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楽園のイミテリス  作者: 十 名鈴
第二部
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第二十七話 ただもう一度だけ君と

セントラルが崩壊していく。



それは人類──いや、レプリカたちの終わりを意味していた。

セントラルの外にあるアストランは、すでに数万のイデアに呑まれつつあり、巻き起こる戦火の中でまさに終末と化している。


街を取り囲む防壁は崩れ落ち、建物は焼き払われ、レプリカの残骸が無惨に散らばっていた。


約百年保たれた、仮初の楽園。

それがまもなく滅びの時を迎える。


そして、セントラル最深部もまた、佳境の刻を迎えていた。





監視者たちの本来の計画通りであれば、セントラルだけは崩壊を免れ、完遂される予定であった。

しかし──最初と最後のイヴの手によって、運命のレールは大きく外れることとなった。



刀を握る手が震える。


これは死への恐怖じゃない。

君を失ってしまうことへの恐怖だ。


正気を失いながらもセントラルを崩壊させたイヴが、俺を真っ直ぐに見つめていた。

使い捨てられるために作られた人形である俺を救うため、君は自らを投げ打った。

世界よりも何よりも、ただ俺を救うためだけに。



「イヴ……。分かってる。君の覚悟から……俺も逃げない」


俺の言葉に、異形と化したイヴがほんの少しだけ微笑んだ気がした。


悲しい、辛い。


そんな言葉で片付けられるのなら、どれだけ楽だろうか。


イヴが一番望んでいないこと──それは、自らの手で俺を殺してしまうこと。

だから……俺も彼女を救うため、あの日の約束を果たさなくてはならない。

これは、俺にしかできない役目。

いや、役目なんかじゃない。


君が本当に大切だから、君のために戦うんだ。



「ほんっとに……酷いよ、イヴ」


止めどなく溢れ出す涙を拭い、決意を瞳に宿して刀を強く握り直す。


俺たちには、他に辿り着ける運命はなかったのだろうか。

二人とも救われる……そんな物語が、どこかに存在していたのだろうか。



一気に地を蹴り、刀を振り抜く。

何度も、何度も鋭く斬りつける。

だが、驚くほどの身のこなしで躱され、至近距離で銃口が顔面に突きつけられた。

寸前で身を翻す。放たれた衝撃波が俺のはるか後方で炸裂し、空間を爆ぜさせる。


まるで、イヴと踊っているかのようだった。

正気を失い怪物となったイヴと、彼女を救うために殺そうとする俺。

お互いの一挙手一投足が命を奪い合う、極限の死の舞踏。


俺の一撃を防ぎ、躱すイヴ。

同じように、俺も死線を躱しながら身を翻す。

交わされる刹那の攻防が、途方もなく長く、永遠のように感じられた。



イヴは世界を滅ぼしてまで俺を救おうとしてくれた。だからこそ、俺は君の手で死ぬわけにはいかない。


でも、君を一人で逝かせたりはしないから。


イヴは黒い涙を流しながら、何度も死の一撃を放ってくる。

意識は憎悪の濁流に呑み込まれ、目の前の俺が誰なのかすら分かっていないはずなのに。



「ごめ……んね゛。コロス……壊す壊す……わたじが……コロス……」


うわ言のように言葉を零しながら、襲い来るイヴ。

恐ろしいまでの速さで躍動し、両手の歪んだ霊装から凶悪な光線を放つ。


本来のイヴの力なら、きっと俺は一秒と保たずに消し炭にされていただろう。

今こうして戦えている理由は──イヴが内側で必死に抗い、力を抑え込んでいるからだと理解した。



「もういい……! もういいんだよ、イヴ……!」


愛することを定められた偽物の俺たちが、いま殺し合っている。

偽物から生まれたはずの愛が、皮肉にも殺し合うこの瞬間にこそ、本物なのだと実感する。


でも……これももう、終わらせなければならない。


心とは裏腹に、体はイヴを破壊するための最適解を辿って動き出す。

その苦しみから、少しでも早く君を救い出すために。




「何も……いらナかったノニ……。きみだけ……イテくれたら……それダケデ……よかっタのにッ! あ゛あ゛あ゛ぁぁ゛ッ!」


もがき苦しむように、悲痛な叫びを漏らすイヴ。

そこに理性はなく、ただ壊れてしまった心の本音が叫びとなって漏れ出ていた。


「ニクイ……憎い憎イ憎いニクイッ! ごろすコロス殺す殺スッッ!」


もはやその言葉がイヴのものなのか、クラス5のものなのか判別がつかない。

それとも──二人分の怨嗟の声なのだろうか。


歪んだ二丁の霊装で、すべてを破壊し尽くすかのように無差別に乱射を続けるイヴ。

彼女の濁った瞳には、もう俺の姿は映っていない。

ただ視界に入るすべてを壊し、滅ぼすためだけに動いていた。


俺は迫り来る光線を避けることすら捨て、ゆっくりと、確実に向かい合って歩み寄る。

光線が頬を掠め、腕や脚を裂き、赤い血が滲む。

それでも歩みを止めることなく、一歩ずつ距離を詰めていく。


刀を握りしめる拳からは血が滴り、もはや感覚すらなかった。




「イヴ……もう苦しまなくていいよ」


一歩、また一歩と近づく。

俺の様子など意にも留めず、イヴは錯乱したまま辺りに死を撒き散らしている。

天井が崩壊を始め、無数の瓦礫が雨のように降り注ぐ。



「いつも俺を守ってくれて、ありがとう」



また一歩、近づく。



「何度も俺を見つけてくれて、ありがとう」



放たれた光線が俺の脇腹を深く突き抜けた。

激痛が走る。それでも、君を救うために前へ脚を進める。



「俺を……愛してくれて、ありがとう」



俺はイヴの目の前に立ち、ゆっくりと刀の刃先を彼女へと向けた。



そして──その刃が、彼女の身体を深く突き穿つ。




「俺も……大好きだよ。……イヴ」




刀を握る手に、温かな液体が伝わってくる。

大切な彼女の体を刃が貫き、鮮血が滴り落ちる。

次の瞬間、彼女の顔から狂気が霧散し、どこまでも優しい笑みが浮かんだ。


──それと同時に。

俺の体内を、冷たく、そして熱い衝撃が深く貫く。

イヴの異形と化し手が俺の体を穿ち、視界が真っ赤に染まっていく。


不思議と、痛みはなかった。

全身の力が抜け、俺はイヴとともに冷たい床へ崩れ落ちる。

二人の身体から溢れる温かな液体が、包み込むように周囲を赤く染め上げていった。


すぐ目の前に、イヴの愛しい顔がある。

金髪は赤黒く染まり、瞳の色も変わってしまっているけれど──それでもなお、世界で一番美しい彼女。

震える手で、そっと彼女の頬に触れる。


まるで静かな眠りについたかのように、穏やかな表情を浮かべるイヴ。

黒かった涙はいつしか透明な雫となり、頬を伝って流れていた。



「はは……相変わらずの、泣き虫だな。……約束破っちゃったな。……俺もすぐに行くから」



イヴが、ほんの少しだけ微笑んだ気がした。

俺たちの出会いは、最初から仕組まれていたのかもしれた。



でも──いつかまた、イヴと出会える。そんな気がしてならなかった。




俺とイヴから流れた赤が、静かに交じり合っていく。

崩壊する天井から降り注ぐ瓦礫が、なぜか二人を避けるように周囲へ落ちていく。

いつの間にか吹き抜けた天井から、柔らかで温かな日差しが差し込んできた。




「温かいな……」


まるで仕組まれた運命に囚われていた俺たちを、慈しみ、包み込むかのような優しい光。



「約束……。もしまた会えたら……きっと……」




そうだ──あの美しい花畑を、もう一度見に行こう。


旅行だって、何度でも行こう。



二人だけの……大切な約束だから。




視界が、ゆっくりと暗闇に染まっていく。

けれど、そこには何の不安も、恐怖も存在しなかった。


暗闇の向こうで、誰かが俺の名を呼び、愛おしそうに微笑んでいる。




なんだ……そこにいたんだな、イヴ。


差し出された小さな手を、優しく握り返す。


(ほら、行くよ? カイン)



ああ……そうだな。



(君だって、泣き虫のくせに)



はは……イヴには敵わないよ。



(大好きだよ、カイン)



俺も……大好きだよ、イヴ。







セントラルが音を立てて崩壊していく。



二人の仕組まれた運命は、激しい轟音とともに瓦礫の下へと埋もれていく。

二度と離れないよう固く手を繋ぎ、赤く染まった床の上で、二人は穏やかに眠りにつく。


偽物も、本物も関係ない。


すべてが等しく、滅びへと溶けていく。






やがて、崩壊していく世界の静寂に、ノイズの混ざった機械音声が響き渡った。




『ザ……ザザ……アダム計画……および……ザザ……イヴ計画……進捗……100%……』



『……楽園計画……発動シークエンス……移行……』





そしてこの日──すべてが瓦礫に包まれ、セントラルは完全に崩壊した。





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