竪琴の約束 酒を酌み交わす約束
見参、そう宣言しておきながら微笑して天を指差す物腰は、優雅にして あくまで穏やか。
しかも その姿は朝日か夕日に照らされるかの様に、柔らかく朧ろに滲む。
更に その後ろには ここまでやって来た道筋を辿り、無数のヨシツネとシズカが微笑んでいる。
最後尾のヨシツネとシズカは次々と消えて行く訳なのだが、今それは大通りを走るアクヤの横を通り過ぎようとしていた。
「熟練した奏者のかき鳴らすハープの様だ。」
後ろに乗るハルナに寄りかかるジョアンの耳には、その音色も聴こえているのか。
「ハープ?」
語尾の上がったハルナのおうむ返しが、実在の音としてジョアンの耳をくすぐる。
「竪琴の事だよ。それは美しい音色なんだ。
ニザエモン様が所蔵していた、後で見せてもらうといい。」
爪弾かれる竪琴の弦は、二人に微笑みながら通過して行く。
「ジョアンが弾いて聞かせて。」
ジョアンは支えてくれるハルナの手に手を重ね強く頷いて、どれ程先になるか分からない約束を交わした。
二人を乗せるアクヤは尊敬の眼差しで一つ一つ消えて行くヨシツネを見送る。
もう馬と呼ばれても腹を立てはしないだろう。
大通りを行くヨシツネが消え、城壁を飛び越えるヨシツネが消え、ヨシツネとシズカは闘技場に只の一人になった。
うたたか人
それは朝日か夕日かの中の うたかたの存在では無く、気配を漂わせる実体となり、気配を察知したキリュウが悪鬼の如き目を開けた。
「どうやら最期の一発をぶちかます時が来たようだな。
アキヨリ殿 済まねえな、絶対死なねえ約束破っちまうな。
サト許せよ、おめえは若えし器量は今一つだが気立ての良さは天下一品だ。
きっといい奴に惚れられ…うわっ熱ぃ!」
半死半生の体は不意の熱さに飛び起きた。
飛び起きた頭を待っていた、やけに暖かい手に撫でなれキリュウは、細い目をこれでもかと見開いた。
「ヨシツネさん!!」
端々が切れ裂けそうな目と視線を合わせるとヨシツネは、微笑みの度合いを一段階上げた。
「ようやった、ようやったなマサナオよ。
我が分身を全て討ち倒すとは誠に天晴れ。
後はこのヨシツネに任せ、暫し眠っておれ。」
キリュウの手から槍が落ち、ゴトリと重量感のある音を立てた。
「手間ぁ掛けるがよろしく頼むぜ…
そ、そう…酒、酒飲もうぜ、なあ…一緒によ…」
悪鬼から幼子の眼差しに変わり、安堵の表情を浮かべて再びクオウニビツの背に突っ伏すキリュウの頭を撫で、ヨシツネは果たされぬ約束をうやむやにした。
ついでに肩から腰に及ぶ太刀傷を焼いて止血した事も、気付かれずにいたのをいい事に打ち明けず うやむやにした。
「おお!お!おおおおお!!」
ヨシツネにより炎の龍が天空へ飛ばされ、打ち倒す対象を失い空回りする鼬車に急かされ追い立てられ、トウシチロウは開いた瞳孔の奥からギラつく光で前後左右を敵を探し苛立ちを叫んだ。
見知らぬ顔を見たなら無条件に槍を叩き付ける勢いである。
人の言葉も通じないのではないだろうか。
「お若い方、ヨシツネが室シズカと申します。
敵は去りました、もう戦う必要はありません。
槍を収め、其方を待つ皆の所へ帰りましょう。」
ヨシツネの腕から どのようにしてトウシチロウの目の前まで行ったのか、数回繰り返したとしても常人の目には白い残像だけが残るだろう早技だった。
しかしシズカはトウシチロウにとって見知らぬ女である。その言葉は耳に届くのだろうか。
「おおおお!!」
鬼神は戦う他を知らぬ故の鬼神である。
炎の龍を叩き斬っていた稲妻の如き一閃が、見知らぬ女目掛け振り下ろされた。
「もう聞き分けの無い子ね。」
これまた目にも留まらぬ速技である。
槍をかいくぐり、腕を巻き取る様に懐に潜り込み、トウシチロウの鼻に鼻がくっつく程の至近距離でさっきの台詞を繰り返す。
「もう敵はいないの、戦わなくていいの、お家に帰りましょう、ね。」
開いたトウシチロウの瞳孔がきゅっと萎み、見知らぬ女の認識は初対面の女性になり、討ち倒すべきでは無く、ここまで近付かれたら恥じらうべきとの認識に変わった。
「はい。」
鬼神は少々 小賢しい若武者 アカミネ トウシチロウに戻り頬を赤く染めた。
「ああ、ああ!良かった!ああ良かった!ヨシツネ様!シズカ様!ありがとうございます…」
卒倒する程に安堵したフミは、実際に卒倒して白い羽から人の姿に戻ってしまい、大怪我は避けられない高さを落下する。
「今日はよく美女が このヨシツネの上に落ちて来る日であるな。
ほう、これまたハルナ同様に体格の良い娘であるな。」
自慢の跳躍力で飛び上がり、空中でフミを捕まえ抱き抱えたヨシツネは、愛おしげな表情で体格の良い娘の寝顔を愛でた後、鋭利な刃物の様な視線で振り向いた。
そこにあるのは城壁の上の巨大な氷塊である。
「ダンザエモンに銀髪の偉丈夫!距離を置け!!」
ヨシツネが言うや否や氷塊は砕け散り、焙烙玉が弾ける様な勢いで、矢尻の様な鋭い破片は四散した。
「随分と早かったねぇヨシツネ!!
そんな技があるだなんて今の今まで知らなかったよ。
敵は去りましたって、どこをどう見て言ってるんだいシズカ姉さん!!」
四散した氷の破片が空中に一斉停止した。
そしてゆっくりと落ちて行く。
そこに現れたのは、眦が吊り上がり、黒い装束から反射する黒に染まったソヤカの面差しと、
その横で鉄砲を構えたまま完全停止した、彫像の様なダンザだった。




