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六角の花   作者: フミ
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開祖ヨシサダは海に登る朝日を見たか

脳の中が真っ黒な溶けた飴になって、ねばつき、どろつき、指でつまんで立ち上がらせても、またへたって頭蓋の底にへばり付く。

つまりくそ眠い。

眠っていては眠気を感じる事は無いのだから、眠気を感じたのであれば目覚めたのだろう。

きっかけは瞼をくすぐる朝日だった。

目をつぶっていたら朝日なのか他の明かりなのかは分からないが、朝が来たぞと騒つく生き物達の騒がしさというものは、無音であっても騒がしく、また心地良い。

だがくそ眠い。

寝返りをうって朝日から逃れると、何やら硬い物の上で眠っていたようだ。

腰と肩に食い込む直角が 目を覚ませとやかましいが、もっとやかましいものがある事が習慣として染み付いている。

それを避ける手段として腕の中にある寝息を腕で覆った。

そうしないと新しい一日が待ち遠しくて仕方ない息子の尻に、顔を幾度も踏み付けられて強制的に目覚めさせられてしまうのである。

一難は去った。


「聞こえておったぞアキヨリ。」


これは無視出来ない。

尊敬する人物という大まかな概念でしか、半分眠った脳味噌は捉えられないが、何か気に障る事を言ってしまったかと、昨日の記憶を引っ張り出した。


「リッカ!!」


そう叫んで体を起こしてやっと自覚した。

昨日の出来事は何だったかと、蓋を開けたら飛び出して来た、吹き荒れる吹雪やら渦巻く火炎やら咲き乱れる夾竹桃やら、けたたましく笑う死者を思わせる青白い顔やら、気血漲る若者達の顔やら、靡く黒く長い髪に涼しく微笑む愛おしい眼差しやら。

つまり昨日一日の出来事は、一度に思い出すには膨大すぎる只の一日では無かった。

であるにも関わらず日常的な朝を迎え、昨日と同じであってはならない人の名を叫んで目覚めたのだった。


「おはよう。」


リッカは少し仰け反って笑っていた。

そうしなくては起き上がるアキヨリとぶつかってしまう近距離で、上からアキヨリとトウカを覗き込んでいた事になる。


「リッカ!!」


思わず腕を掴んで引き寄せた。

初めて会ったあの日、生家の庭に勝手に建てた、ガラクタばかりが転がる小屋の中を塗り替えた、甘い匂いと同じ匂いが身体中に染み渡った。

昨日の記憶だけに及ばす、あの頃と同じ匂いは、陶芸に対する心構えの至らなさを たしなめられたあの日、雪の結晶を眺めたあの晩、兄達に先立たれた絶望に生きる希望を与えてくれた、西の沢で見上げた空の色までが思い起こされアキヨリは絶句した。


「毎朝 目が覚めるのはいい気分ね。」


曇り空を見上げたまま言葉を失っていたアキヨリの時間が動きだした。

あの頃とは確実に違う、アキヨリとリッカに挟まれたトウカは、リッカに抱かれていた赤ん坊に眠りながら頬ずりしニヤニヤ笑っている。


「ああ…」


気が遠くなる程に胸に満ちて行くのは何と呼べば良いのだろうか、幸福感、達成感などいくつか挙げられるが、そんな行為に何の意味があるだろうか。

失い癖の付いた幸せの容れ物はやけに小さく、即座に並々と満たされると、失い癖は失ってはならぬと様々 心配事に右往左往を始めた。


「寒くないか?」


朝日、曇り空が見える、ならば野外。

季節は真冬の筈である。

波の音に合わせて軋んでは揺れる尻の下、そして潮風、ならばここは船の上。


「皆は無事か?!」


手の届く範囲にしか向けていなかった意識が破裂する様に広がった。


「声が高い。」


例えるならば槍の間合いに潜り込んで突き付けられた短刀だろうか。

広がる意識が目にする、マサトラを筆頭に甲板にイビキを立てるコウズケの猛者達。

船べりに寄り掛かって身動きもしない、左右に十名ずつの漕ぎ手が居眠りしているだけだと安心した所、背後から首に腕を回された。


「ニリカ様!」


匂いで分かった、リッカ同様に甘い匂いだが、何というか野性的な獣の匂いと例えるのは、たとえ胸の中でも失礼だと、砂に描いた他人に見せられない卑猥な絵をかき消す様に自分を誤魔化した。


「スミトモは?」


誤魔化しが上手く行ったのか、半死半生の面構えでニリカに背負われていたスミトモへの気掛かりが頭をもたげた。

するとリッカの頬が近付き、その間に甘く野性的な匂いをねじ込まれた。

ニリカはアキヨリとリッカの首に腕を回し、その間に自分の顔を突っ込んだのである。


「スミトモはな、朕を助けんと必死になってな…いや…当人に聞け。」


ニリカの頬に強制的に向けられた船尾には、小柄な男の背中に寄り添う大柄な女の後姿があり、二人の間には不自然な人影あった。

不自然の原因は小柄なスミトモを上回ると言うか下回る小ささであり、小ささの原因は腕も足も無い上半身だけと言う異様さである。


「御開祖様!」


片腕 片足だったいたわしい姿より更にいたわしい背後に その名を呼べば、朝日に逆光になる影が振り返った様に見えた。

しかし それは振り返ったのでは無く、砂の様に散り散りに潮風に舞って行ったのだった。


「ヨシサダさんよ…」


スミトモの背中は震えている様に見えた。

アキヨリの胸はさざ波立って震えた。


「まさか!そんな!御開祖様!!」


潮風に舞う砂つぶを掴もうと手を伸ばしたが、それも昨日の出来事だったと、ヨシサダが消えた後に、朝日の差し込まないスミトモとフミの隙間が言っていた。


「いえ!御開祖様がピリカの名を聞き間違えたなどと申した訳では無く!」


それが昨夜 船に引き上げられ、寝ぼけ眼で言いそびれた台詞だった。


「海は良いな。」


故郷コウズケの地より遥か離れた、夾竹桃の真っ白な光に照らされたセトウチの海を眺め、そう言って微笑んでくれた事が救いだった。



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