如、脳裏に直接響き渡る謎の声と、途切れた断片的な記憶の映像。

割れるような激痛に襲われる。


「はぁ、はぁ……っ! これは……一体、何なんだ……! 俺と……イヴは……っ」


答えが出るはずもなく、俺はそのまま意識を失うように深い眠りへと倒れ込んだ。


その夜――夢の中で俺が見たのは、見渡す限り並ぶ巨大な水槽と、そのガラスの向こうで何かを絶叫している自分自身の姿だった。





***



7996年 ■■月■日


■■■より、特定秘匿レベル2に関する情報開示申請を確認。

担当者 ■■■、上記申請を許可。


セントラルより、特定秘匿レベル2に関する情報開示。



【概要】


『霊装』

特定クラスのイデアコアを使用した機装をベースに、試験的運用を開始。


一部の適合個体において、適合率が90%を超える事例が発生。

その際、従来の機装とは一線を画す絶大な破壊力を観測。


コアエネルギーが想定を超えて、適合者の■■および■■■■の現象が確認されている。


現時点での霊装適合者は二名。


個体『イヴ』:複数機の霊装に対し適合。

ただし、霊装を使用するたびに、■■■■による精神への侵食現象を確認。


ある一定の水準を超えた場合、侵食が加速度的に進行。

その際、■■■■■■■■■■■■の危険性が生じる。



現在、開示可能な秘匿情報は以上。



■■■より、個体『イヴ』に関する情報開示申請。

――本申請を却下。



7996年 ■■月■日

担当者 ■■■ ■■

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