第4話 女神
「お願い、ですか…?」
俺は思わず聞き返す。
「はい。ですが、その前に知っていただかなければならないことがあります」
セレスティア様はわずかに目を伏せる。
「女神という存在と、私の使命についてです」
そう言ってセレスティア様が片手を掲げると、何もなかった白い空間に無数の光が浮かび上がった。
大小さまざまな光は、俺たちを取り囲むようにゆっくりと動いている。その一つに目を凝らすと、光の中に町や森、そこに暮らす人々の姿が見えた。
「これは……世界?」
「はい。この光の一つ一つが、それぞれ異なる世界です」
セレスティア様が指先を動かすと、一つの光が俺たちの前へ近づいてきた。
そこには、見慣れたセレスティア王国の姿が映っていた。
「私の役目は、救いを求める世界と勇者となり得る人間が暮らす世界をつなぐことです」
「世界を、つなぐ……?」
「世界が外からの力を必要とした時、異世界から救い手を招くための祈りが生まれます。その祈りを受け取り、二つの世界の間に道を作る。それが、女神に課せられた使命なのです」
そこでセレスティア様は、俺へ視線を向けた。
「三年前、あなたをこの世界へ導いたのも、その役目の一つでした」
俺は目の前に浮かぶ世界を見つめた。
「セレスティア様が俺を直接召喚したという事ですよね? それでしたらなんとなく想像はついてますが…」
「いいえ。私にできるのは、世界と世界を結ぶ道を定めるところまでです。実際に勇者をこちらへ招くには、異世界側から門を叩く者と地球側から門を開く者が必要になります」
異世界側から門を叩く者というのは、召喚の儀を行う魔法使いたちのことだろう。だが―—。
「地球側から……?」
「はい。女神が定めた道を地球で開き、選ばれた者を送り出す存在。それを私たちは使徒と呼びます」
「地球側で召喚の儀を行う存在がいるということですか…?」
思わず眉をひそめる。
地球に魔法は存在しない。それなのに、地球で魔法を使い、異世界へ人間を送り出している者がいるというのか。
そんな俺の疑問を察したのか、セレスティア様は説明を続けた。
「地球人には、魔力を取り込み、魔法として放出するための魔力回路が備わっていません。ですが、地球そのものには魔力が満ちているのです」
「……つまり、魔力回路があれば魔法が使えると?」
「その通りです。回路さえ与えられれば、地球でも魔法を行使することができます。勇者や使徒が、それに当たります」
なるほど。
そういうことなら、俺も地球に帰った後で魔法を使えるということか。
「もっとも、記憶を持ったまま帰還した勇者には、地球で魔法をあまり使わないよう忠告していますが。ああ、記憶を持ったままというのは、異世界での記憶と魔力回路を失って帰還する勇者もいるからです」
「……記憶を失うこともあるんですか?」
「はい。私が記憶を保持していても問題ないと判断した勇者のみが、異世界での出来事を覚えておけるのです」
セレスティア様はそう付け加えた。
どうやら帰還した勇者が全員、異世界での出来事を覚えているわけではないらしい。
「つまり、記憶を持ったまま帰還した勇者が使徒という事でしょうか?」
ここまで静かに聞いていたセラが口を開く。
「間違ってはいません。ですが、使徒とは女神が誕生した時にただ一人だけ選ぶパートナーです。女神の権能を分け与えられ、その魂と深く結ばれた存在。言うなれば、女神と一心同体の存在です。なので帰還した勇者がすべて使徒というわけではありません」
「一心同体…ですか?」
「はい。そして、それは女神の存在そのものにも関わっています」
セレスティア様は続ける。
「女神は信仰を元に生きています。そのため救いを求める祈りを受け取った女神は、それに応え続けなければなりません」
「……応えなければ、どうなるのですか?」
セラの問いに、セレスティア様はしばらく沈黙した。
先ほどまで穏やかに説明を続けていた彼女が、初めて答えをためらったように見えた。
「信仰を失い、女神としての力が衰えていきます。そして、やがては自らの存在を保つことさえできなくなります。簡単に言えば、死を迎えるということです。そして、女神が死を迎えれば、世界は滅ぶとされています」
「それは……」
女神にも死があるのかと、俺とセラは言葉を失った。
これまで女神とは、世界を見守る絶対的な存在なのだと思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。
「勇者召喚の儀は、魔法の中でも特殊なものです。術者の魔力だけでは成立せず、女神へ救いを求める強い願いを起点として発動します」
「つまり、その祈りに応え、召喚を成功させることで信仰が保たれるのですね」
セラの言葉に、セレスティア様は静かに頷いた。
「はい。ですが、先ほども申し上げた通り女神だけでは勇者召喚の儀を完遂することができません。そのために、使徒が必要となるのです」
そこでセレスティア様は、わずかに表情を曇らせた。
「そして使徒もまた、女神無しでは存在し続けられません。女神の権能を分け与えられた使徒は、その女神が死を迎えると同時に命を失うことになります」
俺は思わず息を呑んだ。
女神と使徒は、単に協力しているだけではなく、互いの命そのものが結びついているのだ。
女神が存在し続けるためには、使徒が地球で門を開き、勇者召喚を成立させなければならない。一方、使徒もまた、自らの命を保つためには、女神に生き続けてもらわなければならない。女神と使徒は互いがいなければ使命を果たせず、どちらか一方が欠ければ、もう一方も生きることができない。
……なんて過酷な役目なのだろうか。
セレスティア様は、自嘲するように小さく笑った。
「これが、女神の本質です。大勢を救うことと、自分が存在し続けること。この二つを女神は切り離すことができません。たとえ勇者を危険な世界へ送り込むことになったとしても、救いを求める声を無視することはできないのです」
その声には、どこか諦めにも似たものが感じられた。
ふと、三年前のことを思い出す。
突然、見知らぬ空間へ呼び出され、勇者として異世界へ向かうよう告げられたあの日。何の説明もないまま、俺は魔王と戦う使命を背負わされた。
あの時は、どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかと思ったものだ。だが、セレスティア様にも事情があったのだろう。彼女は、勇者として送り出した人間がどうなるのかを知らない。
無事に魔王を倒して帰ってくるのか。
それとも、異世界で命を落とすのか。
その結末が分からなくとも、祈りが届けば応えなければならない。自分だけでなく、使徒や世界の存続まで懸かっているのだから。
もし俺が同じ立場だったら、一体どうするだろうか。
俺には、彼女がこれまでどのような経験をし、何を背負ってきたのか想像もつかなかった。
ただ、今のセレスティア様は今はひどく疲れているように見えた。
「……女神の使命については、分かりました」
俺は一度、息を整えた。
「それで、お願いというのは何なのでしょうか?」
女神の役割が決して華やかなものではないことは理解した。しかし、それが俺たちをこの場所へ招いた理由とどのようにつながるのかはまだ分からない。
だが、この時の俺は何か胸騒ぎを感じていた。なぜ、セレスティア様は俺たちにここまで詳しく説明したのだろうか。使徒の存在も、女神の死も、普通の人間が知る必要のない話のはずだ。
セレスティア様はすぐには答えず、俺とセラの顔を交互に見つめた。その表情には、どこか迷いが浮かんでいるように見える。しかし、やがて覚悟を決めたのか、セレスティア様はゆっくりと口を開く。
「聖女セラ」
「……はい」
突然名前を呼ばれ、セラが姿勢を正す。
セレスティア様は、そんな彼女の目をまっすぐに見つめた。
「あなたに、次の女神として私の役目を引き継いでいただきたいのです」




