第8話 違和感
結局その日は新たな天啓が届くことはなく、次の日の朝を迎えた。
眠ろうとすると異世界でのことを思い出す。そうは言ったが理由はこれだけではない。
異世界で人が死ぬ瞬間は見て何度も見てきた。だがそれは俺も全力を尽くした上で救えなかった命。現在のように救える命を見殺しにしてきたわけではない。
トラックが衝突した鈍い音。周囲に響き渡る悲鳴。近づいてくる救急車のサイレン。あの交差点での光景が、何度も頭の中によみがえる。
救える命を救わなかった。
かつて勇者として魔族から人々を守り、世界を救おうとしていた頃の俺が、今の俺を見れば何と言うだろうか。
人々を救った勇者は、もうどこにもいない。
それが使命だと分かっていても、この罪悪感が消えることはない。目を閉じるたびに人を見殺しにした光景がよみがえり、とても眠る気にはなれないのだ。
「外の空気でも吸いにいくか…」
俺は黒いパーカーのフードを深くかぶり、顔を隠すようにして外へ出た。そもそも俺の隠蔽魔法を見破れる者はいないが、念には念をというやつだ。
人と関わるつもりはない。ただ、今は少しでも誰かの気配を感じていたかった。
俺は渋谷の中心から少し離れた、人通りの少ない路地裏へ転移してそこから大通りへ出る。そこには視界いっぱいに、人の波が広がっていた。
異世界で十三年を過ごしたというのに、こちらの世界はほとんど何も変わっていない。
こちらでは時間が経っていないため当たり前なのだが、それでもなかなか慣れることができない。
ビルの巨大スクリーンには懐かしい企業の広告が映し出されていた。アイドルが笑顔で商品を紹介し、その横では最新映画の予告映像が流れている。
「あの映画……」
ふと、ある友人を思い出す。
高校時代、友人が少なかった俺にも何かと話しかけてくるやつがいた。
誰かと関わることを避けていた俺を放っておけなかったのか、休み時間になると俺のそばに来て、どうでもいい話を延々と聞かせてきた。当時は少し鬱陶しく感じることもあったが、今になって思えば彼女と過ごした時間は俺の高校生活で数少ない穏やかな時間だった。
そういえば、あの映画の公開が決まった時も彼女は嬉しそうに話していた。
『絶対見に行きたいんだよね』
そんなことを言っていた気がする。
あの時の俺は、曖昧に相づちを打つだけだった。そして、高校を卒業してからは連絡を取る回数はさらに減ってしまった。
今後も連絡を取ることはない。なぜなら使徒として地球へ戻った今も俺は行方不明者として扱われ続けているからだ。現在の地球は俺が使徒として活動した半年しか経過していないにもかからわず、俺の肉体は異世界で過ごした十三年分だけ成長している。なのに十三年分老いた俺が人前に姿を現せば不審に思われるだろう。
「まぁ、もう誰も探してないだろうけど」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
今は戻ってきて二回目の一月。新しい年を迎えたばかりで、街にはまだ冬の冷たい空気が残っている。通りを歩く人々の多くはコートやマフラーを身につけ、白い息を吐きながら足早に行き交っていた。
「人が多いな…」
隠蔽魔法で姿を隠していると人は気づかずにこちらにぶつかろうちしてくるため人が多い場所は歩きずらい。
結局、俺は人の波から少し外れ、通り沿いにあるカフェへ足を運ぶことにした。
注文するときは、流石に姿を現さなければならない。隠密魔法を解き、店員の前に立つ。たったそれだけのことなのに、今だに少し緊張してしまう。
「ホットのコーヒーを一つ」
店員は特に不審がることもなく、淡々と注文を受け取った。
「自意識過剰だな…」
小さく呟きながら、俺は受け取ったカップを片手に通りに面した窓際のカウンター席へ腰を下ろした。
俺の体は十三年分成長しているのだ。俺が失踪した直後はニュースに顔写真が載ったこともあるが、その写真に写った高校生はもうどこにもいない。
俺はコーヒーを一口飲み、窓の外へ視線を向けた。
それに世間の関心はすぐに別の話題へ移り、俺の失踪事件を耳にすることもすぐになくなった。そもそもこの日本では失踪事件が多発している。誰が原因なのかは言うまでもないだろう。
これまでにも、召喚が行われた現場で警察や政府の人間らしき者たちを何度も見かけた。それも、毎回同じ顔ぶれだ。
きっと彼らは失踪事件を専門に扱っている組織だろう。だがこのありふれた事件をどれだけ調査しようとも痕跡はないし、帰還した勇者たちが異世界のことを公に話すこともない。下手に騒げば政府の得体の知れない機関に目をつけられる可能性もあるし、何より使徒である俺が対処に向かう。
防犯カメラがあったとしても、魔法を発動する際には周囲に認識阻害の魔法をかけているため魔法陣や光は映らず、何の前触れもなくその場から消える人間の姿だけが残る。
問い詰めても何も語らない勇者。
説明のつかない映像。
現場に残らない証拠。
そんなものを何度も見せられれば、彼らが超常現象のような何かを疑い始めていても不思議ではない。
なんて不完全な儀式なのだろうか。
頭では理解している。
異世界には救いを求める人々がいて、勇者の力を必要としている。
なによりセラのためになる。
だからこそ、この使命には意味がある。
それでも、送り出される側の人生を考えるたびに、どうしようもない罪悪感に襲われる。
目の前にあるコーヒーからは、もうほとんど湯気が立っていなかった。冷めかけたそれを一気に飲み干し、俺は席を立った。
外に出ると、冷たい冬の風が頬を撫でる。だが、その冷たささえ、今の俺にはどこか遠いものに感じられた。




