ひょっとこ斎
ニザエモン邸の離れにある茶室は、近頃一般的となった四畳半の間取りの茶室が、
水屋を挟み二つくっついた茶室としては大きな建物であった。
水屋とは茶道具を収納したり、点前や茶事の準備、
つまり客人に見えぬ影点と呼ばれる仕事をする所である。
その水屋の縁の下に水路からの抜け道は続いていた。
フミはニザエモンが危機に瀕した場合の脱出経路を逆に辿った事になる。
更にフミは脱出経路を逆に辿り、縁の下を茶室の真下まで這って進み、縁の下から見て天井、室内からは床の、
簡単に板を貼り合わせた隠し扉を音をたてぬよう開けた。
そこからは室内の会話がつぶさに聞き取れ、目で確認する事も制限付きではあるが可能である。
「ようこそおいでになられましたなヒデミツ殿。」
「久しいなニザエモン。」
フミはニザエモンとナリカワ ヒデミツと思われる二人の挨拶を聞き、
茶を立てる者が座する、点前座のニザエモンの正座する膝から下と
客座の無作法に胡座をかく、金糸で織られた毘沙門亀甲柄の袴を目にし、
唾をゆっくりと飲み込んだ。
「此度は見事な手腕にて、
ミナズネ様亡き後の騒乱の決着を成し遂げたるは単にヒデミツ様の御人徳によるもの、
再びの戦乱の最中に傾きかけた日の本をお救い下さった事 サカイの民を代表して心より御礼申し上げます。
並びに、こうして再び ミナヅネ様が重鎮の皆様方が、
手を携え天下に平安をもたらさんと一同に会する茶会を、
このサカイにて執り行わせて頂きます事
恐悦至極に御座います。」
「建前はよい、儂が大名共をこのサカイに呼び寄せた意味、分からぬとは言わせぬぞ。」
「はい、皆様方には心行くまで 御愉しみ頂けますよう、
趣向を万全整えて御座います。」
「ニザエモン 儂もお前も乱世に夢を見た者同士、お前の気持ちも分からぬでも無い。
だが終わったのだ。
ミナヅネ様もアキマサも死んだ、天下に知勇を勇躍させる英雄の時代は終わったのだ。
これよりはただ粛々と、野心の塊の如き大名共を法と絶対的な力で屈服させ
泰平の世を築き上げる作業が始まるのだ。
この日の本に住まう乱世に疲れ果てた万民が望むものは、ミナヅネ様の掲げた新しい何かではない。
古き良き拠り所なのだ。
ニザエモンこれ以上は言わせるな…」
「先ずは茶を一服。」
ヒデミツの言葉を遮りニザエモンは茶道具の入った 床の間の地袋の引き戸に手をかけた。
その背中には 二度に渡り穏便な脅迫をはぐらかせられ潰された
ヒデミツの面目が威圧感に姿を変えて放たれた。
それは天下人たる自負を持つ者だけが放つ気迫であり、
突き刺すのではなく、凄まじい重量で押しつぶされるような感覚を与えるものであった。
その圧迫感を受けたのは二名、その内一名ニザエモンは。
「これは驚きだ、
小者も己を天下の主と思い込むと、これ位の芸当が出来るのだな。」
そう呟き引き戸を開けた。
すると地袋の中には、圧迫感を受けたもう一人の青ざめた顔が
途轍もなくゆっくりと唾を飲み込んでいた。
ニザエモンは地袋の中の隠し扉から
これ以上なく引きつった顔だけ出したフミと目が合ってしまったのだ。
「ぷっ!」
思わず吹き出したニザエモンはゆっくりと引き戸を閉めた。
「何が可笑しい…」
運良く引き戸の中はヒデミツからは見えなかったようだ。
しかしその えぐり上げる様な視線からは、
隠しきれないドス黒い怒気が徐々に漏れ出していた。
「ああ、そうで御座いました。
本日は私の一番弟子の立てた茶をヒデミツ様に吟味して頂き、至らぬならば御指導頂きたかったのでした。」
「はぐらかすな。」
「呼んでもよろしいでしょうか?」
「いいかげんにしろ!
儂を手玉に取ったつもりか?!
昔のよしみで穏便に済ませようとしたならば図に乗りおって、もう回りくどい話は終わりだ!
シジマ アキヨリとヒデカツを差し出せ!」
「!!」
ニザエモンの手が汗ばむ。
「アキヨリがこのサカイに潜伏しているのは調べがついている。
あのような者を使い何を企むか知らぬがもう観念しろ。
おとなしく二人を差し出し、商いの利権の五割を納めるなら命ばかりは勘弁してやる!」
「シジマ アキヨリとは あの東国の赤鬼でよろしいですかな?」
老獪な勝負師は自らの冷や汗を恥て、精神の揺れる要素を全て丹田に押し込み、眼差しに鋭利さを宿した。
「他に誰がいる!」
「で、そのシジマ アキヨリと御子息のヒデカツ様を差し出せとは一体どう言った御用向きで?」
「まだ惚けるか!」
そう言ったヒデミツだったが
(まさかヒデカツはここには居らぬのか?)
疑念が頭をよぎり思考を硬直させた、
それをニザエモンは見逃さなかった。
「おい ひょっとこ斎、ヒデミツ様は少々取り乱しておいでだ、茶を一服立てて差し上げなさい。」
「かしこまりましたぁ。」
間の抜けた返事と共に、水屋に続く襖が勢い良く開け放たれた。




