第7話 死神
十年。これから俺たちが背負う宿命と比べれば、あまりにも短い時間だった。
それでも俺たちは、与えられた時間を精いっぱい生きた。
二人で屋敷に暮らし、毎日のように同じ食卓を囲んだ。そして、家族も増えた。
平和になった世界を、今度は戦うためではなく、二人で見るために旅した。かつて救った町を訪れ、世話になった人々と再会し、以前は足早に通り過ぎた景色をゆっくりと眺めた。
そんな何気ない日々が、俺にとっては何よりも幸せだった。
ネルフとロアリスにも、何度も会った。
だが、ロアリスは俺たちの決断に納得できなかったのか、出会う前と同じように森の奥の小屋へ引きこもり、ほとんど姿を見せなくなった。結局最後の時までロアリスが自分から姿を見せてくれることはなかった。
子供はネルフに任せた。嫌がられたし、あの性格で子供を育てられるのかは俺たちも心配だったが、やはり頼りになるのはパーティメンバーだった。
何より、あいつなら大切に育ててくれると信じていた。
「俺はセラのためならどんなことだってやってみせる。百年後に会おう」
「私も、アイルのためならなんだってやってみせます。五年後に会いましょう」
残酷な時間の隔たりを少しでも埋めるように、俺たちは互いが過ごす時間を口にした。強く抱きしめ、再会を誓うように唇を重ねた。そしてそのぬくもりを惜しみながら、俺たちは別れたのだ。
――ここは日本。電気の光が夜の街を照らし、舗装された道路を無数の車が行き交っている。
俺が使徒となり、この世界へ戻ってから半年の月日が流れた。
使徒となったことで、俺の肉体は老いることがなくなった。成長は異世界で十三年を過ごした時の姿で止まり、食事や睡眠も必要としない。
もっとも、食べることも眠ることもできなくなったわけではない。必要がなくなっただけで、望めば人間だった頃と同じように行える。
初めの頃は、以前と同じ生活を送ろうとした。
腹が減っていなくても食事を取り、眠気がなくてもベッドに横になった。
だが、一人きりで食べる食事は寂しかった。
ふとした瞬間に、向かいの席に座るセラの姿を探してしまう。今日あった出来事を話そうとして、そこには誰もいないことに気づく。そんなことを何度も繰り返した。
眠ることも同じだった。
目を閉じれば、セラたちや子供と過ごした日々が浮かんでくる。楽しかった思い出のはずなのに、今となってはそれが苦しくて仕方がなかった。それなら、いっそ眠らない方がましだった。
それに、いつセラから要請が届くか分からない。救いを求める祈りが届けば、俺はすぐに対象者のもとへ向かい門を開かなければならない。
いつしか俺は三食の食事を取ることも、寝ることもやめていた。
そして人間だった頃の習慣を一つずつ失うたびに、自分がもう普通の人間ではないことを思い知らされたのだ。
何をするでもなく、ただぼんやりと過ごしていると、左手の指輪が熱を帯びた。
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召喚対象:岡田俊也
年齢:26歳
現在地:東京都〇〇区△△□□
形式:転生
接続先:第二界
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次なる要請だ。形式は転生。
生きた人間を肉体ごと送り届ける通常の召喚とは違い、死亡した人間の魂だけを異世界へ送り、新たな肉体へ宿す方法だ。
つまり、この対象者には間もなく死が訪れる。
俺はすぐに魔法を発動し、対象者のいる場所へ転移した。
視界が一瞬で切り替わる。
次に俺が立っていたのは、夜の交差点を見下ろすマンションの屋上だった。
少し待っていると、対象が現れ青信号の横断歩道を渡り始める。
仕事帰りなのだろう。スーツ姿で鞄を片手に持ち、その足取りには疲労がにじんでいた。
今日一日を終えて家に帰るところなのだろう。だが、彼が家に帰ることはない。それを知っているのは、ここにいる俺だけだった。
その時、向こうの方から制御を失ったらしい一台のトラックが交差点へ向かって猛スピードで突っ込んでくる。けたたましいクラクションが鳴り響き、異変に気付いた対象も音のした方へ顔を向けた。
だが、間に合わない。
――ドン!!!
激しい衝突音とともに、対象の体が宙を舞った。トラックのブレーキ音が、夜の街に鋭く響き渡る。
「……っ」
思わず身体が動きかけたが、それは許されない。
対象の体が地面へ倒れ、周囲から悲鳴が上がる。人々が駆け寄り、意識を確かめているが、それに意味はないことを俺は知っていた。
「彼方より届きし祈りを、此方にて受け取る――」
俺は詠唱を始め、魔法陣が展開される。
「隔たる時を越え、隔たる世界を結び、選ばれし魂に新たなる生への道を示せ」
魔法陣から放たれた光が、対象の魂を包み込んでいく。
「我、使徒アイルの名において、女神セラの定めし星路をここに開く」
彼は、異世界で新たな人生を始めるのだ。
もしかしたら、今よりもずっと幸せな人生を送れるかもしれない。だが、それは彼が望んだことなのだろうか。この世界には、彼の帰りを待っている人がいたかもしれない。家族が、恋人が、友人が。
そんな人たちにとって、彼が異世界で幸せになることに、一体どれほどの意味があるのだろう。
……考えても仕方がない。
俺には、目の前の魂を送り届けることしかできないのだから。
「――《星路開門・異世界転生》」
彼の魂は、音もなく光の向こうへ消えていった。
転生は通常の召喚とは異なり、対象者が地球へ帰ってくることはない。
異世界で新たな肉体を与えられ、その世界の人間として新たな人生を歩むことになるからだ。
また、転生は人間が執り行う召喚の儀によって起こるものではない。異世界で、何らかの理由により外から新たな魂を必要とした時に要請が発せられるのだ。
そして転生を成立させるためには、対象者が死を迎える必要がある。俺には誰に死が訪れるのかが事前に知らされるが、目の前の命を救えるだけの力を持っているにも関わらず、手を差し伸べることは許されない。
死の原因は俺ではない。それでも、死を迎える者の前に現れ、その最期を見届け、魂を別の世界へ連れていく。まるで死神にでもなったような気分だった。
遠くから救急車のサイレンが近づいてきて、その甲高い音が異様に俺の耳に響く。
俺はこれ以上ここにいることに耐えられず、逃げるようにその場を後にした。
俺は拠点としている都心から少し離れた場所に建つ古い雑居ビルに戻った。
表向きは何年も前に閉鎖された廃ビルだが、その最上階には魔法で隠蔽した隠し部屋が存在する。その部屋は一般人の目には映らず、通常の魔力探知にもかからない高レベルな隠蔽を施している。行方不明者である俺が身を置くには、都合のよい場所だった。
部屋にあるのは、古びた机と椅子、そしてベッドに時計だけ。かつて暮らしていた屋敷とは、比べるまでもない。
召喚の要請は決して珍しいものではない。
地球と異世界では時間の流れが大きく異なる。地球で一日しか経っていなくても、向こうでは何年、何十年もの時間が過ぎ、新たな脅威が誕生するからだ。
それに、異世界は一つだけではない。
セレスティア王国が存在する俺が召喚された第一界と呼ばれる世界以外にも、異世界は存在するのだ。その中のどこかで魔王や災厄が現れ、異世界から救い手が求められれば、女神のもとへ祈りが届く。地球ではわずかな時間しか経っていなくても、無数の異世界で絶えず歴史が進んでいるのだ。
そんな数ある要請を一つも逃さないように、使徒はひたすら待たなければならない。




