第四十五話 二人だけの楽園
約束の花畑は、以前とは少し違っていた。
天井が大きく崩落し、瓦礫が積み上がって一本の巨大な樹のように見えている。
その隙間から差し込む光が、花畑の中央を柔らかく照らしていた。
カインはイヴを背負ったまま、ゆっくりとその根本へと歩いた。
白い花びらが風に舞い上がり、二人を包むように舞う。
足元の花が靴の裏で小さく軋み、香りがかすかに広がっていく。
「……疲れたな」
カインがぽつりと言うと、背中のイヴが小さく笑った。
「……うん。……眠ろっか」
それ以上の言葉は、必要なかった。
カインは慎重に膝をつき、イヴを抱きかかえたまま、樹の根本に腰を下ろした。
背中を瓦礫のざらついた感触に預け、イヴを胸に抱き直す。
イヴはカインの胸に顔を埋め、静かに目を閉じた。
その呼吸は浅く、途切れ途切れだった。
カインもまた、ゆっくりと瞼を下ろす。
「なぁ……イヴ」
「……なぁに……カイン」
もう痛みは感じなかった。
二人の表情からは苦痛など一切感じず、穏やかな表情を浮かべる。
「俺と……出会ってくれて……ありがとう」
「辛いこともいっぱいあった……」
カインがイヴの髪を優しく撫でる。
指に触れた髪が、いつの間にかオレンジから、かつての美しい金色へと戻っていることに気づく。
絹のように滑らかで、光を帯びてキラキラと輝いていた。
「だけど……幸せだったよ」
イヴは小さな手でカインの手を握りしめ、僅かに微笑む。
その瞳も、琥珀色に戻っていた。透明な涙が、静かに頬を伝う。
「……わたしも……だよ」
カインは、その変化をただ静かに受け止めた。
もうレプリカでも、計画の産物でもない。ただの、一人の人間としてのイヴ。
「……約束、覚えてるか」
「……うん」
「この場所に、また二人で来ようって。……やっと、守れたな」
イヴは小さく頷き、カインの胸に顔を寄せる。
「きっと……何回出会っても……イヴのこと好きになる」
「違う世界でも……知らない物語でも……」
「何度も……何度でも……」
ただ静かに言葉を紡ぐ。
「……なぁ……イヴ……」
「……なぁに……」
「……大好きだよ……イヴ」
イヴはいたずらっ子のような可愛らしい笑みを浮かべる。
これまでのどんな彼女よりも美しい表情だった。
「……ふふっ……知ってる……」
「……私も……大好きだよ……カイン……」
カインは胸の上のイヴを優しく、優しく抱きしめる。
もう言葉はいらなかった。
この幸せを言葉にできるはずがなかった。
「おやすみ……イヴ」
「おやすみ……カイン……」
光が二人を包んでいる。
花畑に差し込む日差しが、瓦礫の樹の隙間から落ちてきて、まるで二人だけを照らしているようだった。
もう、誰の計画でもない。
監視者も、オリジナルのイヴも、物語の作者さえも、ここにはいない。
ただ、二人だけの時間が、静かに流れていく。
カインの腕の中で、イヴの体温がゆっくりと馴染んでいく。
一つになるように、二度と離れることがないように。
痛みも、疲労も、すべてが遠ざかっていく。
二人は、目を閉じたまま静かに眠る。
約束の場所で、ただ寄り添いながら静かに。
生命の樹を模した瓦礫の下で。
カインとイヴは、本当の楽園にたどり着いた。




