#004『破滅を嗤う者、抗う者』
ボルスカ共和国第二都市クラクク。
その中心街に、威風堂々とそびえ立つスヴォルスキー劇場がある。
白亜の外壁。
天井まで届く列柱。
金と深紅で彩られた五百年の観客席。
この劇場は、ボルスカ芸術文化の象徴。
国宝級と称される大劇場だった。
――そして今宵。
その舞台に灯が入り、
重厚な序曲とともに、幕が静かに上がる。
上演されるのは、
かつて実在した劇作家、ユリアン・スヴォルスキーの代表作。
愛国演劇『バレンティアナ』。
⸻
貧しい家に生まれた姉妹。
清らかな心を持つ妹アリア。
野心と虚栄に満ちた姉バレンティアナ。
王位継承者グラグツ王子の宣告。
――勝者を、妃に迎える。
舞台は森。
“木苺摘み競争”。
勝利のため、
姉は妹の命を奪った。
血に染まった両手。
消えぬ血痕として刻まれる、額の呪印。
罪を隠し、
嘘を重ね、
殺し、
裏切り、
粛清し、
策謀を巡らせ――
王妃となり、
女王となり、
やがて独裁者へと上り詰める。
だが最後。
天より落ちた雷が、
彼女を裁いた。
――それは、
野心と罪の果てに待つ、破滅の物語。
⸻
雷鳴。
白光。
崩れ落ちる女王。
そして――
完全なる静寂。
張り詰めた空気の中、
ただ一人、微笑を浮かべる男がいた。
純白の衣。
白銀の髪。
――サタン。
彼は、舞台を見下ろしながら、
小さく息を吐き、静かに呟く。
「……哀れだね。
でも――人は皆、ああして壊れていく」
その灰青の瞳が、
観客席の闇を越え、
“誰か”の未来を見据える。
「運命とは、抗うほどに――
甘美で、残酷だ」
静かに、幕が下りた。
ボルスカ共和国第二都市クラクク――
ヴァルヴェイン城、地下霊廟。
そこは、
剣と王冠、そして血の記憶が永遠に眠る聖域。
冷たい石壁に刻まれた無数の名。
それらは、古よりボルスカを築き続けた王たちの証。
すなわち――国家そのものの歴史だった。
王家の霊廟の前。
赤を基調とした装いの男が、静かに両手を合わせている。
鍛え抜かれたとは言い難い体躯。
だが、その背筋には揺るぎない覚悟が宿っていた。
名は――コルネル。
「元国王ステルス……
あなたの意志は、まだ終わっていません」
「この国の未来、
必ず、あなたの理想へと導いてみせる」
「――それが、
あなたに救われた者の、唯一の使命です」
低く、静かな祈り。
「……あなたに救われた恩、
一生、忘れることはありません」
蝋燭の炎が揺れ、
王たちの名が、沈黙の中で淡く輝いた。
ボルスカ共和国クラクク、ヴァルヴェイン城。
蒼天の下、悠久の歴史を刻む巨大な城塞が、その威容を誇る。
白亜と灰色の石で築かれた城壁は陽光を反射し、静かに輝いていた。
その城を背に、
黒髪の青年と白銀の青年が、向かい合って立っている。
「当初の予定より、少し遅れたな……悪い」
気まずそうに頭をかくリオンに、ゼロは小さく肩をすくめた。
「俺も、クラククに着いたのは二日前だ。気にするな」
「ワルシュトで、何かあったのか?」
「ちょっとな……魔女と喧嘩してた」
「……それ、無事で済む話か?」
「大丈夫、大丈夫」
軽く手を振ったゼロは、ふと視線を横に移す。
「――それより、そちらの女性は?」
リオンの背後に控えていた少女が、一歩前へ出る。
柔らかな桃髪を揺らし、クラリスは丁寧に一礼した。
「初めまして。クラリスと申します。
ハンゼンで、リオンに助けていただきました」
「初めまして。ゼロ・エイクス。
S.E.N.T.Union直下・国際武装組織“聖騎士団”第七番隊――副隊長だ」
聖騎士団7番隊 副隊長 ゼロ・エイクス
その言葉に、クラリスの瞳が大きく見開かれる。
「……え? 第七番隊……副隊長……?」
「え? ……言ってなかったのか?」
呆れたようにゼロがリオンを見る。
「え? 言ってなかったっけ?」
「言ってません!!」
即答だった。
「あぁ……悪い。
俺、聖騎士団第七番隊の――隊長だ」
聖騎士団7番隊 隊長 リオン・リーブス
風が吹き抜け、城の旗がはためく。
その音だけが、しばし場を満たした。
ヴァルヴェイン城の地下回廊。
重厚な石扉が、軋みを上げて開く。
闇の奥から、軽やかな足音。
「――みぃ〜つけた!」
間の抜けた声。
だが、その響きに宿る気配は、鋭利な刃のように冷たかった。
反射的に振り向く、リオンとゼロ、そしてクラリス。
城の影から姿を現したのは、赤を基調とした装束の男――コルネル。
細身の体躯。穏やかな微笑。
だが、その瞳の奥には、底知れぬ狂気が揺らめいている。
「久しぶりだな……ゼロ……それに――」
視線が、ゼロの背後へと滑る。
リオンと、クラリス。
その瞬間、コルネルの口元が、愉悦に歪んだ。
「いやぁ〜……これはご褒美だなぁ!!
聖騎士団七番隊――トップツーに加えて……
クラリス姫まで勢揃いとは!!」
「……は?」
ゼロが目を瞬かせる。
「えっ!? 姫!?」
「お前が!?」
リオンも思わず声を張り上げる。
その言葉に、クラリスの眉がぴくりと跳ねた。
「……一応、姫ですけど。なにか?」
じっと睨まれ、リオンは背筋を伸ばす。
「い、いえっ……なにも。失礼しました」
瞬時に謝罪。
そのやり取りを楽しむように、コルネルが肩を揺らして笑う。
「君たち、知らなかったの?
彼女は――アルテミア王国第一王女。
クラリス・クラウン殿下だよ」
「……アルテミア?」
ゼロが息を呑む。
「東大陸最大領土の、あの国家か……」
「マジで姫じゃん!!」
リオンの率直すぎる感想に、クラリスのこめかみが僅かに引き攣る。
「……なにか、文句でも?」
「いえっ! ありません!」
即答。
それを見て、ゼロが吹き出した。
「お前ら、ほんと面白いな」
「全然面白くねぇよ……!
今の眼力、見たか!? 普通に怖ぇからな!?」
軽口を交わしながら、ゼロはふと表情を改め、クラリスを見る。
「でも、なんで東の大陸から、わざわざ北の大陸に?」
「……ヴァジュラ共和国への、公式訪問です」
「ヴァジュラ?
でも、そこってボルスカの西隣だろ?」
首を傾げるリオン。
「一つ国を跨いで、ザルタ経由で来てるって……妙だな」
「確かに」
ゼロも頷く。
クラリスは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「それは……」
その時。
――パンッ。
乾いた手拍子が、空気を切り裂いた。
三人の視線が、一斉に向く。
「……あの〜?」
満面の笑みを浮かべたコルネル。
「私の存在、完全に忘れてません?」
「……あっ」
ゼロがぽん、と手を叩く。
「忘れてた」
「そういえば居たな。お前」
リオンの追撃。
「君たち……失礼すぎない?」
コルネルは肩をすくめ、苦笑しながらも――
その眼差しは、獲物を捉えた捕食者のそれだった。
「てか……お前、誰?」
リオンの率直すぎる問いに、ゼロが肩越しに答える。
「“隷従の魔女”の幹部の一人だ」
コルネルは楽しげに手を振った。
「俺は“五鎖”の一人――コルネル」
「五鎖……?」
クラリスの疑問に、ゼロが簡潔に説明する。
「ゾフィア直属、五人の最高幹部。その総称だ」
「まぁ――」
コルネルは指を鳴らし、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
「とりあえず……ゾフィア様への、豪華な手土産になってもらう」
「なぁゼロ。あいつ、もう勝ったつもりだぞ」
「リオン、油断するな。
――あいつは“痺鎖”。懸賞金付きの国際指名手配犯だ」
「痺鎖?」
その瞬間。
「それが――これだ!!」
コルネルの姿が、掻き消えた。
次の刹那、リオンの右腕に衝撃。
「――脈断拳!!」
神経を正確に打ち抜かれ、腕が完全に痺れる。
「ぐっ……!? 腕が……!」
「肘内側の脈点を断つ。武器落としの基本だ」
楽しげに解説するコルネル。
「これが“痺鎖”の所以さ」
「リオン、下がれ! あいつは俺がやる!」
「了解! 使い魔は任せろ!」
リオンが前に出て、黒い使い魔の群れを迎撃。
黒い使い魔の群れが、リオンへ殺到する。
「任せろ!」
燃え盛る炎と剣閃が交錯し、次々と影を打ち砕いていく。
その光景を、クラリスは息を呑んで見つめていた。
(……これが、聖騎士団……)
圧倒的な力。
だがそれ以上に、恐ろしいほどの覚悟。
コルネルは一気にゼロへ肉薄する。
「――沈雷掌!」
雷鳴の如き掌打。
だが、ゼロは紙一重でかわし、左脇腹に触れる。
「――一点の斥密度
《リパルス・ブレイク》」
衝撃が炸裂。
コルネルは弾丸のように吹き飛ばされ、地面を転がる。
「……厄介なフォースだな」
立ち上がりながら、コルネルが唸る。
「だが……触れた時だけ、だろ?」
次の瞬間。
影から現れた使い魔が、ゼロの身体を拘束。
「――もらった!」
コルネルの拳が、ゼロの前腕を連続で撃ち抜く。
「痺縛折!!」
指先まで痺れが走り、力が抜け落ちる。
さらに――
「痺鎖衝!!」
肩脈を貫かれ、痺れが鎖のように腕全体へ拡散する。
膝をつくゼロ。
圧倒的な力。
だがそれ以上に、恐ろしいほどの覚悟。
その時――
「――ゼロ!」
と思わず声が漏れたクラリス。
胸が締めつけられる。
指先が、震える。
コルネルは、ゼロを、見下ろして嘲笑う。
「哀れだな……ゼロ。
今さら、自分の過ちを悔いているのか?」
「……心当たりがない」
その微笑みに、コルネルの苛立ちが爆発する。
「黙れ!!」
蹴りが炸裂。
ゼロの身体は建物を貫き、瓦礫の中へ消えた。
クラリスの視界が、一瞬、白に染まる。
(……嘘……)
心臓が、凍りつく。
「コハハハハ!!
無様だな! 恐怖を――見ろよゼロ。お前の退嬰さが仲間にも影響しているぞ。お前の仲間は呆れてお前のことを心配すらしてないぞ!!」
と嘲笑うコルネル。
「黙れよ」
低く、鋭い声。
黒い使い魔と戦うリオンが、振り返る。
「心配してねぇんじゃねぇ。
信頼してるから、心配しねぇんだよ」
その瞬間。
瓦礫が、動いた。
リオンは確信したように笑い、周囲へ火炎を解き放つ。
「火炎乱舞!!」
黒影が焼き尽くされる。
そして――
瓦礫が、弾け飛んだ。
立ち上がる、白銀の影。
「……コルネル」
ゼロの左掌が、ゆっくりと掲げられる。
「恐怖とは、逃げ場を失った時じゃない。
――痺れながらも、なお立ち上がろうとする意志だ」
「――飛躍弾幕
《ブラスト・リジェクション》!!」
無数の瓦礫が、弾幕となって襲いかかる。
「ぐっ……!!」
それでも、コルネルは立ち上がり、拳を構える。
「これが――答えだ!!
痺撃拳・奥義――
零閃・痺断!!」
だが。
「――無駄だ」
ゼロの斥力が、すべてを弾き返す。
さらに右掌を突き出す。
「衝撃波
《ショック・ウェーブ》!!」
大気が爆裂。
コルネルは吹き飛び、建物ごと粉砕され、瓦礫の下へ沈んだ。
静寂。
ゼロは振り返らず、歩き出す。
リオンは、軽く肩をすくめた。
「……ほらな」
戦いは――
リオン・リーブスとゼロ・エイクスの、完全勝利。
――リティア共和国南部・第2都市。
ボルスカ共和国北部に位置するこの小国の要衝都市には、正義軍第84支部の前線基地が置かれていた。
その食堂の一角。昼食を囲むのは、ハンゼン襲撃作戦に参加したクロード大佐率いるクロード隊の精鋭――
アレン・ユーキ曹長、コイル・アマルティ伍長。
そして一等兵・二等兵あわせて十名。
総勢十二名のみで編成された即応部隊だった。
重苦しい空気の中、一等兵の一人が、箸を止めて呟く。
「……今回の任務、僕たち十二人だけなんですね。それに、左官クラスも不在……」
一瞬の沈黙。
それを和らげるように、コイルが穏やかに微笑んだ。
「ガルシア大佐の判断だよ。主力部隊は別任務に回ってる。
だからこそ、僕たちが選ばれた……そう考えた方がいい」
その声音は柔らかいが、確かな覚悟が滲んでいた。
「でも……俺たちが、ですか……」
不安を隠せない二等兵に、コイルは静かに首を振る。
「無理はさせない。誰一人、無駄死にはさせない。
……必ず全員で帰ろう」
その言葉に、わずかに場の緊張が緩む。
だが、別の一等兵が、沈んだ声で口を開いた。
「……正直、厳しすぎる任務ですよ。
相手は……」
「……魔女、ですよね……」
その一言が、再び食堂の空気を凍らせた。
「その言い方はやめろ」
低く、鋭く。
一瞬で場を支配したのは、アレンの声だった。
「相手は怪物でも伝説でもない。
俺たちと同じ、“倒すべき敵”だ」
誰も言い返せない。
その沈黙の中、アレンは視線を伏せ、ぽつりと呟いた。
「……“隷従の魔女”」
その名は、数多の戦場を血と絶望で塗り潰してきた存在。
都市壊滅、部隊全滅、国家転覆――
全ての惨劇の裏に、その影があった。
「相手が誰であろうと、任務は遂行する。
……それが、俺たち正義軍の使命だ」
アレンの眼には、揺るがぬ決意と、消せぬ覚悟が宿っていた。
静かに、しかし確実に。
この十二名に――
過酷すぎる運命が、刻み込まれ




