不運か幸運かは自分が決める
「拙者の名は御存知かと思われるが念の為名乗らせて頂く。シジマ サブロウ アキヨリと申す。
話し言葉と声から察するに御婦人かと思われるが、其方の名をお聞かせ願う。」
またオニヤンマの名を問うのは、念の為であり薄い望みに掛けたからである。
オニヤンマの言う事は、少し前のアキヨリの疑問に答えているようであり、勝手に言いたい事を言っているだけのようでもある。
もしかしたら 一度目の問いは聞いていなかったかも知れない。
聞くだけ聞いたら 後は答えが来るなら良し、来なくても放っておこうとの投げやりさがあり、この人物に心当たりもあった。
「ニリカ様とはオオクニヌシの事でしょう。私はオオクニヌシの家臣ではありません。
私の名前は…」
真っ当な答えが返って来てアキヨリはギョッとなったが、オオクニヌシ云々は一度目の問いに対した答えであり、やはり一周遅れだったかと気を取り直した。
「私の名前は…ああ!分からない!私の名前どうして分からないの!!」
半ば予想していた答えだった。
心当たりの人物と、敬愛するオオクニヌシ ニリカとの、火の神に取り込まれたという共通点によるものである。
「朱鳥!朱鳥!」
予想通りの心持ちの後頭部を、大木槌で殴り飛ばされた心持ちである。
予想通りの名前だったが、すぐに思い出すのは予想外だった。
「いや、待て男の声だ。」
女性の声で話すオニヤンマが言っているので無ければ、過去の出来事が言っている事になる。
オニヤンマとのやり取りに掛り切りになり、疎かになっていた過去の出来事に目を戻した。
一面 真っ白だった。
母子で過ごした十四、五度目 程の冬だろうか、夾竹桃の草原に降り積もった雪の上に成長した赤毛の娘が声の方を振り向いた後ろ姿があった。
「私だ!姿形は変わったが、早稲彦だ!兄さんだ!」
理解出来るヤマトの言葉の出所は、麓の集落に続く山道からである。
それを一瞬だけ見た母親は、雪の上で怯えた背中を向ける娘へと駆け寄って行く。
娘も何か叫びながら近付いて来た。
アキヨリは暗澹たる表情で呟いた。
「この娘、やはり火の神の主人格の娘だったか。」
八つ裂きにしてやっても余りあるモンジュウロウの仇、忘れる筈も無い。
乱れ咲く夾竹桃の中で、食われ取り込まれようとした所、ニリカに救われた刹那 見た歪んだ笑みも忘れる筈も無い。
しかし 今目にする娘は、一心に母を頼る あどけなく儚げな面構えで、アキヨリの憐憫の情を誘った。
「胸が裂かれる思いだ!だが そんなものを見せられるたところでお前を許す訳には行かぬのだ!
お前の奸計を打ち破る為にモンジュウロウは命を落としたのだ!」
アキヨリは目を固く閉じ、両手で派手に音を立て頬を叩いた。
「…せんなきかな、今 恨みを口にしたところで何の意味も無い。
この時の娘には罪は無いのだ…せめて その早口を止めろ、エゾの御老体に習いはしたが、お前達の言葉は要として聞き取れぬ。」
諦めの境地に至ると、母にしがみ付いて後ろに隠れたのだろう娘の姿が消えると、母は山道からの声に再び目を向けた。
戸板に腕を付けただけの簡素な輿を、四人の屈強な男が担いでいた。
「朱鳥…朱鳥ぁ…」
その輿の上に乗った、いや 乗せられたと言う方が適当だろう、妙にブヨブヨと柔らかく太った体を輿に横たえる、男と言うより少年が朱鳥 朱鳥と叫んでいるのだった。
初めは勢い良かった声も、疲れてしまったのか弱々しくなって行く。
「此奴の言葉だけヤマトの言葉だ。
何故だなどとは言わぬ、全て分かっている、何もかも恐れていた通りになった。」
諦め半分に少年の顔に一人の人間の面影を見たアキヨリは、諦めた様に一人の名前を呟いた。
「モンジュウロウ…いや過去に幾度か転生したモンジュ坊だな
いや、当人が言っている通り、モンジュ坊に住み着くアスカさんの兄 カンダ ハヤネだろう。
それとも 兄妹に横槍を入れたとする ミヤマエ アンジュとか言う姦物か?
アスカさん、二、三聞きたい事があるがよろしいか?」
そう言っておきながらも返事は期待せず、独り言の様な物言いである。
「其方の兄かアンジュと言う者かは分からぬが、
夾竹桃に人間の元となる物を植え付け人間を再生する術で、火の神の制御装置として取り込まれた其方を救い出す企みを語っていた。
其方の兄だかアンジュが申す通り、この娘は再生された其方と思って良いのか?
これが正しいとするなら赤ん坊の親が、この母親がたった一人の親だと言った其方の言葉にも合点が行く。
しかし火の神の娘は確か其方を取り込んだ食ったと申していたぞ、これは如何なる事か?
となれば其方は、以前もそうだった様にアスカに成りすました火の神の娘では無いからとの疑念も浮かぶ、如何に如何に、返答を願う。」
「他人を完全に自分のものにする事なんて出来ません。」
一周遅れではない真っ当な答えと、四人が担ぐ輿の背後から現れた、ニリカが纏う白い巫女の装束に良く似た衣服を身に纏う、整ったすまし顔の女の二つに、アキヨリは耳を凝らし目を凝らした。
「しかし私は殆どを取り込まれ、自分の名前も忘れ、まともに受け答えの出来ないこんな朧気な存在になってしまいました。
オニヤンマさんの力を借り、辛うじて人格の体を保っているのです。
そしてこの人は このお母さんの妹です。」
畏敬の念を表しているのか、整ったすまし顔が母親の足元に跪いた。
「表向きだけの行動です。
このお母さんを騙そうとしています。
このお母さんが顔に火傷を負ったのも、以前人々のシャーマンとして信望を集めた このお母さんに取って代わろうとした企みによるものです。
勝手にでっち上げた このお母さんが告げたとする嘘の神託を人々に吹いて回り、そのせいで多くの人々が死に、このお母さんは顔を焼かれ追放されたと言っています。」
「言っています?!誰が言っているのだ?!其方には聞こえるのか?!」
アスカの言葉に集中し過ぎた耳を広く開放してやれば、確かにボソボソと呟く声があった。
鼻やら頬にこそばゆいオニヤンマの感覚をよくよく辿れば いつの間にか二つに増えていた。
「俺にこれを見せている母御前であろうか?」
骨となって現世を漂う この母親がオニヤンマの力を借り、過去を見せ聞かせているのだと断定するアキヨリは正しかった。
異国の言葉だろうと否定しているのか肯定しているのか位は判断出来るだろう。
ボソボソと呟く声は肯定の抑揚だった。
「私があの母親だと言っています。」
アスカが翻訳して肯定の抑揚に確信を与えた。
「何故 分かる?其方の話す言葉も、俺達と同じヤマトの言葉ではないか。」
「分かります、同じ気持ちですから。」
「どう同じと申すか?」
と言うアキヨリの目は、跪いた嘘の畏敬の念の前で、握り締めた震える手を胸に何かを堪える母親を見た。
「嘘だと分かってはいました。
私を陥れたのは妹だと知っていました。
妹は娘を新たな巫女として迎え入れると言いました。
モンジュ坊の力を借り、娘の存在を知り探し当てたのでしょう。
嘘だと分かってはいました。けれど娘のこれからを考えると、山奥に私と二人きりなんて不憫でならなかった。
私には娘がいましたが、娘はいずれ一人きりになる。
いざと言う時には私が守ってやればいい、娘にも私よりずっと強い巫女の力があり、いつか自分の身を守る事も出来る。
娘には幸せになって欲しかったのです。」
また問いに答えなくなったとするのは早合点だった。
いつの間にかアキヨリは、ボソボソ声の意味を翻訳無しに聞き取っていたのである。
「アスカさんの言葉を鵜呑みにするなら、俺も同じ気持ちだと言うのか?」
妹と四人の輿に連れられ、母親は山道を下りて行く、娘が腕を強く掴んで離さない。
「そうです、幸せになって欲しい、助けたい。
アキヨリさんもそう思っているのでしょう?
星渡り…あなたは火の神と呼んだでしょうか、取り込まれた私を救い出そうとする兄さんの計画が無ければ この娘は生まれませんでした。
遺伝子は全く同じながら、夾竹桃から生まれた赤ちゃんに私の人格は移りませんでした。
私が拒否したのです。
沢山の人が星渡りに取り込まれました。私だけが助かるなんて出来なかった。
そのせいで この娘には辛い不運を背負わせてしまいました。
この娘は罪を犯しました。アキヨリさんの大切な人を死に追いやったのでしたね。
でも、でも!償う機会だけでも与えてやってはくれませんか!!」
アキヨリは唇を震わせ、山道を辿り集落へと辿り着いた一行を黙って見つめていた。
そして意を決して口を開いた。
「おいそれと簡単に同意は出来ぬ。
しかし この先は確かに見届けさせてもらう。
それとアスカさん、人の運命を勝手に不運と決め付けるな。
母御前との出会いは娘にとってこの上無き幸運だったのは疑う余地の無い事実だ。
其方が拒否しなければ、この幸運も命さえも無かったのだ。
最も不幸なのは生まれても来なかった 只の無だと心得よ。」
「ありがとう、救われました…ありがとう…」
消え入る様な言葉はアスカの声か母親のものかも分からない程に微かなものだったが、アキヨリはどっちでも良いと思った。
声にならない二つの感謝は、胸に確かに届いていた。




