第二十二話 終わりの始まり
──セントラル最深部。
俺とイヴは、ついにその場所へ足を踏み入れる。
世界を歪ませる元凶。
きっとすべてはここから始まったのだ。
セントラル最深部。イヴと俺が生まれた場所。
扉をくぐるたび、郷愁にも似た感情が胸を突く。
俺には故郷など存在せず、ただここで造られた人形なのだと、心が理解し始めていた。
再び全身が眩い光に包まれる。
もう、この浮遊感にも随分と慣れてしまっていた。
全身に感覚が戻り、ゆっくりと瞼を開く。
視界の先に広がるのは、果てすら見えぬ広大な空間。
見上げる天井は闇に消え、中心には天を突くほどの巨大な装置が鎮座していた。
そして──その装置の前には、12人の男女が立ち尽くしている。
「「おめでとう。我々は今、最上の喜びに包まれている」」
12人の男女が重なり合う声を上げる。
それは耳障りな不協和音となり、空間をじわじわと満たしていく。
クラス5やイデアの威圧感とも違う、底知れぬ『何か』が肌を刺した。
俺は血が滲むほど強く拳を握りしめ、声を荒らげた。
「お前らはッ! 何がしたいッ!! 俺に何をさせたいんだ!」
俺の糾弾に応えるように、奴らは再び不協和音を響かせる。
「「我々は監視者。この世界を管理し、監視する者。我々は『人間』になりたい」」
監視者と名乗った奴らは、感情の削ぎ落とされた声で淡々と続けた。
「「アダム計画とイヴ計画。この二つの計画が完遂されるとき、我らは『人間』となる」」
理解できない。
いや、頭が……心が、こいつらの言葉を拒絶していた。
イヴは何も語らずただ俯き、その華奢な肩を細かく震わせている。
「訳分かんねぇんだよ……ッ! 人間になりたい? ふざけんなッ!!」
抑え込んでいた感情が堰を切って溢れ出す。
まるで真実から目を背けるように、何かをごまかそうとする幼子のように。
叫ぶことに何の意味もないと分かっているのに、ただ声を荒らげることしかできなかった。
「「我らは『人間』を愛している。時は……満ちた。今ここに始めよう──楽園計画を」」
その言葉と同時に、ぐにゃりと世界が歪む。
目の前の監視者たちの姿すら輪郭を失い、世界がまったく別の姿へと作り替えられていく。
「「カイン。お前は知らなければならない。この世界の始まりと、お前が生まれた意味を」」
視界がブツンと途切れた。
全身が深い暗闇に呑み込まれ、指一本動かない。
声も出せず、闇へと己の存在が溶けていく感覚。
その時──暗闇の底から、俺を呼ぶ声が微かに届いた。
(……イ……ン)
(──カイン!)
「……っ!! はぁ……はぁ……ここは……?」
目を開くと、イヴが俺の顔を覗き込むように屈み込んでいた。
どうやら俺は、冷たい地面に横たわっているらしい。
「ここは、1996年のあの日。世界が終わり……世界が始まる時だよ」
イヴに体を起こされ、ゆっくりと辺りを見渡す。
秘匿レベル2で見た、あのホログラムの街並みに似ていた。
1996年……6000年も昔の世界。
一体、何があったというのだ……?
ふと胸を突く違和感に、周囲を探りながら自身の身体を確かめる。
……リアルすぎる。
ホログラムなどという生易しい幻影ではない。自分自身が確かにこの世界に呼吸し、生きているという生々しい実在感。
俺は思わずイヴに問いかけていた。
「イヴ……これはホログラムなのか? それにしては、あまりにリアルすぎる……」
俺の問いに、イヴは静かに首を横に振った。
そして、ささやくように答える。
「……違うよ。これは記憶の世界。私の……記憶の世界」
言っている意味が理解できなかった。
イヴの記憶……?
だが、ここは確か6000年前──西暦1996年のはずだ。
大昔という言葉すら生ぬるい。一体どういうことだ。
イヴは狼狽える俺の様子を気にとめる風もなく、言葉を紡ぐ。
「この記憶はね、最初の私の記憶。そして……私は、最後の私」
「ここから全ては始まったの。ううん……終わったって言ったほうが、正しいのかな……」
矢継ぎ早に放たれる言葉に、思考が追いつかない。
イヴはただ静謐な瞳で、果てない街並みを見つめていた。
「ごめんね……分からないよね。でも、大丈夫。すぐに……分かるから」
イヴの声が消え去るより早く、言葉の意味が現実となって襲いかかった。
突如、激しい地鳴りが大地を揺らす。
空気が振動で咆哮を上げ、そびえ立つ高層ビル群が激しく左右に蠢き、轟音とともに崩壊していく。
亀裂が走り、裂け目が口を開けてすべてを呑み込んでいく。
それはまさに、世界の終焉そのものだった。
「っ……! 何が起きてるんだよ……! クソッ! 訳分かんねぇよ……!」
悪態を吐きながら、猛烈な揺れに抗うように足を踏ん張る。
一方のイヴは、崩れ去る世界を前に微動だにせず、ただ静かにその光景を見つめていた。
やがて、狂乱のような揺れがゆっくりと収まり始める。
かつて栄華を極めたであろう建造物は無惨な瓦礫の山と化し、街頭や電信柱があらぬ方向へねじ切られていた。
「はぁ……はぁ……。収まった……のか?」
記憶の世界であるはずなのに、恐ろしいほどの現実感。
これが、世界の終わり……?
ここから一体、何が起きたというのか。
「違う。ここからだよ」
イヴが呟くと同時に、深く割れた大地の亀裂から白濁した蒸気のようなものが噴き出した。
勢いを増すそれは、空気に触れた瞬間、霧散するように消えていく。
空気そのものを蒸発させるほどの熱量。はるか地下深くから吹き上がっているのだと伝わってきた。
立ち上り続けた蒸気は、やがて栓を閉められたように静まり返る。
「イヴ……、あれは何だったんだ……?」
俺の問いかけに、イヴはただ静かに答えた。
「あれが現れて、世界は終わったの。ほら……世界が切り替わるよ」
その言葉に応じるように、1996年の景色にノイズが走り、空間が塗り替えられていく。
そこは、どこかの研究室のようだった。
壁際まで無数の謎めいた装置が蠢き、白衣を纏った人間たちが慌ただしく行き交っている。
彼らは悲壮な表情で声を荒らげ、互いに言葉をぶつけ合っていた。
『保菌者は隔離し処分するべきだ! あんなもの……人類の抗えるモノじゃないッッ!』
『所長! あれを……! テレビを観てください……!』
誰かの叫びに応え、白衣の群れが一斉に壁の大型モニターへと視線を向けた。
訳の分からない状況に呑まれながらも、俺もまた引き寄せられるように同じ方向を仰ぎ見る。
モニターには、ひとつの映像が映し出されていた。
ニュース番組だろうか。
画面の中の女性アナウンサーが、悲痛な面持ちで何かを訴えかけている。
『テレビの前の皆様……。落ち着いて聞いてください』
声は震え、何かに怯える様子を隠しきれないまま、女性は懸命に原稿へ視線を落とした。
『本日未明……アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の発表によりますと、新型ウイルスの爆発的な感染拡大に伴うアメリカ国内の死者数は、ついに推計で数千万人を超えました……』
あまりにも冷徹な報せが続いていく。
『主要都市の機能は完全に停止しており、連邦政府による行政・警察機能の維持が困難な状況に陥っています。先ほど政権高官が会見を開き、国家としての統治能力を失った……と事実上の国家崩壊を認めました。繰り返します──』
映像を見つめていた研究者たちが、崩れ落ちるように頭を抱えた。
その瞳から希望の光は潰え、ただ神に縋るように絶望の涙を流している。
ウイルス……? アメリカ……?
提示される概念の異質さに、脳の理解が追いつかない。
これが、世界の終わりだというのか……?
呆然とする俺の傍らで、イヴが静かに語り始めた。
「あの日……大きな揺れがあった日ね。地球の奥深くから『何か』が噴き出したんだ。それは瞬く間に世界を覆い尽くしたの」
「そして、その日を境に恐ろしい惨劇が始まった。世界中の至る場所で……肉体が崩壊し、人々が次々と命を落としていった」
「肉体が崩壊……?」
禍々しい響きに、思わず声が漏れる。
イヴは小さく頷き、再び静かに言葉を繋いだ。
「噴き出した『何か』の正体は、恐ろしいウイルスだったの。発症すれば致死率100%……確実に死に至る病」
イヴの言葉が終わると同時に、再び世界がブレて景色が切り替わる。
今度は病室のような空間。
ベッドの上には、崩壊した『人間であったもの』が横たわっていた。
すでに原型を留めておらず、かろうじてかつて人であったのだと認識できる無惨な肉塊。
「最初の私は……ある国の研究者だったの。研究していたのは……生物をクローンとしてではなく、オリジナルの状態のまま再構築する技術……」
イヴが振り返り、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「それが──レプリカ技術と呼ばれるもの」
分からないはずなのに、雷に打たれたように理解してしまった。
なぜクラス5が、イヴのことを『原罪』と呼んだのか。
まさか……イヴが、レプリカを生み出したというのか……?
「カインの考えている通りだよ。レプリカは……私が生み出したもの」
イヴの瞳に、深い切なさと過酷な懺悔の色彩が揺れる。
それでも彼女は、胸の底の吐露を止めることはしなかった。
「ある日、そんな私に声がかかった。『世界を救う気はないか?』って。レプリカ技術を応用して、ウイルスから人類を救ってほしいという打診だった」
「あのウイルスには、恐ろしい特徴があったの。感染すると『オリジナル』と『レプリカ』に分裂する。『オリジナル』は他者へと感染を広げ、『レプリカ』が宿主の体内に残留する。すると……悲劇が起きるの」
「レプリカは生体情報が完全に欠損していた。だから……それを補うために宿主の生体情報を際限なく貪り喰った。結果……肉体が耐えきれずに崩壊して……ああなるんだよ……」
イヴは視線を、あの無惨な肉塊へと戻した。
その横顔は、今まで知っていた彼女とはどこか解離しているように見えた。
頭を殴られたような感覚。
未知の単語と凄絶な事実の半分も理解できていないはずなのに、なぜか『分かってしまう』。
この感覚こそが、俺に与えられた役割のせいなのだろうか。
俺は胸につかえていた疑問を、絞り出すように問いかけた。
「でも……人間はイデアとして、俺の時代にも生きていたはずだろ? あれは一体……」
イヴは静かに頷き、滔々と語り続ける。
「人類はレプリカ研究と並行して、もうひとつの技術を生み出したの。それは……カインもよく知っているもの。『コア』の開発だよ」
コア……人間の生体情報そのものを凝縮した、あの結晶。
セントラルで得た記憶が脈打つ。
「人類はコア技術を使い、崩壊していく肉体を捨てたの。生体情報を必要としない機械の身体へ、コアを移植した」
「それが……『イデア』だよ」
……俺は致命的な勘違いをしていた。
イデアとは俺たちの時代の人間が、何らかの異常で変貌した姿だと思い込んでいたのだ。
そうじゃない。
6000年前の人間たちが、形を変えてずっと存在し続けていただけだったのだ。
「イヴ……。イデアって、クラス1が一番多いはずだよな……?」
イヴは静かに頷く。
「そう……。未来ある子どもたちを、最優先で救おうとしたの。それが……クラス1が最も多い理由」
「そう……だったのか……」
俺が恐ろしい化け物だと怯え、刃を向けてきたイデアたち。
奴らは化け物なんかじゃない。
ただ……生き残ろうとした優しい人間たちだったのだ。
そして──俺たちは、人間ですらなかった。
イヴが、俺の手を優しく包み込む。
その温もりと引き換えにするように、世界が再びノイズに塗れて切り替わっていく。
そして俺は知ることになる。
この世界の真なる終わりと始まりを。
そして──恐ろしいまでに純粋な『望み』が、いかに容易く悪意すら凌駕してしまうのかを。




