それでも続いていく
グレイシー視点がございます。
空は繋がっているとは言うものの、そこに映しだされる色は恋する乙女のように違う。
日本の地を蹴り飛び立った時は、綺麗なスカイブルー──まさしくその名の通りだったのに、今はどんよりとしている。
幸先が良いスタートという言葉はあまり信じないようにしている。
思い出の中で、そのような心境や空色だった時、いつも悔しさだったりどうして自分はこんな性格なのだろうか? と下を向くことばかりだったから。
幼稚園に入園して、外部教室という名の習い事をはじめた時も晴天で母親は喜んでいた。初日はそうだった。
それが続けば──母親はずっと笑っていてくれたのだろうか。
「絵を、思った通りの絵を、あんたは描いたんやろ?」
母親の声が震えていた。叱責されているわけでもないけれど、私はとっさに首を肩に埋もれさせるようにして、防御の体を取った。
「お母さんは信じてる。あんたが見て、描いたもんが絵やって。お母さんは信じてる」
繰り返し言われた、「信じている」の言葉には微かな苛立ちと多大な悔しさがあったと今になって感じ取ることができる。
当時はそれがわからなくて、習い事をクビになった不出来な子への感情の爆発だと思っていた。
だから、怖くて手を握ってくれていたその手を振り払った。母親はひどく傷ついた顔をしていた。
その日が原因だったのか、母親は家を空けることが多くなった。
隠せなくなった母親の秘密は、私が高校生の時にパンドラの箱を開けた状況になった。
元々、家族というカテゴライズで、その中で夫婦という肩書を得ただけだったから大した喧嘩があったわけではなかった。
一つの季節だというのに、違った季節の気温だとか植物、風物詩が入り込んだようなものだった。
「晴渡、お父さんとお母さんは他人になったみたい。何か困ったことがあればおばあちゃんか、あたしに言うのよ」
でも、姉から報告を受けて、シビアになることで浮遊した感覚をどうにか繋ぎとめているだけだったと思った。
生きているということは、何をもたらしていくのか。
何を得て、何をこぼすように失っていくのだろうか。
「晴渡、泣いてええんやで。怒ってええんやで。これはおばあちゃんが招いたことでもあんねんから。あんたのお母さんを取り上げたんは、おばあちゃんが嫁をしっかりと躾なあかんって気負いすぎたんやから」
怒られ、罵られて、泣きわめかれて……それを甘んじて受けることで祖母は罪をしっかりと意識しておこうと思ったかもしれない。
私にはできなかった。
ただ、服で声を殺して泣くだけだった。祖母の顔を見ないようにしてその身体に縋りついて、何故泣いているのかわからないこの悲しみを受け止めてくれるだけを願っていた。
その祖母が亡くなったことで、私は寒さからの防御をするときのように涙は流れていた。
それをCAや近くの乗客が声を掛けてくれる展開もなかった。ティシューペーパーを取り出して拭おうとした。ティシューペーパーは意識させるように、本に寄り添っていた。
祖母が読み進められなかった短編集。ぱっと開いた一編に思い出の糸が絡まり合った。
物語では雑踏の中で埋もれるようにして、月夜の雨を眺めて冷たくなったアルコール中毒者になってしまったある男の死にまつわるものだった。
祖母はこれを読んだと思う。栞代わりのレシートはその一編のピリオドのページに挟まっていたから。
何を思ったのか、と考えるのはできなかった。したくなかった。
そろそろ着陸する時間帯だった。涙を乾かさないと。
直行便は年に数回しか出ていないせいで、早く会いたくても叶わない。行きだって陸路を電車移動して、そこから直行便を利用した。帰りは上手く調節できなかった。一旦、泊まりを挟んでの帰宅だけは……きつすぎる。
× × ×
グレイシーはそわそわと落ち着かない気分で、生まれ育った家の客間のベッドから起き上がった。
階下では静かに動く使用人の気配しかしないはずだ。生まれてから今まで、これからも変わらない。
使用人たちは叔父がスポンサーになっている戦争孤児・難民たちが身を寄せているシェルターの教育機関から雇いいれている。これはÐ国に根を下ろした初代から変わらない。
小さな行き違いや大きな行き違いは多くあったけれど、スペランツァで働いてくれている人々はとてもよくやってくれていると実感する。今日も興奮から目が覚めなければ、物音で目を開けることもない。
「使用人って、現実離れしていて……誰かが居ると落ち着かないとかないの?」
ハルはグレイシーの環境が天と地以上のものだと知った時に聞いてきた。ハルが聞いてきたことにびっくりして、グレイシーは何を聞かれたのかを咀嚼する必要があった。
「生まれたときからそうなのだから、落ち着かないとかはないわね。相性というか、どうしても馬が合わない人とはなるべく避けようとしてしまうけれど」
今度はハルが驚きから言葉が出なくなっていた。
「グレイシーはお姫様なんだ!」」
目も口も真ん丸にしていたハル。
何を思ったのか、恭しく手を差し伸べてくるハル。
少しだけ違うその作法を見て、微笑みが顔いっぱいに広がった。
ルールに縛られるのかまっぴらだと、この愛の中では二人がお姫様であり、二人が騎士であり、キングとクイーンなのだ。
「ママ? エイヴィがおもちゃ箱をひっくり返してる」
太古昔の恐竜に目がないパトリツィオがお気に入りのそのパジャマにしている着ぐるみのまま駆け込んできた。気分は一転して母親のものになった。
「パット、エイヴィという名の人間を捕まえに行くわよ」
「ちがうよ、ママ! なかよくしにいくんだよ」
グレイシーは息子の成長に胸の中が支配していく感情をただ、抱き上げてしっかりと離さないようにした。
「はやく、はやく! ママ、おばあちゃまとかにバレたらヤバイよ! みんなおこられる~」
ただ、メラニーとはあまり会話させないようにするべきかもしれない。パトリツィオの口調が当人のものに近くなっているような気がする。
だけれど、今は二人してエイヴィの所業を見に行かねば。




