三つの季節
舳先に片足を掛け、掌をかざして眺める自分の城は絶景だった。
城と言っても天守閣の無い、城下町を周する城壁だけの味気ないと言えば味気ない普段の眺めに、夾竹桃が色を添えていた。
城壁には白い花が咲き乱れ、城壁が見下ろすヒロシマの港も同様に、普段穏やかな内海に白波が立っているかの様だった。
「これでは おうちにかえれませんね。」
肩に乗ったトウカが言うように、絶景は良いのだが接岸出来る状態では無い。
「そうでも無さそうだぞ。」
アキヨリが指を指すとトウカは驚いて目を丸くし、喜んで手を叩いた。
港に咲き乱れる夾竹桃の上を、町の若い衆たちが走って来るのだ。
見ればエダ島から民を運んだ船も、夾竹桃のヘリに止められている。
皆ここから歩いて町に帰ったのだろう。
「蓮の葉の上を歩くブッダを思わせる天上界の様な景色だが、このままでは些か不便。
我が国に船荷を届けるは困難となった。」
「おとうさま、そうでもありませんよ。」
トウカが指差した先では夾竹桃の上を走る若い衆 数名が、落とし穴に落ちる様に夾竹桃の枝葉を踏み抜き海に落ちた。
白い花は役目を果たしたと消えて行くようだ。
笑いながら引き上げると若い衆達は歯を鳴らして震えた。
正月を間近に控えた真冬の海はさぞ冷たかっただろう。
温める力を持つ多々良の守人はアキヨリにトウカ、そしてニリカ、一番人気は当然ニリカだった。
「弁天さんにくっつくんじゃねえよ!」
怒鳴るスミトモだが、若い男に囲まれたニリカはまんざらでも無さそうだった。
神格化された古代の王の存在は後々朝廷との軋轢を生むが、それもアキヨリにとっては織り込み済みなのが分かるのは十年を要する。
十年先より今は正月の餅の心配である。
ニザエモンから贈られた五隻の商船に満載された馳走は、国庫を空にするまで この一戦に備えたアキヨリにとって地獄に仏、大海の木片だった。
その船の荷も既に解かれ、人っ子一人居なかった城下町には町民のみならず、山間に暮らす民も島々に住まう民も、アキ国全ての民が溢れ返り、既に戦勝祝いと正月を兼ねた乱痴気騒ぎが始まっていた。
「山の屋敷で静かに疲れを癒したかったが、そうも行かぬか。」
港から城の屋敷まで敷かれた、人の道と言うべきか壁と例えるべきかが、ホウライ山への道を塞いでいた。
モンジュウロウが暮らした城の屋敷の物置小屋で戦勝報告をしたならば、城へ来るように呼んでも、頑として山を下りないソヤカと町の治安を気遣いながら、厠の他はべったりとリッカにくっ付き、食っては寝てを繰り返すのが年越しの過ごし方だった。
新年を迎えるとまず 山陽の覇者キタミ ユキノリがセッツ国の太守でありヘイクロウの兄 シミズ カズミネを伴い年賀の挨拶に訪れた。
二人は火の鳥討伐が既に畿内に迄知れ渡り、噂もちきりに名声高まる今こそ、日の本に覇を唱える時とそそのかしたが、餅を食って酒を飲めと突っぱねた。
次いでハカタからは ヒュウガ モトヒラが祝いの品々を携えやって来た。
誰も彼も言う事は同じ、うんざりしながら政の相談は主家の当主にと、マサトラに丸投げして、自分は赤ん坊の名前は何としようかと兄の墓前に相談した。
「兄上、一区切りつきまして御座います。
今こそ日の本の未来の為、不肖アキヨリ欧州へと赴き見聞を広めようとの使命に駆られております。」
風で飛んで来た木の枝が額を引っ叩いて飛び去って行った。
「面倒事を放り投げてリッカと遊んで暮らしたいだけだろう。」
おそらく兄アキマサの返事はそんなところだろう。
「ううむ、まずは このオンケイ寺を建て直すか。
またギンザブロウ殿を儲けさせてしまうな。」
倒壊したオンケイ寺を後に、ハルナとジョアンが姿を見せない事を、気付かなかった事にするのが正月の過ごし方だった。
暦の上での春が来た、暦の上と断りを入れるのは、春らしからぬ寒さ故である。
この世は均衡の保たれた天秤の上に乗ったいると言える。
風が吹いたら桶屋が儲かるでは無いが、一つの他愛もない出来事が、思いもよらぬ結果を生むのが常だろう。
長い年月 地中に在り続けた火の鳥の消失は、他愛もないなどとは決して言えない大事である。
今までの温暖な気候は、土中の火の鳥によるものだったかと、もう永遠に春は来ないのかと、今年の田植えは出来るのかと思い悩みながら船旅に出た。
ローマやリスボンに行くのでは無く、コウズケへの旅である。
目的は多岐に渡る。
まずはハルナとマサトラ達の帰還、そしてダンザを筆頭にコウズケ出身の家臣達を労う里帰り。
途中サカイに寄るのはニザエモンに礼を言うのと、暖簾分けして工房を開くチョウキチを送る為である。
途中に寄るのはサカイだけで無く、エダ島湾に浮かぶ夾竹桃の浮島も含まれる。
春が来ない本土とは打って変わり、エダ島は元火の鳥である浮島の影響か常春の気候だった。
均衡だ天秤だとの気掛かりが立証されてしまう事になるが、
それならばと大々的に農地開拓に取り組み、稲作に向かない斜面ばかりの雑木林は、見渡す限りのジャガタラ芋畑に変わりつつあった。
それと多岐に渡る目的はもう一つ、浮島に取り残されたピリカが寂しく無い様にと、挨拶に訪れるのがそれだった。
「カーミナクーって言うらしいよ、リュウキュウの墓はよ。
死んだ奴がまた母親の腹ん中から生まれ変わるようにって、それを象ってるんだってな。
この浮島はそれよ。」
この船旅の一切を取り仕切るスミトモが言うように、ピリカが居ると思われる中央は円形に白い花が咲き乱れ、それを囲う様に竹に似た夾竹桃の葉が茂っていた。
竹に似ているだけで竹では無く、怨霊の拠り所だった筍は いつの間にか姿を消していた。
ピリカが寂しく無い様にとの配慮はもう一つあった。
名優ジンキチが率いる楽団が十数隻の関船を繰り出し、能から発展した芝居を笛太鼓の音色も高らかに演じる賑やかさは、農地開拓に従事する人足達の労苦も労った。
見事な舞と演奏は周辺国にも知れ渡り、日に日に見物客は増え、人足達の寝泊まりする飯場は宿場町となり、今や首都ヒロシマ以上の賑わいを見せていた。
道中 左手の薬指にはめられた指輪ばかりを見詰めるハルナに、指輪の意味を問えず終いの往路と、また一緒に暮らせるようになったばかりのチョウキチとの別れに寂しがる、リッカと兄妹達への気遣いの復路がこの船旅だった。
「エンゲージリングって言うんだって素敵ね。
トウシチロウ私にもちょうだいよ。」
帰郷したトウシチロウが、親類縁者に嫁を貰ったとマイを紹介したのも、多岐に渡る目的の一つと付け加えなければならない。
サカイの彫金師に発注した揃いの銀の指輪が完成する頃には、港町サカイは蝉の声がむせ返る夏を迎えていた。
しかしアキ国に夏は来なかった。
曇り空ばかりが続き、時折ホウライ山から吹き下ろす風は、木枯らしと言う他に例えようが無い。
「如何したものか。」
山の屋敷の縁側で、実のならない桃ノ木を眺めるアキヨリの気掛かりは異常な冷夏のみならず、それは母と娘の不仲である。
ソヤカとリッカはあの一件以来 一言も口を利いていなかった。
「そろそろ義母上を許してやったらどうだ?」
そう言う度に一緒に庭を眺めていたリッカは、そっぽを向いてどこかに行ってしまうのが常だった。
ソヤカと言えば、この異常な冷夏は自分のせいだと、日々 封神壇のあった残骸折り重なる谷底へと赴き、祈りを捧げ高まった霊力で風を吹かせ曇り空を払おうとするが、それが木枯らしになり、ほんの一時の青空に雲が戻り逆効果の繰り返しだった。
この日もそうだった。
ソヤカの吹かせた風に、ほんの一時顔を見せた青空を睨むリッカだったが、戻ってくる雲は入道雲だった。
むせ返る湿気を含んだ南風が長い黒髪を頰に張り付かせた。
見上げる青空に白い羽が南の空に飛んで行った。




