カンテラの指す光
「今のヒロシマとは比べ物にならぬが、思いの外 家の数は多いな、住み易い土地には自然と人が集まるのだろう。」
気候も良く海に面した低地が広がり稲作に適する、今目にする過去の集落の名がヒロシマと言うのか、それとも別の名が付けられているのかはアキヨリは知る筈も無い。
「人の営みは変わっても海は変わらぬな。」
母親の視線に従う他は無いのだが、海が見たいと思った所に母親が海を見た。
大小の島々が浮かぶセトウチの海は、アキヨリの時代と変わらず穏やかな面持ちで、陽の光を乱反射していた。
海を見た後は城下町に目を移し、ドーマンの術で騒動や火事の類は無いかと隅々まで確認し、思い掛けず目に映る野良犬のあくびやら、道端で遊び子供達にニンマリとするのが常なのが、そこにはトミナリの城は無くただ砂浜だけがあった。
それなら海はもういいと思った所、母親もそう思ったのか、稲刈りが終わった後の水田、立ち並ぶ茅葺き屋根、訝しんだ目でこちらを見る人々、の順に視線を移して行き、最後に長く伸びる足の上に人の背丈程の高い床の一際巨大な建造物に止まった。
「収穫物の倉庫だろうな、集落の象徴なのだろう、あぜ道が全てここに集約している。
奥には作りは同じだが足の低い建物が幾つかあるな、あれが指導者の住む住居か。
母御前は随分と感慨深げに見つめる、元は巫女であったとの事なら、あそこが元の住処だったと言う事か。」
オニヤンマの母親から同意があるかと思われたが無かった。
母娘はアキヨリが指導者が住むのだろうと言った住居の、一番新しく一番小さな建屋に通され、そこで暮らす事になったようだ。
「多々良の守人である娘の存在を知った母御前の妹が、二人を住まわせ監視する為に建てた住居だろうな。」
アキヨリの予想通り母親の住まいには、表立ってはいないものも、絶えず人の気配と視線が感じられるた。
「見せられ聞かされるだけのものから人の気配を感じてしまうとは、俺も厄介な人間になってしまったと言う事か。
それとも 母御前が感じたものも俺に伝えているのか?」
半ば質問じみた独り言だったが、やはり母親の答えは無かった。
住まいには食事が届けられ娘の為の服も度々届けられたが、娘は母親の縫った服しか身に付けなかった。
度々届けられたのは服だけでは無く、その中身が朱鳥の兄 早稲彦か、宮前 杏珠のどちらかであるモンジュ坊が娘を訪ねやって来た。
自分では歩けないのか、供の者二人に抱えられてである。
「朱鳥 思い出してくれたかい?」
などと優しく繰り返していたが、娘はただ怯えるだけだった。
根気強く語り掛けるも怯えるだけの娘に落胆して帰る、そんな遣り取りが幾度繰り返されたのだろうか、窓からは芽吹く若葉に春の陽射しが眩しかった。
中身の定かで無いモンジュ坊の表情に何やら思い詰めたものがあった。
いつもの様に語り掛けていたかと思うと、突然わざとらしい笑みを消し吐き捨てる様に呟いた。
「どうやら失敗だったようだな、やり直しだ!!」
二人の供の者が腰の剣を抜いた。
色合いから見るに銅剣である、製鉄の技術はまだ無いのだろう。
同時に五、六人が乱入する。
辺りは真っ赤に染まる、娘を守る為 母親が火炎を発したのだろう。
供の者二人の目玉が沸騰して弾けると、聞き覚えのある気味の悪い怪音波が鳴り響いた。
火炎は消え、揺れる視界は彷徨い、中身の定かでは無いモンジュ坊の口に行き着いた。
焼かれたハマグリの様に開いた口が震え怪音波を鳴らしていた。
「忌々しい!あの時と同じだ!二度も見るとは思わなんだ!」
あの時とは言うまで無く、モンジュウロウが命を落とした山道での夾竹桃の一件である。
操られたモンジュウロウの口から響く怪音波に、アキヨリは体の自由を奪われた。
同じ事が過去にあった。同じ脅威がこの母親を襲った。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
オニヤンマの母親が消え入りそうに詫びる。
二度も見せてしまって申し訳ないと言う意味なのだろう。
「詫びるべきは母御前では無い、詫びるべきは我欲に凝り固まったアンジュとか吐かす下衆だ。」
勝手に激する語気を暴れ馬でも御する様に、アキヨリは一言一言を噛み締め告げた。
語気に気を配るのは母親に怒りを伝えない為。
いつもの早口を控えたのは、室内に充満する怒号と娘の叫び声にかき消され伝わらないと思ったからである。
「見るに耐えん!聞くに耐えん!が全て受け取る!」
怪音波に逃げる術を奪われた娘は、呆気なく屈強な男に捕まり羽交い締めにされ叫んだ。
「エンコランプトゥイェ!エニカメス!ハポ!ハポ!」
思わずアキヨリは右手に火炎を発した。
しかし意味の無い事であると引っ込め呟く。
「触るな助けてくれと母御前に助けを求めているのだ。
エゾの御老体に習ってしまい意味が分かるのが良かったか、分からずが良かったか。」
当然 母親からの視点である、母親の姿は見えないが叫び声は聞こえた。
「ピリカ!ピリカァアァアアアアア!!」
アキヨリはカエルがヘビを飲み込んだ所に出会した様に、おかしなものを見聞きしたと言った顔で呟く。
「ピリカ?フミさんを見たエゾの御老体がピリカ メノコと言った様に、良いとか美しいとか言った意味だと思ったが何故こんな時に…」
アキヨリの疑問を置き去りに時は止まらず、母親も取り抑えられたのか、娘に向けていた視界は天井にねじ伏せられた。
僅かに煤が付き始めた真新しい梁に見下ろされたかと思うと銅の色合いがギラついて、視界はその一色になった。
「ぐぬぅうう!!」
アキヨリは突如 右目の激痛に襲われ呻いた。
呻きはしたが その意味を瞬時に理解したので微動だにしなかった。
次いで左目の激痛、アキヨリは呻きもしなかった。
視界は真っ暗になった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
オニヤンマの母親が何かに気付いた様な慌て様で、謝罪を繰り返した。
アキヨリは呻き声を上げた自分を恥じた。
無論その後に襲われた胸の激痛にも無反応であるばかりか、微笑みさえ浮かべた。
「何を詫びられるか母御前。」
オニヤンマが胸に止まりさすっているかの様だった。
「痛みも、私の痛みも伝えてしまいました!
ごめんなさい!ごめんなさい!」
「勘違いにて御座る。
しかし このアキヨリ、母御前の心の痛みは確かに受け取らせて頂いた。
何も知らず この先も阿呆面を晒し続ける己を思えば冷や汗が止まらぬ。
我が宿命の根元たる出来事を教えて下さったばかりか、リッカと逸れぬよう力添え下さった事 感謝申し上げる。
左様ならば…」
母親が絶命したならば見聞きするものはもう終わりかと思ったが終わりでは無かった。
腕を抱えられ引き摺られている様な感覚。
胸の激痛。
娘の叫び声。
ほのかに漂う硫黄の臭い。
娘の叫び声。
徐々に強まり鼻を突き刺さす程の硫黄の臭い。
母親の妹のものだろう、タガが外れた様な女の笑い声。
娘の絶叫そして母親の絶叫、そして全身の激痛、その先は全くの無だった。
「これが人の所業かぁああああああああ!!」
堪えられる筈は無かった。アキヨリは理解した。
母親の妹は半殺しの母親の目の前で娘を火口に突き落とし、次いで母親も惨殺したのだ。
宮前 安珠と思われる者が言っていた やり直しとは、朱鳥の宿らなかった安珠にとっては只の抜け殻である娘を再び火の神へ返す行為であると思われる。
オオクニヌシ ニリカの昔話にもあったホウライ山の火口、それは火の神へと直通する一本道である。
その時代を遡ると思われるこの時代にも それはあったのだろう。
憎しみに身を焼くニリカを呼んだのは、火の神の娘だったのだろう。
どんな恨みや妬みがあったのかは知らない。
自分の地位を脅かす娘を排除したいがだけで、抹殺したのなら尚更の事。
アキヨリの容赦の範疇を遥かに超えた、決して許せない惨劇は幕を閉じた。
逆巻く水が低く腹に響く。
何かに繋ぎ止められていた感覚が消え、急流に放り込まれる。
リッカの髪が黒く靡き、装束が白く靡く急流に揉まれる。
近づいて来る、リッカを引き寄せる骨の綱が必死に死力を尽くしてくれているのが痛みとして伝わる。
「リッカァアアアアアアア!!」
鱗粉の光を放ち助勢すれば、激流がこちらに向かって流れているかと錯覚する程にリッカに吸い寄せられ、吸い寄せる。
「リッカ!済まぬリッカ!この様な心持ちで再びお前に触れる事を許してくれ!!」
髪や装束だけでは無い、揺れる髪から普段前髪に隠れる額が覗いた。
思いの外広い額が可愛らしくて、見る度に心がコロコロと軽い音立て転がって喜んだ。
いつかの様に、山の屋敷で暮らした あの頃のように、今も自分の心は転がってくれるかと不安になったが、コロコロコロコロと勢い付いて転がって喜んでくれた。
「リッカァアアア…」
声にならず涙声になった。
リッカの閉じた目は微笑んでいるように見えた。
もう まつ毛の一本一本が数えられる、しかしそんな馬鹿げた事などせず両腕を広げた。
揺れる髪なのか装束の裾なのかが胸や頬をくすぐる、努めて優しく柔らかくと心で思いながら両腕が言う事を聞かず、強く強く抱き締めた。
リッカからそうしたかのように、急流に揉まれる二人の頬が触れ合った。
暖かかった。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
強く強く求めていながら 途轍もなく恐ろしかった。
もし求め続けた頬が冷たかったならと。
氷の眠りから目覚めさせる為には、万物を凍らせる冷たさから人の温みの温かさまで一気に不凍の池を温めなくてはならない。
火炎の化身とも呼ぶべきヨシツネの分身と戦った、放たれる火炎は全て天空へと逃した。
しかし全く影響が無かったとは言い切れない。
不安で不安で仕方なかった。
しかしリッカの頬は暖かかった。
不安の消え去った胸の中に喜びが駆け巡った。
手足が痙攣する程だった。
稲妻に打たれたなら こうなるのかと、初めての経験に未体験を当てはめる他なかった。
喜びも強過ぎれば人は耐えられ無くなるのだろう、叫ぶ他無かった。
「水はもう充分に満ちました。今なら檻を逃れられます。
見てくれて聞いてくれてありがとうございます。
私と同じ憎しみと怒り、ありがとうございます。
痛みを感じいた事 隠し通した思いやり、ありがとうございます。
娘への愛しみと同じ愛しみ、ありがとうございます。
同じ気持ちになってくれた事、決して忘れはしません。
もう思い残す事はありませんが、一つだけ、一つだけお願いしたい事があります。
アスカさんが言っていた様に、娘に罪を償う機会を与えてやって下さい。」
返事をする間も無く、アキヨリとリッカは真下へと渦巻く水の流れに飲まれ、流されると言うよりは落下して行く。
二匹のオニヤンマは、もう何も言い残す事は無いのか追っては来ない。
モンジュウロウの仇と恨みに凝り固まった、頑なさと未熟さに何も言ってやれない自分が恨めしい。
しかし 檻という言葉に引き戻され、檻とは何だと問い掛けようと、どちらが母親のオニヤンマかと二匹の間に目を行き来させた。
しかし分かる筈も無く、無駄な思案に時を費やしたと後悔した所、一匹のオニヤンマが追い掛けて来る。
「ああ!待って!娘!娘を!助けて下さい!娘を助けて下さい!
罪を償う機会などと言いましたが、どうかお願いです!娘を助けてやって下さい!
騙されて殺されて、次から次へと火の神に取り込まれた悪い人間に毒されて娘は歪んでしまったのです!
こんな事をお願い出来ないのは分かっています!
だけど!だけど!娘を助けてやって下さい!
私にくれた あなたの思いやりを、娘にも与えてやって下さい!人の温もりをもう一度娘に思い出させてやって下さいぃいいいいぃぃぃ!!」
また何も言え無かった。
水の流れから突然解放され本当の意味で落下したのだった。
リッカを更に強く抱き締めた。
必死に娘を助けてくれと嘆願する母親に何も言ってやれない自分に、そうする資格があるのかと自問自答すると、足が水面を突き破った感覚を覚え、落下の勢いの成すがままに沈んだ。
浮上しなければならない、リッカは未だ目覚めず、息を止めてくれる筈も無い。
暗闇の中、自分の落ちて来た穴から差し込む光を頼りに、渾身の力で鱗粉の光を放ちながら水を蹴った。
思いの外早く水面に辿り着き、咄嗟に出せなかったドーマンの術で、足を付ける岸と呼べるべき箇所を探すと、思いの外近くにそれはあった。
水面に背を向け胸にリッカを乗せ泳ぐと、岸に辿り着く前に尻が何かに突き当たった。
水底はすり鉢状になっている様だった。
足が付くならとリッカを横に抱いて砂の感触を感じながら、ここにも夾竹桃が咲いているのかと、薄ぼんやりと闇に浮かぶ薄桃色も見るとも見ずともなく歩いた。
すると歩くより早く水面から上がる事が出来た。
おかしな現象に振り返ると、巨大な筒状の物体が水面から突出して行くのが見え、ここにある水が またどこかに流れ抜けて行っているのが分かった。
「檻とはあの巨大な筒か?
水が満たされていなければ俺とリッカはあの中の水に落ち、義母上に捕らえられたのだろうな。
何もかも母御前に助けられたと言う事か…」
岸へと上がりアキヨリの足が立てる水音が止むと寝息が聞こえる。
リッカは水を吸い込まずに済んだようだ、力無くアキヨリの腕に横たわりながら寝息を立てていた。
人心地ついたアキヨリは夜空の月の様に見下ろす光を見上げた。
「其方の娘を俺が家臣の仇と憎み恨んでいると知りながら申しているのか?」
そう口では言いながら胸の中で自分に問い掛けていた。
「俺はモンジュウロウを死に追いやった あの娘を許せるのか?」
ぼんやりと渦を巻いて抜けて行く水を見つめていると、すり鉢状に堆積した砂も押し流されて行き、その跡に横穴らしき物が暗闇に口を開けていた。
「あちらには水は流れなかった様だな。
義母上にとってこれは思い描いた通りの結果なのだろうか?
いや、こうして俺とリッカは義母上の思い通りの囚われの身とはなっていない。
堆積していた砂によって水が抜けるのが一時遅れ、筒の檻より水面が高くなったからだ。
更に義母上の想定より水が多く溜まり、この池の底が重みで抜けてしまったと仮定するならば、義母上は砂の存在を知らず、この横穴からどこかに水を導くつもりだったのだろう。
さしずめ水を使い皆を氷漬けにするつもりだったのだろうな。
ならば水は何処に行った?」
ドーマンの術は水の流れを追った。
暗闇の中 水の流れやら、それに流される砂やらが右へ左へとうねり曲がって進み行く様を、実に良く見せてくれる術だと自画自賛しながらも、同じ物ばかりを見続けて飽きが来た所に水の流れを追い越してしまったようだ。
アキヨリが二、三人いたとして、総出で張り付いても塞ぎ切れない裂け目から陽の光が差し込み、どうせならとその先に進むと一本の柱が見えた。
「もしや!もしや!!」
胸騒ぎに追い立てられ柱を上に上に辿ると、予期していながら望んではいなかったものを見た。
鉄産球の柱に命綱を使いしがみ付き、滑り降りる家臣達は、皆 破顔一笑に勝利の確信を叫んでいた。
音は伝えてはくれないドーマンの術だが、アキヨリの耳には家臣達の叫びがこだまして急き立てた。
「何たる事だ!!彼奴らに知らせる手段は無いか?!
いや、知らせた所で間に合わぬ!!
登るより早く裂け目から噴き出す水は柱をへし折るだろう。
俺が行って何とかせねばならぬ!
水を追って その流れに飛び込むか?!
リッカを置いて行かねばならぬぞ、しかしまたここに戻れる保証など無い!
俺はどうすれば良いのだ!!モンジュウロウ!俺の声 聞こえているなら答えてくれ!俺を導いてくれ!!」
重大な選択を迫られる度に長兄アキマサならどうしたのかと、幼少の頃から兄に頼りきりだったアキヨリは、いつしか その癖を忘れていた。
しかし今、到底 自分の手には負えない選択に、モンジュウロウの名を叫んでいた。
モンジュウロウを喪った痛手から立ち直りきれていないのだろうか。
いや、そんな感傷を危機にあって持ち出す男では無い、答えてくれる確信があったのだ。
感傷を持ち出す男でなければ、人に頼りきりになる男でもない。
抜けて行った水は曲がりくねった道を通っていた。
直線に進む道があれば間に合うのだ。
頭痛がする迄にドーマンの範囲と精度を高め、横穴の先やらに近道が無いかと探し始めた。
しかし そんな必要は無いと言わんばかりに、水と砂が去った池のヘリから差し込む光があった。
同じ様に外の光が僅かに漏れる小さな裂け目は幾つかあり、その先に道は無いかと探っていたが、その光は何故かモンジュウロウにくれてやったカンテラの光の様に見えてならなかった。
カンテラには鏡で出来た仕切りを入れたなら 、ある一点を指す機能もあった。
「如何なる無理難題にも当意即妙!流石はモンジュウロウよ!!
俺を導き励ましてくれているか?!
それとも選ぶべきも無い事に思い悩む俺を笑っているか?!
母御前の頼みも聞き入れ火の神の娘を救い!家臣達も救い!言うまで無くリッカも救えと言っているのだな!!」
アキヨリはリッカを引き寄せ密着させると、砂の急坂を駆け下りた。
行き先は光の差し込む裂け目では無い。
光が指す一点である。
急坂を蹴り飛び降り様にその一点に飛び蹴りを見舞うと、呆気無く蹴破り縦穴が姿を現した。
「母御前!聞こえるか?!其方の頼み、このアキヨリ確かに承った!!」




