第十三話 果たされない約束
イヴから突きつけられる、あまりにも残酷な選択。
『私を殺して――』
「私の霊装は全部で7つ。でも、全部使えばどんな代償に襲われるか分からない。もし……もしも私が私じゃなくなったら、その時は……君が……」
慈愛に満ちた微笑の裏に潜む、あまりにも深く凄絶な言葉。
イヴの瞳に宿る覚悟は、微塵の揺らぎもなく真っ直ぐに俺の輪郭を捉えていた。
「……ははっ……。ひどいな……イヴ。」
俺はイヴを……守るためにここまできたんだ。
その俺に、そんな残酷な引導を渡すなんて――。
「ふふっ……ごめんね。でも……君にしか頼めないから」
透き通る頬を涙が伝い、額から滲む鮮血と混じり合って赤く濁った雫となって滴り落ちる。
「……分かった。でも、俺は信じてる。イヴなら……きっと」
「ありがとう……カイン。勝とう……絶対に」
互いに視線を交わしながら、涙を流した。
その涙が、絶望への拒絶なのか、覚悟の結実なのか……俺には分からなかった。
二人同時に、目の前の『絶望』へと視線を据える。
クラス5は俺の穿った傷口からのたうち回りながらも、その禍々しい威圧感は削がれるどころか、より一層密度の濃い狂気を撒き散らしていた。
胸のコア周辺を覆う無数の顔面パーツは半数が滴り落ち、残された顔の目や鼻から、泥のように濁った黒い体液を垂れ流している。
「私は……今から霊装を順番に全て展開していく。それが、最後の7つ目の霊装を起動させる条件だから」
「ああ、俺が侵食の隙をカバーする。必ず……二人で生きて帰るぞ、イヴ!」
柄を破裂しそうな握力で握り締め、地面を蹴ってクラス5の懐へ肉薄する。
身体を焼き尽くすようだった激痛は、イヴの霊装によってかき消され、壊れかけた肉体はかろうじて運動能力を維持していた。
「アあぁィ、痛ィ。コロスころすコろすッ!」
狂乱したクラス5が、天を突く巨大な腕を振り下ろす。落雷のような勢いで暴虐の一撃を叩きつける。
衝撃波が肌を削ぐほどの紙一重でかわすと、破砕された石床の粉塵が辺りを白く染めた。
その死角を突き、着地と同時に叩きつけられた巨大な腕へ刃を叩きつける。
装甲を裁ち、肉のような何かを削る手応えと共に幾重にも切り刻んだ。
「ィイ゛ッアあ゛あ゛アア゛ッ! どうじテ……痛イ痛ィ!」
空間を揺るがす不気味な咆哮。
膨大な数のイデアを呑み込んだ影響か、奴の精神は既に崩壊の限界を超え、狂気そのものへと変貌していた。
「カイン……本当に強くなったね。今の君になら……うん」
クラス5の猛攻を対等以上に捌き切る俺の姿に、イヴはどこか愛おしむような安堵の笑みを浮かべる。
『換装:モードA アクティナ・ガンマ』
イヴが端末から霊装を展開し、彼女の周囲に6基の自立型浮遊砲台が陣を描くように追従する。各銃門へと、眩く禍々しい光線が収束していく。
『モードB ネロ&ピュール』
間髪置かず霊装を上書きし、両手に二丁の重厚な銃器を具現化した。
そのまま爆発的な加速でクラス5の正面へと突撃する。
次の瞬間、粘土のように脈動していたクラス5の巨躯から、再生した無数の人間らしき腕が津波となって押し寄せてきた。
「クソッ……! キリがないッ!」
一筋一筋の手が圧倒的な死の質量を纏い、視界を埋め尽くす。
かすめるだけで肉を削ぎ落とされ、引き裂かれる死の匂い。
「カインッ! 離れてッ!」
二つの霊装を纏ったイヴが、神々しい閃光の粒子を撒き散らしながら、押し寄せる無数の手の群れを片端から穿ち抜いていく。
背後の砲台から放たれる極細のレーザーが手を焼き切り、両手の二丁拳銃による神業のような精密射撃が、俺に迫る死を正確無比に粉砕する。
撃ち抜かれた腕は瞬時に肉焦がす煙を上げ、再生の隙すら与えられずに灰となって霧散していった。
「イイ痛ィ゛ッ! あハははふふキャハはッ!」
身を刺す激痛に巨躯を悶絶させながらも、クラス5の顔面群は耳障りな狂喜の笑い声を上げ続ける。
これほど凄惨な攻勢を受けてなお決定打には至らず、依然として圧倒的な絶望の圧迫感が空気を支配していた。
『モードC メテオロ・アクロモス』
イヴは即座に両手の銃を接合・変形させ、身丈を超える巨大な砲身を持つ狙撃銃型霊装へと組み替える。
浮遊する6基の砲口と、巨大な狙撃銃の砲門が同期し、光が凝縮されていく。
7つの起点から溢れ出た極光は一点へと圧縮され、空間をを切り裂くような高周波の断末魔を響かせて一気に放たれた。
空間が歪み、圧殺された光速の一撃は、僅かに軌道を逸らされクラス5の上腕を貫通する。
「あ゛ぁッ……! はぁはぁ……、まだ……。まだまだ足りない……ッ!」
侵食に顔を歪ませ、イヴは薄い唇を噛み切って鮮血を散らしながら、その反動を押し殺す。
複数を同時に過重展開する霊装は、凄まじい毒となって彼女の全てを蝕んでいた。
「あ゛ア゛ア゛ァッ! ゆるざナイ……ごろずごろずッ! アははひひぃははハハはァッ!」
イヴの一撃によって巨大で悍ましい腕の一本が根元から吹き飛び、どす黒い体液が爆発するように周囲へ撒き散らされる。鼻を突く強烈な腐臭。
断面の肉芽からは、なおも不気味に蠢く無数の手が不気味に生まれ落ちては溢れていく。
さらにコアの周囲から、無数の歪んだ舌が槍のように伸び、こちらを突刺せんと殺到した。
「下がれ、イヴ!」
侵食の苦痛で一瞬動きの鈍ったイヴの身体を力任せに押し飛ばし、俺は前に出た。
襲い来る舌の群れを必死で叩き落とすが、防ぎきれなかった何本かが皮膚を切り裂き、血飛沫が舞う。
「ッ……! イヴ!」
「はぁはぁ……ッ! 大丈夫……大丈夫だから……!」
交わす視線と一言で、互いの極限状態が痛いほど伝わってくる。
二人とも、すでに生命の灯火は消えかけている。
だがクラス5は、残された最後の巨腕を暴風の如く振るい、殺意を叩きつけてくる。
「じネしね死ネぇェェッ! ふぐアハハッ!」
落下の軌道に刀を合わせ、決死の覚悟で防ぎ止める。
全身の骨が砕け散るような質量と衝撃。
防御も虚しく、俺とイヴは衝撃波の余波で弾き飛ばされた。
広大な大聖堂の壁や柱がなぎ倒され、吹き晒しの廃墟へと姿を変えていく。
「がはッ……!」
石壁に叩きつけられ、内臓の欠片混じりの血を吐き出す。
もはや生きていること自体が奇跡と言えるほどの重傷。
それでも、血の味のする唾を吐き捨て、震える膝を打って強引に立ち上がる。
奴だって……もう限界のはずだ。
「はぁ、はぁ……モード……Ꭰ……」
イヴが荒い息を吐きながら、霊装アサナシアを再展開する。
「はぁはぁ……ッ! アサナシア……反転……ッ!」
漆黒の刃を躊躇いなく自らの胸へ刺し通し、純白の刃の先をクラス5へと向けた。
その瞬間、クラス5が狂ったように身を捩り始めた。
イヴの全身に刻まれた傷と凄絶な激痛が、そのまま呪詛のようにクラス5の巨躯へと転写され、苛む。
「カインッ……!!」
合図を待たず、俺は血を這うように駆け出しクラス5の懐へ潜り込む。
苦痛でのたうち回り、暴れる巨大な体幹。
その狂乱の隙間をすり抜け、目の前まで迫ると、残された全筋力を刀に込めて振り下ろした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
刃が巨大な腕の装甲の隙間に噛み合い、断ち割りながら滑っていく。
ドス黒い体液を全身に浴びながら、嫌な手応えを押し通して刀を振り抜いた。
その凄絶な一撃が、残された巨腕を根元から完全に切断する。
「ぎィぃぃぃ゛ッッ!!」
両腕を失ったクラス5が、鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げ、激しく胴体を揺らした。
その反動の打撃を喰らい、俺は再び乱暴に地面を転がされた。
「カインッッ!」
打ちつけられる寸前、イヴの華奢な腕が俺の身体を抱きとめる。
「はぁはぁ……。もうすこし……頑張れる?」
荒い息を吐き、激痛に顔を歪ませながらも、微笑みを浮かべるイヴ。
俺は力強く頷き、血塗れの身体を起こして再び刃を構えた。
刀を握る手の感覚はとうに失われ、視界は赤く滲んでいる。
痛みはイヴの術によって消えているはずなのに、死の足音がすぐそこまで迫っている感覚だけは消えなかった。
「ィ゛イたい……。出来損ナイ゛が…ッ!」
両腕を失ったクラス5が、なおも巨躯を引きずって這い寄ってくる。
無数の人間らしき脚が、巨大なムカデのように不気味に蠢く。
頭部の顔面パーツがボトボトと零れ落ちながらも、殺意の執念で迫ってくる。
「ッ……! あがッ……! はぁはぁ、モード……E……」
イヴの瞳から赤黒い血の涙が零れ落ち、細い指先が激しく震える。
『モードE フォボス』
二対の剣が光の粒子となって彼女を包み込み、首から下を純白の機械装甲が覆っていく。
背後には神々しい後光のような光輪が浮かび上がる。
だがそれと引き換えに、侵食は狂おしい速度でイヴを喰い荒らしていた。
「はぁ……はぁ……モード……F……」
感覚すら麻痺したのか、イヴは躊躇うことなく次の霊装を重ねがけする。
『モードF ティエラ。認証確認、最終コード起動シークエンスに入ります』
無機質なシステム音声が響き、イヴの両手に巨大な機関銃型の霊装が現れる。
人間が携行できるサイズを超越した、圧倒的威圧感を放つ兵器。
「はぁ……はぁ……。カイン、私が隙を作る……。君は、やつの頭部を破壊して……」
「そしたら……あとは……私が最後の霊装で終わらせるから……。」
消え入りそうな声で俺に告げるイヴ。
その声の震えから、彼女が既に人間としての限界を疾うに突破していることが理解できた。
「ああ……分かった」
俺の命も限界を超えていた。
このまま倒れてしまいたい。
握りしめた刀を投げ出したい。
それでも――目の前のこいつは……
こいつだけは……破壊する。
迫り来るクラス5に向け、イヴが一気にトリガーを引き絞る。
霊装ティエラから解き放たれる圧巻の弾幕が、大聖堂の空気を振動させ、圧倒的な着弾の衝撃で土煙を巻き上げた。
装甲を一撃で貫くことはできずとも、圧倒的な着弾数は装甲を破砕し、クラス5の進軍を完全に削ぎ落としていく。
「アァ゛……鬱陶シィなぁ゛ッ! いひヒきゃはあハははハ!」
大滝の破砕音にも似た轟音が響き渡る。
俺はその爆音と煙幕に身を隠し、クラス5の死角となる背後へ回り込んだ。
まだ……気付かれていない。
確実に頭部を破壊する。
指揮系統である頭部が破壊されれば、霊装なしでも破壊出来るかもしれない。
これ以上、イヴに霊装を使わせるわけには……
(痛いよ。ママ助けて。許して。パパママ。)
その時、イヴの脳裏には無数の侵食の声が直接穿ち込まれていた。
(お前のせいだ。助けて。どうして?)
「ッ……! あ゛ぁ……わかってるッ! だからもう……謝らない!」
罪悪感を振り切るようにイヴの弾幕が苛烈さを増し、クラス5の体勢を完全に崩して足の蠕動を砕く。
「あ゛あ゛あ゛ッ……! カインッッ!!」
イヴの叫びと同時に、俺は跳躍し、クラス5の背後から刀を振り下ろした。
完全な死角からの必殺の一撃。
鋼の刃が、クラス5の胴体と悍ましい頭部を完全に切断した。
転がり落ちる頭部。そこに張り付いた大量の顔面パーツが、一斉に苦悶と憎悪の狂相へと歪む。
「イぃ゛あァアアア゛ァ゛ッッ!!」
切断された首と本体の双方から、耳を塞ぎたくなるような絶叫が炸裂する。
指揮系統を奪われたクラス5の巨躯は、無差別かつ凶暴な死に狂いで暴れ回った。
「はぁ……はぁ……。カイン……あとは、私が……」
(死ね死ね死ねシネしネしね。この……)
(人殺し人殺しシネシネ。タスケテ。イタいよ)
頭の中に響き続ける声。
イヴは、もはや痛みすら昇華したかのような穏やかな微笑みを浮かべ、纏っていた霊装を静かに解除した。
「ありがとう……カイン。」
イヴの身体が、息を呑むほど幻想的な光に包み込まれる。
光が収まると、頭上には神聖な光輪が戴かれ、背後には三対の光の羽が羽ばたいていた。
彼女の身体がふわりと宙へ舞い上がる。
崩壊した大聖堂の中が、まるで聖域を取り戻したかのように神秘的な光で満たされていく。
イヴがクラス5へ手を差し伸べると、奴の頭上に7つの光の環が現れ、ゆっくりと重なり合っていった。
世界そのものを塗り替えるような、まばゆい光が大聖堂を包み込む。
「カイン……。私ね」
イヴが振り返り、何よりも美しく、儚い微笑みを俺に向けた。
「君のこと――」
声にはならず、ただ口元だけが言葉を紡ぎ、最後に消えてしまいそうな笑顔を残す。
「ッ……! イヴッッ!!」
その直後、全てを無へと還す終末の光が、大聖堂のすべてを呑み込んでいった。
――俺が意識を取り戻した時。
そこにはクラス5の残骸も、イヴの姿も、何も残されていなかった。
ただ跡形もなく消滅した大聖堂の跡地に、金の髪が一筋、風に舞い上がって消えていくだけだった。




