《古運河の残骸路》
休息日を挟んだ翌日。
まだ街が完全に動き出す前。
俺たちは宿を出て、東側へ向かった。
下級ダンジョン《古運河の残骸路》。
レファルの東方に広がる、水路跡の下級ダンジョン。
かつてこの地には、レファルの前身となる小さな街が存在していた。
だが、近隣に複合型ダンジョンが発生したことで状況は一変する。
魔物の発生頻度が急増し、街は維持できなくなった。
住民たちは避難を余儀なくされ、街は放棄せざるを得なかった。
その後、役目を失った運河と街の残骸は長い間放置される。廃墟に魔力が溜まり、やがてダンジョンとして定着した。
それが《古運河の残骸路》である。
現在の内部は、崩れた水路と半壊した石橋、泥と水の溜まり場が延々と続く。
地形は単調だが足場は悪い。
見通しも決して良くない。
出現する魔物の大半はスライム系統。
動きは遅く、攻撃性も低い。
加えて、コボルトの姿も確認されている。
こちらは罠を張るだけ張って姿を現さない臆病な個体が多い。
人の気配を察知すると、即座に逃げへと徹する。
たとえ戦闘になったとしても苦労することはない。
そのため、下級ダンジョンに指定されているが、戦闘難易度自体は極端に低い。
敵との正面衝突を想定するだけなら、この街でも指折りに安全な部類だ。
初心者向けダンジョンとして、冒険者ギルドから紹介されることもある。
罠の存在。足場の悪さ。敵に有利な地形。
この三要素を学ぶには、うってつけの環境だ。
ただし、人気はない。
理由は二つある。
一つ目は立地。
街から徒歩で二日掛かる。
同程度の難易度を持つ《陽だまり溢れる麦畑》が街から二時間で到達できる。
距離の時点で勝負にならない。
二つ目は報酬の地味さ。
主なドロップはスライムの核。
コボルトの罠から回収できる矢や部品も換金額は低い。
依頼内容も素材回収や罠撤去が中心となり派手さとは無縁だ。
結果として、ここを訪れる冒険者はほとんどいない。
今では「誰も来ないから危険が少ない」という、少し歪んだ評価だけが残っている。
ここはそんな場所だからこそ、ライカの良い練習場所となる。
「今日は戦闘より、確認だ」
入口で、俺はそう告げた。
「罠を見る。罠を避ける。罠を解除する。
敵に有利な場所でどう動くか。それを覚える」
ライカは真剣な顔で頷く。
サガルフも盾を構え直した。
「今回は、ライカの索敵能力向上を。サガルフは奇襲からの戦闘の感覚を掴んでいくことを目指す」
「うん」
「はい!!」
そこから一歩踏み出し、迷宮の中へと踏み入れる。
崩れた石造りの水路が薄暗い奥へと続いている。
足元は湿っている。
踏み込むたびに泥が音を立てた。
「……歩きづらい」
ライカが眉をひそめる。
所々にある足首ほどの水たまり。
崩れた石畳が交互に続く。
見通しは悪くないが、足場が不安定だ。
「ここはな、敵より罠の方が厄介だ」
俺は水溜まりを飛び越える。
「スライムは遅いが、水に溶け込んで見えない。そして、罠だけ仕掛けたら逃げる臆病なコボルト。この地形に相まって、いやらしいダンジョンになってんだ」
「ここは、難しい?」
「いや、罠さえ分かれば大したことねぇ」
ライカは小さく頷く。
視線が自然と地面へ落ちていた。
俺は見覚えのある水溜まりにニヤリとする。
「ライカ」
「ん?」
「もう2歩、前進」
ライカは言われた通りに足を進める。
次の瞬間、ライカの足元が抜けた。
「わっ」
短い悲鳴と共にライカの姿がそのまま下へ消えた。
数秒後にライカが水面から顔を出す。
「ライカ、生きてるか」
「……うん。エレウス、最低」
恨めしい顔をしながら、こちらを睨む。
「ぬるぬるしてる……やだぁ……これ」
「スライム風呂だな」
「最低」
ライカは這い出でるとヌメっとした液体が辺りに散らばる。
穴の中を覗くと、膝下ほどの浅い水たまり。
さらに奥底には半液状のスライムが溜まっている。
攻撃性はない。ただの嫌がらせの罠だ。
「悪かったって、ほら」
ライカの全身を魔法で生成した水で洗い流す。
水は元の穴へと再度流し込み、風魔法で乾かす。
乾かすにはしばらく時間が掛かるだろう。
「気持ちいい」
「それは良かった」
「これくらいやらなきゃ、ダメ」
「ごめんて。罠にかかるのも経験だからよ」
「それなら、言って欲しかった」
ライカは少し恥ずかしそうにロープを掴んだ。
引き上げると、服の裾がまだ湿っている。
この時間を使い、ライカとサガルフにこちらに注目するように、俺は地面を指差した。
「今のは何が変だった?」
ライカは視線を落とす。
しばらく黙ってから言った。
「……石の並び、ちょっと綺麗すぎた」
「正解だ」
俺は頷く。
「罠を仕掛けるとどうしても何かしらの部分を弄らないといけない。だから、溶け込ませようとして直す程に整って見える時がある。今回は石の並びがおかしかった。これは掘り起こした後を保全した後ってわけだな。じゃあ、お前ら。あの壁はどうだ?」
壁へと視線を向け、必死に違いを探す二人。
ライカの服が乾いたのを見て、魔法を解除する。
それと同時にサガルフが声をあげる。
「あっ、穴が決まった場所に空いてますか?」
「良い眼だな。正解」
一見不規則に組まれている石の壁だが、老朽化の影響で崩れている場所がある。穴が空いていたり、表面が色褪せていたりしている。
今回見つけたのはその中で等間隔に空けられた穴。
「サガルフ、そこの右の穴に盾を構えたまま進んでみろ」
「この感じ、あれですよね?」
「何事も身体で覚えるもんだ」
「そ、そんなぁ……」
俺の指示にサガルフは恐る恐るながらも1歩ずつ前に進む。その穴から1m程の距離になった時。
穴の中から何かが飛び出す。
サガルフはすかさず盾で弾くと金属音が響いた。
「矢が飛んできた?」
「ああ、コボルトお手製の矢罠だな」
「魔物がこんな罠を作るんですか」
サガルフは驚いた顔をしてこちらに問う。
「最初は驚くよな。だがな、知性がある魔物程こういった罠を仕掛けてくる。下級や中級ダンジョンぐらいなら、その程度で済むが、上級ダンジョンになれば戦闘力もある。こういった類の魔物がダンジョン探索では非常に厄介だ。覚えておけ」
「はい!!」
「うん」
サガルフは元気よく返事をし、ライカも頷く。
二人はあれこれと視線を向け始める。
良い傾向だ。
「あっ」
ライカが声を出す。
視線の先には足首ほどの高さに糸が張らされている。
サガルフもそれを見つけるとこちらを見上げる。
「これは?」
「足を引っかければ分かる」
「まさか」
「おう、そのまさかだ」
俺はその糸に足を掛けると、鈴の音のようなものを耳が捉える。
しばらくの間、待っているが何も起こらない。
「これ、罠じゃない?」
「もうちょい待ってな。じきに分かる」
俺がそう言った瞬間。
ピタリとサガルフの身体が震える。
盾がわずかに前へ出る。
「……右、上」
サガルフの低い声に俺は頷いた。
「気づいたな」
壁の上にモゾモゾと蠢く何か。
微かに動き続ける影がある。
「ライカ」
「うん」
言われる前に、ナイフを投げる体勢に入っていた。
ナイフが風を切り、乾いた音が木霊する。
ギャッ、という短い悲鳴。
石壁の上から小さな影が落ちてくる。
「コボルトだな。これは警報を鳴らす罠だ」
事切れているであろうコボルトに近づく。
「……矢?」
コボルトが握りしめている手には古い矢束。
ライカが首を傾げる。
「この罠が鳴れば、自然と矢罠も発動したことになる。回収するついでに再装填するつもりだったんだろ。コボルトにとっては貴重品であり、ここの換金アイテムだ」
俺は矢を拾い上げる。
「この罠で死ぬ奴らがいれば、肉にありつけるからな。警報が鳴れば、見に来るのは当然ってわけだな」
ライカは矢をじっと見つめた。
「倒しても……あんまり、得るものないんだね」
「だから、逃げるし、罠を張る。それがコボルトの特製ってわけだな」
サガルフが静かに言う。
「……戦わない敵、ですね」
「ああ。戦わない敵ほど厄介だ。知っておけば、そういうもんだと納得しとけばいいさ」
それから再び探索に戻る。
落石や橋が崩落する罠、一度見た罠の解除をライカに教えながら歩みを進める。
時々見掛けるコボルトはこちらに気づくとすぐさま退却する。
ライカがナイフを取り出すのを制し、奥へと進む。
しばらくすると、空間が開けた。
「ここ、ボス部屋?」
ライカが周囲を見る。
中央に、巨大なスライム。
ジャイアントスライムだ。
動きは遅い。存在感だけはある。
「……」
ライカとサガルフが構える。
「行けるか?」
「はい」
「うん」
俺は一歩下がった。
「まあ、何も心配してはいねぇが」
ライカが双竜・蒼を投擲する。
スライムの核を正確に貫く、
ズルリと形が壊れていく。
一瞬にして崩れさったスライムは宝箱へと変化する。
「……終わり?」
サガルフが盾を下ろす。
「……あれ?」
ライカも首を傾げる。
そんな間抜けな光景に思わず笑ってしまう。
「お前らが強ぇってことだ」
二人がこちらを見る。
「下級ダンジョンじゃ、もう学べることが少ねぇわな」
少し間を置いて、続ける。
「罠はこれから先もっと見抜けるようになるだろうし、敵の気配も掴めてきている。それに連携は問題なくできるしな。後は経験だけだ、お前らは」
サガルフが息を整えながら言う。
「……中級、ですか」
「ああ、そろそろ行っても良いだろ」
「おお、やった」
ライカの目が少しだけ輝いた。
反対にサガルフは握る盾に力がこもる。
帰り道は静かだった。
俺は特に何もしていなかった。
罠は引っかからない。
敵は軒並み倒すか、逃げるか。
ダンジョンの中だというのに散歩をしているかのようだった。
あっという間にダンジョンを抜ける。
日が落ちる前に、レファルへと戻ってきた。
街の灯りが見えた時、ライカが言う。
「……楽しかった」
「そうか」
「うん。ちゃんと、考えた」
サガルフも頷く。
先程とうってかわり腹を括る顔つきをしている。
「自分も……守るだけじゃなく、見る余裕が必要なことに気づきました」
俺は二人を見た。
「それでいい」
レファルの門をくぐる。
日帰りで下級ダンジョン終える。
もはや、下位冒険者とは言えない。
ふと出来心を口にする。
「なんか美味いもんでも食うか」
「いいですね!! 肉にしますか!!」
「私、エレウスが選んだところならいい」
「なら《ギュウギュウ詰合》に行くか」
俺達は疲れた身体で街の中へ進んだ。
身体は肉を求めている。




