第二十八話 世界の答え
この日、アストランは終わりを迎えた。
百余年にわたり続いた偽物の楽園は、二人のイヴとイデアが撒き散らした憎悪に呑み込まれ、跡形もなく消滅した。
レプリカを生み出し続けてきたセントラルは瓦礫の底へと沈み、偽物の世界で「人間」になろうと画策した監視者たちもまた、その波動に呑まれて潰えた。
逃げ惑う数万の住人たちのうち、過半数が抗う術もなく凄惨な殺戮の犠牲となった。
生き残ったレプリカたちに、救いは残されていない。
機装を持たぬ彼らは、理由も解らぬまま死の恐怖に怯え、外の世界へと逃げ惑う。
イデアの群れは、そんな哀れな獲物を追うように世界へ拡散していく。
イヴの霊装によって共有されたクラス5の憎悪に従い、レプリカをただ一人残さず屠るために。
自分たちこそが真の人間であると証明するかのように、無慈悲な蹂躙が繰り広げられた。
「いや……助けて、死にたく──」
届くはずもない悲鳴を置き去りに、レプリカたちは群がるイデアに貪られ、散っていく。
初めて踏み出した外の世界。
逃げ場所など知る由もない彼らは、溢れ出る怨嗟の濁流へと呑み込まれていった。
──そして。
憎悪と狂気が世界を塗りつぶそうとしたその瞬間、大地が狂ったように鳴動した。
天を揺るがす地鳴り。
空気も、水も、生命の区別すらなく全てを等しく引き裂く惨禍。
裂け目を見せた巨大な亀裂へ、イデアもレプリカも区別なく落ちていく。
かつて廃墟と呼ばれた街も、アストランの残骸も、大地の怒りによって破滅へと向かっていく。
セントラル跡地もまた、例外ではなかった。
崩落した瓦礫の山が激しく揺れ、地表が割れる。
その中央──鮮血の池の真ん中で、横たわる二人は眠るように静まり返っていた。
やがて、ゆっくりと揺れが収まっていく。
6000年前。
人類は地球の自浄作用とも言える凶悪なウイルスにより、生身の肉体を捨てて機械化することを余儀なくされた。
人類を絶滅させるためだけに地底から吹き出した絶望。
それは悠久の時を経て沈静化し、完全に終息したはずだった。
だからこそ、機械化された人類は5400年の眠りから目覚め、崩壊した精神のままレプリカを襲い始めたのだ。
──だが、悪夢は終わっていなかった。
人類を滅ぼそうとしたそれは、決して諦めてなどいなかったのだ。
地の割れ目から、蒸気のような白い煙が噴き上がる。
かつて人類を極限まで追い詰めたレプリカウイルス。
6000年という永劫の刻の中で、それは更なる進化を遂げていた。
生き残った全てを、今度こそ確実に死へと導くために。
世界に広がっていく死の厄災。
それはレプリカもイデアも関係なく、生命の系譜そのものを拒絶する毒となっていた。
突如、一体のイデアが激しく苦しみ出し、全身からどす黒い油を撒き散らして崩落した。
ウイルスから逃れるために機械の肉体を得たはずの人類。
起きるはずのない事象が、目の前で刻まれていた。
本来、ウイルスは『完全な人間』でなければ発症しない。
だが、イデアの核となる「コア」には、人間の生体情報が色濃く残されている。
さらに、逃げ延びたレプリカたちが次々と血を吐き、断末魔を上げて肉塊へと変わり果てていく。
6000年の時を超えて進化を果たしたウイルスが導き出した答え。
それは──『不完全なる存在』の全否定。
機械の体に人間のコアを宿す不完全なイデア。
人間の肉体を不完全な状態で模造したレプリカ。
『人類』という種に連なる全ての不完全を滅ぼす殺戮機構。
人類の抗いなど、最初から無駄な悪あがきに過ぎなかったのかもしれない。
世界が、急速に終末の静寂へと包まれていく。
◇◇◇
──セントラル最深部跡。
裂けた地表から吹き出す膨大な蒸気が、やがて静かに引いていく。
見渡す限りの瓦礫の中、唯一、崩落を免れて点滅を続ける装置があった。
かつて楽園計画を統括するために置かれた制御システム。
半壊したモニターには、ノイズに混じって不規則な文字列が走っていた。
『ザ……ザザ……楽園計画……起動……不可。個体名カイン……イヴ……生体反応無し』
『重大なエラー……発生。……修復……ザザ……率……24%……37%……』
火花を散らしながら、システムが狂おしい駆動音を響かせる。
流れるデータと同期するように、眠る二人の肉体が淡い光に包み込まれていった。
『53%……66%……ザ……ザザ……』
アダム計画とイヴ計画。
二人を狂わせた歪んだ歪曲は、セントラルの思惑を離れ、別の形で結実しようとしていた。
本来なら、完成したカインの生体情報をイヴへ移植することで始動するはずだった計画。
しかし、カインに刻まれた『コアを取り込む』特性が、イヴの中に存在していたクラス5の残滓と共鳴。
何百ものコアに匹敵するクラス5の情報密度が、皮肉にも計画の成立条件を満たしてしまったのだ。
『73%……86%……』
機械音とともに、二人を包む光が極限まで高まる。
システムが下した最終判断──それは、計画遂行に不可欠な二人の生命維持。
歪められた楽園計画は6000年の時を経て、今まさに本来の姿を取り戻そうとしていた。
『97%……ザ……ザザ……100%……楽……園計画……起動……』
それが、システムの発した最後の音声だった。
バチン、と重い音を立ててモニターが完全に落とし込まれる。
眩い光が徐々に収まり、あたりを深い静寂が支配していく。
時間だけが、ただ静かに過ぎ去っていく。
やがて日が沈み、夜の冷気とともに柔らかな月光が瓦礫の隙間から差し込んだ。
輝く月下に照らし出されたその場所には──
もう二人の姿はなく、ただ重なり合った赤黒い血の痕だけが、静かに残されていた。




