第4話 疑惑の眼差し
季節は巡り、半年間に及んだ大型プロジェクトも、いよいよ最終段階を迎えていた。
私の提案した企画がクライアントに採用され、システムの実装も無事に完了。最終プレゼンは大成功に終わった。
「乾杯!」
都内の居酒屋で、プロジェクトチームの打ち上げが行われていた。
重圧から解放された安堵感で、お酒がいつもより美味しく感じる。
「いやあ、相原さんのあの切り返し、痺れましたよ。あそこで先方を納得させられなかったら、納期遅れ確定でしたからね」
「本当ですよ。相原さん、このプロジェクトのMVPですね!」
後輩たちからの賛辞に、私は照れくさく笑ってグラスを傾けた。
半年間、本当にキツかった。
睡眠時間を削り、和也のモラハラに耐え、泥のように働いた。
でも、報われた。この達成感があるから、仕事は辞められない。
宴もたけなわという頃、少し離れた席にいた堂島くんが、私の隣にやってきた。
「お疲れ、相原」
「堂島くんもお疲れ様。堂島くんのマネジメントのおかげだよ」
「俺は環境を整えただけだ。走ったのはお前たちだよ」
彼は穏やかに微笑むと、少し声を潜めて言った。
「上層部の評価、かなり高いぞ。来期の人事、楽しみにしておけよ」
「え……本当?」
「ああ。俺もプッシュしておいた。『相原美咲を手放したら、この会社にとって損失だ』ってな」
その言葉に、胸が熱くなる。
管理職への道。それが現実味を帯びてきたのだ。
これで、将来への不安が少し解消される。
和也に頼らなくても、生きていける基盤ができるかもしれない。
「ありがとう、堂島くん……!」
「礼には及ばないさ。……まあ、今日は飲め。タクシー代くらいは俺が出すから」
結局、その日は終電間際まで飲み明かし、帰宅したのは深夜1時を回っていた。
体は疲れているけれど、心は久しぶりに晴れやかだった。
この半年間の苦労が全て報われたような、浮遊感。
けれど、玄関のドアを開けた瞬間、その高揚感は冷水を浴びせられたように消え失せた。
「……遅かったな」
リビングの照明もつけず、薄暗い部屋の中で和也がパイプ椅子に座っていた。
スマホの画面の明かりだけが、彼の顔を下から不気味に照らしている。
「ただいま。……起きてたの?」
「日付、変わってるぞ」
低い声。明らかに不機嫌だ。
私は靴を脱ぎながら、努めて冷静に答える。
「今日がプロジェクトの最終日だって言ったでしょ。打ち上げがあったのよ」
「へえ、打ち上げね。楽しそうで結構なご身分だな」
和也が鼻で笑う。その棘のある言い方に、私の眉がピクリと動く。
「あのね、遊びに行ってたわけじゃないの。半年の仕事の締めくくりなのよ。労いの言葉の一つもないわけ?」
「俺は毎日、コンビニ弁当で我慢してたんだぞ。お前が外で酒飲んでヘラヘラしてる間にな」
「だから、それは和也が何もしないから……」
反論しようとした私を遮るように、和也が立ち上がり、私に近づいてきた。
酒臭い息がかかる距離で、彼は私の顔をジロジロと覗き込んだ。
「なんだよ、その顔」
「……何?」
「色気づきやがって。最近、化粧も服も派手になったよな。残業、出張、飲み会……随分と家を空けることが多かったじゃないか」
和也の目には、粘着質な疑いの色が宿っていた。
「まさかお前、男がいるんじゃないだろうな?」
あまりに突飛な言いがかりに、私は口をあんぐりと開けた。
「はあ? 何言ってるの? 仕事だって言ってるじゃない」
「仕事にかこつけて、誰かと会ってたんじゃないのか? じゃなきゃ、俺への態度がそんなに冷たくなるわけがない」
呆れてものが言えない。
私の態度が冷たいのは、和也が家事を放棄し、協力もせず、私の足を引っ張ることしかしないからだ。
それを棚に上げて、浮気を疑うなんて。
「馬鹿なこと言わないで。私はこの半年、必死で働いてたの。あなたと違ってね」
売り言葉に買い言葉で、つい嫌味が口をついて出た。
和也の顔が引きつる。
「……俺と違って、か。そうかよ、お前は稼ぎがあって偉いもんな。俺のことなんて馬鹿にしてるんだろ」
「そんなこと言ってないでしょ!」
「いいや、怪しいな。……まあいい、せいぜいボロを出さないように気をつけるんだな」
和也は捨て台詞を吐くと、私のカバンを忌々しげに睨みつけ、寝室へと去っていった。
一人残されたリビングで、私は大きなため息をついた。
せっかくの達成感が台無しだ。
なんであんな発想になるんだろう?
自分がやましいことでもしていない限り、パートナーをそこまで疑ったりしないはずなのに。
……やましいこと?
ふと、嫌な予感が脳裏をよぎったが、酔いと疲労のせいで深く考えることができなかった。
まさかこの時、和也が既に常軌を逸した行動に出ているとは、夢にも思わなかったのだ。
私はシャワーを浴びて泥のように眠った。
明日になれば、また新しい日常が始まる。そう信じて。
しかし、本当の地獄はここからだった。




