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六角の花   作者: フミ
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海

あっという間だった。

スミトモの舟は街中(まちなか)の水路をぬけ、港の繋留された商船群の隙間を尋常でない速さで走っていた。


「あっという間だったろ?」


「あっという間でしたけど、何か体から抜けて行ってしまった気がします。」


「怖かったってこと?

あはは 面白い言い方するよフミは。

これでも慎重に走ったつもりよ。」


「これで慎重!

これ以上に激しい操船なんて想像できません。

もしや舟でも飛ぶのですか?!」


「ご名答 スミトモは舟でも飛ぶよ。

あははあははあはは。」


スミトモは笑いながら舵をきって小舟を緩やかに旋回させた。

舟はもう止まるような速度だった。

つまりもう周りには鉤爪を引っ掛ける物は無い事になる。

それ程沖には出てはいないのだが、サカイ湾内は波一つ無く小舟の孤独を引き立たせていた。


「他人(ひと)には聞かれたくないお話なのですか?」


「う、うんそうだね、でもこんな所まで来た理由はもう一つあるよ。」


スミトモは舟に転がっている 明らかに いい加減に作られた釣竿を振った。

釣り糸の先には餌などついておらず、やはり小さな鉤爪がついていた。

どんな物も引っ掛ければ良いと考えているようだ。


「俺がこの世で一番旨いと思うものを食って貰おうと思ってさ。

お!掛かったよ。」


すぐに竿を引くと一尺はある鯖が跳ねた。


鯖は間を置かずスミトモの手のひらに乗り小刻みに尾びれをばたつかせた。


手首の辺りに隠した小刀を手品のように取り出したスミトモは、

暴れるサバを気にもとめず、豆腐を切るが如く手のひらの上で手慣れた手つきで間を置かず刺身にした。


「素早さと刃物の切れ味が味の決め手よ、あーん。」


それをスミトモはフミの口元に持って行き、口を大きく開けて見せ食べろと促した。

美味に目の無いフミは、艶めく油の乗った鯖の刺身に吸い寄せられ、吸い付いて口中に収めた。


「んーっ!」


「ふふん、旨さを語るに言葉はいらないね。

鯖の生き腐れってね、鯖を刺身で食うにはスミトモと海が無いと無理よ。

帝(みかど)でも大名でも食えないものよ。

もっと食うだろ?」


「はい、湾内の鯖全て頂きます。

でもその前にスミトモ様のお話を。」


「あー、そうだった。

フジオカじゃないが、中々言い出せなかったよ。

散々連れ回して渋るのも男らしくないね。

なんで俺がフミと弁天さんを見分けられたかってのはこれよ。」


スミトモは手のひらの上に残った鯖の頭を一度額の辺りに持っていき、「感謝」と呟き海に放り投げ、今度は手の甲を座っているフミの目の前に差し出した。


「スミトモ様…」


フミは言葉につまった。

スミトモの左手の親指は付け根から反り返る様に曲がっており、更に第一関節は真横に曲がっていた。

それを絵に描いて題名をつけるなら(苦悶)とするのが妥当である。

つまり醜くかった。


「この手を始めて見て目を逸らさなかったのはただ二人、アキヨリと弁天さんだけよ。


理屈じゃ無いのよ、俺は姿形が変わってもこの二人だけは分かるのよ、たった今一人増えたけどな。


回りくどい話になるけど、海の上で二人きりだし、他にやることもないだろうから聞いてくれよ。


俺が生まれたのは、アキヨリがドーマンを覚えたシマの漁村だったよ。


親父は漁師、母ちゃんは海に潜ってアワビなんかを獲る海女だったよ。


女が潜る時は男が船で命綱を握るんだ。

危険な仕事よ、慣れた海とは言っても、おかしな海流があったりサメだっている、命を落とす海女も珍しくない。


元々ドーマンは女に万が一があった時すぐに気付けるよう男が身に付ける術なのさ。


でも最近じゃ修業がキツかったり、中にはいくら修業しても身に付けられない奴もいたりで、廃れちまって使える奴はほんの数人よ。


俺の親父と母ちゃんは両方に当てはまった。

ドーマンを使えない親父は母ちゃんを助けるどころか遺体さえ見つけられなかった。

俺が六つの時だったよ。」


そこまで告げるとスミトモは船尾に腰を下ろし左手を懐にしまった。

海に目をやり 話の続きを語り始めようとしたが、自分に真っ直ぐに向けられたフミの視線に気づきフミに向き合う事にした。


「親父は糞だったよ。

母ちゃんを助けられなかった事に向き合えず逃げ続けた。

漁にも行かず酒を飲んで暴れてさ。

一人っ子だった俺は年中酔っ払いと二人きりさ、たまんなかったよ。

いや、兄弟なんかいたらもっとたまんなかったかな。

親父は酒が無くなると家の物 片っ端から金にしちまった、魚を獲る網も船もだよ。


嫁入り道具だった母ちゃんの一張羅(いっちょうら)を金に替えて来いと渡された俺はそのまま家を出たよ。


俺は岩場の洞窟でうずくまってた、母ちゃんの着物に顔をうずめると、ほんの少しだけ母ちゃんの匂いがしたよ。


満潮になると洞窟は海ん中さ、知ってたけど もうどうでもよかった。

腰の辺りまで海水が満ちてたかな、突然海ん中からガバガバ泡が上がって来てヨダのじいさんが顔を出したのさ、たまげたよ。」


「ヨダ様?」


「あー、ヨダのじいさんはアキヨリに稽古をつけたドーマンの達人よ。

いなくなっちまった俺をドーマンで見つけて助けに来てくれたのさ。


それから俺はヨダのじいさんの家において貰える事になった。

親父みたいになりたくなかった俺は、じいさんに頼んでドーマンの修業を始めたよ。


その頃じいさんの家じゃ赤ん坊も生まれたばかりだったけど、みんな俺をじゃけんにせず可愛がってくれたよ。


でも半年くらいだったな、親父が俺を取り返しに来たんだ、丁度ドーマンの修業をしてた時よ。

それを見た親父は訳の分からない事をギャーギャー喚いて、俺の手を力任せに捻り上げて引っ張りやがった。

親指が無くなっちまったと思ったよ、その後死ぬ程痛くなって俺は気を失いかけた。

それでも親父は引っ張るのをやめなかった。

だけどすぐに俺の悲鳴を聞いてじいさんや村の若い衆が駆けつけてくれた。


親父の身の上を気の毒に思ってくれてた じいさんも堪忍袋がブッ裂けたみたいで、親父は袋叩きになってたよ。

フラフラよたつきながら逃げてく親父の後ろ姿を何と無く覚えてる。


それから親父は姿を消しちまったけど誰も探しちゃくれなかった。

そしたらさ、母ちゃんが生きてた頃の親父の思い出が後から後から思い出されてよ、いてもたってもいらんなくなって俺は覚えたてのドーマンで親父を探したんだ。


村の中や船着場じゃなく海ばっかりをさ。

俺のドーマンは初歩の初歩、本当に帰って来て欲しいものしか見えないのよ。

やっぱり見えたんだ海ん中の親父がさ。」


「スミトモ様。」


フミは懐に隠したスミトモ手を引っ張り出して強く握り締めた。


「ありがとうよフミ。

昨日の晩もそうだったよ、弁天さんは席に案内しろって俺の手を取った時ギューとさ、握ってくれたよ。

俺は忘れない、絶対に忘れないよ。

どこに居て、どんな姿だって弁天さんを見つけられるよ!

そしたらさ親父に折られてから、こんな変てこりんに固まって動かなくなっちまった親指がほんのちょっと動くんだよ。

見てくれよフミ!」


スミトモの親指は薄闇の中でも僅かではあるが動いて見えた、震える様に。



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