↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽園のイミテリス  作者: 十 名鈴
第二部
26/27

第二十六話 さよならの前に

俺の目の前で、彼女の姿が崩壊していく。


憎悪と狂気に呑み込まれ、絶望を撒き散らす恐ろしい姿へと。

小柄な背中を突き破り、巨大な『人間の腕』が生え出る。

その歪な腕に持ち上げられるように宙へ浮き上がり、腰から下が神話の怪物のように禍々しく肥大化していく。

絹のようだった金色の髪は赤黒く染まり、琥珀色の瞳は濁った赤へと光を濁らせていた。



「……イヴ……ッ!」


俺の叫びは、虚空に掻き消える。

もう、俺の声すら届かない。

彼女はただ、この世界を憎悪のままに破壊し尽くそうとしていた。



あたりが、しんと静寂に包まれる。

──だが、それもほんの一瞬のことだった。


異形と化したイヴが巨腕を振り抜くと、それだけで監視者の一人が無に帰した。

抗う間もなく凄まじい衝撃が走り、監視者は赤い霧となって霧散していく。



『あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!』



耳を劈く咆哮とともに、イヴは中央の巨大装置へ怒りを叩きつける。

大量の破片が飛び散り、火花が狂ったように舞い散った。


「我々の……夢が。我々はただ、人間に──」


監視者の一人が呆然と声を漏らす。

だが、その言葉を言い切るより早く、音もなく振り下ろされたイヴの巨腕によって肉体ごと爆ぜ、この世から消え去った。


監視者たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

まるで自分たちこそが被害者であるかのように、その暴虐を無機質に見つめている。

そして、静かにぽつりと口を開いた。



「まさかクラス5を利用するとはな。だが、己自身まで呑まれるとは……やはりレプリカでは駄目だな」


その言葉が耳に届いた瞬間、頭の中で何かがぶち壊れた。

胸の奥から湧き上がる激高に突き動かされ、俺は監視者たちへ刀を向け跳躍する。


イヴが……イヴがどんな想いで……ッ!


「ふざけんなッ! お前たちのせいで……イヴは、俺たちはッ!!」



一気に距離を詰め、渾身の力で刀を振り下ろす。


──しかし、刃が届くことはなかった。

ガキンッ! と重い金属音が響き、刀が固い何かに受け止められる。

目を見開いた俺の視界に飛び込んできたのは──絶対に、こんな場所にいるはずのない人物だった。


弱かった俺に戦う術を教え、叩き上げてくれた恩人。



「っ……! ラババ……どうして……!」


俺の師とも呼べる男、ラババ。

だが……様子が異常だった。

焦点の合わない虚ろな瞳で、果てしない虚空を見つめている。

半開きになった口からはだらしなく唾液が垂れ落ち、その瞳には光も、感情も、何ひとつ宿っていなかった。


まるで……ただの「人形」のように。


「我々もここで終わるわけにはいかない。特に母体イヴには正気を取り戻してもらわなければ。……出来損ないとはいえ、見知った人間の肉体は斬れまい?」


監視者の吐き捨てた言葉の意味を理解した瞬間、腸が煮えくり返り、心臓が焼き尽くされそうなほど熱くなった。

こいつらは……この目の前にいるラババは……スペアだ。

セントラル最深部に保管されていた、魂の入っていない人形。


「っ……! お前ら、どこまで……!」


魂の欠片すらない人形だと分かっているのに、手が止まる。

自分の知る師ではないと頭では理解していても、身体が拒絶反応を起こして動かない。


「がっ……!?」


躊躇した一瞬の隙を突かれ、ラババの容赦ない蹴りが鳩尾を穿つ。

激しい衝撃とともに、俺の身体は無ざまに床を転がった。


こんな……こんな理不尽があってまるか……っ!



暗闇の奥から、監視者を取り囲むように大量のレプリカ群が這い出てくる。

その中には、見知った顔が幾つもあった。


ルジュ、アルヴァル、ネウロン部隊の仲間たち、イーストシティでともに笑い合った住人たち……。


異形と化したイヴは、すでにその膨大なレプリカの群れに集られていた。

まるで群がる虫のように、歪に巨大化した彼女の肉体へ喰らいつき、噛み千切ろうとしている。



「イヴ……っ! くそっ、どけよお前らッ!」


俺は群がるレプリカを無理やり押し分け、イヴのもとへ這い進もうとする。

だが、容赦なく上から組み伏せられ、冷たい地面へと叩きつけられた。



『あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!』


イヴがまとわりつくハエを払うように巨腕を振るう。

触れたレプリカたちは物言わぬ肉片と化し、蒸発するように消えていく。

それでも、何十人が吹き飛ばされようと、際限なく闇から湧き出てくるレプリカたち。


「もうスペアも必要ない。お前たちが何をあがこうと、楽園計画が覆ることはないのだから」


監視者たちが、初めてその顔に笑みを浮かべた。

一切の悪意すら交じらない純粋な笑顔。それが、狂気的に気味が悪かった。

憎悪や憤怒ではない──ただ「人間になりたい」という歪んだ欲望だけの狂気。


「さあ、カイン。今こそそのコアを──」


レプリカたちに地面へ押さえつけられた俺へ、監視者が静かに手を伸ばす。


──その時だった。

冷たく、静かな声が響き渡ったのは。




『モ……モード……B  ネロ&ピュール……』


ノイズの混ざった唸るような声。

けれど……どれほど姿が変わろうとも、聞き間違えるはずのない彼女の声だった。

直後、イヴを取り囲んでいた膨大なレプリカ群が、一瞬にして消滅した。


爆風の中心に立っていたのは、肉体が先ほどよりも萎み、異形を宿したままのイヴだった。

体躯こそかつての大きさに戻っていたが、背中からは禍々しい翼のような腕が広がっている。

そして、その両手には──かつての愛用武器であった二丁の霊装。

神々しかった純白の色彩は見る影もなくどす黒く変色し、まるで脈打つ生き物のように蠢いていた。



俺が一瞬、強く目を閉じた──次の瞬間。

つむじ風のような速度で、異形と化したイヴが駆け出した。

かつて仲間だったレプリカたちを、情の欠片もなく蹂躙し、粉砕していく。

赤黒い涙を垂れ流しながら、返り血でさらに深く、さらに赤く全身を染め上げていく彼女。


『ご……め゛ん……ね゛……』


耳の奥にかすかに届いた悲痛な懺悔とともに、視界を埋め尽くしていたレプリカたちが消し飛んでいく。


「まさかオリジナルの性能さえ凌駕しているとは……素晴らしい。それでこそ我々の母体にふさわしい」


監視者たちは貼り付けたような笑顔のまま、パチパチと拍手を鳴らす。

そして残るすべてのレプリカ──異形の唾液を垂らし、狂乱の目で襲いかかる飢えた獣たちを、一斉にイヴへと向かわせた。


まるで……最初から俺の存在など目に入っていないかのように。




──いま、動くしかない。


俺は地を蹴り、一気に距離を詰めた。


こいつらは……こいつらだけは、絶対に許さない。

イヴを、俺たちの運命を破滅させたこいつらだけは……ッ!




「はあ゛あ゛あ゛っ!」


イヴに気を取られている監視者たちの背後へ回り込み、刃を横一文字に振り抜く。

ズヌッ……と、刃が肉を断ち切る重い感触が手元に伝わる。

筋肉を裂き、骨を砕き、肉体を分断していく。

振り抜かれた刀はそのまま監視者の体を通り抜け、床へと叩きつけられた。



「はぁ……はぁ……っ」


初めて、同族をその手にかけた。

もっと罪悪感に苛まれると思っていた。

だが──そんなものは微塵も湧いてこなかった。

胸を焼き尽くす怒りと憎しみが、すべてを塗りつぶしていたから。


どしゃり、と音を立てて監視者の二人が斜めに切断され、床へ崩れ落ちる。

そこでようやく、残りの監視者たちが俺の存在に気づいた。

異形化しながらも霊装を操るイヴに目を奪われていた奴らへ、俺は再び刀を突き立てる。


雄叫びを上げながら、容赦なく振り下ろす。

その速さに反応することすらできず、また一人の監視者が肉塊へと変わった。



「お前らがッ! お前たちのせいで……ッ!!」


これが正しいことではないなんて、分かっている。

けれど、もうこうするしか道は残されていないんだ。


「はぁ……はぁ……。あとは……お前だけだ」


俺の足元には、監視者だった『肉片』が転がっている。

全身が返り血で赤く染まった俺は、きっと鬼のような恐ろしい形相をしているのだろう。

だが、最後に残った監視者は怯える様子もなく、静かに言葉を紡いだ。


「それで本当に正しいと思っているのか? 分かっているはずだ……お前たちの選ぶ先に未来などない。破滅しかないのだと。もはや、人類の未来など存在しなくなるのだから」



「お前が……お前たちが……『人間』を語るなッ!」


こいつらは人類の未来なんて思っちゃいない。ただ自分が人形から脱却したかっただけだ。

それなのに、さも世界を憂うような口ぶりに激痛のような憤怒が弾ける。


「ふふ……ははははっ! アダム計画とイヴ計画……やはり知恵など与えるべきではなかったな。お前は気づいていないのか? 今、このセントラルの外がどうなっているのかを」


「このアストランは滅びる。お前の友も、旧市街の仲間たちも、すべてイデアの渦に呑み込まれて消えるのだ。……それもすべて、あのイヴが──」




最後の監視者が言葉を紡ぎ終えるより早く、その上半身が丸ごと吹き飛んだ。

爆音とともに、残された下半身がどさりと崩れ落ちる。



攻撃の主は──明らかだった。

異形化した腕と黒く脈打つ霊装をこちらへ向けたまま立っていた、イヴ。

周りには、足の踏み場もないほど惨状と化したレプリカたちの残骸。


イヴは……ゆっくりとこちらを振り向く。

そこにはもう、かつての美しかった彼女はいなかった。

返り血と憎悪に塗れ、世界を破滅へと導く悲しい怪物。




……分かってるよ、イヴ。


『私を殺して』


いつか交わしたあの声が、脳裏で何度も、何度もリフレインする。


君は本当は誰よりも優しいから、ずっと苦しかったんだろ?

心の中で何度も俺や皆に謝りながら、ずっと一人で戦ってきたんだろ?

俺を導きながら、たった一人で絶望を抱え込んでいたんだな。



……大丈夫だよ。


寂しくないように、君を殺したら俺もすぐに行くから。

終わらせよう、イヴ。



固く、刀を握りしめる。

溢れ出す涙が、視界を滲ませていく。


目の前に立つイヴもまた──ポロポロと、黒い涙を流していた。



グラグラと、セントラル全体が鳴動を始める。


外のイデアの影響か、それとも巨大装置が壊れた影響か、崩壊の振動とともに天井から瓦礫が落ちてくる。



もうすぐそこまで、最後の時が迫っていた──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。