第二十三話 生まれた意味
この世界は、すべて偽物だった。
憎悪を募らせ、ただ破壊の対象でしかなかったイデアたち。
彼らは化け物などではなく──ただの、心優しい人間だった。
それなら……俺は一体何なのだろう。
俺が生まれた意味、そしてイヴに課せられた役目とは、一体……。
記憶の世界に再び激しいノイズが走り、病室の景色が粗い粒子となって霧散していく。
切り替わった先は──どこかの会議室のような場所だった。
数人の男女が頭を抱え、握りしめた書類に落胆の視線を落としながら言葉を交わしている。
『もはや、猶予など残されていません……! レプリカウイルスによって世界人口の約八割が命を落としました。我々はもう抗うことすら許されず、ただ終わりを待つことしか出来ないのです……』
絞り出すような声には、絶望の色彩しか与えられていない。
室内に満ちる全員の瞳から、希望という名の光が完全に潰えていた。
『演算結果によるウイルスの終息予測は……約5400年後。あの機械の肉体へコアを移植し、休眠状態を維持できれば……計算上は持ちこたえるはずです』
絶望に打ちひしがれる群像を見つめながら、イヴが静かに静寂を破る。
「人類はね、ある一つの大きな決断をしたの。それはウイルスが終息するまで、地下深くの施設でスリープ状態となって耐え忍ぶこと」
「そして……その間の地上と環境の保全を、ある存在に託すことにした。それが──レプリカだよ」
俺たちレプリカに与えられていた……役目……?
いや……どこかおかしい。
脳の奥底から、言葉にできない歪な違和感が蠢き出す。
人間のために環境を整え続ける従順な存在であるなら、なぜ俺たちの時代に泥沼の戦争が起きている?
そもそも──俺たちが人間のレプリカだというのなら、なぜあの死のウイルスに冒されないのだ?
イヴは、俺の表情に浮かぶ困惑と違和感を察しながらも、言葉を止めることはしなかった。
「レプリカたちは、最初からウイルスへ耐性を持っていたの。カイン……さっき私が話したウイルスの特徴、覚えている?」
俺は先ほど刻み込まれたイヴとの会話を必死に手繰り寄せ、渦巻く情報を整理していく。
「確か……発症したウイルスは、宿主の生体情報を取り込み続けるんだったな……?」
「そう。欠落した情報を補うためにね。でも……作られたレプリカは最初から不完全で、生体情報そのものが根底から欠落していた。だから──このウイルスは『人間』にしか発症しなかったの」
腑に落ちてしまった。
拒絶しようとする思考を置き去りにして、ピースが残酷に噛み合っていく。
ここへ至るまでに得た、レプリカの耐用年数はわずか『1年』という歪な事実。
あれは劣化などではない。最初から生体情報が足りていないがゆえの、必然の限界だったのだ。
「そうか……。俺たちレプリカは……ただの人形だからこそ、ウイルスと共生できたのか……」
己の口から吐き出された言葉に、胸の底から吐き気が込み上げる。
すべてを受け入れられたわけではない。だが、認めなければ一歩も前へ進めない。
俺たちが人形であることだけは、揺るぎない真実なのだから。
「……そういうこと。機械の肉体にコア──つまり魂を移植して、ウイルスの終息まで長い眠りにつく。そしてレプリカに約5400年間の世界を託した。これが……追い詰められた人類が出した答えだったんだよ」
イヴの表情が、重く陰惨な影に覆われていく。
懺悔と深い悲しみを湛えた瞳で、震える声を紡ぎ出す。
まるで、己の存在そのものが罪であると吐露するかのように。
「ただ……一つだけ、致命的な間違いがあったの。人形であるはずのレプリカに、自我と感情が芽生えてしまった。そして──果てしない孤独の役目の中で、彼らの胸の奥底に『一つの欲望』が持ち上がったの……」
「レプリカは……『人間』になりたいと望んでしまった。あまりに純粋で……あまりに歪な、ひとつの欲望」
その事実に、俺の心は不思議と悪意を感じなかった。
どこまでも透明で、純粋すぎる渇望。
道具として生み落とされた人形たちの、たったひとつだけ抱いた痛烈な願い。
それが……胸が張り裂けそうなほど、痛いほどに理解できてしまったからだ。
「そして、その『欲望』は12人のレプリカにほぼ同時に芽生えた。それが──あの監視者たちだよ」
監視者たち──。
あいつらが放った『人間になりたい』という不協和音。あの言葉の真意は、そこにあったのか。
「あいつら……監視者は、その時代から存在していたのか……?」
「彼らは……すべてのレプリカの監視と管理を任された12人だよ。アストランと同じような施設が、世界に全部で12箇所存在していたの」
「アストランの正式名称は──生体レプリカ第四研究所。レプリカを精製し、管理するためだけの実験場」
そうだったのか……。
アストランは郷愁の街でも、救いの楽園でもなかった。
ただ無機質にレプリカを生み出し、処分するための管理施設の一つに過ぎなかったのか。
「……他の11の研究所は、どうなったんだ?」
「君が知る歴史と、あまり変わらないよ。人類……イデアの手によって滅ぼされた」
イヴは静かに、しかし冷酷な真実を重ねていく。
「5400年という月日はあまりにも長すぎて、人類が正気を保つには無慈悲すぎたの……」
「機械の肉体は腐敗することなく機能し続けた。だけど唯一の誤算は……人類の心、コアの方がその永遠に耐えきれなかったんだよ」
冷たい戦慄が背筋を奔る。
それこそが、イデアとレプリカの間に繰り広げられた血塗られた戦争の起源。
精神崩壊を起こしたイデアが狂気ゆえにレプリカを殺戮し、人間に成り代わりたいレプリカもまた牙を剥いた──。
「そこからの結末は、だいたい歴史の通りだよ。ただ……ひとつ違うのは、それすらも監視者たちの計算通りだったこと」
イヴが俺の瞳をじっと見つめ返す。
その瞳には、複雑に絡み合った悲哀と過酷な懺悔の色が混ざり合っていた。
「彼らは膨大な時間を費やし、ただひとつの結論に辿り着いた。自分たちが『人間』へと昇華するためには、人間の生体情報……コアのデータが不可欠であると。それも……気の遠くなるような、無数の情報が」
ああ……そうか。
そういうことだったのか……。
脳裏を落雷が突き抜ける。
理解したくもない構造が、勝手に組み上がっていく。
膨大なコアの収集。
そして……イデアからコアの生体情報を無制限に吸収する力が備わった、俺という存在。
「それが……俺の役目だったんだな……?」
イヴは小さく目を伏せ、ただ静かに首を垂れた。
分かっていた。本当は、胸のどこかで察していたのだ。
「……そうだよ。カイン、君の役目は……イデアを殺し続け、そのコア──『人間の生体情報』を可能な限り取り込むこと」
「これが……君が生まれた意味だよ……」
イヴは拳が白くなり、血が滲むほど強く握りしめ、華奢な肩を激しく震わせている。
ずっと知りたかった。自分がなぜ生み出されたのかを。
俺は特別な何かに選ばれ、滅びゆく世界を救う英雄になれるのではないかと、心のどこかで夢見ていた夜もあった。
俺だけに与えられた異能の力は、人類を導き……イヴを救うための希望の光なのだと。
──そんなものは、どこにも存在しなかった。
俺は……ただの都合のいい器。
レプリカが人間へと成り上がるための道具であり、人間を殺戮し続けるために造られた屠殺人形。
俺は湧き上がる憤怒と絶望を力任せに押し殺し、低く掠れた声でイヴに問う。
「……それが、『アダム計画』ってことか……?」
イヴは逸らしかけた視線を力強く戻し、瞳を揺らしながら答える。
「……そう。そして、私の役目は……今日この瞬間まで君を──カインを導き育てること」
「これが、最後の私……24番目のイヴに課せられた役目だよ……」
一滴の涙がイヴの頬を伝い、冷たい床へと落ちて弾けた。
24番目の、イヴ──。
気づいていなかったわけではない。
ただ、そのあまりに惨く残酷な可能性から目を背け、思考を放棄していただけだ。
脳裏に触れたことのない記憶の濁流が流れ込んできた時から、心の深い底に重い蓋をして封じ込めていたのだ。
「俺たちは……何度も、何度も出会っていたんだな。そして……これが本当の最後ってことなんだろ」
その瞬間、空間全体に狂ったようなノイズが奔り、世界の景色が再び歪み、塗り替えられていく。
おそらく、次が記憶の世界の到達点──終着駅なのだろう。
根拠などない。だが、逃れようのない予感が確信となって胸を押し潰す。
ここは──どこなのだろうか。
静謐な教会のような空間の幾何学的な光の中で、誰かがひとり、祈りを捧げている。
「ここが……最初の私の、最後の記憶」
イヴが溢れる涙をぬぐいもせず、ゆっくりと歩みを進めて教会の中心へと向かう。
そして、祈りを捧げる幻影と重なり合うように、ひとつの影へと溶けていく。
「アダム計画と対をなすもう一つの構想……『イヴ計画』はね」
重なり合った映像とともにゆっくりと立ち上がり、イヴは振り向いた。
「……私を母体とし、集めたコアを移植して『完璧な人間』を産み落とす計画。この二つが合わさることで、セントラルの提唱する『楽園計画』は完成する。……私とカインはね……出逢う前から……すべて決まっていたの」
「君が私を愛おしく思う感情も……私が君を愛するこの……愛おしさも。全部、全部……最初からそう動くようにプログラミングされていたんだよ」
流れる涙の隙間から、イヴは哀しく微かな笑みを浮かべた。
運命のすべてを呪い、同時に逃れられない罪悪感に苛まれるような、痛々しい瞳。
「私は何度も君と出逢い、そして……失ってきた」
「それは……カインのコアを体内に移植時に、私の拒絶反応を極限までゼロにするための……愛の擬似学習」
堰を切ったように、イヴの瞳から大粒の雫が溢れ出し、床を濡らす。
「何度も……! 何度もッ……! 出逢っては愛し、失ってはまた出逢うの繰り返し……」
「この感情が……偽物のコードに過ぎないはずなのに……っ! いつしか……私の中で、本物になってしまった……っ」
イヴは引き擦るような足取りで俺の間近へと歩み寄ると、愛おしそうに俺の頬へ手を伸ばして笑みを浮かべる。
「コアを……引き抜かれたら、今度こそ君は本当に死んでしまう。だかラ……私ハ決めたノ……」
──ああ、やめてくれ……。
そんな悪夢があってたまるか! そんな……そんなことが……!
「この……世界ヲ……滅ぼせばいいっテ。楽園計画が完成スル前に……ッ!」
気のせいなどではなかった。
あの時、一瞬だけイヴの背後に感じ取った、胸を掻き乱す恐ろしい違和感。
この……皮膚を灼くような禍々しい感覚を、俺は知っている。
そうだ──この禍々しさは、あのクラス5の異形と同じだ。
「イヴ……っ!」
俺は伸ばされたイヴの手を強く掴み引き寄せ、その華奢な身体を強く抱きしめた。
腕の中の小さな体が、激しく肉体を強張らせて震えている。
まるで、内側から噴出しようとする『何か』を必死に抑え込もうと狂乱しているかのように。
「カイン……私ネ、君がいなくなるのはもう耐えられないんだ。だから──っ!」
突如、イヴが暴虐な力で俺の胸を突き飛ばした。
弾き飛ばされた俺の視界の先で、彼女の琥珀色の片目が──不気味な紅蓮の光を放ち始める。
そして、顔を歪めながら、絶望の涙とともに狂ったように嘲笑った。
「私ハ……この偽物の世界ヲ、すべて滅ぼすノ。ふフアハはっ! だから……あの時、クラス5と取引をシテ、一部を取り込んだ……っ!」
イヴの様子が壊れていく。
皮膚の下で何かが蠢き、内側から侵食の嵐が吹き荒れているのが目に見えて分かった。
「あぁ゛っ……! お互いに憎いのはアストランだった……! はぁ……はぁ……っ! だから……生かす代わりに、力を貸してほしいっテ……」
頭を強く抱え込み、絶叫しながら地表へ蹲るイヴ。
その姿は、まるで毒々しい何かに肉体を喰い破られているかのようだった。
「でも……クラス5の、ううん……本物の人間の増悪は……想像を遥かに超えていタ……! はぁ……っ、はぁ……っ!」
激しく地面にのたうち回るイヴの背中が、メリメリと音を立てて爆ぜた。
裂けた肉体から、異形を誇示するように──巨大な『人間の腕』のような異質な物体が突き破り、空中を蠢く。
イヴの美しかった金色の髪が、根本から禍々しい赤黒い色彩へと染まり変わっていく。
「……カイン……ごめんね。旅行……行けそうにないや……」
正気を取り戻した一瞬の瞳で、涙をこぼしながら彼女は呟いた。
「私ヲ……殺して」




