第七話 失われるもの
今日もキャンプの硬いベッドで目を覚ます。
もうすっかりこの硬さにも慣れ、むしろ寝心地が良いとさえ感じていた。
身体を起こし、身支度を整える。
今日、俺とイヴはこの旧市街キャンプを発つ。
広場に向かうと、イヴがベンチに腰掛け、じっと空を見上げていた。
「おはよう、イヴ。いつの間に帰ってきてたんだ?」
「おはよ。夜中かな? 大丈夫、ちゃんと寝たよ」
どうやら俺たちが寝静まった後に帰ってきたらしい。無事で安心した。
「今日でこことも一旦お別れだね。どう? ここに来て得るものはあった?」
イヴの問いかけに、俺は深く頷いた。
「ああ、かなり成長できた気がするよ。まだまだイヴには追いつけそうにないけどな」
俺の答えに、イヴは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ふふっ、大丈夫だよ。君はもっともっと強くなれるよ。私なんて、すぐ追い抜かれちゃうかもね」
本当にそうなれたらいいと思う。
昨日のラババの話には驚かされたが、俺ももっと強くなるという決意はさらに固まっていた。
「今夜、日が沈んでから出発するからね。目的地はここからかなり遠いから、準備はしっかり済ませないとね」
「確か、夜の方がイデアの数が少ないんだったな?」
イヴによると、イデアは日が落ちると活動数が減り、発見されるリスクが低くなるらしい。
理由は不明とのことだが、リスクが少ないに越したことはない。
「じゃあ、会議室に向かおっか。多分、もうみんな集まってると思うよ」
イヴと二人で会議室へ向かった。
殺風景な室内の中央にはホログラム装置があり、それを取り囲むように円形の机が設置されている。
すでにアルヴァル、ラババ、ルジュの他、数人のメンバーが集まっていた。
「みんな、集まってくれてありがとうね。私とカインが通過するルートと、目的地の情報を再確認しよっか」
中央のホログラム装置に、巨大な工場跡のような立体映像が映し出される。
「私たちが目指す場所はここ。司令部からの作戦概要によると、この場所から大量のイデアが発生している可能性があるみたい」
「その件についてラババに現地調査をお願いしていたんだけど、どう? 何か新しい情報はあったかな?」
イヴが問いかけると、ラババは自身の端末を操作し、現地で撮影してきた映像を同期させた。
「情報通りだったわよん。嫌な気配がしたからあまり近寄れなかったけれど……ここを見てちょうだい」
ラババが示指したホログラム映像には、おびただしい数のクラス1が、何かを中心に不気味に蠢いていた。
「これは一体何なんだ……? 中心に何かがいるような……」
俺の問いかけに、ラババが即座に答える。
「クラス3よ。それも……ほとんどクラス4に近いと思うわん」
「……よく帰ってこられたね、ラババ」
ルジュが抑揚のない声で呟くと、ラババは誇らしげに胸を張った。
「あはんっ! だぁれだと思っているのかしら! ……でも、これは危険よ。司令部もまた無茶な命令をしてきたわね……イヴちゃん」
「大丈夫だよ、ありがとねラババ。これの対策は、道すがらカインと考えておくよ。それじゃあ、ルートの確認もしよっか」
……不安しかない。
クラス3、しかもほぼ4に近い存在。
イヴはともかく、今の俺にどうにかできるのだろうか……?
いや、ダメだ! 弱気になるな。何のためにあれほどラババに鍛えられたと思っているんだ。
相手がどんなクラスだろうと、人類の未来のためには戦うしかないんだから。
「比較的安全なのは、この自然公園跡を抜けるルートよ。基本クラス1しか見なかったし、いても数体のクラス2だから、二人なら問題ナッシングよ」
ホログラム映像に目的地までのルートが赤く示される。
広大な自然公園跡を抜け、荒野を渡ったさらに先。距離にして約110キロメートル。
「結構遠いな……。移動手段はどうするんだ?」
俺の質問に、アルヴァルが豪快に答えた。
「もちろん徒歩だぞ! 奴らは乗り物なんかの動力音に寄ってくる習性があるからな。特にクラス1はすぐ群がってくる」
「アルヴァルの言う通りだよ。私とカインの二人だけだし、乗り物だと奇襲された時に対応が遅れちゃうからね。焦っても仕方ないし……デートだと思ってゆっくり歩こっか」
デート……。
重大な作戦前だというのに、少し心臓が跳ねてしまった。
「あ……カイン。……照れてる」
「そ、そんなことないって! 変なこと言うなよ、ルジュ!」
恥ずかしさのあまり、強く反応しすぎてしまった。
それを見たみんなが、どこか温かい表情で笑っている。
「ふふっ、冗談はさておき。今回の最終目的を確認するね。工場跡での調査、およびイデア発生源が確認できた場合はその破壊と周辺のイデアの殲滅」
「特に、この中心にいる個体は完全に破壊しておきたいかな。放っておくのはマズい気がするんだ」
イヴは真剣な眼差しで映像を見つめていた。
「出発までに、装備と荷物の確認を済ませておかないとね。みんな、よろしくね」
イヴの言葉に、全員が力強く頷いた。
本当に頼もしい仲間たちだ。今日で一度お別れだと思うと、急に寂しさが込み上げてくる。
その後、アルヴァルに装備の最終調整をしてもらい、ラババには最後の稽古をつけてもらった。
最後の最後まで容赦のないスパルタだったが、そのおかげで確実に強くなれた。
そしてルジュは、ボコボコにされた俺の傷をいつも通り手際よく治療してくれた。
次にみんなに会う時は、もっと強くなった姿を見てもらおう。
日が沈み始め、俺とイヴは旧市街キャンプから出発した。
「みんな、本当にいい奴らだったな。ありがとう、イヴ。俺を『外』に連れ出してくれて」
「でしょ? 無事に戻ってこないとね。お礼を言うのはまだ早いよ? これからもっともっと、たくさんのことを教えてあげるからさ」
イヴはふふっと優しく微笑み、俺に手を差し出してきた。
俺はその手を取り、暗くなり始めた夜道を歩き出した。
二人の旅路を、月光が静かに照らしていた。
旧市街キャンプを出発して二日。
俺たちは自然公園跡を抜け、広大な荒野へと足を踏み入れていた。
空は重い雨雲に覆われ、急速に薄暗くなっていく。
「んー、これは降ってきそうだね。少し急ごっか。もう少し先に、雨を凌げそうな場所があるみたいだから」
俺たちはペースを上げ、荒野を突き進む。
……この景色、なぜか見覚えがある。
初めて来たはずなのに、脳の奥底で薄ぼんやりと情景が浮かび上がるのだ。
その時――どこか遠くから激しい衝突音が響いてきた。
「これは……誰かが戦っているね。見に行ってみようか」
一体誰がこんな場所で?
俺とイヴは音の発生源へと疾走した。
しばらく走ると、すぐにその光景が目に飛び込んできた。
数名の男女が、複数体のイデアに囲まれている。
包囲しているのはクラス1とクラス2。
囲まれている男女の動きは不十分で、全滅するのも時間の問題に見えた。
「あれは……訓練生たちだね。こんなところで何をしているのかは分からないけれど、助けに行こっか」
訓練生……?
まさか、最終試験の実戦訓練なのか?
こんな危険な場所で……教官の姿も見当たらない。
それにしても、あいつら……どこかで見覚えが――。
「ッ……!? まさか、アサヒとコウタか!?」
囲まれていたのは、アサヒとコウタだった。
そしてその周りにも、訓練校で見かけた顔ぶれがいた。
イデアたちは今にも一斉に襲いかかろうとしている!
「カイン! 私が……ッ! こんな時に声が……っ!」
「間に合えぇぇぇッ!」
俺は一気に地を蹴った。
いける、今の俺なら!
二週間前とは比べものにならない速度で距離を詰める。
しかしその瞬間、イデアたちが訓練生たちへ一斉に群がった。
アサヒとコウタが俺の存在に気づき、視線が交差する。
俺は手を伸ばした。
あと少し、ほんのあと少し――!
「こっちだ機械ども! 俺が相手だ! こっちに来い!!」
必死に声を張り上げる。
だが、その叫びは虚しく掻き消され、イデアの群れは俺など意にも介さず、二人を、訓練生たちを完全に呑み込んだ。
イデアたちが、かつて人間だった『何か』に一心不乱に群がっている。
降り出した激しい雨によって、黒く濁った油と赤い液体が大地を伝って流れていく。
「あああああぁぁぁぁぁッ!!!」
俺は喉が裂けるほどの咆哮を上げ、群がるイデアたちへ斬りかかった。
すべてが終わった時、周囲には大量のイデアの残骸だけが転がっていた。
ぬかるんだ土の匂い、焦げ付いた油の臭い、そして濃密な血の匂いが鼻腔を激しく刺す。
「はぁ、はぁ……何が『強くなった』だ……!
俺は……俺はッ……!」
「……カイン」
イヴは何も言わず、雨の中で冷え切った俺を優しく抱きしめた。
俺はその腕の中で声すら出せず、ただ静かに涙を流し続けた。
「……ありがとう、イヴ。俺……甘かった。ただ『人類のため』なんて戦って、その裏で失われていくものがあるなんて、考えようともしなかった」
「そうだね、カイン。これが『楽園の外』だよ。得るものより……失うものの方がずっと多い」
そうだ。俺たちは、ずっと戦争をしているのだ。
数百年間、人類の命を奪い続けてきたイデアとの戦争を。
俺はただ戦えることの栄光ばかりに目を奪われ、現実を見ていなかったのだ。
「……行こう、カイン。体が冷えちゃうよ」
「ああ……そうだな。アサヒ、コウタ……こんな場所で悪いけど、ゆっくり眠って俺たちを見守っていてくれ。必ず……終わらせるから」
二人の遺品をぬかるんだ土の深くへと埋め、使っていた武器を墓標のように突き立てる。
約束する。絶対にやり遂げるから――。
俺たちは二人の墓標に背を向け、再び歩き出し
た。
雨足はさらに強まり、遠くで雷鳴が轟いていた。
激しい雨の中をしばらく歩くと、荒廃した大きな建造物が視界に入った。
「今日はあそこで休もう。この雨の中を移動し続けるのは危険だしね」
建造物の内部は荒れ果てていたが、雨風を凌ぐには十分すぎる構造だった。
かつて人類が使用していた拠点なのだろうか。
「服……脱がないと風邪引いちゃうよ。簡易キャンプを出すね、少し待ってて」
イヴが端末から機器を取り出し操作すると、一瞬で簡易的な居住設備が展開された。
「ほら、カインも着替えて。アルヴァルが端末にデータを送ってくれてるから」
イヴが端末を操作すると、淡い光が全身を包み込み、一瞬で乾いた服へと着替えることができた。俺も同じように着替えを済ませる。
「ごめんね……容量が足りなくて、ベッドは一つしか用意できなかったんだ」
「……こっちに来て、カイン。冷えちゃうよ」
イヴに手を引かれ、狭いベッドに入る。
「辛かったね……。今日はゆっくりおやすみ、カイン」
イヴの温かい腕の中で、優しく抱きしめられる。
その温もりに、堪えていた感情が溢れ出してしまう。
俺は止めどなく溢れる涙を抑えることができず、彼女の胸の中で子供のように泣き続けた。
イヴは何も言わず、ただ静かに俺の頭を撫で続けてくれた。
「カイン……。あの二人はね……。ううん、何でもないや。おやすみ、カイン」
意識が薄れていく寸前、イヴが何かを呟いた気がした。
それが何だったのかを考える余地もなく、俺はそのまま深い眠りへと落ちていった。
◇◇◇
同時刻――アストラン『セントラル』最深部。
広大な地下空間。
見渡す限りに整列した大量の円筒状装置から、床を覆い尽くすほどのケーブルが伸び、中央に鎮座する巨大な構造体へと接続されている。
『ネウロン所属訓練生、4名の生命反応停止を確認』
中央の構造体から、無機質な機械音声が響き渡る。
『死因:イデアによる生体損壊。個体回収を開始。損壊率は著しく高いが、回収可』
暗闇の中に整列した数個の装置に、青白い光が灯る。
培養液のような謎の液体が、勢いよく容器を満たしていく。
『現在の総人口:7万8405人。17時間後、総人口7万8409人への回帰予定』
液体で満たされた装置の表面には、使い込まれた刻印が刻まれていた。
磨耗し一部が欠けているが、辛うじてその名を読み取ることができる。
『イーストシティ在住 訓練生:アサヒ』
『イーストシティ在住 訓練生:コウタ』
二人の名が刻まれた装置の液体の中で、揺らめくように小さな小さな『何か』が浮遊していた。




