前編
これは、誰も悪くない話だ。私がそう断言する。……そうでなければ、私が一番悪くなってしまうから。
「シャーロット、本当に行ってしまうの? あそこは不毛の土地を多く持つ厳しい地域なのよ。まだ間に合うわ、お母様が守ってあげるから」
「そうだぞ、シャーロット。年若いお前が行くことはない」
「お姉さま、どうか考えなおし、ぅ、ごほごほ……っ」
「サラ!」
旅立つ私を前に、馬車の前で母は泣き父は拳を握りしめ妹は咳き込んだ。妹は生まれつき体が弱く、最近でこそ外を出歩けるようになったが子どもの頃にはよく生死をさまよっていたのだ。興奮するとこうやってすぐ体が言うことを聞かなくなり、むせてしまう。
今までだったら、ここで立ち止まっていただろう。立ち止まって、妹の傍に駆け寄って支え背中をさすってやっただろう。けれど妹の隣には既に母がいて父がいて、私がそれをやってやる必要なんてないのだ。
「お父様、お母様、サラの体に障ります。早く家の中に戻してあげてください。私はもう行きます。さようなら、お見送りありがとう。お元気で」
「お、お姉さま……!」
「サラ、お薬を頑張って飲んでね。辛いでしょうけど、皆、貴女が元気になることを望んでいるんですから」
馬車に乗り込むと、扉はすぐに閉められた。妹を支えている父母は、もうこの扉を無理矢理に開けることはないだろう。
「では、行こうか、シャーロット」
「……あら、いらしてたの?」
「当然だよ。君を見つけてここから連れ出すのは僕なんだから」
「まあ」
誰もいないと思っていた馬車の中に、私を自国へ招待してくれたその人が待っていてくれたらしく、笑いが漏れた。ほっとしたのだ。この家から、無事に出ていけることに。
そんなことを思ってしまった私だけれど、私は悪くない。ただ性格が捻くれているだけだ。
―――
私は、シエル伯爵家の長女として生まれた。兄がいたので跡取り娘ではなかったけれど、両親の初めての女の子として五歳までは蝶よ花よとそれはそれは大事に育ててもらった。ああ、語弊はある。六歳からも伯爵令嬢としてきちんと育ててもらった。少し、落差があっただけだ。
私が六歳になる少し前、妹が生まれた。あの子は生まれた時からすごく可愛くて、ふわふわとしていて、いつもいい匂いがした。両親があの子ばかりに気が取られるのは、子どもながらに理解していたからそれは別に構わなかった、と思う。まあ、それなりにヤキモチはやいただろうが、当時の私は子どもだったのだから許容範囲内だろう。……と、思う。
いい姉になろうとした。あの可愛い妹に、自慢の姉だと思ってもらえるように。お勉強もお稽古も頑張った。幸せな時代だった。頑張ったら頑張っただけ報われて、褒めてもらえて、喜んで貰えた。だけど、そんな幸せは、妹の病魔の前に呆気なく崩れた。
初めはただの発熱だった。大人たちは皆、すぐによくなる、と言っていた。あの言葉に嘘はなかっただろう。大人たちも気付いていなかったから。けれど、妹の熱は一週間経っても下がらなかった。
さすがにおかしいと思った父は遠方から名医を呼んで、妹を診せた。名医の言葉は残酷だった。
「……このお嬢様は、成人どころか三歳まで生きられるか分かりません」
兄とこっそり聞き耳を立てていた私は、この時人生で初めて絶望というものを味わった。大事な大事な妹が、生きられるか分からない、と言われたのだ。騒ぐことはなかったけれど、涙が溢れて止まらなかった。兄は、そんな私を抱えて部屋に連れ帰ってくれた。
その日から、家は、妹中心に回るようになった。当然だ。いつ死んでしまうか分からない、可哀想な妹の為に皆が必死になったというだけなのだ。兄や私でさえそうだった。我が子の死を宣告された両親の心情は、きっとまだ子を持ったことのない私が推し量れるものですらなかった。
体によいとされる薬草を取り寄せたり、最高級の寝具を揃えたり、一番日当たりのよい場所に妹の部屋を移して、たくさんの医者を呼んで。皆、たくさん頑張った。あの、弱々しく可愛い妹の為に、皆、ずっと頑張った。毎日毎日必死だった。
すると、妹は宣告された三歳を越えていつの間にか四歳になっていた。体は弱いままだったけれど、車椅子に乗って庭に出ることもできるようになっていた。嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。……でも、きっとその辺りから、私の性格は捻くれていったのだと思う。悪くはない。私は、悪くない。ただ性根がねじ曲がっているだけだ。
妹が四歳になる時、私は九歳になっていた。この国では、十歳である程度の社交を経験しているものなのだ。社交と言っても母に連れられてガーデンパーティーに参加したり、子どもたちだけの交流会のような場所に行って一緒に遊んだりするだけらしいが、それをこの国では子どもの社交、としているのだ。そして十歳になると、十歳から十五歳までの若葉会という集まりに参加するようになる。そこで社交や見物を広め、夜会への参加が認められる十六歳までに一通りのことを学ぶ。それが、この国の貴族の子どもの在り方だった。
けれど私は母にガーデンパーティーに連れて行ってもらったこともなければ、子どもたちだけの交流会に参加したこともなかった。仕方がない。ガーデンパーティーの参加年齢は六歳からで、当時母は産褥期だった。その上、我が家には病弱な妹がいて、それどころではなかったのだ。兄は私より三歳年上だったので何度か参加しており、また跡取り息子として子どもたちだけの交流会にも呼ばれていたので、割を食ったのは私だけだった。
私はほとんど知り合いのいない状態で、若葉会に参加せざるを得なかった。我が家の事情を知っている年長の人と親族、兄がフォローをしてくれたけれど、それでも交流にはひどく手間取った。しかし、弱音を吐くことは許されなかった。
「お母様、私、若葉会が苦手で……」
「なんてこと言うの、シャーロット!」
「っ」
「いい? サラはきっと、若葉会には行けないわ。貴女をガーデンパーティーに連れていけなかったのは申し訳ないことをしたと思う。でも、貴女は健康な体を持って生まれたのよ。その貴女が頑張らないでどうするの?」
「……はい、お母様。頑張ります。お兄様もよく、フォローしてくださいますから、きっと頑張れます」
「ええ、そうよ。いい子ね、シャーロット」
母はこの時、私を抱きしめてくれた。けれどすぐ妹が咳き込んでいると呼ばれて、出ていってしまった。抱きしめてもらえたのは、嬉しかった。でも本当は「どうして苦手なの」と聞いてほしかった。「頑張っているわ」と褒めてほしかった。どちらもしてもらえなくて、私はまた涙が止まらなかった。
分かっている。母は間違ったことは言っていない。正しいことを諭してくれた。このあとも似たようなことが数回あって、けれど母も父も私を甘やかしたりはしなかった。私が我儘だったのだ。けれど、私も悪くなかった。私が、そう思うのは当然のことだったのだから。
それを教えてくれたのは、私を連れ出してくれたこの人だった。十六歳で初めて夜会に参加した夜、彼は唐突に話しかけてきたのだ。
「シャーロット嬢は完璧な淑女だな。頭がよくて所作も美しく、社交的で顔も広い。その上、ご令嬢がやるようなお稽古はほぼ網羅していて、妹思いの優しい姉君ときた。君、そんなふうで何になりたいわけ?」
「……はあ」
初めの印象は、ひどく悪かった。他国の皇族でなければ適当に話を流してしまえたが、ちくちくと刺さる視線がそうさせてはくれなかった。
「第五皇子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「そういうのいいから。ああ、ここじゃあ答えづらいか。あっち行こうよ」
「え」
ゼーレ帝国の皇子であるテディは、そう言って私をテラスに連れ出してしまった。私と同い年のテディはこの国に遊学に来ていて、若葉会にも参加していたのでこの時の我々は既に初対面ではなかった。けれど、あまり話したことのない雲の上の人であることに変わりはない。粗相がないよう必死に取り繕おうとしたのをよく覚えている。
「殿下、あの、困ります。私、まだダンスを……」
「ファーストダンスは終わっただろう。ちょっと付き合ってよ。君とは一度話がしたかったんだ」
「……それは、光栄ですわ。是非」
「はは、思ってなさそう」
絶句した。なんて趣味の悪い人だろうと憤慨もした。けれど、顔だけは笑顔を貼り付けてみせた。もうあそこまでいくと意地だったのだろう。
「そのように感じさせてしまったこと、大変申し訳なく」
「そんなことどうでもいい。僕は、シャーロット嬢、君と話がしたいんだから」
「……さようですか。でしたら、殿下。その前に一つだけよろしいでしょうか」
「うん」
「我が国では、みだりに個人名を呼ぶことはよしとされておらず」
「知ってるよ。だから君のことを僕が名前で呼んだらさ、皆勝手に勘ぐってくれるだろう?」
「……まあ」
今度は、呆れが勝った。きらきらと輝くような瞳でまっすぐと見つめられながら、そんなことを言われるなんて誰が思っただろう。そして、興味が湧いた。
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