第十二話 ただ二人のために
奇襲してきたクラス3の群れを破壊した直後、二人の端末が短く二回、振動した。
――緊急事態発生。
それは大聖堂へと突入した、ジャンバ率いる先行部隊からの SOS だった。
「まさか……! イヴ!」
俺は通信ログに目を通し、すぐさまイヴへ視線を向ける。
「やっぱりね……。クラス5。あれが大聖堂にいる」
前回の作戦が、脳裏をよぎる。
あの悍ましいまでの圧迫感。死という絶望を喉元に突きつけられる、あの感覚。
「君たちは撤退して。それと全部隊へ増援を頼める?」
イヴは、後方隊で僅かに残るネウロン部隊の生存者たちへ静かに指示を出した。
「ま、まさかお二人だけで行くつもりですか!? 危険すぎます……! 我々も……!」
生存者の叫びを、イヴは淡々と遮る。
「意味ないよ。君たちがいっても、無駄死にするだけだから」
感情の籠もらない冷徹な声。
だが、イヴの言う通りだった。今の彼らが行ったところで、あの恐ろしい存在に命を無価値に摘み取られるだけだ。
「イヴ。体は大丈夫なのか……?」
俺の焦走をなだめるように、イヴは儚く微笑む。
「大丈夫だよ。きっとこれは……私にしかできないことだから」
その瞳に宿る覚悟に、俺はそれ以上何も言えなかった。
あいつとは、遅かれ早かれ殺し合うことになる。ここで引けば、被害はさらに拡大するはずだ。
一番最悪なのは、クラス5がアストラン本体を襲撃すること。
そう――ネウロン部隊がまだ戦っている今のうちに、クラス5が未完成のまま叩き潰さなければならない。
「そうか……。何があっても、俺が守るから」
「ふふっ、それはこっちのセリフだけどね」
たとえこの身が砕け散ろうと、イヴだけは守り抜く。
俺の力がどこまで通用するかは分からない。
それでも――俺はもう二度と、イヴを失いたくない。
イヴと二人、大聖堂へと足を進める。
本来なら祝福を授けるはずの聖域は、深淵のような絶望を溢れさせていた。
大聖堂の周辺には、ジャンバたちが破壊した大量のイデアの残骸が転がり、散っていった隊員たちの赤黒い血だまりが地面を汚している。
だが、不思議と俺の心は凪いでいた。
クラス3の群れを破壊した時から、全身の奥底から有り余るほどの『何か』が湧き上がっていたのだ。これまで倒してきたクラス1や2とは一線を画す、未知の奔流が。
「行こう、カイン」
刀を構え、イヴと共に絶望の蠢く大聖堂の境界を踏み越える。
内部に足を踏み入れた瞬間、鼻を突く強烈な鉄の匂いが充満していた。
広大な聖堂内は薄暗く、恐ろしいほどの死寂に包まれている。
「静かすぎる……。先に突入したジャンバたちは……」
その問いの答えは、考えるよりも早く訪れた。
足元で、ヌチャリと何かが踏み潰される。
視線を落とした俺の目に飛び込んできたのは――見覚えのある顔だった。
ネウロン部隊隊長、ジャンバ。
その表情は絶望と歪んだ悲哀に満ち、原形を留めないほどに損傷していた。
周囲一面に広がる、赤黒い肉塊と血の海。
感傷に浸る隙すら与えず、狂気を孕んだ聞き覚えのある声が奥の暗闇から響く。
「やァ。少し遅カッタね。君たちヲ待ってイタんだ」
暗がりからゆっくりと姿を現したのは、あの悍ましき『クラス5』。
廃工場で対峙した時よりも一回り肥大化し、その禍々しさを増していた。
「少シ話をシよう。ナゼ君たちハ、我々を殺す?」
静けさの中に響く声は、狂気と深淵な憎悪に満ち満ちていた。
「……お前たちが、人間を襲い殺すからだ」
「カイン……! 答える必要はないよ」
問いに答えかけた俺を、イヴが強く制する。
クラス5は気にも留めず、歪んだ笑みを深めながら言葉を重ねた。
「お前ハ知りタイ? この世界の秘密ヲ――」
「世界の秘密……?」
「ッ……!! 黙れッ!」
イヴは聞いたこともないほど感情を剥き出しにし、端末から霊装を展開した。
『換装:モードB ネロ&ピュール』
対をなす二丁の銃器型霊装が具現化し、容赦なく敵へと銃口が向けられる。
「カインッ! 今はこいつを破壊することだけを考えてッ!」
思考を駆け巡る雑念を強引に振り払い、刀を構え直す。
そうだ。戦わなければ、また奪われる。どんな真実が隠されていようと、俺は戦うと決めたのだから。
「あァ、残念。じゃあ……死ンで?」
次の刹那――クラス5の肥大化した腕から、無数の手が伸縮し、一斉に襲いかかってきた。
音速を超える、死。
本来なら、一瞬で肉塊に変えられているはずの速度。
――だが、俺の体は思考より早く、驚異的な反応でそれを回避していた。
あのクラス3の群れを倒してから、身体が恐ろしいほど軽い。
迫りくる絶望を紙一重でかわし、刀を閃かせる。切断された無数の腕が、床の上で打ち上げられた魚のように狂動し、やがて動かなくなった。
「痛イ、痛いよ。あはふフあハはは!」
クラス5は狂奔し、さらに夥しい数の腕を伸ばして迫る。
「カインッ! 下がって!」
間髪入れず、イヴの放つ弾幕が迫る手を正確に撃ち落としていく。
だが――直後、イヴの顔が苦痛に歪んだ。
まずい……! 霊装の代償か……!?
「イヴ!!」
「ッ……!大丈夫…! まだ、まだ……いけるからッ!」
イヴは苦痛を強引に押し殺し、さらに苛烈な弾火線を張り巡らせて無数の腕を削り取っていく。
クラス5は、腕をあらかた破壊されたにもかかわらず、その光景をあざ笑うように静観していた。
「はぁ、はぁ……大丈夫か、イヴ!」
「はぁ……はぁ……大丈夫。まだ……大丈夫だから……」
いつ侵食が始まってもおかしくない。
いや、すでに侵食に蝕まれているはずだ。
イヴはそれを、死に物狂いで押し殺している。
「うフああははハハ! すごイね、うん。スゴいねぇ! あは……フふキャはははあハははハ!!」
クラス5がおぞましい金切り声をあげ、巨腕を高く掲げる。
壁の隙間から射し込むわずかな光がその影を奔らせ、まるで狂気を祀る神の如き異彩を放つ。
次の瞬間――俺の視界を、巨大な質量が吹き抜けた。
クラス5の巨腕が音を置き去りにし、イヴを巻き込んで大聖堂の壁へと深く突き刺さっていた。
「ッ……! イヴ!!」
侵食を抑え込もうとした一瞬の隙。わずかな反応の遅れが、決定的な致命傷となった。
イヴ……! イヴ!!
死ぬな! ああ……死なないでくれ!!
煙塵の中、巨腕が引き抜かれる。
穿たれた巨大な亀裂と土煙の奥、イヴの姿はどこにも見えなかった。
「フふふ、死んダ? 死んだカナ? あハはは!」
クラス5がニタリと醜悪な笑みを浮かべ、見下ろしてくる。
その瞬間――俺の心臓の底から、禍々しい何かが激流となって溢れ出した。
黒く、熱く、どろどろとした殺意。
俺は一瞬で間合いを詰め、クラス5のコアめがけて刀を振り下ろしていた。
かつてのジャンバすら凌駕する、常軌を逸した神速の一撃。
刃が装甲を裂き、強烈な火花とドス黒い体液が撒き散らされる。
「痛イ……。痛イイタイ痛イ! ああハはははフふアァあッ!」
暴れ狂うクラス5が、俺の身体を叩き飛ばす。
「……ころす……。コろすこロす……があ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
理性を失い、狂った獣のような雄叫びを上げながら、俺はクラス5へ斬りかかり続けた。
絶望的な殺戮者と、狂気に染まった俺。
本来なら一瞬で噛み砕かれているはずの攻撃を紙一重でかわし、無我夢中で刃を刻み込む。
だが、クラス5の装甲は狂悪なほどに硬く、決定打には至らない。
「アハあははハッ! 楽シイ! 気持ちイイ!」
クラス5は狂気を加速させ、コアの周囲に蠢く人間の顔面から無数の『舌』を触手のように伸ばしてきた。
生命に届く攻撃だけを叩き落とし、肉を削ぎ落とされるのも無視して、ただひたすらに切り刻む。
耳が引き裂かれ、肩が抉れ、脇腹を爪撃が掠める。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ! ごろずッ!」
憎悪に焦がされる心とは裏腹に、身体からは無限の力が湧き出ていた。
まるで――これまで壊してきたすべてのイデアのコアが、俺の中で暴れ狂っているかのように。
クラス5から伸びる手が俺の腕を深々と抉る。
骨皮一枚で繋がっているだけの腕。だが、そんなことすらどうでもよかった。
俺は何のために戦っている?
なぜ、ここにいる?
なにも解らない。ただ、目の前のこいつが憎い。
憎い、憎い、ニクい、ニクイ、ニクイ……!!
黒い血を吐き出し、千切れかけた腕を振るって斬撃を叩きつける。
クラス5のコアを覆う装甲が砕け散り、ついにその核が剥き出しになった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ! じねぇぇぇッ!」
渾身の力で刀を突きたてる。
刃がコアの表面を捉え、不快な感触と共にめり込む――その瞬間。
強烈な衝撃が爆発し、俺の身体は弾き飛ばされた。
「怖イ……怖イ……痛イよ、ママ……アハははキャはハハはッ!」
コアの傷口から新しく生え出た歪な腕。それが俺を払い跳ね除けたのだ。
壁に叩きつけられ、心臓が破裂しそうなほど早鐘を打つ。内臓が軋み、背中の感覚は疾うに消えていた。
「あがッ……、イ……ヴ。あ゛あ゛あ゛ッ! ごろず……ゴロす……コろす……ッ!」
崩壊しそうな身体を、狂気だけで無理やり立ち上がらせる。
もう、何のために立つのかすら分からなかった。
(……イン……。カ……イン……!)
遠くから、声が聞こえる。
失ってはいけない、大切な誰かの声が。
「……カインッ!!」
背後から、温かな腕が俺の身体を強く抱きしめた。
「……イ……ヴ?」
その瞬間、胸を覆い尽くしていたドス黒い濁流が、嘘のように消え去っていく。
聞き覚えのある声。匂い。体温。
その全てが、荒んだ心を溶かしていく。
「……イヴッ! あぐッ……! はぁ、はぁ……っ。良かった……イヴ! 良かった……!」
涙があふれ出し、麻痺していた激痛が一気に全身を襲う。
視界は赤く染まり、自分の体は血みどろで凄惨なほどに傷ついていた。
「イヴ……ッ! 死んだかと……!」
「大丈夫だよ……。いつまでもそばにいるって言ったでしょ? 君も、随分と無茶をしたね」
そう言うイヴの額からも鮮血が流れ、純白を基調としていた服は赤く染まっていた。彼女もまた、重傷を負っている。
「終わらせよう、カイン。人類のためじゃない。私たちのために」
「……ああ、イヴ」
クラス5の巨体も傷口から黒い液体を噴き出し、動きのキレを失っていた。
それでも全身から放たれる狂気と憎悪は、肌を刺すほどに重い。
『換装:モードD アサナシア』
イヴの背後に、純白と漆黒の二対の双剣型霊装が舞い降りる。
「動かないで。これは、あくまで応急処置」
イヴが漆黒の刃で俺の胸元を貫く。
痛みはなく、代わりにじんわりと暖かな感覚が全身を駆け巡った。
「……痛みが消えた……? これなら、動ける……!」
「痛覚を私の管理下に置いただけだよ。重傷なのは変わらない。だから――早く終わらせよう」
痛みが引いていく。
それと引き換えに、心の奥底から静かな力が満ちていく。
先ほどのドス黒い殺意とは違う、力強い何かが。
「ゆ、許さナイ……。イタいイタい痛ミが痛イ。ふヒへははハハハ!」
クラス5は巨腕をのたうち回らせ、無数の顔面から黒い涙を流して狂乱していた。
苦痛なのか、歓喜なのか。もはや攻撃すら仕掛けてこず、狂気を撒き散らして蠢くだけの存在と化している。
「カイン。お願いがあるの」
イヴが振り向き、胸が締め付けられるほど優しい声で囁く。
その表情はあまりに美しく、二人だけの空間で世界が止まったかのような錯覚を覚えた。
イヴは愛おしそうに俺の頬へ手を伸ばし、透き通る琥珀色の瞳で見つめてくる。
「私はこいつを破壊するために、全ての霊装を使うつもり。代償が……どれほどになるか、正直分からない。もし……私が霊装に呑まれたら」
「……私を殺してくれる?」




