黄昏のトゥラグヌス
《ギュウギュウ詰合》の店内にて。
その男はカウンターでうつ伏せになっていた。
いびきをかく度に上下する身体。
積み重ねられた皿は十数枚を越え、空の樽ジョッキが床にまで散乱している。
土を思わせる暗褐色の髪が肩に掛かっている。
深緑の色をした外套をフードごと被っており、全体の輪郭は分からない。
ただ、腰に添えられた片刃の曲刀だけがやけに目に付いた。
間違いない。あいつだ。
「お前ら、先に卓についててくれ」
「はい? 分かりました」
サガルフに席取りを頼み、ライカはその後についていく。
俺はそのカウンターへと近づいていく。
すると、いかつい面した冒険者風の男が進行方向に足を出す。椅子に深く腰がけ、こちらを凝視する。
「てめぇ、あの人が誰か分かってんだろうな?」
「それなりに」
「なら、ここは通せねぇな」
いかつい男はそう言うと、立ち上がる。
握り拳のままポキポキと指を鳴らす。
おいおい、ここ相当な高級店なんだが。
「逆に聞くが」
「ああん?」
男は一歩踏み出し、肩をぶつける距離まで詰めてきた。
酒と汗の匂いが鼻を刺す。
周囲の客が気づかないふりをして視線を逸らす。
「何故、あいつが『壊樹』なのか。知ってるから?」
「そんなもんっ、魔法と剣技で相手を壊すからに決まってんだろ!!」
「違ぇな」
思わず鼻で笑ってしまう。
男の顔は青筋が立て、近づいてこようとする。
俺は話を続ける。
「かつて高位冒険者を次々に飲み込んだ上級ダンジョン『呪縛雪林』。正体は自律行動が可能なトレント系統の魔物の擬態による奇襲が原因だった」
「知識自慢されても困るんだが、ああん?」
「当時まだ無名のB級冒険者だったグラベリー・トゥラグヌスは、単独でダンジョンに潜った末、攻略までしてしまった。記録上はパーティで潜ったと記載されているが、他のメンバーは入口で待機していたのみ。これはあいつが持つ特殊な技能があってな。確か……」
そう言いかけた刹那。
足元に曲刀が現れる。
床板に深く食い込み、わずかに震えている。
狙い澄ました投擲は音もしなかった。
「あなたは何者ですか?」
先程まで突っ伏して眠っていた男はこちらに眼を向ける。深い緑がかった暗色の瞳は、こちらを吟味するかのように鋭さを持つ。
懐かしい顔だ。また逢えたな。
「……答えなさい」
低く殺気が交じる声。眠気も酔いもない。
酒に沈んでいたはずの男の気配が一変する。
喧騒にまみれた店内は水を打ったように静かになる。
ライカがこちらへ寄ってくる。
手で「来るな」と指示をする。
ライカは首を縦に振り、席へと戻っていった。
「迷宮に魅入られた男」
一瞬、グラベリーの指がピクリと跳ねる。
六振りの曲刀の内、一番近い肩の一振りを手に取る動き。
昔と同じだ。何も変わっちゃいねぇ。
獲物を斬る時のグラベリーはいつもそうだった。
「相変わらずだな」
「何がですか」
「相手を殺す時の距離も無意識に測るその指」
「……私のどこまで知っているのですか?」
「重度のシスコンっていうのしか分からん」
「……」
「やーい、ノータッチ・マイシスター」
周囲は顔を見合わせ、首を傾げている。
しかし、当のグラベリーは絶句していた。
「その不名誉な呼び方は……本当に……?」
「エリちゃんは元気か?」
アングラーは瞼をぱちくりさせる。
「どうして、まさか……ああ、神よ」
「お前が一人で居るのがそもそもおかしいだろ」
椅子から立ち上がりアングラーはこちらに歩み寄る。
進路を塞いでいた男は元いた席まで下がる。
俺の前まで来ると、肩を強く掴まれる。
「分からないんです」
「……エリちゃんに関わることか」
「はい」
「まだ生きてるんだな?」
「分かりません。寝たきりです」
「お前のことだ。全部試したんだよな」
グラベリーから流れる涙が床へとこぼれ落ちる。
「王都の大神殿でも分からないと言われました。最上級光魔法の《オーロラヒール》も試しました。しかし、駄目だったんです。ならと思い、私自身でエリクサーを探したのですが、一人では七大迷宮の下層までは降りられません。仲間達とはその件で仲違いしてしまい、私達はここに残るしかありませんでした。今もエリンシアは目を覚ますことなく、一人で戦っているというのに……私は、私は!! 何もできずにここに居る自分が不甲斐なくて、悔しいのです!!」
グラベリーの独白に熱を帯びる。
普段はもっと静かな奴なんだが、妹となるとこれだ。
妹ファースト主義なのは、流石というか呆れるな。
「……それって、呪いじゃねぇのか?」
「病気かと思います。呪いの兆候はありません」
「ダンジョンでエリちゃんは倒れたんだろ」
「はい」
「エリちゃん自身も神官なんだから、自力で直せたはず。どこに潜ったんだ?」
「ハドベックにある上級ダンジョン《黒槍天使と白弓悪魔》です」
「なら、『白黒反転』で違ぇな。呪いというよりは状態異常だな、それ」
悪名高いダンジョンとして有名な《黒槍天使と白弓悪魔》。
文字通りの天使と悪魔が出てくる。
『白黒反転』は白弓悪魔の特性の一種。
魔力と体力の比率を反転させるというもの。
単純だが厄介な特性だ。
「直撃していなければ、何もないのでは」
「あれ一応魔法だからな。範囲内にいれば効いちまう」
「そうなると、エリンシアは魔力過多症……ということですか?」
「あくまでも俺の憶測が正しければ、な?」
魔力過多症。
以前ロキアが罹っていた魔力欠乏症とは、正反対の位置にある症状だ。
人にはそれぞれ、体内に保持できる魔力量の上限がある。大きく超えて魔力を取り込み続けると、身体が耐えきれなくなる。
結果、肉体は無意識のうちに適応を試みる。
その過程で意識を遮断し、昏睡状態に陥る。
魔力の流入を止め、内部の均衡を保つための防衛反応に近い。
生まれつき魔力量の多い子供が発症する例は少なくない。
自制が利かず、無意識のまま魔力を溜め込み過ぎてしまうためだ。
しかし、成長と共に身体の感覚が追いつき、自然と制御できるようになる。
その場合、症状は時間と共に改善していく。
対して、大人が発症する例は極めて稀だ。
それは本来、すでに魔力制御を身につけているはずだからである。
今回のケースは非常に珍しいといえる。
「ああ、聞く限り症状は一致している。エリちゃん、魔力量だいぶ多かったよな」
「はい」
「なら、魔力を減らして様子を見るしかねぇ」
唯一の治療法は、体内に溜まりすぎた魔力量を減少させることだ。
今回のケースであれば、白弓悪魔の持つ固有能力《白黒反転》を再び受けるのが、理論上は最も確実で手早い方法となる。
だが、意識のない人間を連れたまま、ダンジョンへ足を踏み入れるなど論外だ。
迷宮を舐めてかかれば命を落とす。
これは治療ではなく、賭けに等しい。
となれば、残された手段は一つしかない。
魔力そのものを減少させる効果を持つ何かを用いる他ない。
レファルでそれを手に入れられる。
しかし、グラベリーだけでは正直不可能だ。
「ちょっと、こっちに来い」
グラベリーを手招きする。
近づいてきたグラベリーに耳打ちする。
「『深淵忘却』に行くぞ」
「……はっ?」
泡を食った症状のグラベリーに追い打ちをかける。
「A級以上の支援術師1人を連れてこい」
「はい、やらせていただきます」
すぐに正気に戻り、俺に頭を下げる。
さっきまで俺に食ってかかってきたいかつい男は、グラベリーと俺を交互に見合せる。
お前、分かりやすいな。面白い奴だぜ。
「もちろん、あなたも来てくれるんですよね?」
「ったりめーだよ。あと貸しの代わりにここ奢れ。店にいる奴全員にな」
「全く……敵いませんね。分かりましたよ。あなたたち、今日は何でも食べてください!! 私が全て持ちます!!」
グラベリーの言葉に張り詰めていた店内のボルテージは一気に上がる。あちこちの卓から注文が入り、ウェイトレスが慌ただしく動き始める。
いつも以上に賑やかな《ギュウギュウ詰合》に戻る。
「でも、こんなんじゃお返しにはなりません」
グラベリーはこちらに右手を差し出す。
「私にできることなら、何でもやりましょう」
その手を握り返す。
「まあ、考えておくわ。それと今はエレウス・べべって名前でやらせてもらってる。よろしくな」
「ははっ、迷宮以外のことは安直ですね」
「うっせ、妹至上主義がよ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「2日後、《丸くなる狐亭》に来な。起こしてくれよ」
「冗談ばかり。その軽口もお変わりないようで」
それから、少しを間を置いてグラベリーが口を開く。
「本当にエリンシアは、助かるのでしょうか」
俺は背を向け、ライカとサガルフが待つ席へと進む。
「妹のためなら死んでもやり遂げる」
「……」
「お前はそういう奴だ」
「……」
「エリちゃん、一緒に助けるぞ」
「はい、絶対に助けてみせます!!」
そう言ったグラベリーに悲壮感はなく。
かつてのS級冒険者『壊樹』の姿がそこにあった。




